価格: 143,000円
(2021/2/21 12:33時点)
感想(0件)
新型コロナウイルスり感染拡大で、これまで聞き慣れなかったカタカナの言葉を聞かない日がないぐらいになった。
クラスター、オーバーシュート、ソーシャルディスタンス、まだあるかもしれない。ただ、集団感染、爆発的患者増、社会的距離と言うこともできる。日本語らしい言葉で伝えられるのに、わざわざ聞きなれない横文字を持ち出してくることに違和感や疑問を覚えた方も多いだろう。
地震の時に「ライフライン」という言葉が使われたのも阪神淡路大震災後で、こちらも比較的最近ではあるが、こちらについては、電気水道ガス電話をひとつにまとめられるので、伝達が円滑に進む利点が充分にあった。また、光通信回線など新たなものが出現しても含めることができるし、鉄道や道路など生活に必要な物流までを含めた話をする時にもライフラインという言葉を使うことができる。
そして、「ライフ」も「ライン」も充分に浸透しているので、「ライフライン」の意味は初めて聞いても容易に推し量れる。つまり、使われるには合理的理由が充分にある。
しかし、今回のコロナ下で使われ始めた横文字には、一見合理的な理由が見付からない。もちろん、全く理由がないわけではない。表意文字の漢字を使わないことで表現を和らげているとか、日本語訳しないことで学術用語としてのニュアンスを保っていて漢字に直してしまった言葉とは違う意味を持てているといった見方もできる。だが、急ぎ人に伝え広げなければいけない事柄を扱うのになじみの薄い言葉を持ち出してくるという不自然さに対して強い理由とは私には思えない。
ところが、現実には、短期間のうちにこれらの横文字は日常生活に浸透した。一般市民の雑談においても、社会的距離よりもソーシャルディスタンス、集団感染よりもクラスターという言葉の方が自然に出てくるところが多いように思う。もちろん、どちらの言葉が多く使われるかは、それぞれの環境によって大きく異なるだろうが、これらの横文字は充分に国民に受け入れられたとは言える。
新しい言葉をどんどんと受け入れて日本語に取り入れていく力、伝統的に日本人は長けているように思う。同じ意味の言葉が存在することにも、抵抗はなく、時に併存し、時に少し意味合いが違う言葉として差別化され、細かい表現や深みがある言葉になっていく。そして言葉だけでなく、言葉と同時に、文明や文化も素早く吸収してきた。
漢字には訓読みと音読みがある。伝来した文字に日本の言葉を読みとして当てた訓読みと、伝来した文字に元々付いていた音である音読み。しかし今、音読み訓読み、あるいは日本の言葉か外国から入ってきた言葉かを意識することなく、すっかり日本の言葉として融合しています。
「やまのぼり」と言えばいいのに、なぜ「とざん」なんてパッと意味が分かりにくい言葉を使うのかとか、日本語を大切にしようなどと言う人はいません。だいたいは全く同じ意味の言葉として使いますが、時には、状況や相手、前後の文脈、微妙なニュアンス、読みやすさや聞き取りやすさとかを考えて、どちらを選択するか決めるケースもあるかもしれませんね。言葉を使うクリエイターだったら、日常茶飯事と言う方もいらっしゃるでしょう。
表意文字の漢字には音読みと訓読みがあり、表音文字はひらがなとカタカナと2セットも持つ日本語。その表現力と拡張性において、日本語は極めて優れた言語と言えると思います。
もちろん、それぞれの言語においてそれぞれ歴史があり、いいところはあるもので、言語として日本語が他の言語よりも優れていると言うつもりはありません。日本語にも不得手なところとか不便なところはあります。
しかしながら、高い表現力と拡張性を支える文字を持ち、その文字をほぼ全国民が使いこなすのを可能にできる教育システムがあるのだから、この長所は大切に、そしてこれからの時代もっと伸ばしていきたいものです。
そこで私の案なのですが、漢字を英語などの意味で読んでもOKにしませんか。
都市封鎖を「としふうさ」と読んでももちろんいいのですが、「ロックダウン」と読むことも可。世界的大流行を「パンデミック」と読んでもいい。
中国での読み方由来の音読みのように、英語由来の読み方が加わったようなものです。漢字一文字でなく熟語に読みを付けるということも、明後日(あさって)、七夕(たなばた)といった例もあるので、拒絶反応なく受け入れられる下地は、既に日本語に備わっていますよね。
更に、「先生の机上に本がある」を「ティーチャーのオンデスクにブックがある」と言ってもいいかもしれません。もちろん、国語の試験では正解にすべきではないでしょう。流行語、俗語や隠語などを持ち込んではいけないのと同じ理屈です。例えば嫉妬と書いてジェラシーと読んだら、好敵手をライバルと読んだら、誤答ですよね。その言葉を使っていい場所悪い場所まで含めて回答するのが試験ですから、文部科学省が国の言葉として充分に定着したと判断した言葉が国語で扱われる正解であるべきです。
言葉は生き物です。変異し進化する。変異しても一時のブームで淘汰されるものも多いでしょうが、積み重なってより有用な言葉へ高まっていく。その進化へのチャンス、変異を受け入れやすい、拡張性が高い言葉を私たちは使っている。
その場その場の判断において、ソーシャルディスタンスをカタカナで書くか、社会的距離とかくか、そして社会的距離の表記をシャカイテキキョリと読むかソーシャルディスタンスと読むか。どっちでもいいと適当に言ってもいいし、伝わりやすいのはどちらかとか、今の場に適したのはどちらかと考えて言う場面も出る。
例えばこんな風に、新たな言葉を受け入れるという実践をどんどんやっていければ、言葉としての能力はどんどん解放される。伝達の道具が研がれていくことになる。
可能性を実感できる実例として、マンガでの絶対に読めない振り仮名がある。
例えば戦闘漫画の魔法で、ベギラゴンというものがある。この関連ゲームや漫画を知らない人は、これだけ見ても何が起こるのか分からない。ところが、ベギラゴン、「極大閃熱呪文」と書かれて、ベギラゴンと振り仮名が振ってある。つまり、瞬時の熱で攻撃する呪文、それも高位なものと分かる。マンガなので、絵はあり、攻撃呪文であることは一目瞭然なのですが、漢字があるおかげで、台詞での説明なく受け入れられたり、閃熱呪文、火炎呪文、爆発呪文と見た目が差別化しにくいものを頭の中で区別して理解できる。
例えば外国の漫画だったとしたら。その地域ならではの語感での言葉を、日本語の漢字にして振り仮名を振ることで、その地の空気と言いますか雰囲気をある程度感じることもできて、セリフを使った開設最低限に意味も理解できる。
普段は漢字とひらがなベース、そして新たな言葉は漢字とカタカナによる振り仮名。日本語の冗長性が、ここで長所となり、圧倒的表現力と拡張力を発揮している。
これはアニメ、フィクションの話ですが、この日本語の表現力と拡張力が可能性の片鱗を見せ付けたのが、コロナ下での新ワードだと思う。学識者の間での言葉が、一瞬で国民全体に共有された。
そして、更なる進化、可能性を見た。
集団感染をクラスター、爆発的患者増をオーバーシュートと読んでは、ダメかなぁ。
ロゴヴィスタ 角川新字源 改訂新版 LVDKK02010WR0
価格: 3,880円
(2021/2/21 12:40時点)
感想(0件)
【このカテゴリーの最新記事】
- no image
- no image
- no image
- no image
- no image
- no image
- no image
- no image
- no image
- no image
- no image
- no image
- no image
- no image
- no image
- no image
- no image
- no image
- no image
- no image