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2019年11月27日
再びどん底へ・・・?B
翌日、私は町内の清掃作業に出る事になっていた為、母の病院へ行けずにいました。
作業は夕方までかかり、お風呂に入って汚れを落として、座り込んだ時、病院から電話がありました。
「お母様の脳の血管が破裂して、処置をしています。今すぐ病院に来てください」
私の手は、ブルブル震えていました。
寛いでいた父に説明をして、私たちはすぐさま病院へと向かいました。
病院に到着し、看護師さんから状態を説明され
冷たい廊下の椅子で、父と2人無言のまま、手術が終わるのを待ちました。
長い長い時間が過ぎ、手術は終わりました。
そして先生から、おそらく命は助からない事を告げられました。
「蘇生はします。
その間に、合わせたい人を呼んでください。」
そのような事を告げられた気がします。
時計を見ると、午後11時を回っていました。
まず姉に電話をし、遠方に住む母の兄弟に連絡しました。
みんな病院に来るまで5時間以上かかる事を看護師さんに告げると
先生に伝えに行ってくれました。
戻ってきた看護師さんは
「よくもって1時間です」と私たちに言いました。
その言葉を聞き、私は完全に冷静さを完全に失いました。
そして、今日お見舞いに行かなかった事を心から後悔しました。
涙があふれて、気が変になりそうでした。
父は母の手を握りしめ
「元気になって温泉行くんだろ!起きてくれ」
と言い続けていました。
父も私も、母が1時間も経たずに亡くなってしまうなんて、信じられませんでした。
今、生きてる
手も暖かい
お母さん!
おい、おまえ、戻ってこい
そう言いながら、神様に「母を戻して」と祈り続けました。
2019年11月26日
再びどん底へ…?A
母の入院も1週間が過ぎた頃のこと。
病院の先生から今後の治方針について説明を聞くことになりました。
病院に着いて、母の病室に入る前に、指定された診察室へと向かいました。
その頃の父は、かなり憔悴していたたので
側から見れば「病気の父、付き添う娘」に見えたとおもいます。
先生の説明では、
母の脳の奥の方に微量の出血が見られる
という事で、早急に手術を受けることを勧められました。私も父も、先生のおっしゃるとおりに了解しました。
承諾書等などの事務的な話を終え、父と2人で
「手術さえすれば、もとの母に戻るね」
と、にこやかに母の居る病室に向かいました。
母も看護師さんや先生から、それとなく手術の話は聞いていたようでした。
そして、父と私の顔を見るなり
「手術はしたくないんよ。怖いんよ」
「手術するならここの病院は嫌なんよ」
と言いはじめました。
父はそんな母を、なんとか説得しようとしましたが、父と母の気持ちは平行線のままで、しだいに喧嘩のようになっていました。
これ以上は・・と感じた私は、父の話をさえぎり
「この話はまた今度にしようね」と
少々熱くなった父を無理やり連れて帰りました。
病院の先生から今後の治方針について説明を聞くことになりました。
病院に着いて、母の病室に入る前に、指定された診察室へと向かいました。
その頃の父は、かなり憔悴していたたので
側から見れば「病気の父、付き添う娘」に見えたとおもいます。
先生の説明では、
母の脳の奥の方に微量の出血が見られる
という事で、早急に手術を受けることを勧められました。私も父も、先生のおっしゃるとおりに了解しました。
承諾書等などの事務的な話を終え、父と2人で
「手術さえすれば、もとの母に戻るね」
と、にこやかに母の居る病室に向かいました。
母も看護師さんや先生から、それとなく手術の話は聞いていたようでした。
そして、父と私の顔を見るなり
「手術はしたくないんよ。怖いんよ」
「手術するならここの病院は嫌なんよ」
と言いはじめました。
父はそんな母を、なんとか説得しようとしましたが、父と母の気持ちは平行線のままで、しだいに喧嘩のようになっていました。
これ以上は・・と感じた私は、父の話をさえぎり
「この話はまた今度にしようね」と
少々熱くなった父を無理やり連れて帰りました。
2019年11月25日
再びどん底へ・・?@
毎日を楽しく過ごせるようになってきた頃
「母さんが倒れた」
と実家の父親から連絡がきました。
私は頭が真っ白になりつつも、着の身着のまま急いで病院へと向かいました。
母はお風呂場で転倒し、浴槽の角で後頭部を強打したらしく
私が病院へ到着した頃には、意識が朦朧としていました。
父もかなり動揺していて、車の運転は危険だと感じたので
私は実家に戻り、母の付き添いと父の面倒をみる事にしました。
偶然とはいえ、仕事を辞めていたおかげで、なんの心配もせず両親のそばで居られる事を心から感謝しました。
両親はいつか自分より先に居なくなると覚悟はしていましたが
今回の母の事故は、私にそれを身近に感じさせました。
普段の母は、優しくおっとりした人で、とても「嘘」を嫌う人でした。
そしてとても頭が良く、私はいろんな事を教えてもらいました。
しかし、頭を強打した母は日に日に変わっていきました。
それまでの母とは別人格の人が乗り移ってしまったかのようでした。
話しかけても、空を見たまま私の方を見なかったり
子供のような事を言ってみたり・・
母の変化を目の当たりにした父は、しだいに戸惑いを隠せなくなってきていました。
母をひどく罵倒したり、母の前で泣いてすがってみたり・・
私には、入院していない父の方が、精神的に参ってしまうのでは無いかと
片時も目を離せられなくなっていました。
「母さんが倒れた」
と実家の父親から連絡がきました。
私は頭が真っ白になりつつも、着の身着のまま急いで病院へと向かいました。
母はお風呂場で転倒し、浴槽の角で後頭部を強打したらしく
私が病院へ到着した頃には、意識が朦朧としていました。
父もかなり動揺していて、車の運転は危険だと感じたので
私は実家に戻り、母の付き添いと父の面倒をみる事にしました。
偶然とはいえ、仕事を辞めていたおかげで、なんの心配もせず両親のそばで居られる事を心から感謝しました。
両親はいつか自分より先に居なくなると覚悟はしていましたが
今回の母の事故は、私にそれを身近に感じさせました。
普段の母は、優しくおっとりした人で、とても「嘘」を嫌う人でした。
そしてとても頭が良く、私はいろんな事を教えてもらいました。
しかし、頭を強打した母は日に日に変わっていきました。
それまでの母とは別人格の人が乗り移ってしまったかのようでした。
話しかけても、空を見たまま私の方を見なかったり
子供のような事を言ってみたり・・
母の変化を目の当たりにした父は、しだいに戸惑いを隠せなくなってきていました。
母をひどく罵倒したり、母の前で泣いてすがってみたり・・
私には、入院していない父の方が、精神的に参ってしまうのでは無いかと
片時も目を離せられなくなっていました。
2019年11月24日
心に空いた穴を埋める作業
子ども達が大学卒業し、社会人となり家を出てしまった事で、私は「鳥の巣症候群」となり、「真っ直ぐ鬱に進む道」を突き進んでいきました。
・朝起き上がれない
・何もしたくない
・食欲も無い
は、毎日のこと。。
・誰とも話ししたくない
・意味もなく落ち込む
・悪いことばかり考える
・理由もなく苦しくて、息がつまる
・普通に涙が溢れてる
などの症状が、毎日出始め
友達に、病院に行くことを強く進められました。
当時の私は素直でしたので、言われた通り、家からかなり離れたメンタルクリニックに即予約して、診察を受けました。
クリニックの先生からは「鬱・・・の初期です」と言われました。(でしょうね)
投薬するか、メンタルトレーニングするか二択でしたので、まずは投薬は無しで、メンタルトレーニングを始めました。(鬱の詳しい話はまた後日。。。)
また先生からは、勤めていた仕事を辞める事も条件にされました。当時、結構良い立場で在職していた上に、職場の人間関係は良好だったので大変迷いましたが、結果スパッと退職しました。
「益々何もやる気が起きなくなるんじゃないか?」と思っていましたが、子どもたちや従兄弟から遊びに来るように誘われていたので、潔く家から離れて「何も考えないで、遊ぶだけの時間」を作ることにしました。
すると不思議なもので、毎日、何にも縛られない生活を過ごすと心は元気になってきたのです。約2ケ月、ほけーっと過ごすことで、次第に何かしてみたいという気持ちが湧き出てくるようになりました。
私は掃除洗濯を始め、ご飯を作り、買い物に出かけ、マッサージにも行き、次第に外へ外へと意識が向きはじめました。
そしてその頃から、自分が持っていたiPadで絵を描き始めました。だいぶん描きためた頃、LINE creatorsのアプリからLINEスタンプを作るようになりました。
電車の移動中はYouTubeでいろんな成功した人の動画を見て過ごしました。やたらやる気が出始めて、プログラミングの勉強を始めました。
同時にExcelを極める勉強と、娘からはPowerPointを習うことにしました。
結果、これらの「突然出てきたやる気」のおかげで、雇われない生き方にたどり着くことが出来たのですが、当時はそこまで考えても無かったです。
ただ時間があって、興味が湧いたから・・くらいの軽い感覚でした。
人間何きっかけで、人生が変わっていくかわからないものだと、今は思います。
ですから、偶然にも私のこのブログを読んだ方も、何か運命が変わる節目にきているのかもしれません。
・朝起き上がれない
・何もしたくない
・食欲も無い
は、毎日のこと。。
・誰とも話ししたくない
・意味もなく落ち込む
・悪いことばかり考える
・理由もなく苦しくて、息がつまる
・普通に涙が溢れてる
などの症状が、毎日出始め
友達に、病院に行くことを強く進められました。
当時の私は素直でしたので、言われた通り、家からかなり離れたメンタルクリニックに即予約して、診察を受けました。
クリニックの先生からは「鬱・・・の初期です」と言われました。(でしょうね)
投薬するか、メンタルトレーニングするか二択でしたので、まずは投薬は無しで、メンタルトレーニングを始めました。(鬱の詳しい話はまた後日。。。)
また先生からは、勤めていた仕事を辞める事も条件にされました。当時、結構良い立場で在職していた上に、職場の人間関係は良好だったので大変迷いましたが、結果スパッと退職しました。
「益々何もやる気が起きなくなるんじゃないか?」と思っていましたが、子どもたちや従兄弟から遊びに来るように誘われていたので、潔く家から離れて「何も考えないで、遊ぶだけの時間」を作ることにしました。
すると不思議なもので、毎日、何にも縛られない生活を過ごすと心は元気になってきたのです。約2ケ月、ほけーっと過ごすことで、次第に何かしてみたいという気持ちが湧き出てくるようになりました。
私は掃除洗濯を始め、ご飯を作り、買い物に出かけ、マッサージにも行き、次第に外へ外へと意識が向きはじめました。
そしてその頃から、自分が持っていたiPadで絵を描き始めました。だいぶん描きためた頃、LINE creatorsのアプリからLINEスタンプを作るようになりました。
電車の移動中はYouTubeでいろんな成功した人の動画を見て過ごしました。やたらやる気が出始めて、プログラミングの勉強を始めました。
同時にExcelを極める勉強と、娘からはPowerPointを習うことにしました。
結果、これらの「突然出てきたやる気」のおかげで、雇われない生き方にたどり着くことが出来たのですが、当時はそこまで考えても無かったです。
ただ時間があって、興味が湧いたから・・くらいの軽い感覚でした。
人間何きっかけで、人生が変わっていくかわからないものだと、今は思います。
ですから、偶然にも私のこのブログを読んだ方も、何か運命が変わる節目にきているのかもしれません。