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O157集団食中毒、発生から20年 堺の小中高校で黙とう!!
夏といえば… バーベキューに…海水浴…潮干狩り…他にもイベントはありますよね。
そもそも…何で7月12日に…O-157の日と決められたのでしょうか…?
学校給食が原因で起きた、堺市の病原性大腸菌O(オー)157による集団食中毒から12日で20年経過しました。市は4年前から12日を「忘れない日」に制定。市立の全小中高校ではこの日、授業の前などに、児童・生徒が犠牲者らに黙?(もくとう)を捧げその供養をした。
1996年7月12日夜、市内の児童が発熱や下痢を訴えては、次々と病院へ運びこまれたのは…記憶に残ってる方もいるとは思います。児童7892人を含む9523人が罹患(りかん)。溶血性尿毒症症候群(HUS)にかかり、女児3人が犠牲になった事は隠しようがない事実…。昨年10月には、小学1年で発症した女性(当時25)が、後遺症が原因の脳出血で亡くなったと報じられてます。
97年2月に1年生女児が亡くなった新檜尾台(しんひのおだい)小(南区)ではこの日午前8時55分、児童約430人が各教室で黙?。6年1組では担任教諭が児童34人に「病院は子どもであふれ、何があったかも分からず、うつるのではと気持ちが 当時はパニック に陥った。堺から来たというだけで一歩引かれた」と言う事実…。
門林(かどばやし)永久校長は4日の「命の尊さを考える集会」で「(女児が)生きていれば今年で27歳になっています」と話し涙ぐんで…とか、当時737人の児童のうち317人が病院に行き、1人が亡くなったと説明。その後、女児を悼むため学校の敷地に植えた高さ約3メートルの「友情の木」に児童がクラスごとに手を合わせた…。
96年7月に5年生女児が亡くなった久世小(中区)も同日朝、約1千人の児童が体育館で黙?。同年8月、6年生女児が亡くなった三原台小(南区)は、市などが午後に開く「追悼と誓いのつどい」の時間にあわせて教室で…黙?する。
市によると、今も20人もの患者が治療や経過観察などを続けている。
と発表した。
確かに…外部から安全と思われている。 食品 で病気で発病し… 怖いですよね。
そう言えば…関西方面では、少し 違った 焼香があり、 止め焼香 (不幸がこれ以上続きませんようにってあるらいです)
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