リノア=アルティミシア説
サイファーは序盤ではリノアの為に行動しようとし、
中盤では魔女イデアの配下になり、
終盤ではアルティミシアの命令で動いている。
一見、行動の基準が変わっている様にも見えるが、
イデアはアルティミシアに支配されていたので、
リノア=アルティミシアだとすると、
常に同じ人物の為に行動していたという事になる。
ラグナロクで語られるリノアが人とくっつきたがる理由、
それは子供の頃の大好きだった亡き母と優しかった頃の父に対する恋しさだった。
ラストバトルでアルティミシア最終形態のHPを0にすると表示される台詞を見てみる。
「思い出したことがあるかい」
「子供の頃を」
「その感触」
「そのときの言葉」
「そのときの気持ち」
「大人になっていくにつれ」
「何かを残して 何かを捨てていくのだろう」
「時間は待ってはくれない」
「にぎりしめても」
「ひらいたと同時に離れていく」
「そして…」
リノア=アルティミシアだとすると、
不死の魔女となった事で、時間の流れによって家族も仲間も友人も全て失い、
魔女の騎士であるスコールを失った事で悪い魔女となり、
ジャンクションの弊害で記憶さえ失って、
ただ漠然と、かつての愛する人間達の温もりを求めて時間圧縮を目論んでいるのかもしれない。
これはエルオーネとの別れによって一人でも強く生きていこうと決意し、
その決意した理由さえもG.F.によって忘れてしまったスコールの境遇にも似ている。
アルティミシアとは序盤のスコールの様になってしまったリノアなのかもしれない。
未来なんか欲しくない、今がずっと続いて欲しいと願うリノア。
そして時間圧縮で過去を求めようとするアルティミシア。
「……可哀相な少年」「……かわいそうなサイファー」
奇しくも、どちらも人質を取っている場面である。
この様に2人は何かと同じような発言をするのである。
この辺りが説の根拠と言えるだろうか。
「さあ、行くの?退くの?」
「もう戻れねえんだよ!どこにも行けねえんだよ!」
正気に戻ったイデアから話を聞く場面で、
(…………黒くなれ)
という台詞がある。
これはリノアの白い羽に対するものとは考えられないだろうか?
オープニングでリノアが黒い羽の中から飛び出してくる描写がある。
スコールがアルティミシアを倒してリノアを救う暗示なのだろうか。
その他の主な根拠としては、
・待ち合わせの約束をした場所に城を構えている。
・リノアにしか話していないグリーヴァを使役する。
・エンディングで顔が重なる。
といった所だろうか。
・待ち合わせの約束をした場所に城を構えている。
・リノアにしか話していないグリーヴァを使役する。
・エンディングで顔が重なる。
といった所だろうか。
バラムガーデン学園祭のF.H.でのコンサートで、
リノアの母ジュリアの歌である「Eyes On Me」が演奏されると、
リノアが大好きな母の曲が厭らしく演奏されているのを嫌がる様子が見られる。
二人の恋愛を煽る様な仲間達の演奏に対してリノア自身が否定的だったと言える。
開発当初のヒロインを選べるラブパラメータのシステムの廃止や、
スコールが自身の恋愛観を語る幻の列車イベントが没にされている事からも考察できるが、
しばしば思春期がテーマだと解釈されるFF8だが、
ラブロマンスと見せかけて肝心な所では恋愛要素を除けている傾向が見受けられる。
そこにはFF8のテーマである愛を単なる性愛と捉えて欲しくないという意図があるのではないだろうか。
FF8は「人間たちの物語」なのである。
FF8のテーマは、過去に自分が、どれだけ愛されていたか、
過去を変えてでも愛されていた頃に戻りたいと思う人間のノスタルジーなのではないだろうか。
FF8は作中で多くを語らず、悪く言えば説明不足な作品である。
しかし、その多くを語らない奥ゆかしさこそがFF8の最大の魅力の1つでもある。
だからこそ、キャッチコピーでは、こう述べたのではないだろうか。
「愛を、感じてほしい」と。
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