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2016年01月24日

2020狂騒の東京オリンピック 稼げなければ、メダルは獲れない/吉野次郎

これから、さまざまな時代と場所を行き来する。

古くは明治日本を訪れ、遠くは世界最大のスポーツ市場・米国に足を運ぶ。

そこから見えたのは2020年五輪を控えた日本スポーツ界のアナクロニズムだった。

経済記者が警鐘。

日本のスポーツ界は、いまだ戦時下にあり。



拙著『2020狂騒の東京オリンピック 稼げなければ、メダルは穫れない』を発売しました。

東京五輪を控えた、日本スポーツ界のルポルタージュです。

明治初期に英国から日本に伝わった「スポーツによる金もうけを不浄」とする価値観。

新国立競技場のデザインや建設費を巡る騒動の最中、東京五輪開催後に「新国立ジャイアンツ球場」として活用する案が浮上した。

読売新聞グループが全面バックアップするも、永田町の主流派が猛反発、最終的に潰された。

 経済合理性を無視してまで、新国立競技場を「国家のシンボル」に据える理由は何なのか。

背景を探ると、そこには「国立競技場」に対して日本人が戦前から連綿と抱いてきたある想いがあった。

 日本のスポーツ界は戦前から、「金もうけは卑しい」という価値観に囚われている。慈善事業として開催される甲子園や、観客に背を向け独自の哲学を貫く全日本柔道連盟。内紛を繰り返すスポーツ団体や採算度外視で赤字を垂れ流すスポーツスタジアムが、日本各地に点在する。米国スポーツ市場が約60兆円に成長したのに対し、日本はその20分の1の約3兆円しかない。

稼げなければ、現役選手を鍛えることも、次世代の選手を発掘することもできないにも関わらず、である。

 「日本のスポーツ界はいまだ戦時下にあり」──。経済記者が正面から取材をして見えてきたのは、時代錯誤のまま身動きが取れずにいる日本のスポーツ界だった。

弱体化が進む市場に未来はあるのか。

スポーツを巡る日本の現状と課題、そして解決の糸口を「経済的観点」から分析したルポルタージュ。

<目次>

【1章】 国家の“喜劇”
【2章】 遠き金メダル
【3章】 戦争の残滓
【4章】 夜明け前
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