タイトルを直訳すると「僕の傷心へようこそ」。
歌詞の最初の方には
「つながってる」なんて 人は簡単に言うだろう でも本当にそうかな
But by Fallの『Welcome to My Broken Heart』の歌詞より一部を引用
という問題提起がある。
一見、仲の良いように見える友達同士。変わらず同じ場所で、同じ時を過ごしている。
そのはずなのに…。
だんだん、一緒に過ごしていても心の距離を感じるようになってしまった。
But by Fallの『Welcome to My Broken Heart』では、その理由が「本心を隠すようになった」事だと言っている。
「誠意を持って伝えなくても大丈夫、この関係はきっと続いていく」と漠然と思っているような、「マンネリ化」故の惰性なのか?
それとも大切になり過ぎて、本音を伝える事で関係が壊れるのを恐れているのか?
でもどちらにしても、それは相手を想う優しさではない、と。
自分の心が怠けたり、恐れたりしている。
今の時代はケータイやスマホや様々なSNSがあって、昔よりも格別にコミュニケーションツールが充実している。
対人恐怖症予備軍だった自分にとっては、本当にありがたい時代だ。
話しかけたり話すのが苦手ならば、メールを送るという手段がある。SNSでメッセージを送ってみる事もできる。
高校生まではケータイを持っていなくて、また人間不信も酷くなる一方の時期だったのもあり、「しゃべり方を忘れてしまうのではないか」というくらい誰とも話さなかった。学校で丸一日、しゃべらない日もあったかもしれない。
でも大学生になってからケータイを持ち始め、だんだんメールとかもするようになって
私はその時は、本当にそういったツールに感謝した。
「これなら直接話しかけたりするより、人とつながるハードルが下がる。自分でもやれるかもしれない。」と思った。
また「こんな自分じゃダメだ。自分を変えたい。」と思って一歩を踏み出した時期とも重なり、その時偶然に、とても良い出会いがあった事も大きいと思う。
その人はメールですごく丁寧に話を聞いてくれて、いつもポジティヴな返信をしてくれた。
直接会うとやっぱりほとんど話せないんだけど、メールなら沢山気持ちを伝えられて、そんな長文にも付き合ってくれた。
メールをやり始めた頃は、人からメールが来る事に恐怖に近いような感情を抱いていた自分。
「変な文章とか返信しっちゃって、相手の気持ちを損ねたらどうしよう。」「変な人って思われたらどうしよう。」「また嫌われたらどうしよう。」とか思っていて、「それくらいなら、誰からもメールなんて来ない方が良い。」くらいに思っていた。
でもその人との出会いで、その人からのメールだけは、来るのがすごく楽しみになった。
「メールが来るのが嬉しい」という気持ちを初めて味わった。
それから数年、上手く話せないからと言ってコミュニケーションをメールにばかり頼ってしまって、
ある時、「それ、直接話してくれればいいじゃん。」とか
「メールだと誤解するから、ちゃんと話して。」と言われるようになった。
人とのコミュニケーションで一歩前進したつもりだったけど、また課題が与えられたような気分だった。
「人と、ちゃんと話せるようにならないと…。」
メールにしても、直接の会話にしても、今の自分はまだ克服しきれていない。
やっぱり、どちらにも苦手意識がある。
でもBut by Fallの『Welcome to My Broken Heart』という曲から
≪一緒に居てもすれ違ってしまうのはなぜ?“賢く”なり、ためらい、隠すようになる事を「大人になる」って言うのなら、僕らは子供でいい。友達なんだ、面と向かって沢山話そうよ。≫
そんなメッセージを受け取り—
But by Fallの『Welcome to My Broken Heart』↓↓
せっかく知り合えて、友達になれても。
気持ちを伝えたら、嫌われる事もあるだろう。
友達を失う事もあるだろう。
怖い。痛い。悲しい。
嫌われたくないよ。
失くしたくないよ。
もう、こんな思いはしたくない。
きっと友達を失うたび、そう思うだろう。
失くしてしまうくらいなら、最初っからいらない。
自分は一人で良いんだ。
そして孤独になって…でもいつか「やっぱり友達が欲しい」って思うだろう。
でも「また傷つくのは嫌だ。」
でも「一人は寂しい。」
傷つくのは嫌だ、寂しい、でも傷つくのは…そのジレンマ。そのループ。
今の自分は、コミュニケーションの苦手意識は克服できてないけど、そのループからは抜け出した。
何と言ったら良いのか分からないけど、上手い言い方ではないかもしれないけど…
友達関係に関しては、“浮気”を沢山したら良いのだと思う。
沢山知り合って、そのそれぞれの人と分かり合える部分を分かり合えば良いと言うのか?
考えが違っても、それでも相手を好きって思えるならそのまま付き合えば良いし。
あまりにも受け入れ難いような違いなら、距離を遠めにしておく。
沢山の知り合いが居れば「この人だけと全部を分かり合わないといけないんだ」みたいな脅迫観念からも逃れられる。
「この事に関しては意見が合わないけど、それについては他の人と分かり合ってるからまあ良いか」とか、一種の“逃げ場”みたいな?
友人知人が極端に少ないと、必ず全ての意見でその少ない人達と一致していないと居ずらい、みたいな気持ちになってしまうけど…。
「何かしらの点で断片的にでも理解し合えている人がどこかに居る」と思えれば、自分の事も肯定しやすいと思う。「この部分についてはこの人が分かってくれてるから大丈夫だ」という安心感みたいなものだろうか。
つまり「理解し合えている」というのが、特定の誰か一人と全部である、という必要は無いのだと思う。
でも特定の誰かが自分とすごく沢山理解し合える存在なら、それはもしかしたら仲の良い友人や親友になれる人なのかもしれない。
「親友が居ない」人でも、もしかしたら沢山の人と知り合ってお付き合いするなかで、そのように沢山の部分について気の合う友人がまず見つかるかもしれない。
その途中で辛い事や悲しい別れがあったとしても、立ち止まって諦めたら未来はそれまで。
辛くても、進み続ける事だけが「親友」に出会える可能性。自分から諦める事は、本当は何パーセントかあるかもしれない可能性を自ら0パーセントにしてしまう事。
辛い事や悲しい事はできれば経験はしたくないけど、自分を成長させてくれる経験にもなるだろう。
私はまだ「一緒に居てもすれ違ってしまう」という状況が起こる程の人間関係までは築けていないけど…。
でも「面と向かって話したらどうだい?」
「だって君は僕の友達だから」
というメッセージはすごく胸に刺さった。
話下手でも、「君は僕の友達だから話を聞くよ」って言ってくれる人、現れるだろうか。
こんな自分でも好きになってくれる人は居るだろうか。
でももしかしたら既に出会っている人の数人は、そういう存在かもしれない。最近ではそう思える。
そう思えるっていう事は、自分はすごく幸せだ。
昔「友達の作り方が分からない」と言ったら、
誰かに「友達を作るのも、人間関係を保つのも努力が要る事なんだよ。」と言われた。
その時はその意味が分からなかったけど、今はちょっと分かるような気がする。
生きていく中で皆が何かしらの傷を抱えている。
それを理解するのは難しいかもしれない。
でも“分かりたい、受け入れたい”って思えるなら「友達」になれるのかな。
そしてどんなに時代が変わっても、デジタルのコミュニケーションツールが発達しても。
やっぱり人間のアナログ的な“生身のつながり”というものを欲する気持ちは、無くならないのかもしれない。
デジタルでつながっても、それだけでは埋めきれない何かがある。
向き合って対話をしたり、心の触れ合いやスキンシップ…そういった「体温、温もりを感じるつながり」。
上手く話しをまとめられないけど、But by Fallの『Welcome to My Broken Heart』という曲を聴いてそんな事を思った。
『Welcome to My Broken Heart』はミニアルバム「Into the sky」に収録↓↓
新品価格 |
発売元:Magnifique
発売日:2016年08月24日
<トラックリスト>
1. Stay Awake
2. “Eoh-Eoh”(Go for Victory)
3. Into the Sky
4. Welcome to My Broken Heart
5. Stronger
6. Hello Goodbye
内容紹介
2015年3月にリリースしたミニアルバム「Believers' War」から約1年半振りのリリースとなる
新作は、全曲を大西俊也(IVORY7 CHORD,WRONG SCALE)がプロデュース。
テレビ朝日系アニメ「デュエル・マスターズVSRF」EDテーマ「Stronger」を含む全6曲!
メディア掲載レビューほか
2015年3月にリリースされたミニ・アルバム『Believers’ War』から約1年ぶりのリリースとなる本作は、全曲を大西俊也(IVORY7 CHORD、WRONG SCALE)がプロデュース。テレビ東京系アニメ『デュエル・マスターズ VSRF』EDテーマ「Stronger」他、収録。 (C)RS
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