from 「パール」"Pearl"
一度聞いたら忘れられない声の存在感!!
ウッドストックでのジャニス。観客を気遣うジャニスの声は優しさに満ちています。
声も決して嗄れていない普通の女の子。
歌い出したとたんこのパワー!!!このギャップは堪らんわ!!!400万オーバーのヴュー!!!
ある意味、
女性ロック・ヴォーカリストの型を
創ってしまったと言っても過言ではない
ジャニス・ジョプリン。
生んだフォロワーは数知れず、
現在に至ってもそれは増殖し続けている。
しかし、その知名度とは裏腹に、
彼女の歩んだ道は逆境に彩られたものであった。
孤独な少女時代を送り、
歌うことに歓びを見出すものの、
彼女のヴォーカルと拮抗できる演奏力を
もったバンドはなかなか見つからず、
発表するアルバムも散漫なものが多かった。
そして、70年に最高のバック・バンド
"フル・ティルト・ブギー"を手に入れるものの、
アルバム『パール』1枚を残し、
彼女はヘロイン中毒で死んでしまう……。
こんな悲劇のヒロインのような生き様は、
彼女の哀しみに満ちたブルースにより
一層のリアリティを与え、
多くの人たちの支持を得る要因にもなった。
なかでも前述の『パール』は、
癒しを求める魂の悲痛な叫びが
胸を締めつけ涙を禁じえない。
まさに、女性ロックの最高峰!
——死んでもなお、彼女の存在は、
女性ロッカーが目指さねばならぬものであると同時に、
超えねばならないものとして高くそびえ立っている。
Move Over 多分耳にしたことがある筈の曲です。一度聞いたら忘れられない存在感!!最高!!
ジャニス・ジョプリンは
ブルースを自分のものにした。
1970年にヘロインの過剰摂取で亡くなった
ジョプリンは生きてこのアルバムを
完成させることができなかったが、
彼女の激しい情熱、苦悩とエクスタシーの入り混じった
極限の叫びは迫力充分。
お陰で本作は、
彼女の時代のもっとも忘れがたいレコードになった。
インスト曲「Buried Alive in the Blues」では
バンドも活躍するが、
リリース後何十年も経っている本作を
今なお聴きがいのあるものにしているのはヴォーカルである。
傷心の苦しみを歌い上げた「Cry Baby」や、
希望に満ちた言葉をつづったクリス・クリストファーソンの
「Me & Bobby McGee」を聴けば、
なぜ悲劇の人とも呼ばれるジョプリンが
ポップ界に欠かせない存在なのか理解できるだろう。
(Steve Appleford)
1. Move Over
2. Cry Baby
3. A Woman Left Lonely
4. Half Moon
5. Buried Alive In The Blues
6. My Baby
7. Me And Bobby McGee
8. Mercedes Benz
9. Trust Me
10. Get It While You Can
11. Tell Mama (Live)
12. Little Girl Blue (Live)
13. Try (Just A Little Bit Harder) (Live)
14. Cry Baby (Live)
ビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニーの
1968年のメジャー・デビュー作は、
ロック史上もっとも待ち望まれたアルバムのひとつだった
(これ以前にもアルバムが1枚あったが、プロデュースが安っぽく、
メインストリームという弱小レーベルからリリースされた)。
前年のモントレー・ポップ・フェスティヴァルで
ジャニス・ジョプリンが見せた驚異的なパフォーマンスが
いい宣伝になっていたのだ。
本作から生まれたヒット・シングルとして、
アレサ・フランクリンの姉アーマの「Piece of My Heart」の
熱っぽいリメイクが挙げられるが、
ジョプリンがモントレーで喝采を浴びたときに歌った
ビッグ・ママ・ソーントンの「Ball and Chain」も聴き逃せない。
また、ガーシュウィンの名曲「Summertime」では、
いつもジョプリンの陰に隠れがちなバンド
(特にギタリストのサム・アンドリュースとジェームズ・ガーリー)が、
彼女の激しいヴォーカルに負けじとばかりに猛烈な演奏を繰り広げる。
(Billy Altman, Amazon.com)
1. Combination Of The Two
2. I Need A Man To Love
3. Summertime
4. Piece Of My Heart
5. Turtle Blues
6. Oh, Sweet Mary
7. Ball And Chain
8. Roadblock (Studio Outake)
9. Flower In The Sun (Studio Outake)
10. Catch Me Daddy (Live)
11. Magic Of Love (Live)
アカペラで歌っているだけなのに、何これ!!!鬼気迫り、目に涙が・・・・!!!
朝日新聞土曜版beで紹介された曲です。若い頃の貧乏を歌った歌、そして遺作!!
1. Piece Of My Heart
2. Summertime
3. Try (Just A Little Bit Harder)
4. Cry Baby
5. Me And Bobby McGee
6. Down On Me
7. Get It While You Can
8. Bye, Bye Baby
9. Move Over
10. Ball And Chain
11. Maybe
12. Mercedes Benz
『Cheap Thrills』やさらには『Pearl』よりも
この『Greatest Hits』の方が、
ジャニス・ジョップリンが死んだ
1970年以降に生まれたリスナーには、
彼女の短いキャリアの入門編として定番になってきた。
彼女の死後にナンバー1となった「
Me and Bobby McGee」がもちろん一番有名だが、
他の曲も同様に胸躍る曲ばかりだ。
みなおなじみのナンバーばかりだが、
単なるベストと呼ぶにはおこがましい内容。
ジャニスが晴れた公園で笑っているジャケ写真は、
胸が締めつけられる。
(Rickey Wright, Amazon.com essential recording)
ジャニス・ジョプリン
出生名 ジャニス・リン・ジョプリン
出生 1943年1月19日
出身地 アメリカ合衆国
テキサス州 ポート・アーサー
死没 1970年10月4日(満27歳没)アメリカ合衆国 カリフォルニア州 ロサンゼルス
ジャンル サイケデリック・ロック
ブルースロック
職業 歌手
担当楽器 ボーカル、ギター
活動期間 1966年 - 1970年
レーベル コロムビア・レコード
共同作業者 ビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニー
ジャニス・リン・ジョプリン
(Janis Lyn Joplin、1943年1月19日 - 1970年10月4日)は、
アメリカ合衆国テキサス州ポート・アーサー出身の女性ロックシンガー。
魂のこもった圧倒的な歌唱力と特徴のある歌声により、
1960年代を代表する歌手として活躍。
また、死してなおロックの歴史を代表するシンガーとして、
今日に至るまで人気を博している。
ローリング・ストーンの選ぶ
歴史上最も偉大な100人のシンガーにおいて第28位。
生涯
父のセスはテキサコに勤める労働者で、
家族は両親とマイケル、ローラの3人兄妹であった。
ジョプリンは、小さな頃からベッシー・スミスや
オデッタ、ビッグ・ママ・ソーントンなどのブルースを聴いて育つ一方、
地元の聖歌隊に参加していた。
1960年に、ポート・アーサーのトーマス・ジェファーソン・ハイスクールを卒業し、
テキサス大学オースティン校に入学。
高校では、他の生徒から孤立しがちであったが、
仲の良かったグラント・リオンズという生徒に
レッドベリーのレコードを聴かされたのを契機に、
ブルースやフォーク・ミュージックにのめり込むようになった。
大学をドロップアウトしたジョプリンは、
1963年にサンフランシスコへと向かった。
フォーク・シンガーとして生計を立てていたが、
この頃から麻薬の常習が始まったとされる。
覚醒剤やヘロインの他にアルコールも大量に摂取していた。
彼女のお気に入りの銘柄は「サザン・カンフォート」であった。
当時の女性シンガーについて当てはまることであるが、
ジョプリンの外的なイメージと内面には大きな隔たりがある。
後に彼女の姉妹が著わした手記『Love, Janis』には、
彼女が知的でシャイ、繊細な家族思いの人物であったことが記されている。
ビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニー
一時静養のためにポート・アーサーへ帰郷したが、
1966年には再びサンフランシスコへと戻っている。
ヘイト・アシュベリーを中心としたヒッピーたちの間で
際立って目立っていた彼女は、
ビッグ・ブラザー・アンド・ザ・ホールディング・カンパニーに参加する。
バンドは、独立系レーベルのメインストリーム・レコードと契約し、
1967年にバンドの名を冠したアルバムを発表したが、
売れ行きは不調でレコードは早々に倉庫にしまい込まれた。
しかし、このバンドはモントレー・ポップ・フェスティバルにおける演奏で
大きな注目を集めるようになった。
ジョプリンは、ビッグ・ママ・ソーントンの「ボール・アンド・チェイン」を
荒々しい歌声で歌いこなしてみせた。
D・A・ペネベイカー撮影のドキュメンタリー『モントレー・ポップ』では、
群衆の中に紛れたキャス・エリオットが”Wow, that's really heavy”と
呟く姿が撮影されている。
1968年のアルバム『チープ・スリル』では以前に増して生々しい歌声を披露し、
その評価を決定づけることになった。
スタンダード・ナンバーをブルース風にカバーした「サマータイム」や、
前述の「ボール・アンド・チェイン」等、迫力のある歌が多く収録されている。
ウッドストック
ビッグ・ブラザーから離れた彼女は、
新しいバンドであるコズミック・ブルース・バンドを結成。
ブラス・セクションを加えた、よりソウル・ミュージックを意識した編成だ。
1969年に『コズミック・ブルースを歌う』をリリースして、
ウッドストック・フェスティバルにも出演したが、
このバンドもすぐに解散した。
その後、ジョプリンは新しいバック・バンドである
フル・ティルト・ブーギー・バンドを結成する。
こちらは、2人のキーボード奏者を含んだ編成。
このバンドにおける演奏をもとに、
ジョプリンの死後制作された1971年発表のアルバム『パール』は、
彼女の短いキャリアにおける最高の売り上げを記録した。
このアルバムからは、クリス・クリストファーソンのカバー曲
「ミー・アンド・ボビー・マギー」と、
ビートニク詩人マイケル・マクルーアとジョプリンにより作曲された
「メルセデス・ベンツ」がヒットしている。
夭折
彼女が生前最後に公の場に姿を現したのは、
1970年6月と8月に放映されたテレビ番組であった。
6月の番組で、彼女は高校の同窓会に出席する予定だと述べた。
同じ番組で、自分は今までクラス、学校、町、
そして国中の笑い者だったとも語っている。
一躍スターとなり彼女は同窓会に出席したが、
その際も疎外感の中、孤独な表情がカメラにおさめられている。
この一件は、ジャニスの孤独感を表す象徴的なエピソードとして語られている。
1970年6月29日から7月3日、
「フェスティバル特急」と呼ばれた列車に乗って、
カナダ・ツアーを行った。
ザ・バンドやグレイトフル・デッド、バディ・ガイ等が
同乗した豪華なツアーで、
この模様は、後に映画『フェスティバル・エクスプレス』として公開された。
1970年10月4日、アルバム『パール』の録音のため
滞在していたロサンゼルスのホテルで死亡しているのが発見された。
27歳没。
使用したヘロインが通常のものより高純度であったため、
致死量を越えたことが原因であるとされる。
録音中だったアルバムの収録曲のうち、
「メルセデス・ベンツ」はアカペラの仮録音、
そして「生きながらブルースに葬られ」は
本人の歌が録音出来ないまま演奏だけが収録されている。
遺灰は、カリフォルニアで海へ撒かれた。
ディスコグラフィ [編集]
ファースト・レコーディング - Big Brother and the Holding Company (1967年)
チープ・スリル - Cheap Thrills (1968年)
コズミック・ブルースを歌う -
I Got Dem Ol' Kozmic Blues Again Mama! - The Doors (1969年)
パール - Pearl (1970年)
映画
ローズ - ジョプリンをモデルとした1979年の映画。ベット・ミドラー主演。
歌え! ジャニス★ジョプリンのように - 2003年のフランス映画。
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