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ニャンまま
2011年12月に肺腺ガンの疑いと宣告される。 翌年2月に右肺上葉を切除。2014年に右腎臓摘出。 その間 何度か部位を変えて転移するも現在に至る。 2019年12月にパーキンソン病の確定診断を受ける。
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2020年10月28日

特定健康診査


 昨日 バタバタと実家の用事を済ませ
 自宅へ戻ってきた



 今回は久しぶりに高速を利用しての帰宅

 全体の紅葉にはまだ少し早い時期だが

 それでも 道すがらに見える 遠くの山並みは
 きれいなグラデーションになってきていた



 友人の店で ヘアカットをお願いしていたし
 すこし掃除もしなくちゃなぁ・・・と考えながら

 楽しく1時間強のドライブ




 今は通常 夫と猫2匹(どちらもオス)が暮らしている家

 まぁ あいかわらずの乱雑な感じは仕方がない


 けれど
 驚いたことに きちんとコタツが出ていた!!!

 ダメじゃん!  私はコタツが大好き!!!

 カタツムリならぬ「コタツムリ」になってしまう(笑)



 掃除とおかずの作り置きは 健診後でいいっかぁ〜〜!と
 帰宅早々 猫と一緒にコタツに収まってしまう自分!



 カー◯スに通い始めたとはいえ 効果が出るのはまだまだ先

 今回の特定健康診査には到底間に合わない


 来年の比較対象として 今の状態をキチンと見てもらってこよう



 ・・・とは言いつつ 昨年からコレステロールやら中性脂肪やらが
 怪しい範囲内になってきているので 正直こわい


 まぁ 体は嘘はつかないので 謙虚にキチンと向き合わねば!
 診査結果が来るのは先のことだし(笑)




 ・・・と言うことで 
 今日はこれから 検診にいってきまぁーーーす!!!








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2020年10月25日

父の退院


 2017年 6月初旬

 父が退院が決まったものの

 自宅で暮らすとなると 
 様々な準備が必要となった



 退院までに 病院のケースワーカーの方と相談して
 紹介していただいたケアマネさんと契約をした


 介護認定度調査をした時点では 結構大変な状況だったが

 その頃の父は 
 自力歩行や咀嚼等 動作全般にきちんとリハビリの成果が出ていた


 介護ベッドの契約等もスムーズに済ませ ベッドの搬入を待つだけに




 ただ実際ベッドを入れるとなると そのスペース確保に手間取った

 仏間は6畳だし 8畳の和室に入れることになるのだが

 祖母が介護ベッドを使っていた頃は広々としていた部屋も
 洋服やら 本 雑誌 画集 アルバム等が積み上げられてしまっていた


 普段は 両親がそこで就寝しているのだが

 布団を敷くスペースのみ 物がなく
 床の間や広縁にまで 弟家族のものが侵出していた(呆れる)


 平日休みの自分が片付けるしかない!!!

 たった8畳の和室と広縁をきれいにするのに3日かかった!!!


 隅々まで掃除をして 消毒もしてカーペットを敷きこんだ

 さぁ これでベッドも無事に搬入できるぞ!!!



 母には とても感謝された

 けれど その時につくづく思ったのは
 何事 体の動くうちに手をつけておかないと!という事


 きれい好きだった母でさえ 
 年をかさね 体が言うことをきかなくなってくると
 掃除そのものが 辛く億劫になってくるのだ

 弟家族の物が増えても どかすことすら面倒だったに違いない


 自分も なんだかんだと物を溜め込んでしまう方だ

 本格的な断捨離とまではいかなくとも
 今のうちから心がけて 荷物の整理をしておかなくては!!!




 そうして 6月も下旬に差し掛かる頃に 父は無事退院した




 車から降りて 玄関に向かう時の父の顔は忘れられない

 本当にうれしそうで 
 穏やかに笑いながら母と手を繋いで歩いていた



 この日から 今年の6月に亡くなるまで 
 本人と私たちの希望通り ずっと家にいることができた


 家族みんなで ワイワイと賑やかに暮らせて
 父も幸せだったと信じたい 




 あらためて 「 今までありがとう! 安らかにね 」








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2020年10月23日

筋肉痛


 以前 カー◯スに通い始めたことを書いた


 無料体験の期間が1ヶ月ということだったし
 始めたからには、と 週4程度の頻度で通っている



 いやーーーー 舐めてた!


 マシンを使っての運動は 自分の力加減で調整できるし
 ボード上での有酸素運動は 足踏み程度だし

 本当に無理せずできると!


 けれど 調子に乗ってしまったらしい・・・


 右大腿部が筋肉痛になってしまった




 実は 長男を未熟児で出産してから 
 俗にゆう「産後の肥立ち」を待たないどころか

 退院翌日から 母乳を絞って届けていた


 アパートの3階から徒歩5分の病院までだったが
 " 毎日 " 3〜4回 通ったのだ

 もちろん冷凍してまとめたものもあったが

 近いし 初産での未熟児だったこともあり
 息子の様子を毎日確認に通っていたのだ

 その度に 看護師さん達から色々話を聞けたし
 不安しかなかった自分も 随分と励まされた



 そんな時期も過ぎ 長男が2歳になった頃
 仲人さんの奥様からお茶に誘われた
 (これまた すぐ近所にお住まいだった)

 そこにたまたま訪ねてきたご近所の奥様が
 少し整体に詳しいとのことで

 「ちょっと見てみる?」と ざっと体の具合を見てくれた

 その時に 右の股関節が開き気味のようだと言われた
 なので 骨盤も正しく正面を向いていない、と



 自覚はあった

 ウエストのくびれの位置が 左右で高さが違うし

 仰向けに寝ると 自然に寝ているようでも
 足が全体的に右に傾いてしまっている

 なので たぶん上からみると 
 腰から下は 斜め右方向に曲がっているはず


 実際 放射線治療の際には 常時寝ている姿勢を正されていた

 まっすぐ寝てくださいね、と言われて
 自分ではいつもそうしているつもりだったのだが



 その影響なのだろうけれど

 マシンで 開脚をするものがあって
 どうしても右足がうまく開閉できない

 余計な力が 右大腿部の外側にかかってしまうようだ

 おまけに ボード上での足踏みを
 良かれとおもい 足を高く上げて大きくリズミカルにしていた


 どこか 無理に力がかかってしまったんだろう

 右大腿部が 結構な筋肉痛になってしまった

 他の部位はなんということもないのだが・・・



 しばらくは コーチの指示に従って
 無理せず ゆっくりと開脚マシンを使うことにしよう




 それにしても 大先輩がたが通ってらっしゃるが
 皆様とても生き生きしていてお元気!!!


 還暦なんて まだまだひよっ子!


 O先生にも
 「筋肉と脳みそは 死ぬまで鍛えられるよ!」
 と言われたし(笑)


 来年の今頃 颯爽と姿勢よく歩けていることを信じて
 無理せず頑張っていこう!!!









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2020年10月22日

入院中の父 2


 入院当初は ナースステーション脇の部屋にいた


 点滴処置室を少し広くしたような感じで
 細長い部屋の中が カーテンで区切られていた


 ナースステーション脇なので もちろん窓もない

 その場所にいた頃から すでに認知症は進んできていた

 とにかく窓がない閉鎖的な薄暗い空間なので
 面会に行っても気が滅入るほど



 本人にしてみれば " 閉じ込められてる " 感覚だったのかもしれない


 「俺は どうしてここにいる?」

 「誰に強制的に拉致されてきたんだ?」

 「ここにくる前に 誰かを殺めたか盗みをしたのか?」

 「知らない奴らがウヨウヨと顔を見に来る」

 このような言葉は この部屋にいる時から呟いていたようだ
 看護師さんが 少々せん妄らしきものがある、と言っていたので


 けれど 家族が来れば にこやかに笑うようにもなっていたし
 早く退院したいと そればかり言っていた




 脳の状態が落ち着いて 相部屋に移った当初は
 夜になると 大声で

 「帰るからタクシーを呼んでくれ!」

 「こんな怪しいやつらと一緒の部屋は御免被る!
  部屋を変えるか 帰宅させろ!」等々

 前回書いた様子に加え こんな風なのだから 夜中に弟が呼ばれる訳だ



 ある仕事帰りの日 いつものように夕食の介助をしようと立ち寄ると

 私の顔を見るなり
 「シッ! シッ!」と口にチャックのポーズをする

 「何?どうしたの?」と不思議に思ってたずねると

 「前のベッドのやつがスパイで ずっと俺を見張っている
  何にも言うな!! そして今日は帰れ!

  俺と知り合いなのが知れるとマズイ」と本気で言う


 やれやれ 火曜サスペンスどころか まるで007の世界だ

 どうにか宥めながらも 夕食をゆっくり摂らせた



 こんな様子が 1ヶ月ほど続いた後


 ある日 母と一緒に面会に行くと
 何やらバツの悪そうな顔をしながらも ニコニコ笑っている

 「おじいちゃん どうしたの?」と母が聞くと

 「いやぁ なんだか悪くってな
  俺ばっかり こんないいホテルに泊まって毎日上げ膳据え膳で」



 は? 思わず母と大笑い  そして更には・・・

 「お金は大丈夫なのか? 心配になってきた
  〇〇(母の名)も 一緒の部屋に泊まれればいいのになぁ」と



 前日までの父とは正反対の いつもの穏やかな父に戻っていた



 あまりにも急に変わって驚いたが 
 この日から退院までは 本当ににこやかに穏やかに過ごす事ができ

 退院時には看護師さん達からの盛大なお見送りをしていただいた


 そしてこれが 父の最後の入院生活となった








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2020年10月20日

入院中の父 1


 今年の6月に亡くなった父が
 3回目の脳梗塞を患い入院した時の話です




 軽い脳内出血だったとはいえ 3回目と言うこともあり
 先生方は 慎重に治療を進めたいと言う意向だった


 四肢は 何の問題もなく動かせるようになってきたが
 やはり 左手は少々使い辛そうではあった


 歩行障害もほとんどなかったとはいえ 少々認知症が強くなった



 入院中 夜中に2回 弟に呼び出し電話が来たという

 「もう なんともないんだから家に帰る!」

 「誰に許可を得て ここ(ベッド)に縛り付けるんだ!」

 等々 夜中に大騒ぎしたという


 拘束については 
 やむを得ない場合・・・と弟が書面にサインしていた

 なにせ 始めから点滴針を抜こうと画策した父だったので



 弟が行けば 恥ずかしいのか 知らんふりで大人しくなる

 それも 段々諦めがついたのか 大人しく就寝するようになった




 私は仕事帰りに病院に寄って 
 夕食を食べさせながら おしゃべりをしてくるのが日課となった


 仕事の無い日は 母を伴って面会時間一杯くらいに話をして来た

 少しでも脳に刺激を与えて 認知症がこれ以上進まないように
 家族の方は なるべくお話しして行ってくださいとのことだったので



 入院して2週間後くらいからは ほとんど普通食に戻って来た


 誤嚥性肺炎を防ぐための 食事のリハビリも始まり

 作業療法士の方にお迎えに来てもらって 
 車椅子でリハビリ病棟へ通う日が始まった


 自力歩行はできていたが 入院中筋力が落ちてしまい
 そろりそろり〜という感じのスピードでしか歩けなくなっていた


 本人は「食」に関しては なかなかうるさいほうだったので
 食事のリハビリは 真面目に取り組んでいたようだった




 ある仕事帰りの日
 いつものように病室に行くと 何やら父が殺気立っている!

 目がらんらんと輝き こちらを「ギョロッ!」と睨んできた


 そして突然こう言ったのだ

 「誰に聞いてきたんだ? どうして俺がここにいるのがわかったんだ?

  いつから ここに拉致されてきているんだ?」



 はぁ〜???  父の「サスペンス劇場」の始まりだった









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2020年10月17日

やれやれ


 救急搬送された父は 早速MRIとCTを撮ってもらった


 母と二人 薄暗くなった病院の1階ホールで
 1時間近く待たされた


 病院に着いた頃には 
 質問をし続けていた救急隊員の顔を見て

 父は 一生懸命 言葉を発しようとしていた上に
 両手も動かし始めていた


 なので 母と私は大事に至らずに済みそうだと考えていた



 やっと先生が出てきて

 以前脳梗塞を発症していたら
 その時のことを聞かせて欲しいと 母に尋ねていた

 父は この時ですでに3回目の脳梗塞だ



 けれども 今までも麻痺等は全く残らず
 少々 まだらボケが始まったかな?と言う程度で済んでいた


 当然のことながら このまま入院することになり
 私は留守を頼んでいた弟夫婦に その旨電話で伝えた


 最初に気づいた甥っ子も とにかく大事にならなかったと
 胸をなで下ろしていたようだった





 翌日から 家族代わる代わる 面会時間に会いに行った

 なるべく家族との会話で刺激を与えて欲しいとのこと



 ほとんど正気に戻っていたプライドの高い父は

 「なぜ いつまでもこんな所にいなくちゃならないんだ?」と
 大声で弟たちを質問攻めにして

 トイレに連れて行ってくれと 点滴を外しそうな勢いだったそうな



 軽いとはいえ 脳内出血を起こしており 
 今はベッド上で点滴しながら安静にしてないと!と弟になだめられても

 「トイレに行けないのなら ここで用を足してもいいのか?
  そのゴミ箱を持ってこい!」と叫んだそうだ


 パンツタイプのオムツを履いているのに 
 頑としてトイレに行く、と言うことを聞かなかったそうだ


 変なところで プライドを出さなくてもいいのに!!!



 少し大柄な看護師さんがきて

 「少々声が大きいですよ! 
  寝てらっしゃる方もいるので 静かになさってくださいね
  言ってることは お分かりになりますよね?」

 と 少しばかり 厳しくたしなめたところ


 まさかの看護師さんからのお叱りで やっと大人しくなったそうだ


 先生からは 最低2週間の入院になるとの話だったが
 この調子だと 本人にはまだぼかしておいた方がいいと言う結論になった


 果たして 2週間できちんと退院できるのだろうか?









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2020年10月16日

何があった!?


 2017年5月

 MクリニックのMRI そしてO先生の検診と
 2日間連続の病院巡りを終え アパートに戻った


 着いた時間は午後の6時前

 実家に帰宅を知らせるために顔を出した




 「あ!!! おばちゃん帰ってきた!」と
 当時中3の甥が大声を上げて玄関に走ってきた


 何をそんなに慌てているんだ?と笑いかけたが
 嫌な予感が!


 「おじいちゃんが変なんだよ!
  トイレ出てきてから きちんと話せないんだ」


 うわっ! ひょっとしてまた???

 すぐに仏間に駆け込むと 
 左手を押さえて不安そうに座る父がいた

 「大丈夫? 私のことわかる?」

 呼びかけに対してこちらを向くものの
 すぐに首も動かなくなり 話はできないままだった

 左手もダランと落ちてきて 瞳孔も開き気味になってしまっている

 母も慌ててキッチンから出てきた

 「おじいちゃん どうしたの? 話できる?」



 もうその時には 左手は見た目にも完全に麻痺で
 呂律が回らず 目も虚ろになってきていた


 すぐに救急車を呼ぶと ちょうど弟も仕事から帰宅した


 救急隊員の方々(3人)の対応は素晴らしく
 焦る私たちを見ても 自信に満ち溢れた表情で

 「大丈夫ですよ! 
  これから車に乗せますからね 心配しないで」

 と言いながら

 一人は状況確認の聞き取り
 もう一人は 本人の状態確認
 そして残る一人は 運び出す経路の確保・・・と
 非常に無駄のない動きと役割!


 テキパキと 狭い室内・廊下を経て
 道路に止めた救急車の中へ運ばれた父


 そこからが長かった・・・・・・・・・・

 とにかく 受け入れ先の病院が見つからない


 以前 心臓の大動脈バイパスの手術をした市立病院には
 緊急の患者さんが複数同時に搬送されてきているため無理

 他の近隣の脳外科がある救急指定病院も満床!

 受け入れ先を探しつつ 救急の処置をしていてくれる隊員の方々

 その段階の父はといえば 段々と目の焦点もあってきていた


 再度 父の手術のデータがある市立病院の医師と直接話してくれた
 (時間的に外来は終わって ちょうど翌日の準備をしていたらしい)


 MRIを撮れる所に連れて行って上げて、と言われ

 かれこれ10分以上経った頃 やっとの事で受け入れ先が見つかる



 車で20分以上先にある総合病院だ

 これくらいの距離ならば致し方ない

 何より 私の勤務先からは車で5分ほどの病院だ
 かえって良かったのかもしれない


 同行した母と 横になっている状態の父 
 二人揃って不安そうな表情を浮かべていた



 「さあ 向かいますからね!」という救急隊員さんの言葉で

 とにもかくにも 
 やっと病院に向かえるということに 母と二人で安堵した








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2020年10月14日

今年は〇〇の秋


 この1週間ほどで 街の街路樹も
 段々とその葉の色を変えてきた


 イチョウは黄色に ハナミズキや桜は
 赤っぽいグラデーションに・・・


 日中 陽がさせば暖かいが
 朝夕の冷え込みはなかなかの寒さだ



 あの暑い暑い夏

 夏バテどころか その暑さに負けぬように食べ続けていて
 なんだか体が重くなってきた


 まぁいつも 秋になるとますます " 肥える " のだが(笑)



 そんな私を気遣って?
 叔母から カー◯スの体験教室チケットなるものをもらった


 確かに 運動らしきものは全くしていない

 O先生のところへ行くたびに 体重がネタになるほどだ


 仕事へも 玄関to玄関 車だし
 母と病院やら買い物に行くのも勿論車


 還暦を迎えたのに さすがにこれはマズいと思ってはいた


 そこにもらった 体験教室のチケット
 とにかく 行くだけ行ってみようと


 まだ自宅にいた当時 今からもう5年ほど前に
 すぐ近所に カー◯スができてお誘いを受けたが

 そんな気分にもならなかったし 何よりずっと痩せていて
 体もまだ俊敏?に動かせていた


 そして その内容が 本当に効くのか?と疑問だった

 ちょっと聞いただけでは
 あまり有効性を感じなかったのが正直なところ


 けれど 今年72歳の叔母が 2年続けてきて
 筋肉量が増えたばかりではなく 体脂肪は減り

 健康診断での コレステロール値や中性脂肪値が
 理想のものに変化してきて 見た目もスッキリとしてきた

 実際に 叔母はとても生き生きしていて
 乳がんで 左乳房全摘したとは思えないほど溌剌としている


 素敵なお手本が身近にいるのだから 自分もやって見なくっちゃ!



 ・・・で 早速行ってきた!!!


 結論!  うん! 続ける!!!



 簡易的に見えていたマシンも 油圧式で強弱つけやすいし
 コーチの皆さんの声かけや指導が的確

 女性だけ!予約なし!と言うのが気軽に行ける一番の理由

 元来 汗かきの自分は 30分の間にしっかりと汗だくになる

 それに 日常では使わなかったな、と自覚できる部位も動かせる

 本格的なジムとは違い 
 料金もそれほどでもないし(紹介がありお得だった)
 無理せず気軽に通えそうだ




 今月末に予約してある「特定健康診査」に間に合うかな?


 去年よりも数値が改善してるといいな♪・・・という
 何ともギリギリの悪あがきが本当の理由でした!(爆)








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2020年10月11日

2017年 5月になった


 地元に転勤し アパートにも入居し
 やっとの事で落ち着いてきた実感!


 GWの繁忙期が終わり ホッとする間もなく
 Mクリニックでの MRIの定期検査の日を迎えた


 地元からMクリニックへは 1時間ちょっとの道のり
 念のため早く来すぎて 待たされた(笑)


 K先生には 結果が良好だったこともあり
 とても褒められた

 「ニャンままさんが元気なだけで こちらもうれしいです」

 そのタイミングで ガン診断を受けてすでに5年過ぎていた


 先生がそれまで一番長く診ていた肺腺がんの患者さんが
 6年目の後半で 残念ながら息を引き取ったと聞いていたので

 丸5年を過ぎ 6年目に入っても元気な私を見て 
 思わず笑顔になったのだろう

 亡くなられた女性も 2度のガンマナイフを受けたらしいが
 全身状態が すでにあまり良くなかったらしい


 それにひきかえ当時の私は 
 「ひょっとして 自分は不死身???」などと
 不遜な考えを持てるほど 毎日元気に暮らしていた


 翌日は 自宅近くのO先生の病院への予約日だった


 Mクリニックの検査を終え まっすぐ自宅へ
 また1時間ほどのドライブ!


 仕事から帰宅したばかりの娘と 久しぶりにゆっくり夕食を食べた




 相変わらずの残業の後に帰宅した夫は
 何となくバツが悪そうに 通りいっぺんの挨拶をした程度で

 私たちの話の輪に 無理に入ってこようとはしなかった



 私が 本当に地元店に転勤するとは思っていなかった夫は
 まだ 私の本意がどこにあるのかわからず なんとなく怯えていた


 実を言うと この頃にはすでに
 夫のことは " もうどうでもいいや!" とまで気にかけなくなっていた


 物理的に離れていると 夫のことで思い悩むこと自体
 本当に 時間の無駄でバカバカしいと思えてきていたのだ

 今 こんなに体調が良くて 仕事が楽しくて
 両親のことや実家の家業の手伝いもできて・・・

 " 夫との離婚? 調停? " 等々 
 そんな事に時間を取られるのが 心底勿体無いと思っていた



 そんな吹っ切れた気持ちが現れたからでもないだろうが

 翌日の O先生の検診時には 
 血液検査も素晴らしい状態だと褒められ 予約は3ヶ月先でいいと!


 アパートに戻る2時間の間

 うれしさに浮かれて 車を飛ばし過ぎないように
 自分自身 ニヤつきながらも 細心の注意を払って運転した









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2020年10月09日

やっと入居!


 2017年 4月27日

 待ちに待った アパート入居日だ


 ほんと この1ヶ月近くは長かった

 これでやっと 一人でゆっくり寝られる


 前日26日には 事故現場の検証が行われたので
 またまた120キロ越えのドライブをしてきたが

 GWを前に " 新居 " に引っ越せると思うと 疲れも何のその


 無事に 入居することができた



 実は 完全なる一人暮らしはこの時が初めてだった

 学生時代と仕事をしてからもずっと実家

 実家を出たのは 結婚してからだから
 実質一人暮らしというものをしたことがない


 遅れてきた青春時代のようで ウキウキだった

 この気持ちは今も続いていて
 一人だけの時間を 
 誰にも邪魔されずに持てる贅沢を日々味わっている


 結婚するなら 
 一緒の部屋にいて別々のことをしたり 無言を気にせず
 各々の時間を過ごせる人がいいということを聞いたことがある

 ほんと その通りだと思う


 子育て中は誰かしら部屋にいるのは仕方のないことだが

 子供がいない時 子供が独立した時に
 一緒の部屋にいて苦にならない関係性・・・

 なかなかに難しいけれども 理想はまさにそこで
 それが現実的に難しいので " 熟年離婚 " もあるのだろう


 裁判中の別居とは違い
 距離的にも 夫とはかく離れた家にいられる


 それだけで 
 これからの毎日が輝きだす!という感覚を覚えるほど
 身体中に元気がみなぎった



 なんだか ガンのことも 遠い昔の出来事で
 今の自分には 全く関係のないものに思えてくるほどだった








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