作家の伊集院静氏(C)日刊ゲンダイ
伊集院静氏が指摘 今の65歳から80歳が日本をダメにした
大人の男がとるべき行動や考え方を指南した人気エッセー「大人の流儀」(講談社)が刊行された。累計185万部を突破したシリーズの第8巻である。著者・伊集院静氏の言葉は厳しく、耳に痛いことも多い。にもかかわらず多くの人が魅了されるのは、その指摘に共感を覚えるからだろう。シリーズ当初から「大人とは」を説き続けてきた。今の日本、大人たちはどのように映っているのか。話を聞いた。
——「自己責任論」の風潮のせいか、最近は誰かの役に立とうという発想が減っているように感じます。
自分さえよければという人が増えているのは確かだと思う。けれど、人は誰でも自分のことがかわいいんです。それはごく当たり前のことで、そうでなければ自分を大切にしたり、向上心というものもなくなってしまう。ただ、大人になったら自分のためだけに生きるのは間違いだからね。己の幸せだけのために生きるのは私は卑しいと思う。
——こうなってしまった原因はどこにあるとお考えですか。
誤解を恐れずに言えば、今の65歳から80歳の人たちが悪い。全員と言わないけれど、8割が日本をダメにしたと私は思っていますよ。戦後、経済が急成長し、日本中にお金が散っていって、何も考えなくても、何もしなくても生きていけるようになった。その証拠に、昔は暮れになると地方でも都会でも必ず行き倒れがあって、大人が「おーい、行き倒れが出たぞ」と叫んでいたんですよ。今は見ないでしょう? 餓死する人がいないというのは豊かな側面ではあるけれど、精神の貧困を招くよね。お金があるということで何とか生きてこれたとしても、そのことによる一番の弊害は、他人のことはどうでもいいと思うようになったこと。だから若者を怒ることもしない。そんな大人に育てられたんだから若者だってバカになるよ。
——タレントが起こしたひき逃げ事件を目撃した女子高生らが被害者を助けずに立ち去った映像が物議をかもしました。
学校に遅刻しそうだった、びっくりしたんだろう、とか擁護する声があるらしいけど、ありえない。そういう時は、さっと倒れた人のところに行くのが人の務めなんだよ。人を助けるのは理屈じゃないんだから。先日の朝、神社に散歩に行こうとして歩いていたら、広くはない道を17歳くらいの女の子が3人で歩いていたんだ。それで私が「道の真ん中を広がって歩くんじゃない!」って言ったんだよ。そうしたら「なんで?」だって。「昔から決まってんだ」と返したら女の子たち、「聞いたことない」「信じられなーい」って。教育してやろうなんて気持ちはなくて、単に邪魔だったから言っただけなんだけど。大人は叱らないとダメだけど、面倒だからやらなくなった。もっといえば、叱ることで相手に嫌われたくないんでしょう。若者に気を使う必要なんてないと思うけどね。
——大人に対しても注意することがあるそうですね。
数年前、仙台から電車に乗った時、私の隣の席に座った男がいて、靴を履いたままで両足を伸ばして、目の前の壁に付けたんですよ。「そこは足を置くところじゃない、下ろしなさい」と注意したのに足を下ろさない。顔を見たら真っ黒に日焼けした外国人で、どこかで見たような気がしたんですが、「ダウン、ユアー、フット」と英語でもう一度言ったら、相手は分かったのか、足を下ろして「ソーリー」と言ったんですよ。こちらは、分かればよろしい、というもんだけど、あっと気が付いた。けさ読んだ新聞にサッカーのブラジルの元代表ペレがワールドカップの特別大使をしていて被災地を訪問していると書いてあったんだな。
——たとえペレでもダメなものはダメ。
やっぱり、日本に来たら日本の礼節を守らなきゃ。コンビニの入り口で若者数人がしゃがんでたばこを吸っていたのを「そんなところでしゃがんでるんじゃない、入り口だろうが」と注意したこともあります。私の顔をにらみ返してきたけど消えていった。もっとも後でカミさんに、危ないからやめてくれ、と言われましたけど。それでも私は、注意することは大人の義務だと思っていますよ。
ペレにも苦言した(東日本大震災で宮城県名取市を訪れたペレ)(C)共同通信社
——人は何をきっかけに大人になるのでしょうか。
知らない間に大人の年齢になっちゃった、というのがほとんどだろうね。本当の大人になるには詰まるところ、他人のため、誰かのために生きなきゃいけないんだ、と分かることが必要なんだけど、それには試練がないと分からないんだな。苦しい、切ないことが人を育てるんだけど、残念ながら試練が来ないんだよ。仮に来ても面倒くさいから逃げてしまうでしょう?
——苦しいことはできれば避けたいと思ってしまいます。
試練の真っただ中にいる時に大事なのは、自分だけじゃないと気付くことですよ。私も弟が海難死したり、前のかみさんが死んだりして、そのときはなぜ弟が、なぜ若い妻がと憤り、絶望感を味わいました。けれど時間が経つと自分だけがそんな目に遭っているのではなく、かみさんや近しい人を亡くした人はいっぱいいて、形は違ってもみんな悲しみを背負っていると分かってきます。3・11の東日本大震災では多くの人が亡くなりました。残された人は悲しくて、不安で、思い出したら泣いたりする人もいるけれど、だんだん強くなっていくんです。
■「自分のためだけに生きない」品性と品格を持つ
——ご自身が、大人の心構えとして大切にしていらっしゃることはありますか
品性、品格ですね。それをつかめば、うまく生きていけて、わりにいい感じで死ねますよ。じゃあ品性、品格の根本は何かというと、やはり自分のためだけに生きない、ということです。例えば100万円があって、数人で分けようとなったとき、一番困っているやつにおまえ持っていけ、と言えるかどうか。自分が困っていても、もっと困っているやつがいればそいつに分配する。これが品性ですよ。そう考えるようになったきっかけのひとつには東日本大震災を経験したことがあります。私は仙台のど真ん中にいましたから。自分の経験はもちろん、被害を目の当たりにすれば、人はなぜ人に手を差し伸べないといけないのか分かります。人はつらいことがないと覚えないもんですよ。本当の意味で大人になるというのは、そう簡単ではありません。けれど、少なくとも30歳も過ぎれば、若者気分を卒業して自分は大人であるという自覚、人のために、という視点を持たなきゃね。
■注意することは大人の義務
——今回は「誰かを幸せにするために」というサブタイトルが付いています。どのような思いがあるのでしょうか。
サブタイトルは編集者が付けたもので、私自身は誰かを幸せにすることはできないと思っています。幸せは目に見えませんからね。ただ懸命にやっていたら誰かの役に立っているんじゃないか、というくらいのものですよ。そのことで、松井秀喜氏から聞いた印象に残っている話があります。彼が中学3年の夏休みで練習がなかったある日、コーチが炎天下でたったひとり、グラウンドを整備しているのを見たそうです。彼は、コーチは毎年こうしていたんだと思って黙って頭を下げた、という。けれどコーチ本人は「何でもないことです。選手にけがをさせたくありませんから」と涼しい顔。目に映らないところで、誰かがひたむきに何かをしている、といういい例じゃないですかね。
(聞き手=原田かずこ/日刊ゲンダイ)
▽いじゅういん・しずか 1950年、山口県防府市生まれ。72年、立教大学文学部卒業。81年、短編小説「皐月」でデビュー。91年「乳房」で第12回吉川英治文学新人賞、92年「受け月」で第107回直木賞、94年「機関車先生」で第7回柴田錬三郎賞、02年「ごろごろ」で第36回吉川英治文学賞を受賞。16年、紫綬褒章受章。主な著書に「白秋」「いねむり先生」「なぎさホテル」「日傘を差す女」など多数。
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