3月16日の午後8時から、CS放送の時代劇専門チャンネルで、村上弘明主演「銭形平次 1」の第10話「切腹直前!殺人者にされた与力」が放送されました。
時代劇によく登場「する「岡っ引き」というものは、奉行所の役人の手下となって働く者で、正式な意味での幕府の役人ではありません。ですから幕臣そのものでもありません。たいてい、なんらかの職をもっている町人で、市井にあってさまざまな情報を集め、奉行所の与力・同心のために集めた情報を注進したり捕り物に参加したりします。
「岡ぼれ」とか「岡場所」などという言葉があるように、「岡」という字がつくのは、正式なものではないことを示しています。
しかし、そういう身分だからこそ活躍の場があるというものです。
奉行所の役人は、江戸八百八町を取り締まるにしては人数が少なすぎた。それで、どうしても「岡っ引き」のような存在が必要になったのです。
時代劇でもよく登場するように、「お上から預かった十手」だと言ってお上の威光をかさに十手の権威を振りかざす者もいたようですが、そのぶん、庶民のために悪を許さず治安を守る者として岡っ引きには「庶民の味方」であってほしい、と思う江戸町民は多かったと思われます。
その思いを近代の野村胡堂という作家がくみ取って作品に反映させたのかもしれません。
さて、この10話です。主人公の銭形平次(村上弘明さん演じる)の直属の上司的存在である与力・笹野新三郎(西岡徳馬さん演じる)が、 田宮左門(堤大二郎さん演じる)という旗本のしかけた罠にはまり、犯してもいない罪に問われます。
奈良屋(西園寺章雄さん演じる)から賄賂を受け取った、とされ、その奈良屋が笹野と会う直前に何者かに惨殺されます。そして、笹野が惨殺死体を見た直後に田宮一派に踏み込まれ、刀を改められ、血をぬぐった跡がある、これが証拠だ、と言われて追い詰められます。
実はこれこそ、田宮一派と、田宮の愛人(現代風にいうと)だった奈良屋の女房・お志摩(寺田千穂さん演じる)が巧妙に仕組んだ罠だったのです。
ではなぜ、田宮はそんなことをするのか?
銭形平次は笹野から田宮との因縁を聞こうとしますが、笹野はなかなか話そうとしません。
ようやく分かったことは、田宮左門の父が笹野の恩人で、笹野は「息子を頼む」との遺言を受けていたのです。
それで笹野は田宮左門の乱行を見てもかばおうとしていたが、左門の母に「息子が不義密通を行ったら成敗してほしい」と言われ、その「密通」の現場をおさえて斬ろうとしたことがあった。
「おれが悪かった! 心を入れ替える」
そう言った左門の言葉を信じて笹野は斬るのを思いとどまり、反省文のようなものを書かせた。
それを左門はずっと逆恨みし続け「復讐」の機会を伺っていた。
そして周到な罠で笹野を無実の罪に問い、身柄を拘束したところで仲間とともに笹野邸に踏み込み、どさくさにまぎれて「反省文」を取り返してこっそり始末しようとしたのだ。
ところが、「反省文」は、書かせてすぐに笹野が田宮家の墓前で焼いていた。
田宮の父母のことを思っていた笹野の気持ちを知らずに、左門は笹野を恨み続けて、今はもうない「反省文」を躍起になって取り戻そうとしていたわけです。
結局、笹野・銭形と左門は対決しますが、逆ギレ(現代風にいうと)した左門に笹野に怒りが頂点に達します。
「あのとき斬っておけばよかった」
と。
いつの世にも「左門」タイプの人間はいるものです。
自分の悪事がバレるや、平謝りに謝る。しかしそれは自分の身を守るためだけのものであって、心の底から反省したわけではない。いや、心の底どころか表面だけの反省ですらなく、みせかけの、言葉だけの反省に過ぎず、反省を促した人間に逆恨みして、ずっと恨み続けるのです。
腐った人間はなかなか悔い改めることなく、腐り続けている。そういう例が多いものです。
それにしても、笹野の恩人という男とその妻が左門を立派な男に育て上げられなかったのは、どうしたわけなのでしょうか?
いろいろな原因が考えられます。
もちろん、これは創作ドラマの話ですが、ほんとうに、悪人の姿というものや、そういう悪人が出来上がった原因について様々考えさせられます。
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