今日であの東日本大震災から10年経つんですね。
私はとある大手の配送ドライバーとして勤務していまして、ちょうどその時間は午後の集荷に行ってました。
震災の約1ヶ月前、集荷先に着いた頃、緊急地震速報が鳴り響き、大きい地震が来ると思って身構えていましたが、さほどの揺れもなく、そのまま仕事をしていました。
それから1ヶ月後、午後2時46分ものすごい地響きがなっていたので「地震だ?」と思ってすぐに外に出て行きました。
ものすごい揺れで集荷先の棚からいろんなものが落ちてきて、私の乗ってきたトラックは横に縦にものすごく揺れて、荷室の荷物は崩れ、外では電柱がぐにゃぐにゃに揺れたっていることもできないくらい揺れ続けました。
いつまでも揺れが治る気配が無く、このまま終わってしまうんじゃないかと思いました。
10分くらい揺れたんですかね…、揺れが治まった時には信号は消え、辺りはシーンとしていました。
ちょうど集荷先というのは会社の数件隣だったので、歩いて会社に戻ってみました。
会社ではみんな外に出ていて、会社の倉庫はやはりみんな崩れていて、電話も繋がらない状況でした。
それから社長が拡声器で「仕事より家族の方が大事だから、今日はここで解散するから、家が心配な人はすぐに戻っていいし、残れる人は残っていて良い」と言ってくれていました。
私も家に視覚障害のある母がいたのですぐに帰りました。
いつもなら15、6分で着くのですが、大渋滞していたので二時間位かかりました。
「たまたま出かけていて帰ってきたらこんなだったっよ」と懐中電灯で家の中にいた母が言いました。
「いやあ、無事で良かった」とハグをして、家に入りましたが、暗いしどうも出来ないので、とりあえず近くに住む母の実家に行くことにしました。
車用の携帯充電器をトラックに忘れてきたので、一度会社に戻ってから行こうと思ったんです…が、行く途中で
産業道路が通れなくなっていました。
この通りが仙台市内の産業道路ですが、そう、津波で浸水してしまったんです。
津波が来た頃私は家に戻っていたので、津波には遭遇していませんでした。
会社のある直前まで津波が来たらしいですが、産業道路で止まったらしいです。
ただ、行くまで迂回しないとならなかったりしたし、燃料も少なかったので諦めて母の実家に向かいました。
母の実家には井戸があったので、生活用水には困らなくて助かりました。
しばらくの間、母の実家に身を寄せて、自転車でトコトコ会社に通いました。
大雑把に書きましたが、そんな2011年3月11日だったんです。
生を得られているという事、コロナ禍で無事でいられる事に感謝です。
それから10年の間にだいぶ復興しました。
陸前浜街道は嵩上げされて新たに道が出来、復興住宅も出来、三陸道も陸前高田付近まで完成しました。
10年の年月で風化してしまうところも見受けられたりしましたが、先月の福島県沖地震でまた被災しました。
ただ、損害自体はなく、津波もなく良かったですが、これは10年前の災害を決して忘れてはならないという、
自然界からの警鐘だったように感じてなりませんでした。
今日は震災から10年という節目でしたので、内容を変えて書きました。
コメント、SNSの方にでもいただけると幸いです。
では今夜はこの辺で。
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