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2019年09月17日
家族の木 THE FOURTH STORY 真と梨央 <27 祝いの着物>
祝いの着物
梨沙ちゃんの結婚式の前々日から東京の田原家に泊まった。新田詩音は田原家の婿養子に入って本名は田原詩音になっていた。画家としては新田詩音の名前が知られるようになっていたのでそのままにしているそうだ。
梨沙ちゃん夫婦は1週間前には新居に移って一緒に暮らしていた。新居と言っても梨央のお爺ちゃんとお婆ちゃんが住んでいた家をリフォームしたものだ。田原の本家から歩いて5分ぐらいの場所だ。立派な薔薇の花壇がある。
二人は朝早くに朝ごはんを食べに来てそのまま会場に向かった。式場はいかにも江戸っ子好みの神社だった。神社には披露宴会場もあって、そこで披露宴だった。ホテルとはちがって少し手狭のようだった。
義母も梨央も自分で着物に着替えて行くらしい。しかも梨央は自分で着物を着るという。梨央にそんなことができるなんて全く知らなかった。興味半分で梨央の着替えを見に行った。「ちょうどよかった。手伝って。」といわれて、それ取って、あれ取ってといわれながら手伝った。
手伝いながら遠い昔を思い出した。俺がまだ5歳ぐらいのころだった。母が今の梨央と同じような黒い着物を着ていた。金色のおめでたい模様が付いた着物だ。たぶん親戚の結婚式だった。普段家にいない父も同じ部屋にいた。今の俺と同じように。
母の着替えるそばで5歳の俺と遊んでいた。母の着替えが終わった時に、父が母に「おお、きれいだな。やっぱりよく似合う。」といった。母はうれしそうに「そんなことないわ。」と答えた。俺はうれしくて、部屋中をぐるぐる回った。数少ない家族の幸福な思い出だった。
梨央が着替えている横には、梨央がさっきまで身に着けていたと思われる下着が置かれていた。「梨央、着物って下着着ないのか?」と聞くと「そうなの、知らなかった。?」「じゃあ、こっから手を入れたら直接触っちゃうのか?」と着物の合わせ目のところに手を持って行くと、「触らない!」と怒られてしまった。楽しい気分だった。本当は、ちょっと悲しくなった自分を慰めるために無理に楽しくした。
父と母と一つの部屋で過ごした日から1週間ぐらいして母は突然喀血して倒れた。結核だった。俺はその日から母に直接抱かれることは無くなった。病院に見舞いに行っても、余り近づくと母が怒った。悲しくて、いつまでもぐずぐず言った。
入院は3カ月ぐらいで、その後は自宅で療養した。しかし同じ部屋で寝起きすることは許されなかった。亡くなる直前にはまた入院した。死に目には会えたが、手を触れることも許されなかった。そして、そのころには父の東京の家ではもう妹が生まれていた。今思っても母が可愛そうで仕方なかった。同時に、今の母が憎くてしょうがなかった。父も妹も大嫌いだった。
母が亡くなっても俺は父のところに引き取られることは無かった。祖父母の元で「坊ちゃま」と呼ばれて育った。そして祖母が亡くなり、祖父が亡くなってから父の元へ引き取られた。なにしろ、俺が祖父の財産を全て相続していたからだ。
その悲しい思い出に心を占領されないために梨央にいたずらをした。梨央は「もお、今着てるんだから!そんなことしたら脱げちゃうでしょ!」と怒った。「梨央、ふくれっ面が面白いよ。その面白さでいつもそばにいてほしい。」そう思った。
俺はそのころ、自分が梨央に対して執着心を持ちすぎていると感じていた。多分、祖父が亡くなってから初めて気を許して付き合った相手だからだ。
続く
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梨沙ちゃんの結婚式の前々日から東京の田原家に泊まった。新田詩音は田原家の婿養子に入って本名は田原詩音になっていた。画家としては新田詩音の名前が知られるようになっていたのでそのままにしているそうだ。
梨沙ちゃん夫婦は1週間前には新居に移って一緒に暮らしていた。新居と言っても梨央のお爺ちゃんとお婆ちゃんが住んでいた家をリフォームしたものだ。田原の本家から歩いて5分ぐらいの場所だ。立派な薔薇の花壇がある。
二人は朝早くに朝ごはんを食べに来てそのまま会場に向かった。式場はいかにも江戸っ子好みの神社だった。神社には披露宴会場もあって、そこで披露宴だった。ホテルとはちがって少し手狭のようだった。
義母も梨央も自分で着物に着替えて行くらしい。しかも梨央は自分で着物を着るという。梨央にそんなことができるなんて全く知らなかった。興味半分で梨央の着替えを見に行った。「ちょうどよかった。手伝って。」といわれて、それ取って、あれ取ってといわれながら手伝った。
手伝いながら遠い昔を思い出した。俺がまだ5歳ぐらいのころだった。母が今の梨央と同じような黒い着物を着ていた。金色のおめでたい模様が付いた着物だ。たぶん親戚の結婚式だった。普段家にいない父も同じ部屋にいた。今の俺と同じように。
母の着替えるそばで5歳の俺と遊んでいた。母の着替えが終わった時に、父が母に「おお、きれいだな。やっぱりよく似合う。」といった。母はうれしそうに「そんなことないわ。」と答えた。俺はうれしくて、部屋中をぐるぐる回った。数少ない家族の幸福な思い出だった。
梨央が着替えている横には、梨央がさっきまで身に着けていたと思われる下着が置かれていた。「梨央、着物って下着着ないのか?」と聞くと「そうなの、知らなかった。?」「じゃあ、こっから手を入れたら直接触っちゃうのか?」と着物の合わせ目のところに手を持って行くと、「触らない!」と怒られてしまった。楽しい気分だった。本当は、ちょっと悲しくなった自分を慰めるために無理に楽しくした。
父と母と一つの部屋で過ごした日から1週間ぐらいして母は突然喀血して倒れた。結核だった。俺はその日から母に直接抱かれることは無くなった。病院に見舞いに行っても、余り近づくと母が怒った。悲しくて、いつまでもぐずぐず言った。
入院は3カ月ぐらいで、その後は自宅で療養した。しかし同じ部屋で寝起きすることは許されなかった。亡くなる直前にはまた入院した。死に目には会えたが、手を触れることも許されなかった。そして、そのころには父の東京の家ではもう妹が生まれていた。今思っても母が可愛そうで仕方なかった。同時に、今の母が憎くてしょうがなかった。父も妹も大嫌いだった。
母が亡くなっても俺は父のところに引き取られることは無かった。祖父母の元で「坊ちゃま」と呼ばれて育った。そして祖母が亡くなり、祖父が亡くなってから父の元へ引き取られた。なにしろ、俺が祖父の財産を全て相続していたからだ。
その悲しい思い出に心を占領されないために梨央にいたずらをした。梨央は「もお、今着てるんだから!そんなことしたら脱げちゃうでしょ!」と怒った。「梨央、ふくれっ面が面白いよ。その面白さでいつもそばにいてほしい。」そう思った。
俺はそのころ、自分が梨央に対して執着心を持ちすぎていると感じていた。多分、祖父が亡くなってから初めて気を許して付き合った相手だからだ。
続く
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