2012年02月19日
粉雪
今回は、昔のブログ ( 林檎の物語
)
を始めたきっかけになった実話です。
知っている方もいらっしゃると思いますが
実話本から映画・ドラマになった
「1リットルの涙」 です。
初めの 心に伝わるback Music はこのドラマの挿入歌
レミオロメンの粉雪 です。
主題歌はKの「Only Human」です。
こちらは、次回にとっておきます。
♪〜 粉雪 〜♪
( ドラマ「1リットルの涙」バージョン )
(パソコンの方はCtrlキーを押しながら下記画像をクリックして下さい。曲が流れます)
長文になりますので
時間がない人はパスして下さい。
木藤亜也 は、徐々に体が動かなくなってゆき、
やがて体の全機能が停止してしまう難病
「脊髄小脳変性症」 に、中学3年生の時に罹った。
その 木藤亜也 が、21歳になるまで書き続けた
日記をもとにストーリー化された。
亜也 が中学3年のある日、
いつものように通学のために元気に家を出た 亜也 は、
その途中、転んでしまい、下顎を強打した。
急いで行った近所の病院で、
母・潮香 は医者から意外なことを聴く。
普通、人が転ぶときには、手が先に出て、
顎を打つようなことはあまりない。
一度、設備のある病院で
診てもらった方がよい、と医者が勧めた。
何か他に原因があるのではないかというのだ。
勧められて検査に訪れた病院で
担当した 山本紘子医師 に、
潮香 は事実を告げられる。
亜也 の病気は 「脊髄小脳変性症」 だという。
悪くなることはあっても
決して良くなることは無い、
現在では不治の病だという。
衝撃を受ける 潮香 。高校受験を目前に、
不安と希望を抱えた 娘・亜也 を看て、
潮香 は決意する。
この子の残された命を
充実したものにするのが
自分に出来る唯一のこと、
出来るだけのことをしよう。
亜也 は、目指した進学校・ 豊橋東高校 に見事 合格 、
晴れて高校生となった。
親しく接するようになった 山本先生 の勧めで、
元々書くことの好きな 亜也 は、
日記を付け始めていた。
高校生活は、 山本先生 の言うように、
病状の進んだ 亜也 にとっては楽なものではなかった。
亜也 の高校生活は、
友人となった 沙織 と 裕子 の
助けが必要であった。
夏休み、 亜也 は初めての入院生活に入った。
検査漬けの毎日、同病の進行した患者を目にして、
初めて自らの病気を知る 亜也 。
退院の時、 亜也 は、 山本先生 に聞く、
「例え歩けなくっても出来る仕事、あるよね」 。
知っている方もいらっしゃると思いますが
実話本から映画・ドラマになった
「1リットルの涙」 です。
初めの 心に伝わるback Music はこのドラマの挿入歌
レミオロメンの粉雪 です。
主題歌はKの「Only Human」です。
こちらは、次回にとっておきます。
♪〜 粉雪 〜♪
( ドラマ「1リットルの涙」バージョン )
(パソコンの方はCtrlキーを押しながら下記画像をクリックして下さい。曲が流れます)
長文になりますので
時間がない人はパスして下さい。
木藤亜也 は、徐々に体が動かなくなってゆき、
やがて体の全機能が停止してしまう難病
「脊髄小脳変性症」 に、中学3年生の時に罹った。
その 木藤亜也 が、21歳になるまで書き続けた
日記をもとにストーリー化された。
亜也 が中学3年のある日、
いつものように通学のために元気に家を出た 亜也 は、
その途中、転んでしまい、下顎を強打した。
急いで行った近所の病院で、
母・潮香 は医者から意外なことを聴く。
普通、人が転ぶときには、手が先に出て、
顎を打つようなことはあまりない。
一度、設備のある病院で
診てもらった方がよい、と医者が勧めた。
何か他に原因があるのではないかというのだ。
勧められて検査に訪れた病院で
担当した 山本紘子医師 に、
潮香 は事実を告げられる。
亜也 の病気は 「脊髄小脳変性症」 だという。
悪くなることはあっても
決して良くなることは無い、
現在では不治の病だという。
衝撃を受ける 潮香 。高校受験を目前に、
不安と希望を抱えた 娘・亜也 を看て、
潮香 は決意する。
この子の残された命を
充実したものにするのが
自分に出来る唯一のこと、
出来るだけのことをしよう。
亜也 は、目指した進学校・ 豊橋東高校 に見事 合格 、
晴れて高校生となった。
親しく接するようになった 山本先生 の勧めで、
元々書くことの好きな 亜也 は、
日記を付け始めていた。
高校生活は、 山本先生 の言うように、
病状の進んだ 亜也 にとっては楽なものではなかった。
亜也 の高校生活は、
友人となった 沙織 と 裕子 の
助けが必要であった。
夏休み、 亜也 は初めての入院生活に入った。
検査漬けの毎日、同病の進行した患者を目にして、
初めて自らの病気を知る 亜也 。
退院の時、 亜也 は、 山本先生 に聞く、
「例え歩けなくっても出来る仕事、あるよね」 。
高校生活に戻った2学期、
亜也 は生徒手帳の他に
三級障害者手帳 を持つようになっていた。
ある日、下校の時、
先輩で生物部に属している 幸子 に声をかけられ、
一緒に帰ることになった。
幸子 は、 「障害を気にするな。人に助けてもらえ」 という。
そうして二人で歩いている時、
亜也 は再び転んでしまう。
助け起こそうとする 幸子 、
その光景を見ていた
パン屋のハル が駆けつけた。
亜也 が怪我をしたとの知らせに、
飛んできた 潮香 に、 ハル が言う。
「仕事で、下校時間に迎えに来られないのなら、
来られるときまで、自分の店で亜也を預かる。」
亜也 に 「お母さん。私のために仕事、やめないで」 、
と言われて、 潮香 は ハル の好意を受け入れる。
ハル の店でひとり迎えを待つ 亜也 。
幸子 や 友達の沙織 、
裕子 も時々寄って話してゆく。
潮香 も 父の瑞生 も 亜也 がいつまで、
高校へ通えるのか、不安を感じていたある日、
亜也 の担任の 野村先生 が 木藤家 を訪れた。
「本校には、三級障害者に適した設備がない。
他にもっと適した学校があるから…」
その会話を聞いた 亜也 は、
来るべき時がきたと悟りながらも、
母の前で号泣した。
亜也 は、涙を流しながら、転校を決意する。
「私は東高を去ります…、
なあんてかっこいいことが
言えるようになるには、
1リットルの涙が必要だった 。」
豊橋東高校 を去る日、
涙する友達に、
今までの親切に感謝する 亜也 を
クラス全員が見送ってくれるのだった。
亜也 の 第一養護学校 での寄宿生活が始まった。
同室は 温子、純、絵美 の三人、
寮母のさと は、生徒たちに容赦をしない厳しい人だ。
それでも、 亜也 はすがすがしい気分で、
大学を目指し勉強に励んだ。
そんな望みも病気は潰してしまう。
養護学校の高等部で、
日頃の成果として、
演劇の発表会が開かれることになった。
亜也 も裏方の一人として参加することになった。
準備も進んだある日、 亜也 たちが作業をしていると、
突然、 さと と 温子 が口論を始めた。
絵美 が舞台衣装を担当していたのだが、
不自由な体はままならず、
さとに助力を求めたところ、
「自分の力でやりなさい」と
一蹴されたのを 温子 が見て、
抗議していたのだ。
その夕、 亜也 と 純 が作業を終え寮に戻ろうとするとき、
ひとり作業を続ける 絵美 を見つける。
「最後までやらないと…」 という 絵美 に、
手伝うふたり。
温子 も加わり、夜なべ作業が始まった、
そんな四人の姿を遠くから優しく見守る さと の姿があった。
発表会当日。
広い客席は人で一杯だ。
亜也 の家族もいる。
そして盛大な拍手で幕が下ろされた。
演劇発表は大成功を収め、 亜也 たち障害者が、
いつもは参加すら出来なかったことをやり遂げた喜びは、
大変なものであった。
その喜びは、
今まで厳しく接していた さと にとっても、
この上ないものであった。
亜也 は、リハビリにために入院生活を送っていた。
せめて、リハビリをすることで病気の進行を抑えようと言うのだ。
見舞いに来た 母潮香 は 亜也 に言う、
「失われた機能なんかに未練を残さず、残された能力に…」 。
潮香 は、 亜也 に書くことを勧める。
退院した 亜也 の生活は、
家族が仕事や学校に出かけた後は
ひとりで過ごすこと。
声も細り、病魔は着実に 亜也 を取り込んでいく。
再び入院。
一生懸命リハビリをする 亜也 の姿に、
ほかの患者さんたちは、
とても親切に 亜也 を気遣ってくれた。
それでも、すでに 亜也 は、
電話すら掛けられなくなっていた。
家族との連絡が自分からはもう取れなくなったのだ。
そんな中、 亜也 は 研修医・小林 に
淡い恋心を抱くのだが、
亜也 には叶わぬ夢であった。
亜也 は、 山本先生 に聞くのだった、
「先生…私…、結婚できる? 」、
山本先生 は言葉に詰まるが、
答えて言う
「出来ないと思う」。
亜也 は 山本先生 に言うのだった
「先生ありがとう…本当のことを教えてくれて、ありがとう」。
木藤家 に戻った 亜也 の部屋は、
何かと便利な一階に移され、
介護ベットが置かれていた。
亜也 は考える、
「私は何のために生きているのだろう」
ある日、 亜也 は、 潮香 に日記を託す、
それが、 亜也 が生きてきた証だとも言うように。
潮香 は、 夜を徹して、一気に読んだ。
そこには、 娘亜也 の苦悩と
悲しみと生きている喜びとが書かれていた。
読みながら泣き声を殺し
嗚咽する 潮香 の肩に、
そっと手を置く 瑞生 。
亜也 は、21歳になった。
もはや自由の効くものは何もない。
病床で見舞う母にそれでも力を振り絞って、
言うのだった。
「おかあさん、まだ生きたい・・・」
それから四年、 木藤亜也 、享年25歳であった。
亜也 は言う、 「ありがとう」
【このカテゴリーの最新記事】
- no image
- no image
- no image
- no image
- no image