わたしを見つけて
いい子じゃないと、いけませんか。
その切実な思いは、きっと届くと信じたい。
誰かの仕打ちで、ひとは傷つく。
でも、ほかの誰かのひとことで、生きていけるようになる。
文学は役に立たない・・・
文部科学相の役人は考えているようです
でも、文学の力や
言葉の力を実感できる小説に
久しぶりに出会いました。
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NHKのドラマがきっかけです。
ひどく、暗いドラマだなあ〜
そう、思いました。
でも、見ているうちに
きっと、原作でも同じようなセリフが
書いてあるんだろうなあって
とても気になってくるくらい
言葉に力があったんです。
こりゃ、原作読まなきゃあ〜
ってわけで即に買いました。
一気に読みました。
泣きました。
ウルってくる場面が
いくつかあるんです。
もう、なんというか、
気持ちの良いくらい
リアルな悲しみと喜びの端境へ
連れて行ってくれます。
悲しみを抱えているから
喜びがやってくる。
そんな喜びだから
嬉しくて微笑みながらも
頬に涙がつたわってるんです。
ひととひとが傷つけあい
いたわりあえる。
そんな真実の瞬間を
見事に描ききっています。
ネタバレになってしまいますが、
書き出しを少し引用します。
ーーーーー
弥生です、と名乗ると、必ずきかれる。
「三月に生まれたのね。」
わたしはわらってこたえない。
嘘をつかなくてすむように、黙っている。
黙っていれば、嘘をつかなくてすむ。
私は三月に生れたんじゃない。
三月に捨てられた。
ーーーーー
小説の書き出しって
作家が一番凝るところだと
某有名な予備校の国語先生が言っていた。
この出だしはとても印象的で
小説の終わりへの伏線になっているんです。
エンディングのクライマックでも
主人公は自分の名前について
思うんです。
でも、人との出会いを通して
新しい気づきに救われる。
「私を見つけて」は
「私を見つけて欲しいという」悲しみの物語であると同時に
「私が私を見つける」ことへ至る成長の物語なんです。
准看護師として働く主人公。
上司の師長と患者の菊池さん。
二人との出会いが
主人公を少しずつ変えていきます。
ーーーーー
「気に障ったらわるいんだけど、
九九をひらがなで書いたんだよ。
九九ってね、こうやってくりかえし唱えて
おぼえるしかなくてね。
たいへんだけどね。でもできたほうがいいよ。
ただおぼえるだけのことだから」
いんいちがいち、いんにがに、いんさんがさん・・
小さな小さな字が几帳面にならぶ。
「これを書いてくださったんですか。」
「いや、余計なことだとは思ったけどね。」
「わたしのために。」
「老婆心でね。じじいだけど。」
「今日、菊池さんが寝てないってききました。
準夜勤の看護師から。」
「昼間は出入りが多いからね。
家内もいるし、夜になるのを待ってたんだよ。
わるいねえ。それじゃあ看護師さんに心配かけちゃったな。」
「遺書書いてるんじゃないかって。」
「遺書か」、なるほどな。そりゃそうだ。
私と菊池さんは顔を見合わせてわらった。
「ああ、泣かないで。字がにじんじゃうから。」
菊池さんの言葉にはっとすると、いつの間にか、
紙がぬれて、四の段の字がにじんでいた。
「万年筆でかいたんだ。」
涙が紙に落ちていた。わたしは自分がわらいながら、
泣いていることに気づいた。
「ありがとうございます。」
自分の声なのに、とても遠くにきこえた。
ーーーーーー
「ねえ、はじめて注射させてくだっさったひとのこと、おぼえてる?」
コーヒーの入ったカップを持って、むかいあってすわったとたんに、師長が言った。
「え」
わたしがとっさのことにこたえられずにいると、師長はわらいだした。
「あなた、いつも『え』って言うのよね。」
「え」
「ほら。」
師長はますますわらった。わたしはあわてて後を続けた。
「そうですか?」
「そうよ。いつも警戒しているのよね。ひとを。」
どきりとした。
「友達少ないでしょう。友達いる?」
わたしはこたえられなかった。「え」さえ言えなかった。その通りだった。
「ごめん、ごめん。いいのよ。気にしないで。
でも、そんなに世界中のひとを警戒しないで。いいひともいるのよ。世の中には。」
ーーーーーー
セリフがいい。
深い。
何気ない会話に
メッセージが隠れている。
言葉が人に
力を与えている。
言葉を、人を、人生を
もう一度信じたくなる小説です。
和田アキ子の「あの鐘を鳴らすのはあなた」の歌詞を
思い出しました。
デビュー作はこちら。
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2016年02月22日
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