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斎藤道三 〜最終章・息子〜

土岐頼芸を再び追い出した道三。

道三は長子に義竜という子がいるのだが、
義竜には1556年以前から

「土岐頼芸の子ではないのか?」

という噂が流れていた。

さらに家督を義竜ではなく、
正室の子に譲ってしまった為、
憤りを感じた義竜は謀反!

道三の二人の子は前年の1555年に殺され、
道三自身は美濃長良川にて義竜と争い、敗死した。


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斎藤道三 〜其の参・婿殿〜

守護土岐頼芸を追放し、
自ら美濃国主となった5年後の1547年、

尾張の虎・織田信秀(信長の父)が
土岐頼芸を擁し、稲葉城下まで迫った。

しかし、これを退け織田氏と講和した
(尾張に逃れていた土岐頼芸はこれを機に美濃に戻ることとなる)。

さらに翌年1548年には娘濃姫を信秀の子信長に嫁がせ、
信長がどのような人物か見極めるため、会見の場を設けた。

会見の場までの道中の信長は、

「かぶき」

な立ち振る舞いで、
道三の家臣の評価は悪かった。
しかし、いざ会見の場になると、
正装に変身し、それを見た道三は、

「残念ながら自分の息子どもは信長の家来になってしまうだろう」

と、嘆いてしまった。

その後、1552年に織田信秀が亡くなると、
土岐氏を再び美濃から追い出した。


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斎藤道三 〜其の弐・下克上〜

長井氏のもとに出入りしていた頃に、
美濃守護 土岐頼純 の弟土岐頼芸に気に入られ、
長井氏の家老職西村氏を継ぎ、西村勘九郎と名乗った。

そして1527年、美濃守護 土岐頼純 を
追い出し、弟の頼芸を美濃守護に擁立。

1530年には長井利安を殺害、
長井規秀と名乗り小守護代となった。

また、1538年には守護代斎藤氏を継ぎ、
斎藤利政と名乗ることとなる。

その四年後の1542年には、
自らが擁立した土岐頼芸を尾張に追い、
ついには美濃一国を乗っ取った。


ちなみに、美濃一国を治めるまでに

松波庄五郎
西村勘九郎
長井規秀
斎藤利政

と、次々と名を変えていった。


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