彼は私の病気のことも知っていて何かと気にかけてくれます。
私は彼を年上の友人として、また社会人として尊敬しています。
その日、始めは彼は私を元気付ける助言をしてくれていたのですが、次第に口調が強くなり、途中から厳しい口調に変わりました。
底彦には人を思いやる気持ちがない、自分のことしか考えていない、自分が楽をすることばかり考えている、日常のことや仕事のことをきちんとやらない、すべていい加減、だから病気になるんだ、それを病気だからできないんですと言い訳しているんだ、甘えているとしか思えない。
私にとっては非常に辛い言葉でしたが、彼がこういう口調になってしまったのも少しわかる気がするのです。
私の話し方があまりにとろいこと。会話が下手なこと。自分の意見も言わないし、反論もしないこと。
そんな私の態度が腹に据えかねるところもあったのでしょう。
実際にその日、私が彼の話を聞いていた時の態度はそのようなものでした。
話し方とか会話下手、自分の意見を言わない、反論もしない。
強いて理由を挙げれば私にとっては人が怖い、人と接するのが怖い、人の話を理解するのに時間がかかる、自分の意見や反論を言うだけの心のパワーが無い、ということになります。
それすらも言い訳とか甘えとかになってしまうのかもしれませんが。
鬱病になって以来、病気を言い訳にしているとか、病気に甘えているとかの言葉は幾度となく言われてきました。
この言葉、「言い訳」とか「甘え」とかについて、ずっと以前からどうしてそう言われるんだろう? どうしてそういう風に見えてしまうんだろう? 本当に甘えていないと言えるのか? など折りに触れて考えてきました。
半年ほど前から鬱の状態が少しずつ良くなってきて、多少は頭が働いてくれるようになったのか、何となく自分にとっての答えのようなものが見つかりそうかな、という思いを持っています。
それを文章にまとめておこうと思います。ただ、書こうとすること自体が私にとってかなりの精神的負担なので、最初は気が向いた時に、気楽に、軽い感じの文章を書くことから始めてみます。
でも、できるかなあ。
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