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田舎で完全予約制の鍼灸院をやってます。 田舎とは言っても、車で30分くらいでイオンもあり(田舎じゃん!)、バスは一日に数本あり(超! 田舎じゃん!)、でも、JRの駅が徒歩圏内(ま、はいはいって感じ)にあります。
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2020年12月22日

健康とは。病とは。この世に生きる意味を考える。

健康とは。病とは。この世に生きる意味を考える。


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 そもそも 「病」とは何か。
 一般的には健康ではない状態のことを指すことが多いと思うが、では 「健康」とは何か。
 WHOの示す 「健康」の定義はこうなっている。

Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.

 健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、 すべてが満たされた状態 にあることをいいます。(日本WHO協会訳)

 出ました! ‘すべてが満たされた状態’ 。 そもそも、そんな状態がこの世の中で存在し得るのだろうか。
 もし、すべてが満たされてしまったら、ニンゲンは何のために生きるのだろうか。

 臨床心理士、河合隼雄氏がこんなことをおっしゃっていた。つまり、衣食住が満たされて、最低限の生きていくことに不安がなくなったために今は‘自分探し’という病が発生し、生きる意味を求める人々がどんどん病み始めていると。


 それでは、改めて「病」について。

 上馬塲和夫氏は「病気とは、浄化された本来の自分に戻る為の自己回帰的な過程である」と表現されている。

 石塚左玄氏。「真理は、大宇宙の法則の中にあり、病を治すのではなく病気をしない人になる。人間は化学的食養で、健康的で智恵と才気を備えた身体と精神の人物に進化する必要あり」


 真弓沙織さん(薬を出さない小児科医、故真弓定夫先生の娘さんであり、トゥリーダー・ティーチャー)はおっしゃる。

 私たちが苦しむのは、どちらかの目だけで世界を見て、真ん中の目(真実を見る目)を失っているからです。

 そして、真ん中の目を失っていると、身体は様々な方法で訴えくるのです。その代表的な方法が「disease(病気)」。これは、「ease(心地よい状態)」から「dis(離れてしまった状態)」を意味するということ。

 ここで注意して欲しいのは、 病気だから心地良い状態から離れてしまったのではなく、心地良い状態から離れているから病気になるのだ、ということです。

 水虫菌やウィルスなど、見えないものを恐れている人は多いですが、それらはどこにでも存在していて、誰にでも感染する可能性があります。

 それなのに、それを発症させる人としない人がいるのは何故なのでしょう?
 これは、今回のコロナの騒動にも相当すること。
 真弓さんはおっしゃいます。

感染症は、その人が現在、「心地いい状態から離れている」ことをお知らせするものでしかないのだと。

 だから。「病気に罪はありません」と。ご主人様に「心地よい状態を思い出して欲しい」という想いでしかありません。これをどう捉えるかで自分の位置が決まってきます。


 それをもっと具体的に説明を試みるために、ホメオパシー療法家の由井寅子さんがの言葉をお借りする。

 病原体は、そもそも外敵ではなく「私たちが潜在意識に捨てて感じないようにしたもの、我慢した感情・未解決な感情(=インナーチャイルド)が、自分を映す鏡として実体化したもの」と表現されています。

 この表現ではちょっと意味が分からないのですが、基本的には人間に感染する病原体は人間の腸で誕生するのではないかという考えであり、停滞した感情をエネルギー源として病原体が自分の中で増殖するということ。つまり、感染症というのは、自然が為す同種療法ではないかと。

 同じ病原体にさらされていても、発症する人しない人、罹る人罹らない人がいます。今回の新型コロナウィルスに限らなくてもです。

 免疫力や体力などに左右されるのはもちろんのこと、もっと深い部分に原因・理由があるのだろうな、とは薄々感じます。

 その、免疫とは、身体の防衛機能として働きを持っていますが、そもそも彼らが行っているのは「自己」か「非自己」かの判断をして非自己を攻撃しているというだけです。

 生物というのは、必ず価値観と感情をもっている。同じような価値観と感情をもっていると、非自己にできないということ。そして、非自己にできないから、病原体が増えてしまい、最終的に体を蝕むという構図。

 病原体は自分を映す鏡として存在する。自分自身から目を逸らし続けるなら、病原体は増え続け、体は病気となってしまう。病原体は宿主を病気にするために存在するのではなく、救うために存在する。

 それを、もしも敵と見なして臨戦態勢に入ってしまうと。例えば違う種類の毒(薬剤)を投与するとか、ウィルスの生存に必要なある機能を不活性化させるような薬剤を開発して投与するなどをすれば、相手も反撃に転じる訳です。

 合気道では、こちらが力を抜けば相手の筋肉も緩み、その隙に相手を倒せるといったような戦術があった気がする。謝ったもん勝ちみたいな戦力も、日本では通用する。相手が腰が低ければ、こちらも必要以上の攻撃は出来ない。

 相手が波動を持った生物であり、その波動がもしも「感情」に相当するのなら、先に愛を与えれば、相手も愛を返してくれるということなのだろう。

 それを具体的にどうするか、といえば。韓国ドラマ「チャングムの誓い」にあったように思う。恐ろしい感染症患者を診たチャングムが、どうやって患者たちを回復に導いたのか。

「病むだけ病ませてみたのです」 と彼女は言った。詳しく覚えていないが、最低限の水分と栄養の補給のみで治療行為を一切せずに様子をみた。そこで、免疫力や生命力の弱かった人は生き残れなかったかも知れないが、それ以外の人たちは自分で回復していったのだ。

 病は、魂に与えられた「時間」であり、「機会」である。

 言うまでもなく、生き方を見直し、考え方を見つめ、自分が生まれてきた意味を静かに問い直し、ほんとうに望んでいたものを手に入れる過程としての。


 最後に、安保徹氏の言葉。

 健康診断でお年寄りが高血圧と診断され、ほかの自覚症状がないときには、降圧剤投与の治療を受けるのは、かえって危険。

 一つは、降圧剤が投与されたとき、 私たちのからだが、元気な生き方に必要なために血圧を高めているのが高血圧症の原因 なので、からだは降圧剤に負けまいとして、さらに交感神経緊張を起こし、血圧下降に抵抗する生体反応を起こす。脈が速くなったり、筋肉の緊張が増したり、興奮して不眠症などの病気が加わってゆくことになる。まぁ、それは当然の反応ということが出来る。

 二つめは、降圧剤のほうが打ち勝って、血圧が下がりはじめた場合。このとき、もし生き方や考え方が変わっていなかったら、その生き方に必要な血圧が得られなくなるので、抹消の循環不全が起きて、血行が悪くなります。ふらふらしたり、元気が出なくなったりしはじめる。

 そして、結果、 認知症 に至るのです。


















タグ: 高血圧 認知症
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