「的は射るものだ。得てどうする。」という「的を得る誤用説」も、
最近では俗説であるという認識が広まってきたような気がします。
それでも未だに「的を得る」は誤用だと指摘する方も多いですが、
これは一時期、辞書にもそう記されていた事ですから、
どうしても仕方のない部分があるのかなと思います。
「的を得る」という表現のイメージに、どうしても違和感を禁じ得ない方も多い様で、
筆者も気持ちは分かります。では、こう考えてみてはどうでしょう。
弓矢というのは本来は狩猟の道具です。
昔の人は動物を弓矢で射抜いて、その肉や皮などを手に入れていたはずです。
つまり、 動物を的にして矢を射ていたわけです。
そして 的にした動物を、獲物として得ていたはずです。
これは、「 的を得て」いたと言えるのではないでしょうか。
的という字には、 目当て、 狙い、という意味もあります。
弓矢で射た的というのは手に入れる物だったと言えるわけです。
目 的の物を手に入れるということですね。
逆に 射ただけでは無益な殺生ですよね。 射た物は責任を持って得ないといけないわけです。
縁日の射的では 景品が的になっていて、射撃で倒した 的を貰えますよね。
つまり「 的を得た」というわけです。
的というのは昔から 得たい物だったんですね。
日本語は表現の幅が広い言語ですから、柔軟に意味を考えてみても良いのかもしれません。
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