先日、震災遺構の山元町立中浜小学校を訪問して来ました。
実際はひまわりを見に行こうと思っていたのですが…8月2日に全て買ってしまったとの事でした。
そのまま帰るのもと思いながら少し車を走らせるとポツンと建物が…。
震災遺構 中浜小学校と記されていましたので、撮影させてもらって来ました。
東日本大震災は私自身も被災者です。
ただ、私の場合は地震の被害のみで、まだ良かったのです。
ここ山元町はその後の津波の被害にも見舞われました。
その時の恐怖はものすごかったと思います。
現に私の住んでいたところから少し海側はやはり多少なりとも津波の被害が出ました。
お盆期間中、宮城県内の震災遺構にたくさんの方々が訪れて頂けた様でありがたいと思います。
また、あの日の出来事をいつまでも忘れず、生活して行って頂きたいです。
見学料金は大人400円です。
建物内で動画なども上映していて、語り部となる方々からも説明を受ける事が出来ます。
左は校長室跡です。
右は昇降口から続く廊下です。
震災以前は子供達の元気な声が聞こえ、元気な姿が見れたんだと思います。
階段の踊り場にはおとづれた方々の感じた事や、当時の在校生の感じたことなどが張り出されています。
学校からはいつも広大な太平洋を見る事が出来たんですね。
校舎のあの位置までの津波が来たんです。
当時は屋上に避難して随分と不安や恐怖に見舞われたんですね…。
屋上からは流される車や、家、人も見えていたと思います。
どれだけの恐怖と戦っていたのでしょう。
自分に置き換えたら、どんな思いだったでしょう。
少ない被害で済んだ事、無事だった事、色々考えてみて、無事でいれることに感謝しなければなりませんね。
その後も日本全体で災害やコロナの様な疫病、ロシアとウクライナとの戦争などでの物価高と色々なことに見舞われています。
私はあの地震の時、長い時間揺れが止まらなかったあの地震の時に、無本は終わってしまったと思いました。
その位に大きな地震災害で、またその後、20mを超える津波警報が出て、その日の夜、会社に忘れたものを取りに行こうと思いましたが、産業道路が完遂してて通れませんでした。
産業道路でもたくさんの遺体が転がっていたと聞きました。
私の家族、親族は無事でしたので私的には被害もこう言った方々に比べれば少なかったです。
残された私たちとしては、生きている以上、いろんな事にも立ち向かって正しく元気に生きて行くという思いを持っていかなければならないと再確認した日でした。
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