またまた久々の更新です
報告&お知らせも溜ってるのに
更新もせずにいました
まずは8月のミニパーティー&ビアガーデンに参加してくださった方
本当にありがとうございました
僕のサプライズショーは楽しんでいただけましたでしょうか?
沢山の方々からご好評をいただきましたが、サプライズはたぶんこれが最初で最後です
さて今日は連休明けの坂出出張レッスンでした
休み明けの久々のレッスンで、7時間びっちり頑張りました
明日も7時間、土曜日は10時間レッスンです
連休はしっかり休んだので頑張りますよ〜
〜ここからが本題…長い文章だけど、最後まで読んでください〜
昨日は長男の5歳の誕生日と
亡くなった母の15回目の命日でした
しかもお彼岸の9月23日
(誕生日と命日が同じだけでなく、生まれた時間と亡くなった時間も同じ午前8時です)
という訳でシモンの誕生日は決まってお墓参りです
うちの家は祖父の代から分家ですので
現在お墓にいるのは
祖父、祖母、伯父、母です
母(石水雅恵)は52歳で癌で亡くなりました
母は僕が学生チャンピオンになったことで、その影響をうけて地元で社交ダンスを始めましたが
僕とは1度も踊ることなく亡くなりました
若くして亡くなった母ですが
その他にお墓にいるのは
伯父(石水久・ひさし)享年9歳(昭和17年没)病死
祖父(石水明・あきら)享年47歳(昭和23年没)病死
祖母(石水静枝・しずえ)享年80歳(昭和63年没)病死
です
僕は若くして自分の母を亡くし、本当に辛いと思いますし、その思いは今も変わりませんが
昭和17年1月11日に伯父(僕の父の兄)が9歳で亡くなっています
つまり僕の祖父母は9歳の息子を亡くしたことになります
またその6年後には47歳と、僕の母より若くして祖父が亡くなっています
僕の父親は祖父が亡くなった時はまだ1歳で、自分の父親を覚えてはいません
昭和17年から23年までの石水家は本当に辛い出来事が重なっていました
しかも戦中、戦後の大変な時にです
祖母の悲しみは大変なものだったでしょう
祖母は僕が中学生の時になくなりましたが、祖母がそんな辛い思いをいていたことは後になって知りました
もしくは聞いていたかもしれませんが、たぶんピンと来なかったのでしょう
今、2人の息子がいる自分には痛いほど気持ちがわかります
しかも当時は病院ではなく、自宅で亡くなったとのことですので
僕が小さい頃に住んでいた実家で、数十年前には悲しい出来事があったのだと思うと
本当に辛い気持ちになります
特にわずか9歳で亡くなった伯父の事や当時の祖父母の気持ちを考えると辛くてたまりません
おじがもし生きていれば今年で81歳です
まだまだ元気な歳ですし、僕の生徒さんの中にも同じとしの方はいらっしゃいます
本当に早すぎる人生でした…
そんな事を思うと今の自分は恵まれているし
今の悩みなんて本当にちっぽけなものだと思います
とにかく自分は一生懸命に生きなければならないし
自分の寿命が尽きる時までは母や祖父母、伯父がこの世に生きた証として
できる限りの事を精一杯やりきるつもりです
↑伯父(石水久)と祖母(石水静枝)
↑祖父(石水明)
僕の名前の一明は祖父から明の字をもらってます
↑1912年頃(約103年前)、右から2番目が祖母(静枝)その左隣が曽祖父母
こんな写真を見ると、今から100年後はどうなってるか考えてしまいますよね
おしまい
最後まで読んで頂きありがとうございます
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