文太さんは仙台市生まれであり、雑誌のモデルとしてスカウトされたことが芸能界へのスタートであり、1956年の「哀愁の街に霧が降る」で初主演を演じた。しかし61年に会社が倒産、松竹に入ったが伸び悩み東宝に移籍したという。最初から映画がヒットしたわけではなく、人一倍苦労人だったいという話だ。
東映に移籍した後、任侠路線全開の時代で「 懲役太郎・まむしの兄弟 」・「 仁義なき戦い 」・「 トラック野郎 」などで脚光を浴び一躍トップスターになった。
そして一昨年の2012年に芸能界を引退し第一線を退いた。
ここ最近まで自ら設立した農業生産法人として農業を営んでいたという。
そんな菅原文太さんだが28日の午前3時頃、転移性の肺ガンによって死去した。2日後の30日に家族だけで福岡の太宰府天満宮にて葬儀が行われた。
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