通常の生活に戻り、テレビで流れる映像と音声に
とても違和感を感じていました。
『瓦礫の山』という言葉に。
その違和感を俳優の渡辺謙さんと天声人語が、解いてくれました。
被災地に支援に訪れた渡辺謙さんが話されていたのを、テレビで拝見しました。
その言葉は私の気持ちを表現してくれていました。
『22カ所の避難所を回ったという渡辺謙さんは、東日本大震災にふれ、
「まだまだ普通に生きて行くのも大変なところがある。
被災地にあるのは、がれきの山じゃない。
その場所で生きてきたという痕跡なんです」と力を込めた。
被災地へ向けて「僕たちは絶対に忘れてないよという意思は、持ち続けていきたい」と熱い思いを語った。』
2011年5月10日共同通信社より
私が感じていた違和感。
お茶の間で見ていた被災地の映像と
実際に目にした現実の被災地。
目にするまでは、自分の想像をはるかに超えた天災の痕。
その痕は瓦礫の山とはいえない感情が、伝わってきていました。
それを渡辺謙さんは『生きていた場所』と。
そうなのです。
あの震災が起こる時まで当たり前の日常があったこと。
それを『瓦礫の山』で、言い表すことの違和感を表現されていました。
『池波正太郎さんの時代物は漢字のルビもたのしい。
「熱い酒(の)をくれ」「あずけておいた金(ぶん)をもらうぜ」——ほかにも色々ある。
ふりがなと漢字の合わせ技で、読者は意味をとりつつ会話の陰影を堪能できる
▼しかし切ないルビもある。〈記者らみな「瓦礫」と書くに「オモイデ」とルビ振りながら読む人もいる〉と先の朝日歌壇にあった。
「おもいで」でも「おもひで」でも、人それぞれ、年齢や来し方に応じたふりがながあろう
▼「瓦礫(がれき)の撤去」が、心の中で「思い出の消去」と変換される。
そうした被災者は大勢おられよう。背比(せいくら)べのキズのついた柱。
家族が集ったこたつ。蛍雪の日々を刻んだ机もあろう。
ありとあらゆるものが、今やひとからげに瓦礫と称される
▼震災直後に故郷の石巻市に入った小紙記者が、
喪失感の中で知ったと書いていた。
家も町も、そこで暮らす人とともに時を刻んで「生きていた」のだ——と。
家族は無事だが家は壊れていたという。
やはり「おもいで」と、胸の内でルビを振っているだろうか
▼震災からきのうで2カ月がたった。
思い出について書きながら、
過去の日々を容易に思い出に出来ない人のつらさを思う。
人も家も町も、片時も忘れられずにいるものは、まだ「思い出」ではないだろう
▼岩手、宮城、福島の瓦礫は計2500万トンになる。
「なりわい」「いきがい」「わがまち」などと、在りし日の姿にルビを振りたい人も多かろう。
失意の総量をあらためて思う。想像力を持ち続けたい。』
2011年5月12日(木)朝日新聞天声人語より
天声人語。
池波正太郎さんの本は
(特に 鬼平犯科帳 & 剣客商売 & 仕掛け人藤枝梅安 は10回以上読みました)
全て読んでいる私にとって、
そのルビのふり方は
その場面が鮮やかに浮かんでくる、宝物のようなルビです。
その宝物のルビを使って、
的確に表現・変換してくださった天声人語の編者の方。
ハリウッドスターになられる前に
藤枝梅安を演じられた渡辺謙さん。
粋で鯔背(いなせ)な池波正太郎さんが生きていらっしゃったら、
どんな言葉で現在の日本の状況を語られるのか、
お聞きしてみたい気がします。
そんなお二方の言葉と文章に
被災地で見た自分の気持ちを代弁して頂いた、
そんな言葉に心からありがとうございます、と伝えたい。
被災地の方々はこれからが
生きていく場を探される、大変な時期に来ていらっしゃると思います。
震災による死者は10日現在で12都道県の1万4949人の方々。
不明者は6県で9880人で死者・不明者は計2万4829人の方々とのこと。 河北新報より
数字にしてしまうと解らなくなる。
一人一人の人生が、間違いなくそこにはあった事を
想像することが私達にはもっと必要な気がします。
2ヶ月経ちました。
出来ること少しずつ。
kizuna311 YOUTubeより
天声人語
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