IOC貴族は快適なジェット機で飛んできて、五つ星ホテルで優雅に滞在し、祭典が終われば帰るだけで、長年の貴族社会に生きてきた体質そのものである。
菅首相が、「IOCは東京五輪を開催することを既に決定している」と主権国家のリーダーであることを放棄するような発言をしており、開催都市契約はそれだけIOCにとって優位な条項になっている。
五輪に経済効果があるとの主張には、そこにからくりがあり、五輪に関わる様々な事業への民間投資を促すために多額の税金が投入される仕組みになっている。
インフラや施設建設といった基幹事業の整備から始まる公的資金の投入は、メディアやスポンサーが新たに開拓していくサイドビジネス的な市場まで至るまで公的支援を約束している。
しかし不利益や投資回収が思うように立ち行かなくなったとき、債務を引き受けるのは公金を初期投資した公共セクターであり、つまりは開催都市の地方自治体であって、民間企業への不利益は最小限に留められる。まるで撒き餌である。その撒き餌は税金で買われているのだ。
これまでも、五輪の開催地になった都市に「経済効果によって保証されている利益がもたらされる」ことはなかった。アテネ大会を開催したギリシャのように、最後は財政破綻している。それ故に、五輪は「祝賀資本主義」の典型そのものである。
一般大衆が喜び、浮かれ盛り上がる祝祭に乗じて規制緩和などが行われている裏で、開催都市の納税者は大会経費の負担を強いられ、一部の民間企業が利益を享受する仕組みになっているからだ。東京都民一世帯あたり約9万円の負担という試算も出ている。
五輪が開催されたら、祝祭に酔いしれた後にのしかかる税金を徴収される現実から逃れることはできない。やってはいけない東京五輪なのだ。
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