この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
広告
posted by fanblog
2018年09月30日
オノ・ヨーコの歌
先日テレビを見ていたら、ジョン・レノンの妻・オノ・ヨーコの実妹だという女性が出ていた。姉上同様、彼女もまた現在は芸術家であられるようなのだが、かつては世界を舞台に活躍していた凄腕のバンカー(銀行家)だったらしい。すごい姉妹だ。そういえば小野家といえば、安田財閥直系の超々名門の銀行家のお家柄だったものな・・・。幼少の頃過ごした東京の家も、今は外国の大使館だったか大使公邸として使われているとかで、まさにケタ違いの華麗なる一族の方々である。
そんなこんなで久しぶりにオノ・ヨーコの名前を耳にしたわけなのだが、オノ・ヨーコと聞いて思い出さずにはいられないのが、彼女が歌う「Kiss Kiss Kiss」という曲だ。
ジョン・レノンの遺作となった「ダブル・ファンタジー」(1980)というアルバムに収録されている。
ダブル・ファンタジー(紙ジャケット仕様) @Amazon
篠山紀信が撮影したというジャケット写真がステキだ。
「Kiss Kiss Kiss」は、ジョン・レノンが歌う「スターティング・オーヴァー」に続き、このアルバムの二曲目として登場する歌なのだが、そのあまりにも強烈すぎる曲の内容で、初めて耳にする者をことごとくスピーカーの前で石にしてしまうという伝説の奇曲である。早い話がポルノチックな歌なのだけれども、私も初めて聴いたときには、まさかアルバムの序盤からこんな歌がはじまるとは思わないので、びっくり慌てふためいてオーディオのボリュームを絞り、まわりに誰もいなかったか、まさか窓は開いてなかったろうねを確認し、そして爆笑した。パンク調の不穏な旋律に乗せたヨーコの不安定な歌声と、絶えずバックで流れ続けるこれまたヨーコの声による日本語での扇情的な囁きは、一度聴いてしまったら忘れたくとも忘れらない。特に曲終盤での、まるで忘我の域に達したかのようなヨーコの盛り上がりぶりはすさまじい。一体全体こういう曲はどんな状況下でレコーディングするのだろう・・・。とにもかくにも決して家族と一緒には聴けないし、なるべくなら一人こっそり聴いてる姿も誰にも知られたくない感じの曲なんである。
この手の官能的な曲は、フランスにはセルジュ・ゲンスブールとジェーン・バーキンのデュエットで有名な「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」があるし、日本でも昔、深夜ラジオで、八神なんとか(「純子」ではない)という人が歌う(というか、もはや歌とは言えない感じの曲だったが)「恋さぐり」とかいう曲を聴いて爆笑した憶えがあったりするが、このオノ・ヨーコの「Kiss Kiss Kiss」はその強烈さからいったら、そういった曲の中でもとりわけ群を抜いているように思える。もはや別物といってもいいのかもしれない。この曲には単に官能的というだけでは片づけられない、凄みのようなものがあるような気がするのだ。例えて言うなら、なんだろう・・・夜な夜な枕辺に現れる色情おばけ(なんだそれ)のような・・・。とにかく背筋に戦慄が走るようなコワさを感じるのである。恐るべしヨーコ。アヴァンギャルドすぎるのよね。
「ダブル・ファンタジー」には、ジョンとヨーコの歌が交互に収録されている。聴いた人たちの感想を見ると、ヨーコの歌は後半にまとめてくれとか、ヨーコの歌を飛ばすのが大変ですとかなかなか手厳しいものもあるが、個人的にはこのアルバムに入っているヨーコの曲はそんなに悪くもないんでないかなーと思っている。特にこの「Yes, I'm Your Angel」なんか好きである。それこそジェーン・バーキンっぽい、かわいらしい感じの歌だ。「Kiss Kiss Kiss」は自粛して、こっちをご紹介しとこ
とりあえず今日はこのへんで失礼させていただきます。
追伸:「Kiss Kiss Kiss」は、ヘッドホンで聴くとよりすさまじい・・・。
そんなこんなで久しぶりにオノ・ヨーコの名前を耳にしたわけなのだが、オノ・ヨーコと聞いて思い出さずにはいられないのが、彼女が歌う「Kiss Kiss Kiss」という曲だ。
ジョン・レノンの遺作となった「ダブル・ファンタジー」(1980)というアルバムに収録されている。
ダブル・ファンタジー(紙ジャケット仕様) @Amazon
篠山紀信が撮影したというジャケット写真がステキだ。
「Kiss Kiss Kiss」は、ジョン・レノンが歌う「スターティング・オーヴァー」に続き、このアルバムの二曲目として登場する歌なのだが、そのあまりにも強烈すぎる曲の内容で、初めて耳にする者をことごとくスピーカーの前で石にしてしまうという伝説の奇曲である。早い話がポルノチックな歌なのだけれども、私も初めて聴いたときには、まさかアルバムの序盤からこんな歌がはじまるとは思わないので、びっくり慌てふためいてオーディオのボリュームを絞り、まわりに誰もいなかったか、まさか窓は開いてなかったろうねを確認し、そして爆笑した。パンク調の不穏な旋律に乗せたヨーコの不安定な歌声と、絶えずバックで流れ続けるこれまたヨーコの声による日本語での扇情的な囁きは、一度聴いてしまったら忘れたくとも忘れらない。特に曲終盤での、まるで忘我の域に達したかのようなヨーコの盛り上がりぶりはすさまじい。一体全体こういう曲はどんな状況下でレコーディングするのだろう・・・。とにもかくにも決して家族と一緒には聴けないし、なるべくなら一人こっそり聴いてる姿も誰にも知られたくない感じの曲なんである。
この手の官能的な曲は、フランスにはセルジュ・ゲンスブールとジェーン・バーキンのデュエットで有名な「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」があるし、日本でも昔、深夜ラジオで、八神なんとか(「純子」ではない)という人が歌う(というか、もはや歌とは言えない感じの曲だったが)「恋さぐり」とかいう曲を聴いて爆笑した憶えがあったりするが、このオノ・ヨーコの「Kiss Kiss Kiss」はその強烈さからいったら、そういった曲の中でもとりわけ群を抜いているように思える。もはや別物といってもいいのかもしれない。この曲には単に官能的というだけでは片づけられない、凄みのようなものがあるような気がするのだ。例えて言うなら、なんだろう・・・夜な夜な枕辺に現れる色情おばけ(なんだそれ)のような・・・。とにかく背筋に戦慄が走るようなコワさを感じるのである。恐るべしヨーコ。アヴァンギャルドすぎるのよね。
「ダブル・ファンタジー」には、ジョンとヨーコの歌が交互に収録されている。聴いた人たちの感想を見ると、ヨーコの歌は後半にまとめてくれとか、ヨーコの歌を飛ばすのが大変ですとかなかなか手厳しいものもあるが、個人的にはこのアルバムに入っているヨーコの曲はそんなに悪くもないんでないかなーと思っている。特にこの「Yes, I'm Your Angel」なんか好きである。それこそジェーン・バーキンっぽい、かわいらしい感じの歌だ。「Kiss Kiss Kiss」は自粛して、こっちをご紹介しとこ
とりあえず今日はこのへんで失礼させていただきます。
追伸:「Kiss Kiss Kiss」は、ヘッドホンで聴くとよりすさまじい・・・。
2018年08月27日
お前にマラリア
今年の夏は異常に暑い。先日いったんおさまったかに見えた暑さがここにきてまた復活した。8月も終わりに近づいたが、今朝の天気予報によると、どうやらまだまだこの猛暑はおさまる気配がなさそうだ。私の住んでいる地域では、今日も外気温は35℃近くまで昇っている。たまらない。こうも暑いとさすがの蚊も弱って活動できなくなると聞いた。言われてみればたしかに、今年の夏はあまり蚊に刺されていないような気もするが、この時期、蚊といえば思い出す歌がある。
沖田浩之の「お前にマラリア」である。
しかしマラリアってあなた・・・
こんな曲名をつけるなんて、マラリアが人類50万年の敵だと知ってのことかしら・・・
やれコンプライアンスだ何だと、どんどん表現の自由が狭められていっているような気がする昨今では、もうちょっとありえないかもしれんという感じの攻めの効いたタイトルの曲だが、気がつけばもう35年も前に世に出た歌である。いかに昭和という時代が自由と寛容の時代であったかを改めて痛感させられるわけなのだが、それにしてもどうなのこのおもいっきり制作費削られてる感じの「お前にマラリア」のレコードジャケットは!まるでうちの近所の個人スーパーのチラシである。
「お前にマラリア」のレコードジャケット (Googleの画像検索結果先へリンクします)
少し調べてみたところによると、「お前にマラリア」は、オリコン最高位80位以下、売上枚数0.7万枚と数字的にはまるで振るっていない。元竹の子族だとか、金八先生のドラマではちょっと悪カッコいい役で人気を博したりと、沖田浩之のデビューは今思い返してもなかなか華々しいものであったし、その後も随所でそれなりに存在感を示していたと思うのだが、思いのほかレコードは売れていなかったようだ。たしかに「ザ・ベストテン」など歌のランキング番組でお目にかかることはほどんどなかった気がするが、正直ここまでとは思っていなかった。「お前にマラリア」のリリースは1983年。次作として同年に、当時大人気アニメだった「キャプテン翼」関連のシングルを出しているが、意外なことにこれも不発だった模様。(エンディングテーマの「 冬のライオン 」はなにげに名曲だったと思うのだが)そして翌84年には、デビューからわずか3年足らずで早くも歌手活動にピリオドを打ち、俳優業の方へと本格転身している。数字的なことだけで追うと、彼の歌手としてのピーク期間はデビュー曲の「E気持」を頂点に、一年ももたずして終焉を迎えていたようだ。たしかに彼の歌は♪アハハンおほほん♪(おほほんはないな)と、ヒットを飛ばすにはいささかハードル高めの、ちょっとセクシーでキワモノ的な曲が多かった気がするが、この人には他のアイドルとは一線を画すような個性とルックス的な魅力があったし、なにより声が艶っぽくてよかった。そう思うとこの歌手としてのあまりに早い上がりはなんだかもったいなかったような気もする。
あのやっつけ仕事臭プンプンのチープなデザインのレコードジャケットから類推するに、「お前にマラリア」をリリースするころには、彼自身も周囲もすでに歌の方にはある程度見切りをつけていたのかもしれないなどと今さらながら思ったりもするが、だけどこの「お前にマラリア」、けして悪くない曲だったと思うんである。
音楽のジャンルだとかリズムの種別的なことはあまり詳しくないので、こういう感じの曲がなんというジャンルの音楽にあてはまるのかよくわからないのだけれども、曲調的には、中森明菜の「TATOO」の遠い親戚みたいな感じの曲である。古き良き時代の音楽というか…。ロカビリーっぽいとでもいうのかな。
「お前にアツアツ」とか「赤道直下のアイラブユー」だとか、歌詞は十二分に”昭和”なのだが、聞いているうちに言い知れぬ中毒性を伴ってくるというか、思わず繰り返し聴きたくなってしまう魅力がある。特にこの暑い時期にはぴったりである。
「お前にマラリア」もかなりインパクトがあったが、沖田浩之といえば思い出すのが、いがぐり頭でバラエティ番組のお色気どっきりにまんまとひっかかっていた姿と、あと、宇野千代さんのエッセイに登場する彼の姿だ。そのころの沖田浩之は、20歳以上も年の離れたある女優さんと恋仲なのでは?とかなり噂になっていたが、その女優さんとなかよしだったという宇野さんのもとに、その渦中の二人がともに連れ立って訪ねてきた時の話がそのエッセイ本に書かれているのだ。そのとき沖田浩之は、まだ二十歳そこそこの青年だったらしいのだが、そんな若者にはめずらしく彼は(私の記憶が正しければたしか)白地の着物姿といういでたちでさっそうと現れ、宇野さんを驚かせたのだという。それはそれは水も滴るようないい男ぶりだったらしく、Y(女優さんの名前)でなくとも私がほれてまうわ!的なことが書かれていて、もうずいぶん前に読んだ本だけれども、この話の部分だけがやたら印象に残っている。たしかに沖田浩之はタッパもあったし、江戸のちょいワルな遊び人役が似合いそうな和テイストのきりっとした顔立ちをしていたので、なるほど着物姿はかなりさまになっていたかもしれない。宇野さんは彼の美しさを「美丈夫」という言葉でもって表現していた。今生きていたらどんな感じになっていたのかなと時々思う。
「お前にマラリア」のことだけを書くつもりが、ぐだぐだと色々書き連ねてすっかり長くなってしまった。これも猛暑のせいか?まあそういうことにして、この異常な暑さを好きな音楽でも聴きながら、元気にやり過ごしたいと思う。
沖田浩之の「お前にマラリア」である。
しかしマラリアってあなた・・・
こんな曲名をつけるなんて、マラリアが人類50万年の敵だと知ってのことかしら・・・
やれコンプライアンスだ何だと、どんどん表現の自由が狭められていっているような気がする昨今では、もうちょっとありえないかもしれんという感じの攻めの効いたタイトルの曲だが、気がつけばもう35年も前に世に出た歌である。いかに昭和という時代が自由と寛容の時代であったかを改めて痛感させられるわけなのだが、それにしてもどうなのこのおもいっきり制作費削られてる感じの「お前にマラリア」のレコードジャケットは!まるでうちの近所の個人スーパーのチラシである。
「お前にマラリア」のレコードジャケット (Googleの画像検索結果先へリンクします)
少し調べてみたところによると、「お前にマラリア」は、オリコン最高位80位以下、売上枚数0.7万枚と数字的にはまるで振るっていない。元竹の子族だとか、金八先生のドラマではちょっと悪カッコいい役で人気を博したりと、沖田浩之のデビューは今思い返してもなかなか華々しいものであったし、その後も随所でそれなりに存在感を示していたと思うのだが、思いのほかレコードは売れていなかったようだ。たしかに「ザ・ベストテン」など歌のランキング番組でお目にかかることはほどんどなかった気がするが、正直ここまでとは思っていなかった。「お前にマラリア」のリリースは1983年。次作として同年に、当時大人気アニメだった「キャプテン翼」関連のシングルを出しているが、意外なことにこれも不発だった模様。(エンディングテーマの「 冬のライオン 」はなにげに名曲だったと思うのだが)そして翌84年には、デビューからわずか3年足らずで早くも歌手活動にピリオドを打ち、俳優業の方へと本格転身している。数字的なことだけで追うと、彼の歌手としてのピーク期間はデビュー曲の「E気持」を頂点に、一年ももたずして終焉を迎えていたようだ。たしかに彼の歌は♪アハハンおほほん♪(おほほんはないな)と、ヒットを飛ばすにはいささかハードル高めの、ちょっとセクシーでキワモノ的な曲が多かった気がするが、この人には他のアイドルとは一線を画すような個性とルックス的な魅力があったし、なにより声が艶っぽくてよかった。そう思うとこの歌手としてのあまりに早い上がりはなんだかもったいなかったような気もする。
あのやっつけ仕事臭プンプンのチープなデザインのレコードジャケットから類推するに、「お前にマラリア」をリリースするころには、彼自身も周囲もすでに歌の方にはある程度見切りをつけていたのかもしれないなどと今さらながら思ったりもするが、だけどこの「お前にマラリア」、けして悪くない曲だったと思うんである。
音楽のジャンルだとかリズムの種別的なことはあまり詳しくないので、こういう感じの曲がなんというジャンルの音楽にあてはまるのかよくわからないのだけれども、曲調的には、中森明菜の「TATOO」の遠い親戚みたいな感じの曲である。古き良き時代の音楽というか…。ロカビリーっぽいとでもいうのかな。
「お前にアツアツ」とか「赤道直下のアイラブユー」だとか、歌詞は十二分に”昭和”なのだが、聞いているうちに言い知れぬ中毒性を伴ってくるというか、思わず繰り返し聴きたくなってしまう魅力がある。特にこの暑い時期にはぴったりである。
「お前にマラリア」もかなりインパクトがあったが、沖田浩之といえば思い出すのが、いがぐり頭でバラエティ番組のお色気どっきりにまんまとひっかかっていた姿と、あと、宇野千代さんのエッセイに登場する彼の姿だ。そのころの沖田浩之は、20歳以上も年の離れたある女優さんと恋仲なのでは?とかなり噂になっていたが、その女優さんとなかよしだったという宇野さんのもとに、その渦中の二人がともに連れ立って訪ねてきた時の話がそのエッセイ本に書かれているのだ。そのとき沖田浩之は、まだ二十歳そこそこの青年だったらしいのだが、そんな若者にはめずらしく彼は(私の記憶が正しければたしか)白地の着物姿といういでたちでさっそうと現れ、宇野さんを驚かせたのだという。それはそれは水も滴るようないい男ぶりだったらしく、Y(女優さんの名前)でなくとも私がほれてまうわ!的なことが書かれていて、もうずいぶん前に読んだ本だけれども、この話の部分だけがやたら印象に残っている。たしかに沖田浩之はタッパもあったし、江戸のちょいワルな遊び人役が似合いそうな和テイストのきりっとした顔立ちをしていたので、なるほど着物姿はかなりさまになっていたかもしれない。宇野さんは彼の美しさを「美丈夫」という言葉でもって表現していた。今生きていたらどんな感じになっていたのかなと時々思う。
「お前にマラリア」のことだけを書くつもりが、ぐだぐだと色々書き連ねてすっかり長くなってしまった。これも猛暑のせいか?まあそういうことにして、この異常な暑さを好きな音楽でも聴きながら、元気にやり過ごしたいと思う。
2018年07月15日
「愛で殺したい」と「私の彼」
先日テレビのチャンネルをザッピングしていて、おもしろそうな番組を見つけた。
クリス松村氏司会の「 ミュージックモア 今夜、僕たちはきっと音楽を聴く 」(TOKYO MX)という番組である。
新旧とり混ぜながら良い音楽を紹介する番組らしい。
なんでも今月始まったばかりの新番組らしくて私が見たのはその第一回目だったのだが、ゲストがコーラスグループの「サーカス」だった。
でもって最初にかかった曲が「愛で殺したい」だった。あらー!この曲がTVで聴けるなんてめずらしい。さすがクリス松村。さすがMXテレビ。
【中古レコード】サーカス/愛で殺したい[EPレコード 7inch] @楽天
サーカスの代表曲といえば「Mr.サマータイム 」だが、「愛で殺したい」はその次に出たシングル曲で、「Mr.サマータイム」ももちろん良い曲なのだけど、私は個人的にこの「愛で殺したい」と、さらにその次に出た「アムール」という曲が好きだった。もののついでに言うとあと、「 星と夢のサンバ 」というサーカスがNHKのみんなのうたで歌っていた曲も子どもの頃大好きだったのだが、残念ながらレアすぎるみたいで今聴くのはなかなか難しいみたいだ。再放送してくれないかしら。
さて「愛で殺したい」だが、「Mr.サマータイム」に続き、この曲もフランスのミシェル・フーガンというアーティストの曲のカバーだったようで、原曲のタイトルは「Chante...Comme Si Tu Devais Mourir Demain」というらしい。昔ちょこっとかじったフランス語を思い出して直訳してみたのだが「あたかも明日死なねばならないかのごとく歌え」という感じの意味になるようだ。すごいタイトルだな。
ともかくこの曲に「愛で殺したい」というタイトルがつき、なかにし礼さんによる日本語の詞でサーカスが歌った。耳心地の良いメロディラインとサンバアレンジが魅力のカッコいい曲だ。原曲は「歌え人生を歌え明日死ぬぐらいの気持ちでとにもかくにも歌え」的な、なにかずいぶんとメッセージ性の強そうな歌になってるが、「愛で殺したい」は一転して、男女のむにゃむにゃを思わせるような、大人の愛の歌になっている。
サーカスの「愛で殺したい」歌詞ページ
さすがなかにし礼先生という感じの色っぽい歌詞だが、歌い方ひとつで品のない艶曲にもなりかねないようなこの難曲を、サーカスの皆様が、持ち前の品の良さと抜群のコーラスワークでサラリと歌いこなしている。しかもこんな曲を身内同士で歌ってのけるだからすごいと思う。私にも男兄弟がいるが、この曲を自分の家族で歌っている絵面を想像しただけで背筋が凍ってしまう。やっぱりプロフェッショナルになれる人たちというのはなれるべくしてなってるのだな。ここぞというときの肝の据わり方が違う気がする。
この原曲の「Chante...Comme Si Tu Devais Mourir Demain」という曲は、特に本国フランスではずいぶん人気があるようで、ポール・モーリアをはじめ、ずいぶんいろんな人がカバーしているみたいだ。最近でもKids Unitedというフランスの子どものコーラスグループまでがカバーしているようなのだが(これはYouTubeに公式の動画があったのでご参考までにリンク先を載せておきます Kids United - Chante (Love Michel Fugain) (Clip officiel) )、日本でもサーカスの他にもう一人別な方がカバーしている。しばたはつみさんである。曲のタイトルは「私の彼」。
画像出典: しばたはつみ* – 濡れた情熱 @discogs
「私の彼」はシングル曲「濡れた情熱」のカップリング曲として1975年に発表されている。私はこの曲の存在をずいぶん後になってから知ったのだが、サーカスの「愛で殺したい」が1978年の発表だから、しばたはつみさんの方が3年も早かったようだ。そして「私の彼」もまた「愛で殺したい」と同様、なかにし礼さんが日本語詞を担当しているのだけれど、この歌詞がすごいんである。
しばたはつみの「私の彼」歌詞ページ @JOYSOUND
とんでもないDV男登場!最初聴いたときは笑ってしまった。もう、なかにし礼バンザイという感じである。思わずコミックソングなのかと思ってしまったぐらいだったが、しばたはつみさんの歌唱力や曲のアレンジがすばらしいので聴いてるうちになんだかクセになってきて、繰り返し聴きたくなる魅力がある。
amazonではPrime Music 対象曲(2018年7月現在): 私の彼 @Amazon
残念ながらしばたはつみさんはお亡くなりになってしまったが、サーカスは今年結成40周年でますます精力的に活躍しているようだ。前出の番組によると、今秋には新旧メンバーそろい踏みでのライブも予定されているらしい。「愛で殺したい」も歌ってくれたりするのかしら。これからも末永く歌い続けていただきたいと思う。
クリス松村氏司会の「 ミュージックモア 今夜、僕たちはきっと音楽を聴く 」(TOKYO MX)という番組である。
新旧とり混ぜながら良い音楽を紹介する番組らしい。
なんでも今月始まったばかりの新番組らしくて私が見たのはその第一回目だったのだが、ゲストがコーラスグループの「サーカス」だった。
でもって最初にかかった曲が「愛で殺したい」だった。あらー!この曲がTVで聴けるなんてめずらしい。さすがクリス松村。さすがMXテレビ。
【中古レコード】サーカス/愛で殺したい[EPレコード 7inch] @楽天
サーカスの代表曲といえば「Mr.サマータイム 」だが、「愛で殺したい」はその次に出たシングル曲で、「Mr.サマータイム」ももちろん良い曲なのだけど、私は個人的にこの「愛で殺したい」と、さらにその次に出た「アムール」という曲が好きだった。もののついでに言うとあと、「 星と夢のサンバ 」というサーカスがNHKのみんなのうたで歌っていた曲も子どもの頃大好きだったのだが、残念ながらレアすぎるみたいで今聴くのはなかなか難しいみたいだ。再放送してくれないかしら。
さて「愛で殺したい」だが、「Mr.サマータイム」に続き、この曲もフランスのミシェル・フーガンというアーティストの曲のカバーだったようで、原曲のタイトルは「Chante...Comme Si Tu Devais Mourir Demain」というらしい。昔ちょこっとかじったフランス語を思い出して直訳してみたのだが「あたかも明日死なねばならないかのごとく歌え」という感じの意味になるようだ。すごいタイトルだな。
ともかくこの曲に「愛で殺したい」というタイトルがつき、なかにし礼さんによる日本語の詞でサーカスが歌った。耳心地の良いメロディラインとサンバアレンジが魅力のカッコいい曲だ。原曲は「歌え人生を歌え明日死ぬぐらいの気持ちでとにもかくにも歌え」的な、なにかずいぶんとメッセージ性の強そうな歌になってるが、「愛で殺したい」は一転して、男女のむにゃむにゃを思わせるような、大人の愛の歌になっている。
サーカスの「愛で殺したい」歌詞ページ
さすがなかにし礼先生という感じの色っぽい歌詞だが、歌い方ひとつで品のない艶曲にもなりかねないようなこの難曲を、サーカスの皆様が、持ち前の品の良さと抜群のコーラスワークでサラリと歌いこなしている。しかもこんな曲を身内同士で歌ってのけるだからすごいと思う。私にも男兄弟がいるが、この曲を自分の家族で歌っている絵面を想像しただけで背筋が凍ってしまう。やっぱりプロフェッショナルになれる人たちというのはなれるべくしてなってるのだな。ここぞというときの肝の据わり方が違う気がする。
この原曲の「Chante...Comme Si Tu Devais Mourir Demain」という曲は、特に本国フランスではずいぶん人気があるようで、ポール・モーリアをはじめ、ずいぶんいろんな人がカバーしているみたいだ。最近でもKids Unitedというフランスの子どものコーラスグループまでがカバーしているようなのだが(これはYouTubeに公式の動画があったのでご参考までにリンク先を載せておきます Kids United - Chante (Love Michel Fugain) (Clip officiel) )、日本でもサーカスの他にもう一人別な方がカバーしている。しばたはつみさんである。曲のタイトルは「私の彼」。
画像出典: しばたはつみ* – 濡れた情熱 @discogs
「私の彼」はシングル曲「濡れた情熱」のカップリング曲として1975年に発表されている。私はこの曲の存在をずいぶん後になってから知ったのだが、サーカスの「愛で殺したい」が1978年の発表だから、しばたはつみさんの方が3年も早かったようだ。そして「私の彼」もまた「愛で殺したい」と同様、なかにし礼さんが日本語詞を担当しているのだけれど、この歌詞がすごいんである。
しばたはつみの「私の彼」歌詞ページ @JOYSOUND
とんでもないDV男登場!最初聴いたときは笑ってしまった。もう、なかにし礼バンザイという感じである。思わずコミックソングなのかと思ってしまったぐらいだったが、しばたはつみさんの歌唱力や曲のアレンジがすばらしいので聴いてるうちになんだかクセになってきて、繰り返し聴きたくなる魅力がある。
amazonではPrime Music 対象曲(2018年7月現在): 私の彼 @Amazon
残念ながらしばたはつみさんはお亡くなりになってしまったが、サーカスは今年結成40周年でますます精力的に活躍しているようだ。前出の番組によると、今秋には新旧メンバーそろい踏みでのライブも予定されているらしい。「愛で殺したい」も歌ってくれたりするのかしら。これからも末永く歌い続けていただきたいと思う。
2018年04月15日
化粧品のCMソングを調べて聴いてみた【'75〜'77】編
懐かしさからつい思いつきで始めてしまった企画でございます。
が、いざ始めてみると「調べて、聴く」は意外と骨の折れる作業で、正直心まで折れかけました。
でも乗りかかった舟なので、とりあえずいけるところまでいってみることにしました。
それではさっそく70年代からスタートです。
曲の批評・解説等ではございません。あくまでもボヤキにも近い個人的感想です。なにとぞご容赦くださいませ。
りりィ 「春早朝」(1975)
資生堂 '75 春 キャンペーンソング
1975年発表シングル「しあわせさがし」のカップリング曲。
ワルツ調の陽気なシャンソン風の歌。
CMのキャッチコピーは「彼女はフレッシュジュース」だったようですが、フレッシュジュースというよりは、常温の赤玉パンチといった風情。ポップな場末感がたまりません。
アラン・シャンフォー 「ボンジュールお目、目さん。」(1975)
カネボウ '75秋 キャンペーンソング
ソフトロック調のさわやかな曲。アラン・シャンフォーという、なかなかイケメンなフレンチお兄さんが歌ってます。日本語カバーありでこちらを歌うは伊丹幸雄。サチオバージョンは、シュビドゥビパヤパヤと前半はほぼスキャットです。
りりィ 「オレンジ村から春へ」(1976)
資生堂 '76 春 キャンペーンソング
1976年発表のシングル「家へおいでよ」のカップリング曲。
75年春に続き再びりりィが登場。前年のシャンソンっぽい曲から一転して今度は田舎道をドライブしているような陽気なカントリー調の曲に。「オレンジ」とか「春」とかいうさわやかイメージとはおよそ無縁そうなりりィ様のしゃがれ声と、コンサバの雄「資生堂」という一見相容れないような異色の組み合わせがおもしろいです。
デイヴ 「ギンザ・レッド・ウィ・ウィ」(1976)
カネボウ '76 春 キャンペーンソング
ギンザといえば資生堂かと思いきやカネボウのCMソングでした。デイブというマイケル・J・フォックスみたいな外国人シンガーが歌ってます(オランダ生まれのフランスのシンガーとのこと)。歌詞はフランス語ですが、作曲、アレンジは日本人スタッフのに手による”和製フレンチポップス”とのこと。個人的には岩崎良美さまあたりにカバーしていただきたい雰囲気です。
ゴダイゴ 「僕のサラダガール」(1976)
カネボウ '76 夏 キャンペーンソング
ゴダイゴのデビュー曲。
全詞英語の正統派さわやかロックという感じの曲。サビの”SaladaGirl"の連呼が印象的です。
小椋 佳 「揺れるまなざし」(1976)
資生堂 '76 秋 キャンペーンソング
詞、メロディともに美しい情感あふれる曲です。このあたりのCMソングの雰囲気からいよいよ私が勝手に思っている「ザ・資生堂」のイメージに近づいてきた感じです。
グラシエラ・スサーナ 「黒い瞳はお好き?」(1976)
カネボウ '76 秋 キャンペーンソング
カネボウからは今度はアルゼンチンの歌姫が登場!ですが、日本語で歌ってます。と思いきや、またまた「ジュテーム!」とか叫びだしたヨ。なぜかフレンチ路線をひた走るカネボウ。晩秋を思わせるような物悲しい曲です。ちょっぴり演歌風。
尾崎亜美 「マイ・ピュア・レディ」(1977)
資生堂 ’77 春 キャンペーンソング
私的に春といえば真っ先に矢野顕子の「春先小紅」とこの曲が思い浮かぶ。小林麻美出演の名作CMとともに文句なしの名曲でございます。
ジュリー・バタイユ「シャンテ・シャンテ・ピンキッシュ」(1977)
カネボウ '77春 キャンペ−ンソング
カネボウはまたまたフランス語の曲です。ジュリー・バタイユという当時のフランスのアイドルらしき方が歌ってます。フランス・ギャルとかの系統か?日本人好みなメロディラインの、春らしくて明るい曲。
ダウン・タウン・ブキウギ・バンド 「サクセス」(1977)
資生堂 '77夏 キャンペ−ンソング
ラテンフレーバーのカッコいい曲です。
ティナ・チャールズ 「Oh!クッキーフェイス」(1977)
カネボウ '77夏 キャンペ−ンソング
夏目雅子さんの出世作で有名なCM。CM曲はティナ・チャールズというイギリスのディスコ・クイーンが歌ってます。太陽ギラギラ、海真っ青。真夏全快といった感じです。夏目雅子さんによる日本語バージョンもありますがこちらはまたオリジナルとは違った味わいです。ボーカルはちょっとハラハラします笑
新井 満「ワインカラーのときめき」(1977)
カネボウ '77 秋 キャンペ−ンソング
昔のドラマのエンディングテーマっぽい感じ。「都会の夜から夕方」という雰囲気です。新井満さんはどこかで見覚えのあるお名前と思ったら、「千の風になって」の作曲者の方でした。
タグ: CMソング
2018年01月16日
ゆう子でREIKOを思い出す
新年早々、巷を駆け巡った「浅野ゆう子結婚」という実におめでたいニュース。
浅野ゆう子様といえば、40代の私が物心ついたころからすでに芸能界で活躍されているお方だが、今でこそ飾らない自然な雰囲気が魅力な彼女も、私が子供の頃は、どちらかといえばケバケバしいイメージの方だった。「沖縄サンバ」とかいう曲を歌っていたころだったろうか。見た目もなんというか、殿方が鼻血を出して喜びそうな類の雰囲気の方であったし、話し方も、海外生活が長い人が日本語をちょっと忘れてしまった風な喋り方をするので、股下1メートルともいわれた超絶プロポーションも手伝って、子ども心に「この人外国の人なんかな?」と思っていたこともあった。
そういうわけだったので、後年のゆう子様におとずれた、ナチュラル系の急先鋒のようなかたちでの唐突な大ブレイクのしかたは、個人的にはちょっとした驚きであった。「トレンディドラマの女王」と呼ばれ、'90年前後のあたりは、浅野温子、田中美佐子などと並んでドラマに出ずっぱりだったように思う。その出演作品は枚挙に暇がないほどだが、なかでもやはり代表格なのが、浅野温子との「W浅野」共演で話題となったドラマ 「抱きしめたい!」 だろう。今回の結婚の報道時も、この「抱きしめたい!」の過去映像が幾度となく映し出されていた。そしてその懐かしい映像とともに流れていたのが、これまた懐かしいこのドラマの主題歌、カルロス・トシキ&オメガトライブの「アクアマリンのままでいて」である。
「カルロス・トシキ&オメガトライブ」は、前身バンドの「杉山清貴&オメガトライブ」解散後、その後を引き継ぐようなかたちで、ブラジル生まれの日系3世、カルロス・トシキを新たなメインボーカルに迎え「新生オメガトライブ」として誕生したバンドだった。もっとも、デビュー時のバンド名は、その誕生年にちなんだらしく「1986オメガトライブ」であった。後になぎら健壱風のギタリストが脱退したのを機に、何かどさくさにまぎれるようなかっこうで「カルロス・トシキ&オメガトライブ」と名前が変わる。
「アクアマリンのままでいて」は、その改名後に、第2弾シングルとして発表された曲だった。この頃には一頃の熱を帯びたような人気も一段落した感じで、もはやピークは過ぎたかのような印象も正直否めなかったが、この曲で再び機運を盛り返したような感があった。それにしても、今改めて聴いても、文句なしの良曲である。大好きだ。
この曲が発売になったのが、ちょうど30年前の1988年夏。実はこの頃に、バンドには一つの新しい動きがあった。新メンバー、サイドボーカル担当のジョイ・マッコイの加入である。
ベストアルバム 1986オメガトライブ/カルロス・トシキ&オメガトライブ スーパーベスト・コレクション WQCQ-159 より。右から2番目がジョイ・マッコイ。
これには驚いた。ジョイ・マッコイは、その直前まで、杏里のサポートメンバーをつとめていた人物だったからだ。この頃の杏里は、男女2人から成るコーラスをサイドにしたがえ、3人で揃いのステップを踏みながら楽曲を歌うというスタイルが定番だったが、そのコーラスの一人がジョイ・マッコイだった。曲でいえば、ちょうど杏里が「HAPPY ENDでふられたい」をスマッシュヒットさせていた頃である。しかも彼の才能は歌だけにとどまらず、ダンスも踊れば、「LAST PICTURE SHOW」という英語詞の曲では、訳詞も担当。杏里が1987年に発表したアルバム「SUMMER FAREWELLS」では、なんと3曲も作曲で参加しており、どれもなかなかの秀曲である。
SUMMER FAREWELLS (杏里)
1987年発表の、杏里の通算11枚目のオリジナル・アルバム
センスの良いジャケット写真が印象的で、思わずジャケ買いしたくなる一枚だが、中身も期待を裏切らない。
完成度の高い楽曲が並ぶ、おすすめのアルバム
そんなわけで、当時のジョイ・マッコイのいきなりの華麗なる転身は、個人的にはかなりびっくりな出来事だったが、今思い返せば、このころ「笑っていいとも」のテレフォンショッキングに登場した杏里が、自分の次に、お友達としてカルロス・トシキを紹介していたりしたので、当時、双方にはそれなりの交流があったのだろうと思われる。そういえば、カルロスが「アクアマリンのままでいて」の歌い出しで見せるステップは、杏里が歌う際に多用していた、左右に動くステップとよく似ていた。今思えば、両者ともジョイ・マッコイのダンスの影響を多分に受けていたのかもしれない。
オメガトライブの正式メンバーとなり、さっそく伸びやかなコーラスを披露していたジョイ・マッコイ。しかし、これだけで驚いてはいられなかった。このあと最大の珍事が起こる。
1988年秋、「アクアマリンのままでいて」に次ぐシングル曲として、ある楽曲が発表される。
タイトルは「REIKO」。今までの都会的なAOR寄りのサウンドとは趣を異にした、ブラックミュージック色の濃い曲だった。
しかし、この「REIKO」がちょっとスゴすぎた。
なんとこの曲でリードボーカルをとったのは、新メンバーのジョイ・マッコイ。デビュー以来、ずっとメインをはってきたカルロスが後ろに下がったのである。しかも、ギターのようでギターじゃない、なんかヘンな楽器持って・・・。私の中ではまごうことなき「珍曲」の一曲である。
いったいどうしてこんな事態になったのか。今思えば、この1988年という年は、その前年にマイケル・ジャクソンがソロでの初来日を果たして大いに盛り上がった年だったし、久保田利伸が大ブレイクした年でもあった。明らかにブラックミュージックに対する注目が高まりつつあった時期で、邪推だが、どうもその時勢に乗っかろうとしていたのではないかと思われる。
マイケル・ジャクソンばりのダンスを披露しながら、流暢な日本語を駆使し、歌い踊るジョイ・マッコイ。歌も踊りも上手だし、曲もサウンド自体は決して悪くない。しかしこの「REIKO」という曲、歌詞が圧倒的にヘンな歌だった。
歌い出しが「Reiko 柳腰のファンキーガール」である。
柳腰…。私の中では、美空ひばりや春日八郎の歌でしかお目にかからないようなイメージの言葉である。(よく考えたら桑田佳祐とかも使いそうだ)美人を形容する美しい日本語であることには違いない。しかし、オメガトライブの曲の世界観にはどうにもそぐわない言葉であった。この曲に対する言い知れぬ違和感はそればかりではなかったが、結局、この「REIKO」はあまりヒットしなかったようで、バンド人気も、この曲を境に徐々に凋落。1991年に「カルロス・トシキ&オメガトライブ」は解散する。この年は私がちょうど、進学を機に地方から上京をはたした年であったが、上京後にさっそく遊びに出かけた都心の某所で、偶然目撃した記念すべき有名人第一号が、カルロス・トシキであった。カルロスは、ギラギラ芸能人オーラを発するでもなく、かといって、全く華がないわけでもなく、自然な雰囲気で街の風景にとけこんでいた。オメガトライブが解散し、彼の姿をメディアで見かけることはほとんどなくなっていた頃だったので、なんだか妙に感慨深かったのを覚えている。
あれからかなりの時が経った。
浅野ゆう子様は、変わらず安定の女優人生を歩まれ、今年めでたく結婚。カルロスは、祖国ブラジルに帰って農業家に転身し、にんにく栽培のエキスパートとして、何やら大成功しているとか。そして気になるジョイ・マッコイだが・・・。オメガトライブ解散後の動向がほとんど不明である。B'zのコンサートに参加していたらしい…という話もあるが、もうすでに音楽の世界から身を引いているとするなら、なにか器用貧乏に終わってしまった人のような気がしてしょうがない。どこかで元気に、願わくばまだ音楽やっていることを祈るばかりである。
オメガトライブ・ヒストリー: グッドバイ・オメガトライブ 1983-1991
杉山時代とカルロス時代のオメガトライブの代表曲が一度に楽しめる、お得感のあるベストアルバム。「REIKO」は英語バージョンのみ収録。
浅野ゆう子様といえば、40代の私が物心ついたころからすでに芸能界で活躍されているお方だが、今でこそ飾らない自然な雰囲気が魅力な彼女も、私が子供の頃は、どちらかといえばケバケバしいイメージの方だった。「沖縄サンバ」とかいう曲を歌っていたころだったろうか。見た目もなんというか、殿方が鼻血を出して喜びそうな類の雰囲気の方であったし、話し方も、海外生活が長い人が日本語をちょっと忘れてしまった風な喋り方をするので、股下1メートルともいわれた超絶プロポーションも手伝って、子ども心に「この人外国の人なんかな?」と思っていたこともあった。
そういうわけだったので、後年のゆう子様におとずれた、ナチュラル系の急先鋒のようなかたちでの唐突な大ブレイクのしかたは、個人的にはちょっとした驚きであった。「トレンディドラマの女王」と呼ばれ、'90年前後のあたりは、浅野温子、田中美佐子などと並んでドラマに出ずっぱりだったように思う。その出演作品は枚挙に暇がないほどだが、なかでもやはり代表格なのが、浅野温子との「W浅野」共演で話題となったドラマ 「抱きしめたい!」 だろう。今回の結婚の報道時も、この「抱きしめたい!」の過去映像が幾度となく映し出されていた。そしてその懐かしい映像とともに流れていたのが、これまた懐かしいこのドラマの主題歌、カルロス・トシキ&オメガトライブの「アクアマリンのままでいて」である。
「カルロス・トシキ&オメガトライブ」は、前身バンドの「杉山清貴&オメガトライブ」解散後、その後を引き継ぐようなかたちで、ブラジル生まれの日系3世、カルロス・トシキを新たなメインボーカルに迎え「新生オメガトライブ」として誕生したバンドだった。もっとも、デビュー時のバンド名は、その誕生年にちなんだらしく「1986オメガトライブ」であった。後になぎら健壱風のギタリストが脱退したのを機に、何かどさくさにまぎれるようなかっこうで「カルロス・トシキ&オメガトライブ」と名前が変わる。
「アクアマリンのままでいて」は、その改名後に、第2弾シングルとして発表された曲だった。この頃には一頃の熱を帯びたような人気も一段落した感じで、もはやピークは過ぎたかのような印象も正直否めなかったが、この曲で再び機運を盛り返したような感があった。それにしても、今改めて聴いても、文句なしの良曲である。大好きだ。
この曲が発売になったのが、ちょうど30年前の1988年夏。実はこの頃に、バンドには一つの新しい動きがあった。新メンバー、サイドボーカル担当のジョイ・マッコイの加入である。
ベストアルバム 1986オメガトライブ/カルロス・トシキ&オメガトライブ スーパーベスト・コレクション WQCQ-159 より。右から2番目がジョイ・マッコイ。
これには驚いた。ジョイ・マッコイは、その直前まで、杏里のサポートメンバーをつとめていた人物だったからだ。この頃の杏里は、男女2人から成るコーラスをサイドにしたがえ、3人で揃いのステップを踏みながら楽曲を歌うというスタイルが定番だったが、そのコーラスの一人がジョイ・マッコイだった。曲でいえば、ちょうど杏里が「HAPPY ENDでふられたい」をスマッシュヒットさせていた頃である。しかも彼の才能は歌だけにとどまらず、ダンスも踊れば、「LAST PICTURE SHOW」という英語詞の曲では、訳詞も担当。杏里が1987年に発表したアルバム「SUMMER FAREWELLS」では、なんと3曲も作曲で参加しており、どれもなかなかの秀曲である。
SUMMER FAREWELLS (杏里)
1987年発表の、杏里の通算11枚目のオリジナル・アルバム
センスの良いジャケット写真が印象的で、思わずジャケ買いしたくなる一枚だが、中身も期待を裏切らない。
完成度の高い楽曲が並ぶ、おすすめのアルバム
そんなわけで、当時のジョイ・マッコイのいきなりの華麗なる転身は、個人的にはかなりびっくりな出来事だったが、今思い返せば、このころ「笑っていいとも」のテレフォンショッキングに登場した杏里が、自分の次に、お友達としてカルロス・トシキを紹介していたりしたので、当時、双方にはそれなりの交流があったのだろうと思われる。そういえば、カルロスが「アクアマリンのままでいて」の歌い出しで見せるステップは、杏里が歌う際に多用していた、左右に動くステップとよく似ていた。今思えば、両者ともジョイ・マッコイのダンスの影響を多分に受けていたのかもしれない。
オメガトライブの正式メンバーとなり、さっそく伸びやかなコーラスを披露していたジョイ・マッコイ。しかし、これだけで驚いてはいられなかった。このあと最大の珍事が起こる。
1988年秋、「アクアマリンのままでいて」に次ぐシングル曲として、ある楽曲が発表される。
タイトルは「REIKO」。今までの都会的なAOR寄りのサウンドとは趣を異にした、ブラックミュージック色の濃い曲だった。
しかし、この「REIKO」がちょっとスゴすぎた。
なんとこの曲でリードボーカルをとったのは、新メンバーのジョイ・マッコイ。デビュー以来、ずっとメインをはってきたカルロスが後ろに下がったのである。しかも、ギターのようでギターじゃない、なんかヘンな楽器持って・・・。私の中ではまごうことなき「珍曲」の一曲である。
いったいどうしてこんな事態になったのか。今思えば、この1988年という年は、その前年にマイケル・ジャクソンがソロでの初来日を果たして大いに盛り上がった年だったし、久保田利伸が大ブレイクした年でもあった。明らかにブラックミュージックに対する注目が高まりつつあった時期で、邪推だが、どうもその時勢に乗っかろうとしていたのではないかと思われる。
マイケル・ジャクソンばりのダンスを披露しながら、流暢な日本語を駆使し、歌い踊るジョイ・マッコイ。歌も踊りも上手だし、曲もサウンド自体は決して悪くない。しかしこの「REIKO」という曲、歌詞が圧倒的にヘンな歌だった。
歌い出しが「Reiko 柳腰のファンキーガール」である。
柳腰…。私の中では、美空ひばりや春日八郎の歌でしかお目にかからないようなイメージの言葉である。(よく考えたら桑田佳祐とかも使いそうだ)美人を形容する美しい日本語であることには違いない。しかし、オメガトライブの曲の世界観にはどうにもそぐわない言葉であった。この曲に対する言い知れぬ違和感はそればかりではなかったが、結局、この「REIKO」はあまりヒットしなかったようで、バンド人気も、この曲を境に徐々に凋落。1991年に「カルロス・トシキ&オメガトライブ」は解散する。この年は私がちょうど、進学を機に地方から上京をはたした年であったが、上京後にさっそく遊びに出かけた都心の某所で、偶然目撃した記念すべき有名人第一号が、カルロス・トシキであった。カルロスは、ギラギラ芸能人オーラを発するでもなく、かといって、全く華がないわけでもなく、自然な雰囲気で街の風景にとけこんでいた。オメガトライブが解散し、彼の姿をメディアで見かけることはほとんどなくなっていた頃だったので、なんだか妙に感慨深かったのを覚えている。
あれからかなりの時が経った。
浅野ゆう子様は、変わらず安定の女優人生を歩まれ、今年めでたく結婚。カルロスは、祖国ブラジルに帰って農業家に転身し、にんにく栽培のエキスパートとして、何やら大成功しているとか。そして気になるジョイ・マッコイだが・・・。オメガトライブ解散後の動向がほとんど不明である。B'zのコンサートに参加していたらしい…という話もあるが、もうすでに音楽の世界から身を引いているとするなら、なにか器用貧乏に終わってしまった人のような気がしてしょうがない。どこかで元気に、願わくばまだ音楽やっていることを祈るばかりである。
オメガトライブ・ヒストリー: グッドバイ・オメガトライブ 1983-1991
杉山時代とカルロス時代のオメガトライブの代表曲が一度に楽しめる、お得感のあるベストアルバム。「REIKO」は英語バージョンのみ収録。