その本を読むと色々と考えさせられたんだけど、こっちの生活って日本に比べたら質素なんだよね。
質素…んー田舎町のような質素感なのかな?もちろん少し開けたとこもあるんだけど、基本的に生きることを主体とした生活、こんな言葉が合うのかな。そういう生活感が感じられる所なんだよね。
そんな中で、今こうして書いてる明け方にはコケコッコーとニワトリがひっきりなしに鳴いていてトントントントンと何かを用意している家庭の音が聞こえている。
このニワトリだっていつかは食べられちゃうんだけど、食用に飼っているって感じじゃなくなんとなく普通にいるんだよ。うまく言えないなぁ。
あと気になってたのが犬ね。
たまーに、俺らはバリ犬て呼んだんだけど、そいつらがたまーにうろちょろしてくるの。
初めは野良犬がいんだなーくらいにしか思ってなかったけど、こいつらオープンなレストラン街でも、特に荒らすことも物乞いする事もないのね。道路とか普通にのらりくらり歩いてたり。よく轢かれねーなと思うんだけど、マイペースにのんびり暮らしてる。
こんな感じに、のんびりと。
レストラン脇の通路とかでもこんな風に寝てたりするわけだけど、人も誰も踏んだりしないのよ。かなりの人混みなのに。不思議と。笑
もしかしたらこいつはどっかのレストランの犬かもしれないけど、俺が見た全ての犬はこんな風に穏やかな性格で、人を見ても優しい顔をしてくる。犬も人を受け入れてるのね。みんなが。だから普通に人がバイク乗るように道に出て歩いてみたり歩道を歩いてみたり、人と同じような行動をとってるんだと思う。
日本だと保健所行きだよね。最近野良犬いないし。
その、とある本とこういう経験から、やっぱ今の日本て生活はしやすいだろうけど、人として生きていくにはなにか浅い場所になっちまったのかなと感じるよ。周りに無関心だし。
ニワトリも、食べるじゃなく食べさせてもらってる、と自然に思えるような生活が、ひいては子どもの心を育てることになりそれが社会を作るんじゃないだろうか。
言語とか知性が発達しても、人間本来の生活ができていなければ人の心はすさんだり無駄な争いも起きるんだろうな。
こっちのニュース見てないけど、事件とかあんのかな?あったとしても蚊の屁くらいじゃないの?日本みたく毎日のように殺人とか起きてないと思う。
こんな話を書くと、ならそっちに住めばいーじゃんと安直な意見を出す奴がいるけど核にあるのはそんなことじゃないんだよね。それすらわからずそんな浅はかな事を言っちゃう、言えちゃうような時代だから国民性が落ちたなと感じるわけなんだよね。
正直こっちに来てネットなんてWi-Fiのとこでしかできないし、そこでも大したことやってないんでいずれはネットなくても生活可能だと思うんだよ。というかこの環境くらいのネット使いでも十分かも。
無駄な情報入ってこなくても別の事色々考えたり感じたりできる。
SNSにハマった人たちがそれができんのか知らんが、少しは気づいた方がいい。自分達はオマケみたいな遊びを楽しんでるという事を。オマケみたいな遊びだから、排除したとこで生活は成り立つんだから。それができなくなってるような日本の世の中ってのが、客観的に見て滑稽というか、未来が不安になる。
俺のことを知らない人に昔の俺の携帯依存度を伝えると今のSNSどころじゃない程ヘビーだったけど、一方でなにもない山奥で仙人のような生活をしたいとも思ってた。オマケとわかっててハマってたのね。
だからこそ特に感じるんだ。
自然との共存、動物との共存は人の心を豊かにする。
まだこっちで1日しか生活してないのに数日遊んだ気分になってるのはそれだけ心が充実したってことなのかな。日本だと1日が早いもんね。
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