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2019年12月21日
パールハーバー
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皆さま、年の瀬も押し迫って参りましたね。
ジャックは11月にハワイに行ったお陰で、年末までハッピーに過ごせそうです。
心ならずもジャックのハワイ紀行にお付き合い頂いた方々に、ハワイ的高揚感が訪れますように祈りをこめて、本日もブログを書き綴りたいと思います。
本日はハワイに行ったら是非ここに、と思っていた場所パールハーバーについて書いてみたいと思います。
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以前の記事にも書きましたが、パールハーバーはホノルル国際空港を挟んでワイキキの反対側に位置しています。
混雑状況にもよりますが、ワイキキから「ザ・バス」に乗って1時間ちょっとかかります。
しかし、言わずと知れたハワイ第一の観光地として名高い場所ですね。
太平洋戦争。
世界に大打撃を与えた戦争の発端となった、日本による真珠湾攻撃が行われた場所なので、日本人として一度は見て見なければと考えておりました。
戦争に関する場所だと言う事、また関連する方々のご心情などを考えると、ジャック如きが記事にして良い場所では無いと思っていますが、パールハーバーに関するアウトラインくらいは紹介した方が良いと思いますので、書かせて頂きます。
と言っても皆様ご存知な内容ばかりですが。
1941年と言う開戦の年は、スピルバーグの映画のタイトルにもなっていたので皆さんよくご存知かもしれません。
その年の12月8日に日本は真珠湾に攻撃を仕掛け、当時の名前で言う「大東亜戦争」が始まりますした。
日曜日早朝の平和な時間に、島民が穏やかに生活している中での奇襲攻撃だった為、「卑怯な騙し撃ち」として米国民の怒りは凄まじかった様です。
この卑怯なイメージから、当時の日本は様々な国々に侵略戦争を行い、大胆にもそれをアメリカにも仕掛けてしまった、と思われている方もおられる様ですが、実際は少し違います。
満洲の利権を巡って微妙な関係が続いていた、当時の日本とアメリカ。
驚異の大国と捉えていたロシアに対する防衛拠点として、満州を重要視していた日本は、利権の一部でもアメリカに渡すつもりはありませんでした。
対ロシアに対する脅威はアメリカも感じており、やはり満州の利権を獲得したかったため、利権の譲渡を日本に詰め寄ります。
アメリカの日本に対するプレッシャーは大きくなり、1932年にアメリカが戦線基地を本土からパールハーバーに移した後、両国の緊張はますます高まってきます。
これに加えアメリカからガソリン・鉄などの輸出停止措置を受けたため、日本の軍備は弱体化が進み、立場はどんどん追い込まれてゆきます。
1941年の4月から開始された日米交渉も、11月になった段階で妥協点を見いだせず、12月8日、ついに真珠湾攻撃は決行されます。
この時の日本は、積極的に戦争を開始したかった訳でなく、追い込まれた挙句の「窮鼠猫を噛む」行動でありました。
実際に当時の日本側も、アメリカと言う相手は10倍以上の圧倒的な生産力差があると認識しており、これに勝つためには緒戦で大勝利する事が必須で、それにより相手側を怯ませる狙いを持っていた様です。
その勝利は、相手側の戦略上重要拠点を完膚無きまでに破壊する物でなければなりませんでした。
白羽の矢が向けられたのが「パールハーバー」でした。
アメリカへの宣戦布告が、真珠湾攻撃の40分後に届いた事実がアメリカの怒りを買っておりますが、これについても本当は、宣戦布告を行った上で布告直後の攻撃をするはずでした。
確かに日本からは、宣戦布告の電文は事前に発信されておりましたが、それを受け取った駐在要員が暗号解読に手間取ったために時間が経過し、その結果順序が逆転、攻撃後の宣戦布告になってしまったと言われています。
相手の出鼻を挫き、戦意喪失を狙った「真珠湾攻撃」でしたが、かえって相手を激昂させて、全面戦争につながる結果となってしまった訳ですね。
しかし戦争が始まっているとは夢にも思わない島民にとっては、これ以上の恐怖は無かったと思います。
突如現れた空母6隻と航空機350機の大編隊からの攻撃は、まさに恐怖の大王が舞い降りた様な地獄絵図だった事でしょう。
この攻撃で日本側の戦死者は64名(飛行機29機、特殊潜航艇5隻の損失)であったのに対し、アメリカ側の死者は2403名、負傷者1178名(戦艦4隻が沈没・転覆、19隻が損害、飛行機300機以上が破壊)にものぼりました。
わずか2時間足らずの攻撃でです。
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さてこのパールハーバーにおいて、ジャックが是非とも見たかった場所があります。
最も中心的な場所と言っても良い、「アリゾナ記念館」です。
「アリゾナ」と言うのは、アメリカの戦艦の名前で、「真珠湾攻撃」によって沈没させられたもののうちの一隻です。
現在も引き揚げられずに、搭乗していた1177人のうちの約1000人と共に、パールハーバーの海底12mに沈んでいます。
「アリゾナ記念館」は、パールハーバーに沈んでいる戦艦アリゾナの上をまたぐ様な形で建てられており、見学者はボートで渡って「アリゾナ」を見下ろす様な形で見学します。
実際に、犠牲者と共に海中に沈んでいる大型戦艦の上に立つと、沈んだ当時の悲惨さが偲ばれるような心持ちになりますね。
このアリゾナからは75年以上経過した現在も、オイルが漏れ出し続けており、「アリゾナの涙」と呼ばれています。
戦争の被害はいつの場合も悲惨なものです。
ご存知の通り、日本でもあらゆる場所で悲惨な攻撃を受けています。
しかしどちら側の国でと言う事ではなく、国家の利害の結果が戦争に発展し、その結果国民が犠牲になると言う構図はあってはならない事だと思います。
ここパールハーバーに来させて頂き、改めてその事を認識しました。
https://tabinaka.co.jp/magazine/articles/17361
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パールハーバーには「アリゾナ記念館」以外にも、戦艦ミズーリ、潜水艦ボーフィンなど、様々な展示があります。
特に「パールハーバーの復讐者」として日本の対馬丸などを沈めた「潜水艦ボーフィン」は内部の見学も出来るため、戦争当時の迫力が伝わってまいります。
対馬丸は学童疎開船だったため、その悲惨な結果を考えると微妙な心持ちにはなりますが、一見の価値はあります。
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さて、お楽しみ頂きましたジャックシュトロのブログ「ハワイ紀行編」。
今回の「パールハーバー」の巻で最終回とさせて頂きます。
次回からは通常のブログに戻りますので、これまで以上のご愛顧をお願いします。
きっちり年末になっちゃいましたね。
今年もあと少し、頑張っていきましょう!
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