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2011年09月21日
教育&お祭り&サッカー 三連休?B
ご訪問ありがとうございます。
台風15号。
多くの爪痕を残していますが、
皆様のところは大丈夫でしたか
駅には沢山の方が、動かない電車の情報を見るために
戸惑っている姿を見ながら、
幸い私は地下鉄が動いていたので、
少しの遅れで帰宅が出来ました。
そして、夜には最近では少し大きめの地震が。。。。
日本列島に何か大きな受難が訪れているのでしょうか。。。
これ以上の大きな天災。人災での被害がないことを祈るしかありません。
自分のブログで申し訳ありませんが
被害の多かった地域の皆様に、お見舞い申し上げます。
さて、3連休の最後の日。
月曜日にサッカー 決勝トーナメント の初戦が
対戦相手はクラブ選手権の東京代表なので、
初戦突破できるか、どうか。。。。
結果は。。。。。。
1対0で
勝利 〓〜〜〜〜〜
予選から応援してきましたが、
一番チームがまとまった試合でした。
チーム一丸となった1.2年生の応援も素晴らしく
(いつもはユースの高校生も)
本当に皆で勝ち取った勝利でした。
台風15号。
多くの爪痕を残していますが、
皆様のところは大丈夫でしたか
駅には沢山の方が、動かない電車の情報を見るために
戸惑っている姿を見ながら、
幸い私は地下鉄が動いていたので、
少しの遅れで帰宅が出来ました。
そして、夜には最近では少し大きめの地震が。。。。
日本列島に何か大きな受難が訪れているのでしょうか。。。
これ以上の大きな天災。人災での被害がないことを祈るしかありません。
自分のブログで申し訳ありませんが
被害の多かった地域の皆様に、お見舞い申し上げます。
さて、3連休の最後の日。
月曜日にサッカー 決勝トーナメント の初戦が
対戦相手はクラブ選手権の東京代表なので、
初戦突破できるか、どうか。。。。
結果は。。。。。。
1対0で
勝利 〓〜〜〜〜〜
予選から応援してきましたが、
一番チームがまとまった試合でした。
チーム一丸となった1.2年生の応援も素晴らしく
(いつもはユースの高校生も)
本当に皆で勝ち取った勝利でした。
特に輝いていたのはわれらが守護神K君。
素晴らしいナイスキーで、死守してくれました
素晴らしいナイスキーで、死守してくれました
守護神K君は、小学校の時から一緒にサッカーをして来た
息子の大切なチームメイト
小学校の時には学校のチームで
クラブチームに比べればそんなに強い訳では無かったけれど、
守護神K君のお陰もあって、都大会にも出ることが出来ました。
K君のいいところは、
点を入れられても、ディフェンスの悪いところを指摘し、
きちんと指示が出来るところ。
そして、負けると必ず悔し涙を。。。。
スポーツをする者にとって、
悔し涙ってとても大切なものだと思います。
涙が心の糧になり、次の目標への宝石になるんだと
息子の大切なチームメイト
小学校の時には学校のチームで
クラブチームに比べればそんなに強い訳では無かったけれど、
守護神K君のお陰もあって、都大会にも出ることが出来ました。
K君のいいところは、
点を入れられても、ディフェンスの悪いところを指摘し、
きちんと指示が出来るところ。
そして、負けると必ず悔し涙を。。。。
スポーツをする者にとって、
悔し涙ってとても大切なものだと思います。
涙が心の糧になり、次の目標への宝石になるんだと
私の大好きな
『応援ありがとうございました』
が、後何回見られるかしら
悔いのない中学生活最後のサッカーになりますように
『応援ありがとうございました』
が、後何回見られるかしら
悔いのない中学生活最後のサッカーになりますように
どんどん下降中応援お願い致します
続きを読む...
2011年09月20日
教育&お祭り&サッカー 三連休?A
ご訪問ありがとうございます。
土日と元・地元の新宿十二社熊野神社と
現・地元の杉並大宮八幡宮のお祭りがありました。
子供の頃からお祭りは大好きで、
16才から20年間は大人の御神輿を担いでいました。
お囃子と提灯と出店と人いきれ。
お祭り独特の心騒ぐ雰囲気。
家に居る事は出来ません。
東京のへそ、子育て神宮の大宮八幡の参道は
長く出店もたくさん出て、
住宅街が多い地域なので沢山の人で賑わいます。
息子は勿論友達と
私はママ友と一緒にお参りに
土日と元・地元の新宿十二社熊野神社と
現・地元の杉並大宮八幡宮のお祭りがありました。
子供の頃からお祭りは大好きで、
16才から20年間は大人の御神輿を担いでいました。
お囃子と提灯と出店と人いきれ。
お祭り独特の心騒ぐ雰囲気。
家に居る事は出来ません。
東京のへそ、子育て神宮の大宮八幡の参道は
長く出店もたくさん出て、
住宅街が多い地域なので沢山の人で賑わいます。
息子は勿論友達と
私はママ友と一緒にお参りに
受験生の母としては、手を合わさずにはいられない、
受験合格祈願の天満宮
受験合格祈願の天満宮
でも、私のとってのお祭り・御神輿はやはり新宿十二社熊野神社
同級生・先輩・後輩・弟や姪も担いでいます。
担げばいいのに。。。と言われますが。。。。
担げばいいのに。。。と言われますが。。。。
それぞれ町内の御神輿が、新宿界隈を回り
戻ってきて、十二社通りに集まって来ると、
お祭りの雰囲気が最高潮に
戻ってきて、十二社通りに集まって来ると、
お祭りの雰囲気が最高潮に
同級生と遅くまで
玉にはいいよって、腹減った大王君
やっぱり、故郷は最高です
玉にはいいよって、腹減った大王君
やっぱり、故郷は最高です
わが家ご飯はこちらから
どんどん下降中応援お願い致します
続きを読む...
2011年09月02日
母の命日 愛をありがとうございます。ただ感謝あるのみ
ご訪問ありがとうございます。
今日9月2日は母の命日。
亡くなってから14年。
昨年は 13回忌を行い、 時の過ぎるのが早いことを、実感します。
何度か母についてはブログにも書いています。
手先がとても器用で、
お料理、習い事、バレーボール、テニス、ゴルフと遊びも大好き。
麻雀が大好きで、いつもお友達と遊んでいました。
慎重が167cmの大きな体。
父が160cmなので、蚤の夫婦。
(因みに私は156cm、弟は175cm
父の目論見通り、娘は小さく息子は大きくなりました)
大きいけれど、
心優しく、父のことをいつもたてて、
沢山の親戚・友人が集まる家でした。
そんな家に育った私達姉弟は
母の郷里岩手・父の郷里の大阪に行けば祖父が必ず旅行に連れて行ってくれて
夏休みの度に遊びに行き、いつも皆に歓迎され可愛がって頂きました。
母の兄弟は10人だったので、親戚が集まると50人近くになり、
本家のお寺で法要するときは100人近くになりました。
毎年必ず岩手・伯父・伯母の居る青森・弘前など、 旅行 に 行き 従兄弟達でフォークダンスなども出来ました。
どこの家に遊びにいっても、
最初に出てくるのは
『いやいやいやいや、良く来たなッス〜〜』の優しい言葉と
とうもろこし。
私の子どもの頃、紫や黒いとうもろこしがあって、
小振りだけど、それはそれは甘くて美味しいとうもろこしがありました。
今は、品種改良により殆ど無いようです。
自分が子どもをもって、子育ての難しさもそうですが、
親だけでなく、伯父・伯母・従兄弟達の沢山の愛情を受けて
育ったことに、改めて感謝しなければいけないと。
母が亡くなったいまでも、従姉妹会をしたり
伯母が色々と送ってきてくれます。 紫蘇で包んだ梅紫蘇が来た〜〜
一昨日 伯母 ( 母の兄嫁 )から電話があり、
『〇〇ちゃんの好きな、とうもろこしとインゲンを送ったから』と。
人生50年も生きていれば色々あります。
楽しいことばかりじゃないけれど、
どんなに辛いことがあっても
私が前向きに生きていけるのは、
子供の頃に沢山の愛情を両親だけでなく、
親戚・従姉妹達・両親のお友達・そして私自身のお友達から
受けたお陰だということを。
(一説にはただのおめでたい人間だから。。。。と)
母には 最後の孝行 を、生まれたての天使だった息子にしてもらいました。
まだまだ、恩返し出来ていないけれど、
『ありがとうございます』しか言えないけれど、
私がきちんと生きていくことが、一番の恩返しなのかも。。。と。
『なんも、なんも、いいんだ、気にしないで』の言葉に
ただ、感謝あるのみ
お母さんのお陰で、私は本当に幸せです。
『生んでくれてありがとう』
いんげん〜〜おまけ
今日9月2日は母の命日。
亡くなってから14年。
昨年は 13回忌を行い、 時の過ぎるのが早いことを、実感します。
何度か母についてはブログにも書いています。
手先がとても器用で、
お料理、習い事、バレーボール、テニス、ゴルフと遊びも大好き。
麻雀が大好きで、いつもお友達と遊んでいました。
慎重が167cmの大きな体。
父が160cmなので、蚤の夫婦。
(因みに私は156cm、弟は175cm
父の目論見通り、娘は小さく息子は大きくなりました)
大きいけれど、
心優しく、父のことをいつもたてて、
沢山の親戚・友人が集まる家でした。
そんな家に育った私達姉弟は
母の郷里岩手・父の郷里の大阪に行けば祖父が必ず旅行に連れて行ってくれて
夏休みの度に遊びに行き、いつも皆に歓迎され可愛がって頂きました。
母の兄弟は10人だったので、親戚が集まると50人近くになり、
本家のお寺で法要するときは100人近くになりました。
毎年必ず岩手・伯父・伯母の居る青森・弘前など、 旅行 に 行き 従兄弟達でフォークダンスなども出来ました。
どこの家に遊びにいっても、
最初に出てくるのは
『いやいやいやいや、良く来たなッス〜〜』の優しい言葉と
とうもろこし。
私の子どもの頃、紫や黒いとうもろこしがあって、
小振りだけど、それはそれは甘くて美味しいとうもろこしがありました。
今は、品種改良により殆ど無いようです。
自分が子どもをもって、子育ての難しさもそうですが、
親だけでなく、伯父・伯母・従兄弟達の沢山の愛情を受けて
育ったことに、改めて感謝しなければいけないと。
母が亡くなったいまでも、従姉妹会をしたり
伯母が色々と送ってきてくれます。 紫蘇で包んだ梅紫蘇が来た〜〜
一昨日 伯母 ( 母の兄嫁 )から電話があり、
『〇〇ちゃんの好きな、とうもろこしとインゲンを送ったから』と。
沢山のインゲンと10本の採れたてとうもろこし
早速茹でて
焼きとうもろこし〜〜〜
弟の所にもお裾分けしなくちゃ
人生50年も生きていれば色々あります。
楽しいことばかりじゃないけれど、
どんなに辛いことがあっても
私が前向きに生きていけるのは、
子供の頃に沢山の愛情を両親だけでなく、
親戚・従姉妹達・両親のお友達・そして私自身のお友達から
受けたお陰だということを。
(一説にはただのおめでたい人間だから。。。。と)
母には 最後の孝行 を、生まれたての天使だった息子にしてもらいました。
まだまだ、恩返し出来ていないけれど、
『ありがとうございます』しか言えないけれど、
私がきちんと生きていくことが、一番の恩返しなのかも。。。と。
『なんも、なんも、いいんだ、気にしないで』の言葉に
ただ、感謝あるのみ
お母さんのお陰で、私は本当に幸せです。
『生んでくれてありがとう』
秋ですね〜〜〜
いんげん〜〜おまけ
2011年08月16日
いってらっしゃ〜〜い
ご訪問ありがとうございます。
今朝、息子が中学生最後のサッカー合宿に出発しました。
幼稚園の年中からサッカーを始め、早10年。
才能が凄くあるとはいえないけれど、
小学校の時の監督からも、
中学生になって通っているクラブチームの監督も
『センスが一番いい』と、言って下さる。。。。。けれど
母としてはもっと、ガツガツ当っていって欲しいのだけれど、
中学2年の夏休みぐらいまでは、細くて小さい体の上
根がなので最後のところを中々越えることが出来ず。。。
中学2年の夏過ぎから、やっと体が大きくなってきて
自分のプレイに自信がついてきたみたい。
受験生だけど、今夏の大きな大会が終了するまで、
勉強は2番目。。。。。。。
2度と来ない現在の彼の時間。
悔いなく大切に使って欲しいけど。。。。
親の気持ちは複雑で。。。
監督・コーチに相談すると、
『大丈夫ですよ、凄く大人になったし、
考えてプレーしているし、
チームも引っ張り1年生の時に比べたら、180度人が変わったというか、
やっと、あいつの意図する気持ちが理解できるようになった、というか、
心配することありませんよ』。。。。と。
小さい頃から、どんな人にも、率直に物事を言うので、
型にはめようとする大人とはいつも衝突
特に、小学校の女の先生とは最悪の関係で。。。
中学生になって、
徐々に大人の階段を上っていくのが、見えてきてはいたけれど。。。
理解できる部分はあるけれど。。。親と子の関係って近いし難しい。
一番扱いにくい年頃だし。。。
彼にはしてあげたかったことが沢山あって、
けれどいろんなことがあって、充分にしてあげられなくて。。。(ノω・、)
でも、本当に沢山のナイスガイなお友達と楽しく青春を謳歌している息子。
どうか、彼の上に素敵な時がずーっと流れますように
出発前夜のご飯は
大好物の 餃子 & 枝豆 &じじが買ってくれた大好物の 天津甘栗。
一年中日焼けして黒いけど、
益々、 チョコレート色栗色 になって元気に怪我無く、帰って来てね
UK発、世界6カ国で展開中のサッカーオンラインショップ-サブサイドスポーツ日本語サイト
今朝、息子が中学生最後のサッカー合宿に出発しました。
幼稚園の年中からサッカーを始め、早10年。
才能が凄くあるとはいえないけれど、
小学校の時の監督からも、
中学生になって通っているクラブチームの監督も
『センスが一番いい』と、言って下さる。。。。。けれど
母としてはもっと、ガツガツ当っていって欲しいのだけれど、
中学2年の夏休みぐらいまでは、細くて小さい体の上
根がなので最後のところを中々越えることが出来ず。。。
中学2年の夏過ぎから、やっと体が大きくなってきて
自分のプレイに自信がついてきたみたい。
受験生だけど、今夏の大きな大会が終了するまで、
勉強は2番目。。。。。。。
2度と来ない現在の彼の時間。
悔いなく大切に使って欲しいけど。。。。
親の気持ちは複雑で。。。
監督・コーチに相談すると、
『大丈夫ですよ、凄く大人になったし、
考えてプレーしているし、
チームも引っ張り1年生の時に比べたら、180度人が変わったというか、
やっと、あいつの意図する気持ちが理解できるようになった、というか、
心配することありませんよ』。。。。と。
小さい頃から、どんな人にも、率直に物事を言うので、
型にはめようとする大人とはいつも衝突
特に、小学校の女の先生とは最悪の関係で。。。
中学生になって、
徐々に大人の階段を上っていくのが、見えてきてはいたけれど。。。
理解できる部分はあるけれど。。。親と子の関係って近いし難しい。
一番扱いにくい年頃だし。。。
彼にはしてあげたかったことが沢山あって、
けれどいろんなことがあって、充分にしてあげられなくて。。。(ノω・、)
でも、本当に沢山のナイスガイなお友達と楽しく青春を謳歌している息子。
どうか、彼の上に素敵な時がずーっと流れますように
出発前夜のご飯は
大好物の 餃子 & 枝豆 &じじが買ってくれた大好物の 天津甘栗。
一年中日焼けして黒いけど、
益々、 チョコレート色栗色 になって元気に怪我無く、帰って来てね
わが家ご飯はこちらから
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2011年06月19日
手作りのお味噌&梅干そして父の日
ご訪問ありがとうございます。
土曜日の朝<ピンポ〜ン>
『はいは〜〜い』
『お届けものです』
『はい。。。。ん 〇〇〇〇さんから』
(誰まあ、私に爆弾送られるはずもないし。。。)
ダンボールを開けたら、
達筆なお手紙と 梅干 とお味噌 と 水戸の梅 が
『解った〇〇さんのお母様だ』
先日子供の幼稚園の頃からのママ友からメールが
『母が、〇▽ちゃん(私のこと)が作った紫蘇で包んだ(くるんだ)梅干を
作りたいので、作り方を教えて欲しいと言っているので、
お願いします』って。
その作り方をお手紙を添えて送ったら、
お礼状と共に、 手作りのお味噌 と、お菓子( 水戸の梅 )
梅干 を(いつもママ友から頂いている)送ってくださったのです(*゜▽゜*)
本当に心のこもったお礼に大感激
早速お電話して、お礼を
お話いているうちに
亡き母を思い出し。。。。それを伝えると
『私達の時代はものがなかったから
なんでも作ったんですよね』と、友人のお母様
私の母もそうだった
母も、梅干・沢庵・白菜・キムチと何でも自分で
漬けていたなって。
昔の人は何でも器用にこなし
本当によく働いていて、見習わなくては。。。。と。
人間って、便利になりすぎると駄目になる一方なんじゃないかと。。。。
改めて、思ったりしました
それにしても、お味噌も梅干も水戸の梅も美味しかった〜〜〜
(お味噌と梅干はまだあるよ〜〜。。。水戸の梅は例の通り完売)
By the way
今日が本当の 父の日
先週 間違えてしまった 私ですが、今日は弟が父を招待。
応援お願い致します。
続きを読む...
土曜日の朝<ピンポ〜ン>
『はいは〜〜い』
『お届けものです』
『はい。。。。ん 〇〇〇〇さんから』
(誰まあ、私に爆弾送られるはずもないし。。。)
ダンボールを開けたら、
達筆なお手紙と 梅干 とお味噌 と 水戸の梅 が
『解った〇〇さんのお母様だ』
先日子供の幼稚園の頃からのママ友からメールが
『母が、〇▽ちゃん(私のこと)が作った紫蘇で包んだ(くるんだ)梅干を
作りたいので、作り方を教えて欲しいと言っているので、
お願いします』って。
その作り方をお手紙を添えて送ったら、
お礼状と共に、 手作りのお味噌 と、お菓子( 水戸の梅 )
梅干 を(いつもママ友から頂いている)送ってくださったのです(*゜▽゜*)
本当に心のこもったお礼に大感激
早速お電話して、お礼を
お話いているうちに
亡き母を思い出し。。。。それを伝えると
『私達の時代はものがなかったから
なんでも作ったんですよね』と、友人のお母様
私の母もそうだった
母も、梅干・沢庵・白菜・キムチと何でも自分で
漬けていたなって。
昔の人は何でも器用にこなし
本当によく働いていて、見習わなくては。。。。と。
人間って、便利になりすぎると駄目になる一方なんじゃないかと。。。。
改めて、思ったりしました
それにしても、お味噌も梅干も水戸の梅も美味しかった〜〜〜
(お味噌と梅干はまだあるよ〜〜。。。水戸の梅は例の通り完売)
By the way
今日が本当の 父の日
先週 間違えてしまった 私ですが、今日は弟が父を招待。
応援お願い致します。
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2011年06月14日
運動会
ご訪問ありがとうございます。
先週の土曜日ので延期になった運動会
中学校の運動会ってそんなに面白くない、との声が多いですが
息子の中学校は すご〜〜く盛り上がります。
多分、高校生になったら体育祭を見に行くこともないだろうし、
子供が一人しかいないから、次は孫の世代まで運動会に縁もないだろうし。。。。
有休をとって見に行きました
朝方は少し寒く曇っていたので油断し、
日焼け止め を忘れしまい
晴れ間が出てこんなに日焼けしてしまいました
平日にもかかわらず
たくさんの保護者の方が観覧し、
今年も盛況な運動会でした。
先生方が1年生の全員リレーと競う競技があり
本気モード満載の先生方の走りが最高です
この学校に通うことが出来てよかった
と思わせる、運動会
先生方、生徒の皆さんに
感謝感謝の一日でした
先週の土曜日ので延期になった運動会
中学校の運動会ってそんなに面白くない、との声が多いですが
息子の中学校は すご〜〜く盛り上がります。
多分、高校生になったら体育祭を見に行くこともないだろうし、
子供が一人しかいないから、次は孫の世代まで運動会に縁もないだろうし。。。。
有休をとって見に行きました
朝方は少し寒く曇っていたので油断し、
日焼け止め を忘れしまい
晴れ間が出てこんなに日焼けしてしまいました
平日にもかかわらず
たくさんの保護者の方が観覧し、
今年も盛況な運動会でした。
先生方が1年生の全員リレーと競う競技があり
本気モード満載の先生方の走りが最高です
この学校に通うことが出来てよかった
と思わせる、運動会
先生方、生徒の皆さんに
感謝感謝の一日でした
2011年02月22日
弟”よわし”
私の弟は子供の頃、色白でヒヨドリのような可愛い男の子でした
喘息で体が弱く、何かと病院通いをしていました。
そして何かと、良く泣いていました。゜(p´ロ`q)゜。
”つよし” という名前ですが、玉に ”よわし” と呼んでいて
”つよこ” の私の後をいつも、
「お姉ちゃ〜ん、お姉〜ちゃん」と、くっついて来ていました。
小児喘息が発生すると、
本当に苦しそうで、死にそうでいつも背中を擦ってあげていました。
そんな弟はよく「犬になりたい」と言っていました。
「何言ってるの」と、私は笑い飛ばしていましたが
大人になって気が付いたことは、
とっても苦しくて苦しくて
死にそうだ、死ぬかもしれないと思っていて〓
犬なら死んでも解らないと、子供心に思ったのかもしれない・・・と
(犬好きの方々には申し訳ありません)
そんな ”よわし” だった弟も思春期の頃は相当やんちゃになり
親、特に母親は悲しみにくれていました
色々なことがありましたが、
20年前に自分で会社を興し、まあまあ成功しているようです。
小さい頃は体が弱かったですが、
我が強く、自分の筋道ばかりを通そうとする
そんな人で、周りにいる人間を追い込むような人でした。
きちんと、することさえすればいいだろう。
そのきちんとすることが、彼の範疇と他の人の範疇の違いに
周りはオタオタするばかり。
それでも、なにかしら彼には魅力があるらしく、
いつも、周りに人が集まっています。
私の母は絶対に離婚をしてはいけない、と言っていましたが、
まず、弟が先に離婚し私が6年後に離婚してしまいました。
私は養育費等一切もらっていませんが、
(養育費を払ってくれるような人なら離婚しませんが)
弟は2人の娘が成人するまで
一人につき月20万円づつ計40万円の養育費を支払っていました。
子供は育てていない、と自分でも自覚しているようですが、
その他に、旅行・留学費用なども支払い
男の甲斐性としては
今時珍しいほど、きちんと行っています。
下の娘が今年成人を迎えるので、それも終了。
そんな、男のプライドと見栄で生きてきた人なので、
周りの人間にもとても厳しく、
時にその自分の法則に周りを苦しめ、自分も苦しむことがあるようです。
それが今回、伯父が亡くなった事により、
母の郷里で色々な方に声をかけて頂き、
親をはじめ親族達に沢山の愛情をもらっていたこと。
私たち姉弟は本当に皆さんに可愛がってもらったことを
実感したようです。
東京に戻ってきて、現在一緒に暮らしている彼女に
「ちゃんと、親孝行しなければ」と言っていたとのこと、
「だけど、どうすればいいんだろう」と。
それを聞いた父は、とっても喜んでいました。
私としては、「そんなことで喜んでもらえるなんて」と思いますが、
彼なりに歳を重ねた大人の男の気持ちを、
正直に話せるようになったことに、
少しばかり、お祝いの〓の気持ちをあげたいと思いました
私にとっては、いつまでも ”よわし” なのです
喘息で体が弱く、何かと病院通いをしていました。
そして何かと、良く泣いていました。゜(p´ロ`q)゜。
”つよし” という名前ですが、玉に ”よわし” と呼んでいて
”つよこ” の私の後をいつも、
「お姉ちゃ〜ん、お姉〜ちゃん」と、くっついて来ていました。
小児喘息が発生すると、
本当に苦しそうで、死にそうでいつも背中を擦ってあげていました。
そんな弟はよく「犬になりたい」と言っていました。
「何言ってるの」と、私は笑い飛ばしていましたが
大人になって気が付いたことは、
とっても苦しくて苦しくて
死にそうだ、死ぬかもしれないと思っていて〓
犬なら死んでも解らないと、子供心に思ったのかもしれない・・・と
(犬好きの方々には申し訳ありません)
そんな ”よわし” だった弟も思春期の頃は相当やんちゃになり
親、特に母親は悲しみにくれていました
色々なことがありましたが、
20年前に自分で会社を興し、まあまあ成功しているようです。
小さい頃は体が弱かったですが、
我が強く、自分の筋道ばかりを通そうとする
そんな人で、周りにいる人間を追い込むような人でした。
きちんと、することさえすればいいだろう。
そのきちんとすることが、彼の範疇と他の人の範疇の違いに
周りはオタオタするばかり。
それでも、なにかしら彼には魅力があるらしく、
いつも、周りに人が集まっています。
私の母は絶対に離婚をしてはいけない、と言っていましたが、
まず、弟が先に離婚し私が6年後に離婚してしまいました。
私は養育費等一切もらっていませんが、
(養育費を払ってくれるような人なら離婚しませんが)
弟は2人の娘が成人するまで
一人につき月20万円づつ計40万円の養育費を支払っていました。
子供は育てていない、と自分でも自覚しているようですが、
その他に、旅行・留学費用なども支払い
男の甲斐性としては
今時珍しいほど、きちんと行っています。
下の娘が今年成人を迎えるので、それも終了。
そんな、男のプライドと見栄で生きてきた人なので、
周りの人間にもとても厳しく、
時にその自分の法則に周りを苦しめ、自分も苦しむことがあるようです。
それが今回、伯父が亡くなった事により、
母の郷里で色々な方に声をかけて頂き、
親をはじめ親族達に沢山の愛情をもらっていたこと。
私たち姉弟は本当に皆さんに可愛がってもらったことを
実感したようです。
東京に戻ってきて、現在一緒に暮らしている彼女に
「ちゃんと、親孝行しなければ」と言っていたとのこと、
「だけど、どうすればいいんだろう」と。
それを聞いた父は、とっても喜んでいました。
私としては、「そんなことで喜んでもらえるなんて」と思いますが、
彼なりに歳を重ねた大人の男の気持ちを、
正直に話せるようになったことに、
少しばかり、お祝いの〓の気持ちをあげたいと思いました
私にとっては、いつまでも ”よわし” なのです
2011年02月21日
「50年の歳月」改めて
私が子供の頃、母と行った帰省には
寝台汽車に乗って盛岡まで8時間、
二戸を経由し、金田一まで2時間かかり、合計10時間掛けて到着していました。
SLのぽっぽ〜と言う汽笛の大きな音に、
その当時は、とても気が弱く可愛かった弟が泣いていました。゜(p´ロ`q)゜。。
今回新幹線で訪れた二戸までは3時間弱。
盛岡には訪れていましたが、こんなに金田一が近くなっていたとは・・・
二戸からタクシーで10分ほどで到着。
”あっ”という間に着きました。
当たり前ですが、色々な事柄が進化しているんだな〜と
改めて実感しました。
その反面、おじ・おば・従兄弟達のの温かい心は変わらず、
あっという間に昔に、タイムスリップしたような気持ちになりました。
新幹線が開通したり、バイパスが通ったり
便利になった母の郷里。
新しい家が立ち並び、駅も立派になり道が整備されましたが、
風景は素朴な田舎のままでした。
用意して頂いた温泉旅館から見た、山々の朝もやの写真です。
お顔を拝むことが出来、最後のお別れもする事が出来ました。
お通夜・葬儀と最後までいることが出来、
次々とおいでになるお客様のお世話をしました。
小学校の校長であった伯父は、
その教え子達と共に地域の活性化活動にも
積極的に参加しており、
本当に大勢の方がお別れにいらっしゃっていました。
祖母に連れられて一緒に面会に行ったという叔父の話から、
戦争に行っていらっしゃったことも、始めて知りました。
私たちの知らない伯父の若かりし時の話しも
色々な方々から聞くことが出来ました。
お通夜の夜から雪が降り、何年振りかで氷柱を見ました。
下のおじ・おば達が70歳を超え、
上の従兄弟達が還暦を越えたり、40代・50代になった私達。
20代・30代になった、はとこ達。
それぞれの生活。みんなきちんと地に足を付けて生きている生き様に
自分の人生を振り返るような、そんな数日間となりました。
自分がどのように死を迎えるのか、
満足のいく死を迎えることができるのか、
改めて自分の生き方を振り返り、反省する機会となりました。
最後の最後まで、
伯父に教えて頂いた人生の歩み方。
本当に、本当にありがとうございました。
寝台汽車に乗って盛岡まで8時間、
二戸を経由し、金田一まで2時間かかり、合計10時間掛けて到着していました。
SLのぽっぽ〜と言う汽笛の大きな音に、
その当時は、とても気が弱く可愛かった弟が泣いていました。゜(p´ロ`q)゜。。
今回新幹線で訪れた二戸までは3時間弱。
盛岡には訪れていましたが、こんなに金田一が近くなっていたとは・・・
二戸からタクシーで10分ほどで到着。
”あっ”という間に着きました。
当たり前ですが、色々な事柄が進化しているんだな〜と
改めて実感しました。
その反面、おじ・おば・従兄弟達のの温かい心は変わらず、
あっという間に昔に、タイムスリップしたような気持ちになりました。
新幹線が開通したり、バイパスが通ったり
便利になった母の郷里。
新しい家が立ち並び、駅も立派になり道が整備されましたが、
風景は素朴な田舎のままでした。
用意して頂いた温泉旅館から見た、山々の朝もやの写真です。
お顔を拝むことが出来、最後のお別れもする事が出来ました。
お通夜・葬儀と最後までいることが出来、
次々とおいでになるお客様のお世話をしました。
小学校の校長であった伯父は、
その教え子達と共に地域の活性化活動にも
積極的に参加しており、
本当に大勢の方がお別れにいらっしゃっていました。
祖母に連れられて一緒に面会に行ったという叔父の話から、
戦争に行っていらっしゃったことも、始めて知りました。
私たちの知らない伯父の若かりし時の話しも
色々な方々から聞くことが出来ました。
お通夜の夜から雪が降り、何年振りかで氷柱を見ました。
下のおじ・おば達が70歳を超え、
上の従兄弟達が還暦を越えたり、40代・50代になった私達。
20代・30代になった、はとこ達。
それぞれの生活。みんなきちんと地に足を付けて生きている生き様に
自分の人生を振り返るような、そんな数日間となりました。
自分がどのように死を迎えるのか、
満足のいく死を迎えることができるのか、
改めて自分の生き方を振り返り、反省する機会となりました。
最後の最後まで、
伯父に教えて頂いた人生の歩み方。
本当に、本当にありがとうございました。
2011年02月16日
恩返しが出来ずに・・・
2月14日
母の兄、伯父が亡くなったと知らせが来ました。
子供の頃は勿論、
大人になってからも何かと可愛がって頂いていたので、
本当に残念でなりません。
母は10人兄弟の丁度真ん中。
亡くなった伯父はすぐ上の兄で、
母とは特別仲が良く、
東京で家庭を持った母と私たち姉弟は
心から歓迎してもらい、楽しく遊ばせてもらいました。
親戚一同50人でバス1台借り切り八幡平に旅行に行ったり、
陸中海岸・遠野など楽しい思い出が一杯です。
小学校の校長先生だった伯父は
いつもにこやかに、私たちを見守ってくれていました。
7年前に胃がんにより、
胃を全摘出した後、驚異的な回復で元気になったいたのですが、
3年位前から認知症が進み、
家族以外はよく解らなくなっていたようです。
お見舞いに何としても行かなければならないのに、
生活・子育てに追われ月日が経ち
無沙汰の非礼を、電話で詫びる事しか出来ませんでした。
先日も伯母に送ってもらった
冬の美味しい海産物のお礼の電話をしたばかりだったのに・・・
連絡の電話の後、
大泣きをしていた私を見た息子は
何が起こったのか驚いていたようですが、
母親の伯父の思い出話を、黙って聞いてくれました。
明日お葬式で荼毘に伏し、
その後3日間かけてお弔いを行います。
葬儀が終了したら日帰りで帰ろうと思っていましたが、
伯母からホテルを用意してあるから、
温泉に浸かり、最後までいるように連絡を受けました。
最後の最後までのお心遣いに、感謝あるのみです。
丁度息子もスキー教室でいないので、
ゆっくりお別れをしてこようと思います。
地域の活動にも貢献していらっしゃったので
沢山の参拝者のかたも見えるのでは。
本家がお寺なのと、伯父の最後にふさわしい
盛大で素晴しい葬儀になることと思います。
何も恩返しが出来ず、情けない限りですが
生前受けた数々のお心遣いに
只々感謝の気持ちで祈り、
自分の人生をきちんと生きていくことこそ
恩返しだと改めて気を引き締め直さなければ。
先に天国にいっている
兄弟・姉妹達との楽しい再会が目に浮かぶます。
「おじちゃん
たくさんの愛情をくださり、本当にありがとうございました。」
母の兄、伯父が亡くなったと知らせが来ました。
子供の頃は勿論、
大人になってからも何かと可愛がって頂いていたので、
本当に残念でなりません。
母は10人兄弟の丁度真ん中。
亡くなった伯父はすぐ上の兄で、
母とは特別仲が良く、
東京で家庭を持った母と私たち姉弟は
心から歓迎してもらい、楽しく遊ばせてもらいました。
親戚一同50人でバス1台借り切り八幡平に旅行に行ったり、
陸中海岸・遠野など楽しい思い出が一杯です。
小学校の校長先生だった伯父は
いつもにこやかに、私たちを見守ってくれていました。
7年前に胃がんにより、
胃を全摘出した後、驚異的な回復で元気になったいたのですが、
3年位前から認知症が進み、
家族以外はよく解らなくなっていたようです。
お見舞いに何としても行かなければならないのに、
生活・子育てに追われ月日が経ち
無沙汰の非礼を、電話で詫びる事しか出来ませんでした。
先日も伯母に送ってもらった
冬の美味しい海産物のお礼の電話をしたばかりだったのに・・・
連絡の電話の後、
大泣きをしていた私を見た息子は
何が起こったのか驚いていたようですが、
母親の伯父の思い出話を、黙って聞いてくれました。
明日お葬式で荼毘に伏し、
その後3日間かけてお弔いを行います。
葬儀が終了したら日帰りで帰ろうと思っていましたが、
伯母からホテルを用意してあるから、
温泉に浸かり、最後までいるように連絡を受けました。
最後の最後までのお心遣いに、感謝あるのみです。
丁度息子もスキー教室でいないので、
ゆっくりお別れをしてこようと思います。
地域の活動にも貢献していらっしゃったので
沢山の参拝者のかたも見えるのでは。
本家がお寺なのと、伯父の最後にふさわしい
盛大で素晴しい葬儀になることと思います。
何も恩返しが出来ず、情けない限りですが
生前受けた数々のお心遣いに
只々感謝の気持ちで祈り、
自分の人生をきちんと生きていくことこそ
恩返しだと改めて気を引き締め直さなければ。
先に天国にいっている
兄弟・姉妹達との楽しい再会が目に浮かぶます。
「おじちゃん
たくさんの愛情をくださり、本当にありがとうございました。」
2011年02月14日
改めて息子の大切さを知った3日間
先週の火曜日のこと。
「MRIを撮るように言われて、お母さんと一緒に来てください、だって」
先々週の土曜日にサッカーの試合でぶつかり、
右膝を打撲したため、
整形外科でレントゲンを撮った息子から、電話がかかってきました。
「えっ、MRI?」仕事中だったので、詳しいことが聞けず電話を切りましたが、
MRIってどういうこと?
骨肉腫の疑いと思い、慌ててインターネットで調べたところ、
やはり、MRIで調べると言うことは
骨肉腫の疑いが濃厚のようで・・・・
それから、色々なことが頭を過ぎり、生きた心地がしませんでした。
家に帰り、子供に話を聞いたら、
「怖かった」「なにが?」
「先生たちが慌てていたから」「どんな風に?」
「なんかバタバタしていて」「何か言われたの?」
「とにかくお母さんに来てもらってMRIを撮りに行って下さい、だって」
「僕、骨肉腫なのかな」「まずは、詳しくみてもらってからだから」
私も息子も眠れない夜を過ごしました。
次の日に病院に行き、
レントゲン写真を見ながら説明を受けたところ、
「通常、骨にも皮膚のようなものがあります。
他の箇所は骨の側面が、全て白くなっているのが見えますか?
丁度打撲した右膝の辺りはなくなっていて
その周りに影のようなものが見えます。
ひょっとすると、腫瘍かもしれないので
MRIを撮ってきてください。
明日は午後3時からの診察なのでそれ以降
写真のCDを持って来院してください。
万が一腫瘍だったら、癌研(癌研究所)に紹介状を書きます」と・・・・・
家に帰り、私も息子もなるべく普通に
話しをし行動していましたが、
息子が
「でも良かったよ、ラッキーだったよ」と言い、
「俺のぶつかり方が良かったから、
丁度悪いところが見つかったんだよね」と。
私も
「そうだね、不幸中の幸いだね」と、答えるしかなく
いつもより、元気の無い私を励まそうとしてくれている
息子が逞しく思え、自分の不甲斐無さを恥じました
次の日午前11:00に予約を取っていただいき、
MRIを撮りに行き、
右膝だけを撮るのに1時間。
その間、受付けで待っている私には
永遠に続く時間のように感じました。
大きな病気もしたことが無く、
ここまで無事に育ってきたのに・・何故・・こんなことに・・・
そんな私の体に突然、寒気が襲いかかり
何だか熱が出てきたような
心配で熱が出てきたのかしら・・・
自分がこんなに軟な人間だったなんて・・・
そんなことを思いながら、
やっと撮影を終え、出てきた息子。
ランチを一緒にし、そのまま学校に行きました。
仕事を休んでいた為、
家に帰った私は、熱を測ったら
38,4度
結構な高熱にそのままソファーに倒れこみ
息子の帰りを待ちました。
そして帰宅した息子とすぐに
病院に画像を持って行こうと思いましたが、
中々2人とも腰が上りませんでした。
やはり、不安な気持ちが2人の中にあったのでしょう
内科も診てもらえるお医者さんなので、
熱が出ていたので私は、
一緒に診てもらおうと、
夕方5時ごろにやっと病院へ向かいました。
受付で画像を渡し、名前を呼ばれ
病室に入っていきました。
「腫瘍ではないようです」画像を見ながら仰った先生の一言に
「良かった〓」「良かったね」
と、思わず発し息子の顔を見つめました
息子は少しホッとした横顔で、
先生の「良かったね」の声に
小さく「はい」と答えていました。
健康であることが当たり前のように
過ぎてゆく日々が、
どんなにありがたいことなのか、将に心にも身にも沁みた3日間でした。
そして私の高熱の原因は
新型のインフルエンザであることが判明し
そのまま、薬局で薬を吸引し、
その日の夜は、熱の為七転八倒しましたが、
翌朝には熱が下がり動くことが出来ました。
良く効く薬にびっくり
なにはともあれ、
我家の今年のワーストであるだろう出来事が
一度に訪れ〓去っていったことに
感謝感謝の気持ちとともに、
思春期の息子の日頃の態度に
もう少し寛容であらねば、と思った3日間の出来事でした
続きを読む...
「MRIを撮るように言われて、お母さんと一緒に来てください、だって」
先々週の土曜日にサッカーの試合でぶつかり、
右膝を打撲したため、
整形外科でレントゲンを撮った息子から、電話がかかってきました。
「えっ、MRI?」仕事中だったので、詳しいことが聞けず電話を切りましたが、
MRIってどういうこと?
骨肉腫の疑いと思い、慌ててインターネットで調べたところ、
やはり、MRIで調べると言うことは
骨肉腫の疑いが濃厚のようで・・・・
それから、色々なことが頭を過ぎり、生きた心地がしませんでした。
家に帰り、子供に話を聞いたら、
「怖かった」「なにが?」
「先生たちが慌てていたから」「どんな風に?」
「なんかバタバタしていて」「何か言われたの?」
「とにかくお母さんに来てもらってMRIを撮りに行って下さい、だって」
「僕、骨肉腫なのかな」「まずは、詳しくみてもらってからだから」
私も息子も眠れない夜を過ごしました。
次の日に病院に行き、
レントゲン写真を見ながら説明を受けたところ、
「通常、骨にも皮膚のようなものがあります。
他の箇所は骨の側面が、全て白くなっているのが見えますか?
丁度打撲した右膝の辺りはなくなっていて
その周りに影のようなものが見えます。
ひょっとすると、腫瘍かもしれないので
MRIを撮ってきてください。
明日は午後3時からの診察なのでそれ以降
写真のCDを持って来院してください。
万が一腫瘍だったら、癌研(癌研究所)に紹介状を書きます」と・・・・・
家に帰り、私も息子もなるべく普通に
話しをし行動していましたが、
息子が
「でも良かったよ、ラッキーだったよ」と言い、
「俺のぶつかり方が良かったから、
丁度悪いところが見つかったんだよね」と。
私も
「そうだね、不幸中の幸いだね」と、答えるしかなく
いつもより、元気の無い私を励まそうとしてくれている
息子が逞しく思え、自分の不甲斐無さを恥じました
次の日午前11:00に予約を取っていただいき、
MRIを撮りに行き、
右膝だけを撮るのに1時間。
その間、受付けで待っている私には
永遠に続く時間のように感じました。
大きな病気もしたことが無く、
ここまで無事に育ってきたのに・・何故・・こんなことに・・・
そんな私の体に突然、寒気が襲いかかり
何だか熱が出てきたような
心配で熱が出てきたのかしら・・・
自分がこんなに軟な人間だったなんて・・・
そんなことを思いながら、
やっと撮影を終え、出てきた息子。
ランチを一緒にし、そのまま学校に行きました。
仕事を休んでいた為、
家に帰った私は、熱を測ったら
38,4度
結構な高熱にそのままソファーに倒れこみ
息子の帰りを待ちました。
そして帰宅した息子とすぐに
病院に画像を持って行こうと思いましたが、
中々2人とも腰が上りませんでした。
やはり、不安な気持ちが2人の中にあったのでしょう
内科も診てもらえるお医者さんなので、
熱が出ていたので私は、
一緒に診てもらおうと、
夕方5時ごろにやっと病院へ向かいました。
受付で画像を渡し、名前を呼ばれ
病室に入っていきました。
「腫瘍ではないようです」画像を見ながら仰った先生の一言に
「良かった〓」「良かったね」
と、思わず発し息子の顔を見つめました
息子は少しホッとした横顔で、
先生の「良かったね」の声に
小さく「はい」と答えていました。
健康であることが当たり前のように
過ぎてゆく日々が、
どんなにありがたいことなのか、将に心にも身にも沁みた3日間でした。
そして私の高熱の原因は
新型のインフルエンザであることが判明し
そのまま、薬局で薬を吸引し、
その日の夜は、熱の為七転八倒しましたが、
翌朝には熱が下がり動くことが出来ました。
良く効く薬にびっくり
なにはともあれ、
我家の今年のワーストであるだろう出来事が
一度に訪れ〓去っていったことに
感謝感謝の気持ちとともに、
思春期の息子の日頃の態度に
もう少し寛容であらねば、と思った3日間の出来事でした
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