おはようございます。あるへです。
時間を置いて、何度でも観返したくなるほど素晴らしい作品でした。
この映画は、生まれつき耳の聞こえない少女との触れ合いを通して、コミュニケーションの難しさ、繋がりたいのに繋がれないもどかしさを描いた、挑戦的で社会的なアニメ映画です。
障害を背負った硝子の孤独や悩みを描く一方で、コミュニケーション手段に欠けがないにも関わらず、コミュニケーションの根源的な問題に苦悩する主人公など、実はこの作品は障害そのものではなく、障害を通して、コミュニケーションを図り、成立するのがいかに難しいかという問題を投げかけています。
ここに登場する人物たちはそれぞれが皆、経験や事情から自分自身に対する不信感を抱いており、それこそがコミュニケーションを阻害する最大の要因となっています。
自分は自分が嫌いです。
君に、生きるのを手伝ってほしい。
というセリフは、まっすぐにこのことを物語っています。
コミュニケーションとは簡単に言えば、お互いに意見を交換し、気持ちを共有し合う行為です。
しかし、もっと深くを覗くならば、意見や考え方というものは自分が長くも短くも一つ一つ積み上げてきた経験、倫理観、死生観、人生観などの土台の元に生まれるもので、個性の現れです。
この個性を否定されることは、大袈裟に言えば自分の存在理由を否定されることに繋がり、だからこそ人は必死になってこの世界にいていい理由、正当性を主張するのだと思います。
各人がまったく別の道を歩いてきて、ここで合わさるのですから、それぞれの想いがすんなり相手に伝わるはずがないのです。
そしてそれをどのように埋め合わせ、自分という存在を認めさせ、この世界に楔を打つか、というのは同時に相手のことを認め、自分が肯定することで相手の存在意義が発生する、という表裏の仕組みになっており、こうすることでコミュニケーションの輪が広がっていきます。
つまり、大前提として自分が自分を好きでなければコミュニケーションは成り立たないのかもしれません。
永束くんのセリフは手垢が付いたセリフで、本人もそれを理解しつつ気障に、時になんでもないかのようにさらりと言ってのけますが、コミュニケーションの妙を表すのに実に的確だと思いました。
友達になるのに理由や権利なんて必要ないし、衝突なんて生きてりゃいくらでもあるさ、と。
そんなこと当たり前すぎて気にも留めないかもしれませんが、実際にそういう場面に出くわした時に、改めてよく考えてみると、本当に深い言葉なのです。
そして一方、その当たり前のように存在する声、とそれを聞き取る耳。
これを失った時に、彼らは当たり前のように行っていたコミュニケーションに違和感ともどかしさを感じ、それぞれのコミュニケーションの仕方を模索することになるのです(それがどんな形であれ)。
話は変わりますが、中盤から終盤に差し掛かる花火のシーンは本当に素晴らしい出来だったと思います。
ドラマ的な急展開に目を持って行かれがちですが、その少し前、喧嘩して心も居場所もバラバラになってしまったキャラクターたちが、同じ物を見上げているシーン、そして聞こえないけれど振動で伝わる花火の「音」を聞く硝子。この花火の「音」や少し前のジェットコースターなど、体で感じることのできる感動は、硝子にとって他者と分かり合える数少ない共有行為だったと思います。
そこからの身投げのシーン。将也は一命を賭して硝子を助けます。
これは、つまり、「死ぬな、生きろ(他者の存在の肯定)」「(俺が悲しいから)死なないでほしい(自分の願望と、そう思うこと自分が良しと認めていること、自我の肯定)」という暗喩に繋がり、手と手を繋ぐ、コミュニケーションへのテーゼになっているわけです。
自分が自分のことを嫌いだから、コミュニケーションを行う準備さえ出来ていない、だから破綻している。まず自分を好きにならないと始まらない。
現実的に、そういうわけではありませんよね。
他者から認められることで、自分を認められることだってたくさんあります。
この相互作用の輪に入ることが、すなわちコミュニケーションの障害を乗り越える第一歩なんだと。
入る前から怖がるんじゃなくて、入ってから怖がることにした。今でも怖いけど。ってね。
この映画が提示した、コミュニケーションのあり方の一つの回答なんだと思いました。
さて、回りくどいことばかり並べましたが、素直にこの映画は面白いです。
ここでは語り切れない様々な見どころが満載で、「つき!!」に関しては伝えたくても伝わらない、どうしようもないもどかしさにキュンキュンすること請け合いでしょう。
カメラがキャラに寄り気味なのは、表情や手指の動き、足の動きやそこから連想する体の向きなどを意識するためだと思いました。
表情も、実は手もかなりよく動くんですよね。アニメーション作品としても非常に意義のある深い仕上がりになっていると感じます。
優しい色合いの風景、可愛いキャラクター、耳に心地いいBGM、最近流行りの実在の都市をモデルにした舞台、そして要所要所にコミュニケーションの障害となり得る問題に正面から投げかける真っすぐなセリフ、くすりと笑えるシーンあり、ほっこりするシーン、そして涙を誘うシーン。
最後に映画を観終わって、「ああ、いい話だった」としみじみと余韻に浸り、障害とコミュニケーションいわんやコミュニケーションそのものに思いを馳せ、そしてもう一度観たくなる。
実際に観てみると、また違った感動と考察を与えてくれる。
ほんと、素晴らしい作品に出会えました。
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この映画について考えれば考えるほど、形にならない様々な思いがせりあがって来て胸がいっぱいになります。
読みにくいかと思いますが堪忍してください。
機会があれば絶対に観てほしい!
それだけは言いたいです。