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2019年10月02日
家族の木 THE FOURTH STORY 真と梨央 <42 前田の妻>
前田の妻
店は閉まっていた。裏口が家の玄関になっていた。インターフォンを押すと「ハイ」と女の消え入りそうな声がした。「あの、一度お会いしたことがある、前田さんにお世話になったものです。」と声をかけると、「店を開けます。店から入ってください。」ということで店に回るとシャッターを開けてくれた。中に居たのは、やせた弱々しい女だった。あのいかついおばはんは、元は背の高い美人だったようだ。「惚れられていたんだな。」と思った。
「ああ、いつか来てくれはった浜野さんでしたっけ。昔ラウンジで働いてたからお客さんの名前覚えるのん得意ですねん。」といった。「この度はご愁傷さまでした。ちっとも知りませんでご挨拶が遅れてしまいました。」と夫婦で一礼したが、それには返事をしなかった。
「まあ、かわいらしい!おいくつ?」と聞かれたので「2歳です。あの、差し出がましいんですがお子様は?」と聞くと「流産してしもて、遅い子やったからものすごく喜んだんですけどパパとおんなじ日に逝ってしもて。結局ひとりぼっち」と笑った。
店には俺が贈った「それいゆ」と名前を入れた大鏡が壁に貼り付けられていた。隣に鮮魚前田と名前を入れた大鏡が立てかけてあった。奥さんは両親がなくなっていて、兄弟とも縁が切れているという話だった。
「あの、失礼ですが暮らしの方は?」と聞いてみた。怒られるかと思ったが、軽い調子で「昔に逆戻り、こんなおばはんでも働かしたげよって言うスナックがあるんです。来月から店に出ます。ここも引き払わななりません。」「えっ、ここを出られるんですか?」一人で放っておくことはできなかった。
「あの、ここは大事な店じゃないんですか?前田さんもここが好きなようでした。コーヒーうまいって。」「おばはんいかついけど?」と言って笑った。
「家賃高いんですよ。この場所でこの広さでしょ。私にはもう払われへんから。」
「いや、喫茶店なさったらいいじゃないですか。」
「もう、そんな気力ありません。生きてるんも、ほんまは嫌やねんけど、しょうがないもんね。」とまた笑った。」
「あの、何とかここ続けましょう。夜の仕事は向いてないと思う。」と梨央が言った。
その時、男が店に入ってきた。「こんにちは、あ、奥さん、お客さんですか?出直しましょか?内装の話だけやから。」といった。
「いえ、もう今月末には出ます。あとは好きにしてもろたらいいんです。」
「この内装惜しいなあ。それと、その鏡もどうします?ええもんやけど、店の名前入ってるしなあ。」
「あの、もうちょっとだけ、ここお借りできません?」梨央が声を出した。
「あの、ここの大家さんですか?ここお借りしたいんですよ、このまま。私、あの、こういうものです。うちの事業関係でこの物件、お借りしたいんですよ。」と名刺を見せた。
「あ、失礼しました。私、ここの持ち主です。」と向こうも名刺を出した。
「私、この店経営します。この人に任せようと思ってますよ。まあ、しばらく休業です。この人の体が回復しないことには、始められませんから。でも、継続してお借りしたいんです。内装はこちらで、鏡、もう一面張っていいですよね。」というと、「もちろんです。いや、店開店するつもり有るんやったら頑張ってほしいんですわ。前田さんのことはこのあたりのもんは皆胸痛めてます。周りの店も喜ぶと思います。」
三宮と言っても少し裏通りになる。昔からこの地で商売をしている人も多そうだ。周りが暖かければ何とかなりそうな気がした。さっきから奥さんは涙一滴こぼさない。泣く場面で笑う。誰かそばに居なければ危ない気がした。
「ねえ、奥さま、あのね、ちょっと入院しましょう。上げ膳据え膳で気が済むまで寝てばっかりしましょう。」梨央が突然病院を探せといいだした。たしかに、そうだ。この人には療養が必要だ。「そんな入院なんて。病気やないんですから。来月から働かないといけないんです。部屋も探さないと住むとこないんやから。」
「そんなこと言っても、探せます?」梨央は後に引かなかった。真也はぐずぐず言い出した。「息子がおなかをすかせてるんです。急いで用意してください。」と命令口調で言った。
前田の妻は梨央に命令されるままに身の回りをまとめた。多分、今まで何をしていいのかわからなかったのだ。だから、ただ、日々をぼんやり過ごしていたのだろう。急に命令されて訳もわからないままただ動いていた。とにかく今日は家に来ることになった。梨央が「手伝ってほしい。」と頼んだのだ。
その夜は3人でうどんを食べた。部屋は、客間を使ってもらうことにした。その夜、梨央は何度も目を覚まして前田の妻の様子を見に行っていた。早く入院してもらわないと梨央の体が持たないと思った。
続く
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店は閉まっていた。裏口が家の玄関になっていた。インターフォンを押すと「ハイ」と女の消え入りそうな声がした。「あの、一度お会いしたことがある、前田さんにお世話になったものです。」と声をかけると、「店を開けます。店から入ってください。」ということで店に回るとシャッターを開けてくれた。中に居たのは、やせた弱々しい女だった。あのいかついおばはんは、元は背の高い美人だったようだ。「惚れられていたんだな。」と思った。
「ああ、いつか来てくれはった浜野さんでしたっけ。昔ラウンジで働いてたからお客さんの名前覚えるのん得意ですねん。」といった。「この度はご愁傷さまでした。ちっとも知りませんでご挨拶が遅れてしまいました。」と夫婦で一礼したが、それには返事をしなかった。
「まあ、かわいらしい!おいくつ?」と聞かれたので「2歳です。あの、差し出がましいんですがお子様は?」と聞くと「流産してしもて、遅い子やったからものすごく喜んだんですけどパパとおんなじ日に逝ってしもて。結局ひとりぼっち」と笑った。
店には俺が贈った「それいゆ」と名前を入れた大鏡が壁に貼り付けられていた。隣に鮮魚前田と名前を入れた大鏡が立てかけてあった。奥さんは両親がなくなっていて、兄弟とも縁が切れているという話だった。
「あの、失礼ですが暮らしの方は?」と聞いてみた。怒られるかと思ったが、軽い調子で「昔に逆戻り、こんなおばはんでも働かしたげよって言うスナックがあるんです。来月から店に出ます。ここも引き払わななりません。」「えっ、ここを出られるんですか?」一人で放っておくことはできなかった。
「あの、ここは大事な店じゃないんですか?前田さんもここが好きなようでした。コーヒーうまいって。」「おばはんいかついけど?」と言って笑った。
「家賃高いんですよ。この場所でこの広さでしょ。私にはもう払われへんから。」
「いや、喫茶店なさったらいいじゃないですか。」
「もう、そんな気力ありません。生きてるんも、ほんまは嫌やねんけど、しょうがないもんね。」とまた笑った。」
「あの、何とかここ続けましょう。夜の仕事は向いてないと思う。」と梨央が言った。
その時、男が店に入ってきた。「こんにちは、あ、奥さん、お客さんですか?出直しましょか?内装の話だけやから。」といった。
「いえ、もう今月末には出ます。あとは好きにしてもろたらいいんです。」
「この内装惜しいなあ。それと、その鏡もどうします?ええもんやけど、店の名前入ってるしなあ。」
「あの、もうちょっとだけ、ここお借りできません?」梨央が声を出した。
「あの、ここの大家さんですか?ここお借りしたいんですよ、このまま。私、あの、こういうものです。うちの事業関係でこの物件、お借りしたいんですよ。」と名刺を見せた。
「あ、失礼しました。私、ここの持ち主です。」と向こうも名刺を出した。
「私、この店経営します。この人に任せようと思ってますよ。まあ、しばらく休業です。この人の体が回復しないことには、始められませんから。でも、継続してお借りしたいんです。内装はこちらで、鏡、もう一面張っていいですよね。」というと、「もちろんです。いや、店開店するつもり有るんやったら頑張ってほしいんですわ。前田さんのことはこのあたりのもんは皆胸痛めてます。周りの店も喜ぶと思います。」
三宮と言っても少し裏通りになる。昔からこの地で商売をしている人も多そうだ。周りが暖かければ何とかなりそうな気がした。さっきから奥さんは涙一滴こぼさない。泣く場面で笑う。誰かそばに居なければ危ない気がした。
「ねえ、奥さま、あのね、ちょっと入院しましょう。上げ膳据え膳で気が済むまで寝てばっかりしましょう。」梨央が突然病院を探せといいだした。たしかに、そうだ。この人には療養が必要だ。「そんな入院なんて。病気やないんですから。来月から働かないといけないんです。部屋も探さないと住むとこないんやから。」
「そんなこと言っても、探せます?」梨央は後に引かなかった。真也はぐずぐず言い出した。「息子がおなかをすかせてるんです。急いで用意してください。」と命令口調で言った。
前田の妻は梨央に命令されるままに身の回りをまとめた。多分、今まで何をしていいのかわからなかったのだ。だから、ただ、日々をぼんやり過ごしていたのだろう。急に命令されて訳もわからないままただ動いていた。とにかく今日は家に来ることになった。梨央が「手伝ってほしい。」と頼んだのだ。
その夜は3人でうどんを食べた。部屋は、客間を使ってもらうことにした。その夜、梨央は何度も目を覚まして前田の妻の様子を見に行っていた。早く入院してもらわないと梨央の体が持たないと思った。
続く
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