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posted by fanblog
2011年05月05日
2011年04月22日
渋谷 博多天神
井の頭線の高架の下の通りを246のほうに歩いたとこにある天神。
ラーメン500円。
ないがいいって、すぐに出てくる。全然待たせないからね。
ラーメン500円。
ないがいいって、すぐに出てくる。全然待たせないからね。
2011年03月13日
地震 渋谷にいました
3月11日に発生した地震についてです。
渋谷区の会社員のひとつの目線としてあったことを書きます。
渋谷にあるオフィスで仕事しているんだけど、
やることが多かったので、遅めの昼食をとった帰りでした。
高層ビル群(いつもはそんな意識はないけど)を歩いていたら、
頭の上に鉄サビの小さな塊(10円玉くらいの)がぱらぱらと落ちてきて、
「なんだよ、ずいぶん雑な作業だなー。」
と迷惑顔で、頭の上をみたら(だれかがペンキの塗り替えでもしているのかと思って)
だれもいない。同じ道を歩いていた数人のサラリーマンも同じように見あげて、
あれ?と思った様子だった。
そのあとで、すごい音がして、それでも俺はまだ、
首都高の音かと思って2,3歩、普通に歩いた。
そのあとで悲鳴が聞こえて、道路沿いの建物から人が飛び出してきて、
歩道橋、道路灯、道路標識が激しく揺れているのを目視し、
地震であることと同時に、自分の立ち位置が非常に危険であるということに
気付いた。(頭の上には雑居ビルの看板、ビルの窓ガラス、工事中の高層ビルのクレーンがある)
とにかく頭の上をみながらダッシュして、美竹公園(ちいさい公園)に避難。
300人以上の人(小学生や中学生、子供連れの女性、サラリーマン、美容学校の学生など)が避難していた。
そこに一時間ほどいて、そろそろ会社に戻ろうと思ったときに、一回目と同じようなとても大きな揺れ。
バスケットゴール、木、建物のガラス、それらが見たこともないような感じで揺れまくっていた。
女性の悲鳴などが余計に恐怖をあおっていたような気がする。
(振り返ると、あの場所は安全であったのだから、あれほど自分が恐れる必要はなかったかもしれない。)
とにかく一番安全と思われる代々木公園まで、徒歩で10分ほどなので、
そちらに逃げることにした。
(結果的に、その間大きな地震はなかった。この時間になると、発生から約1時間半ほどで、
周りを見渡す余裕もあった。)
代々木公園は広く、陽が沈みかけていたけど、まだ暖かさがあって、気持ちが落ち着いた。
昼食をとるだけのつもりだったので、シャツ一枚だった。
とりあえず、17時ころ社に戻ったけど、みんな仕事してた(笑)
この人たちが埋もれたとして、助けるほうはたまったもんじゃない。
避難しないで死ぬのは勝手だけど、助けるほうはそう簡単に見捨てることはできないかもしれない。
救出困難だとして、救出活動を打ち切ったとして、その救助隊の人たちの心理を思ったらどうだろう?気持ちがいたむのではないだろうか。
他人事ではないのだ。
18時の終業前に、帰れる人はかえってくださいという指示がでた。
電車はすべて止まっているから、ほとんど帰れる人はいない様子だった。
俺は幸い、会社から歩いて1時間半ほどのところに家があるので、帰ることにした。
普段は車しかとおってないような道を人がいっぱい歩いていた。
家についたらガスが止まっていて、ガスを復活させて、
そのあとでテレビをみて、地震の大きさなどを把握した。
(その間、すべての情報はツイッターで得ていた。)
4時間かけて家に帰った人たちもいるそうだった。
とにかく怖かったよ。
恐怖の本質、危険の本質を見極めて対応するようにしたい。
関東大震災の原因となった神奈川県相模湾沖の地震はまだ発生していない。
ただ、関東大震災の少し前に、仙台と千葉・茨城で地震が発生している。
(wikipediaの地震年表参照)
これをいい機会ととらえて、東京都、横浜界隈の人たちは十分に準備すべき。
渋谷区の会社員のひとつの目線としてあったことを書きます。
渋谷にあるオフィスで仕事しているんだけど、
やることが多かったので、遅めの昼食をとった帰りでした。
高層ビル群(いつもはそんな意識はないけど)を歩いていたら、
頭の上に鉄サビの小さな塊(10円玉くらいの)がぱらぱらと落ちてきて、
「なんだよ、ずいぶん雑な作業だなー。」
と迷惑顔で、頭の上をみたら(だれかがペンキの塗り替えでもしているのかと思って)
だれもいない。同じ道を歩いていた数人のサラリーマンも同じように見あげて、
あれ?と思った様子だった。
そのあとで、すごい音がして、それでも俺はまだ、
首都高の音かと思って2,3歩、普通に歩いた。
そのあとで悲鳴が聞こえて、道路沿いの建物から人が飛び出してきて、
歩道橋、道路灯、道路標識が激しく揺れているのを目視し、
地震であることと同時に、自分の立ち位置が非常に危険であるということに
気付いた。(頭の上には雑居ビルの看板、ビルの窓ガラス、工事中の高層ビルのクレーンがある)
とにかく頭の上をみながらダッシュして、美竹公園(ちいさい公園)に避難。
300人以上の人(小学生や中学生、子供連れの女性、サラリーマン、美容学校の学生など)が避難していた。
そこに一時間ほどいて、そろそろ会社に戻ろうと思ったときに、一回目と同じようなとても大きな揺れ。
バスケットゴール、木、建物のガラス、それらが見たこともないような感じで揺れまくっていた。
女性の悲鳴などが余計に恐怖をあおっていたような気がする。
(振り返ると、あの場所は安全であったのだから、あれほど自分が恐れる必要はなかったかもしれない。)
とにかく一番安全と思われる代々木公園まで、徒歩で10分ほどなので、
そちらに逃げることにした。
(結果的に、その間大きな地震はなかった。この時間になると、発生から約1時間半ほどで、
周りを見渡す余裕もあった。)
代々木公園は広く、陽が沈みかけていたけど、まだ暖かさがあって、気持ちが落ち着いた。
昼食をとるだけのつもりだったので、シャツ一枚だった。
とりあえず、17時ころ社に戻ったけど、みんな仕事してた(笑)
この人たちが埋もれたとして、助けるほうはたまったもんじゃない。
避難しないで死ぬのは勝手だけど、助けるほうはそう簡単に見捨てることはできないかもしれない。
救出困難だとして、救出活動を打ち切ったとして、その救助隊の人たちの心理を思ったらどうだろう?気持ちがいたむのではないだろうか。
他人事ではないのだ。
18時の終業前に、帰れる人はかえってくださいという指示がでた。
電車はすべて止まっているから、ほとんど帰れる人はいない様子だった。
俺は幸い、会社から歩いて1時間半ほどのところに家があるので、帰ることにした。
普段は車しかとおってないような道を人がいっぱい歩いていた。
家についたらガスが止まっていて、ガスを復活させて、
そのあとでテレビをみて、地震の大きさなどを把握した。
(その間、すべての情報はツイッターで得ていた。)
4時間かけて家に帰った人たちもいるそうだった。
とにかく怖かったよ。
恐怖の本質、危険の本質を見極めて対応するようにしたい。
関東大震災の原因となった神奈川県相模湾沖の地震はまだ発生していない。
ただ、関東大震災の少し前に、仙台と千葉・茨城で地震が発生している。
(wikipediaの地震年表参照)
これをいい機会ととらえて、東京都、横浜界隈の人たちは十分に準備すべき。