スペイン国王カルロス1世の承認を受けたマザランは、香辛料の貿易を求めて、その特産地モルッカ諸島に向かうことにななりました。1519年、5隻の船と280名の船員からなる船団を率いて、西へ向けて出航します。
南アメリカ大陸東岸を南下し、水路を発見してマゼラン海峡と命名(1520)、通行困難なこの海峡を7日で通過しました。つづくその西にある大洋を「静かな海」=「太平洋」と命名して横断しました。しかし決して順風満帆な船旅ではありませんでした。マゼランに対する船員の反乱や、食料の欠乏などに悩まされ、苦悩の周航が続きました。グアム島を経て、1521年3月にフィリピン諸島に到達し、地球を半周したことを現地人の言語で確認しました。
到着後のマゼランはフィリピン諸島のセブ島の島民にキリスト教の布教を始め、洗礼を促して島民もこれに答えますが、マゼラン一行はセブ島民のキリスト教改宗と布教者である一行への服従を要求する暴挙にでました(諸説あり)。セブ島本土の人たちはマゼランに従うも、セブ島東部のマクタン島民はこれに異を唱えます。マクタン島の主であるラプ・ラプは島民を率いて武装、 4月27日、マクタン島に来たマゼランを打倒し、マゼランはこの戦闘でなくなりました。
マゼラン亡き後はマゼランの指揮を引き継いだデル=カーノ(フアン・セバスティアン・エルカーノ)率いる18人がわずか1隻の船で西航、スペインのセビリアに帰港し(1522)、史上最初の世界周航はなしとげられたのです。
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