こんばんはぁ(*'▽')/
島左近とは天下人である豊臣秀吉の五奉行の1人である石田光成に仕えた武将ですが…元々は大和国の大名・筒井順慶の侍大将として活躍していました。
しかし…筒井順慶が亡くなって跡継ぎとなった人間と折り合いが悪く筒井家の仕官を辞めてしまいます。
その後は浪人となり京都で暮らしていましたが、引っ切り無しに最高額では五万石以上で仕官になって欲しいという誘いが続く日々でした。
ですが島左近は、全ての誘いを丁重に断るのでした。
その中の一人が石田光成だったのですが、当時は四万石になったばかりであり島左近は自分と年齢も一回り以上は離れている名高い武将です。
何度か通い詰めた或る日、石田光成は島左近に自分の石高の半分である二万石を渡すという条件を出しました。
これには流石の秀吉公や島左近も驚いたそうですが、その心意気と金に汚くない証であると石田三成のことを感じ入り仕官を決意したそうです。
そして後に秀吉公が亡くなり天下の大決戦・関ヶ原の戦いに突入します。
戦略に秀でていた島左近は、その決戦前に幾度も相手側を攻める作戦を練り石田光成に提案しますが、卑怯なマネはしたくないと却下されます。
それで結果的に敗戦色が濃くなった関ヶ原の戦いでも忠誠を貫き、いよいよ合戦も負けが確定的になった頃…本陣で指揮していた島左近は先陣をきって敵将の陣に真っ向から突撃しました。
相手は島左近隊の何倍もの兵力数でしたが、大きく後退させ多数の敵兵を倒すなど信じられない奮闘ぶりだったそうです。
しかし多勢に無勢で…やがて島左近隊は全滅します。
合戦後…何故か島左近の亡骸は見つからなかったとのことです。
最後まで不利を承知の上で主君に忠義を貫くという生き様でした。
長くなりましたが…島左近を尊敬する理由は僕には真逆の男らしさを感じるからでしょうねぇ(^▽^;)
=END=
島左近とは天下人である豊臣秀吉の五奉行の1人である石田光成に仕えた武将ですが…元々は大和国の大名・筒井順慶の侍大将として活躍していました。
しかし…筒井順慶が亡くなって跡継ぎとなった人間と折り合いが悪く筒井家の仕官を辞めてしまいます。
その後は浪人となり京都で暮らしていましたが、引っ切り無しに最高額では五万石以上で仕官になって欲しいという誘いが続く日々でした。
ですが島左近は、全ての誘いを丁重に断るのでした。
その中の一人が石田光成だったのですが、当時は四万石になったばかりであり島左近は自分と年齢も一回り以上は離れている名高い武将です。
何度か通い詰めた或る日、石田光成は島左近に自分の石高の半分である二万石を渡すという条件を出しました。
これには流石の秀吉公や島左近も驚いたそうですが、その心意気と金に汚くない証であると石田三成のことを感じ入り仕官を決意したそうです。
そして後に秀吉公が亡くなり天下の大決戦・関ヶ原の戦いに突入します。
戦略に秀でていた島左近は、その決戦前に幾度も相手側を攻める作戦を練り石田光成に提案しますが、卑怯なマネはしたくないと却下されます。
それで結果的に敗戦色が濃くなった関ヶ原の戦いでも忠誠を貫き、いよいよ合戦も負けが確定的になった頃…本陣で指揮していた島左近は先陣をきって敵将の陣に真っ向から突撃しました。
相手は島左近隊の何倍もの兵力数でしたが、大きく後退させ多数の敵兵を倒すなど信じられない奮闘ぶりだったそうです。
しかし多勢に無勢で…やがて島左近隊は全滅します。
合戦後…何故か島左近の亡骸は見つからなかったとのことです。
最後まで不利を承知の上で主君に忠義を貫くという生き様でした。
長くなりましたが…島左近を尊敬する理由は僕には真逆の男らしさを感じるからでしょうねぇ(^▽^;)
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