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2024年02月04日
縄文という世界最古の文明
なぜ1万年も平和が続いた?
今注目される「縄文時代」のナゾ
長く平和が続いたといわれる縄文時代。でも実は意外と尖とがった人たちだった?
貝ばかり食べていたわけじゃない? ナゾにせまろう!
なぜ1万年も平和が続いた? 今注目される「縄文時代」のナゾ
画像提供:一戸町教育委員会
探検たんけんメンバー
隊員はると
ふしぎ探検隊たんけんたいが行くよ!
隊員はると
武藤 康弘先生
この人に聞いたよ
縄文時代にくわしい
武藤むとう 康弘やすひろ先生
もくじ
縄文時代の文化や技術ぎじゅつは世界最先端さいせんたんだった?!
意外と大量生産?! 知られざる縄文時代のリアル
縄文時代を体験できる場所へ行ってみよう!
縄文時代の文化や技術ぎじゅつは世界最先端さいせんたんだった?!
縄文時代って学校も会社もなかったんだよね。みんな毎日何していたの?
狩かりに行ったり、海や川に魚を獲とりに行ったり、木の実をひろいに行ったり、食料の加工をしたり、やじりや編あみカゴを作ったり……いろんなことをしていたよ。
自給自足で、家も道具もぜんぶ手作り? そんな暮くらしに憧あこがれるな〜。狩かりはちょっと怖こわそうだけど。
狩かりといっても、ヤリや弓矢で仕留しとめるような危険きけんなことを毎回していたわけじゃないよ。ワナや落とし穴あなをしかけて、それを見に行くだけの日もあっただろう。
それならぼくにもできそう。
それぞれが、できることをやる。病気やケガした人を看病かんびょうしていた形跡けいせきもあるし、みんなで支ささえ合って暮くらしていたんじゃないかな。
えらい人はいなかったの?
長老はいたけれど、身分の差はゆるいものだったと思われるよ。
だれかに命令されることもなく、自由にできたのかな。いい時代だな〜。
自然のめぐみが豊富ほうふで、必要な分だけをとれば良かったから、現代げんだいのような貧富ひんぷの差もなく、大きな争いはなかったようだ。
自給自足の縄文時代の暮くらし
いいなぁ。心が安定しそう。
稲作いなさくが広まった次の弥生やよい時代から、米をたくわえる人が現あらわれた。地域ちいきの人を働かせて米をつくるようになり、支配しはいする人と支配しはいされる人に分かれ、貧富ひんぷの差も開いた。土地争いや田んぼに引く水の奪うばい合いもあっただろう。
ケンカも増ふえた?
この時代になると、こん棒ぼうでなぐられた人や、額ひたいにやじりが刺ささって殺ころされた人の骨ほねが見つかっているよ。
急に殺伐さつばつとしてきたね……。
縄文時代は比較ひかく的おだやかだったから、1万年以上も続いたのかもしれないね。こんなに長く続いた時代は世界史せかいしの中でもめずらしいんだ。
縄文時代はすごく長い
縄目の模様もようがついた「縄文土器」が作られていた時代を「縄文時代」という。つくられた土器の表現形式によって6つの時代に分かれている。(年代は諸説あり)
本当に長いね! どうしてこんなに長く続いたのかな?
日本には海の幸や山の幸がたくさんあり、当時は人口が少なかったからね。大陸のように外敵がいてきに攻せめられる心配がなかったこともあるだろう。
心にも余裕よゆうがあったのかな。
「不要不急ふようふきゅう」といわれる文化が発達するには、たしかに心の余裕よゆうが必要だよね。縄文時代の文化や技術ぎじゅつは当時、世界の最先端さいせんたんだったといえる。特に後期・晩期ばんきに発達し、人々はすごくオシャレだったんだ。
オシャレが大好きだった縄文人
アクセサリーをジャラジャラつけてる!
ヒスイやサメの歯やイノシシの牙きばでできたペンダントとか、赤い漆塗うるしぬりの竪櫛たてぐしやシカ角で作ったカンザシとか、オシャレだよね。耳に穴あなをあけて土製どせいの大きなピアスをしていたりもした。男性も女性もこうしたアクセサリーを身につけていたようだ。
髪型かみがたも凝こってるね。どうなってるかわからない!
お団子だんごにしたり、編あみこんだり、ドレッドヘアのような髪型かみがたの人もいたよ。
手先が器用だったのかな? 縄文土器もすごくクリエイティブだよね。これなんか、センスが尖とがってるよ!
縄文時代中期につくられた「火焔かえん土器」
画像提供:新潟県立歴史博物館
こういった縄文土器は、復元ふくげんがとても難むずかしいんだ。ふつうに作ると途中とちゅうで割われてしまったり、飾かざりが取れてしまったりする。それぞれの工程こうていをどのようなタイミングでおこなっていたのかナゾなんだ。
そんな高度なものを縄文時代の人はみんな作っていたの?
おそらく縄文時代の後半には、アクセサリーや土器などの工芸品を作る専門せんもんの人がいたと思われるよ。粘土ねんどの特性とくせいなどを知り尽つくしていたんだろう。
優秀ゆうしゅうなクリエイターがたくさんいた?!
土器クリエイターか。その人は狩かりに行かなくてもいいの?
おそらく、「今日ヒマ? 狩かりを手伝ってよ」とは言われなかったんじゃないかな。
いいなぁ。ぼく、狩かりとか怖こわいから、土器クリエイターになりたい。
縄文時代はクリエイターにとってもユートピアだよね。お金のことを気にせず、好きなだけ制作せいさくに没頭ぼっとうできたんだから。
進んでいる人たちだったんだね。縄文時代の人といえば、竪穴住居たてあなじゅうきょに住んでいて、貝を食べていて、土器や土偶どぐうを作っていたイメージしか持っていなかったよ。
それが一般いっぱん的なイメージだよね。でも、そのイメージ通りでもないんだよ。
そうなの?
意外と大量生産?! 知られざる縄文時代のリアル
知られざる縄文時代(1)
ずっと竪穴住居たてあなじゅうきょに住んでいたわけじゃない?
縄文時代の人はどんな場所に住んでいたの?
川の近くの高台のへりによく住んでいたよ。魚をとるのに便利で、水害を避けることもできたから。
見晴らしも良さそう。そこに竪穴住居たてあなじゅうきょを建てていたの?
うん。竪穴住居たてあなじゅうきょは地面に穴あなを掘ほって建てられた半地下の家。ぼくはこの写真の右に写っているような、木の骨ほね組みを樹皮じゅひなどでおおって土をかぶせた「土葺つちぶき」の竪穴住居たてあなじゅうきょが多かったと考えているよ。
土葺つちぶきの竪穴住居たてあなじゅうきょ
画像提供:富山市教育委員会
土葺つちぶきの家ってあたたかそう。
あたたかいよ。竪穴住居たてあなじゅうきょの難点なんてんは湿気しっけがこもりやすいこと。でも家の中にある「炉ろ」で火を焚たけば湿気しっけをとばせるし、冬でも半袖はんそで1枚まいで過すごせるほどあたたかくなるんだ。
へー! 火の力はすごいね。でも湿気しっけが多い家だと夏は過すごしにくいのかな?
うん。20世紀せいきの初めまで同じように土葺つちぶきの竪穴住居たてあなじゅうきょに住んでいたカナダの先住民は、冬以外は川の近くの平地に、テントのような簡単かんたんな建物を建てて過すごしていたんだ。縄文時代の人たちもそうしていたかもしれないよ。
あたたかい季節はキャンプ生活だったかもしれないんだね。楽しそう! おうちには家族で住んでいたの?
同居どうきょ人は家族とは限かぎらない。家族以外の人が同居どうきょしたり、男の人だけで住んだり、若者だけで住んだりすることがあったようだ。
へー! シェアハウスみたい! 何人くらいで住んでいたの?
10畳じょうくらいの竪穴住居たてあなじゅうきょに5〜6人くらいで住んでいたようだよ。「ムラ」とよばれる縄文時代の集落には、こうした竪穴住居たてあなじゅうきょが3〜5棟とうほど建っていたんだ。
少人数で暮くらしていたんだね。
うん。ちなみに縄文時代の後期・晩期ばんきの人たちは、ぼくたちが今住んでいるような川ぞいの平地におりてきて、穴あなを掘ほらずにふつうに家を建てることもあったんだ。
竪穴住居たてあなじゅうきょがずっとトレンドだったわけじゃないんだね。
知られざる縄文時代(2)
貝ばかり食べていたわけじゃない?
縄文時代の人って貝が大好きだったんでしょ?
貝塚かいづかのイメージからそう思うかもしれないけど、貝ってカロリーが低くてお腹なかいっぱいにならないんだよ。
たしかに…! 主食にはならないね。ほかに何を食べていたの?
ドングリ・トチノミ・クリ・クルミなどの木の実からデンプンをとったり、イノシシ・シカの肉、魚は海ならマグロ・タイ・スズキ・イワシ、川ならフナ・コイなど、意外とカロリーの高いものを食べていたんだ。
おいしそうなものを食べてたんだね!
驚おどろくことに、木の実は粉末ふんまつにしたものを練って、現在げんざいのクッキーやパンに似にた加工食品まで作っていたんだ。
縄文人はグルメだった!
オーガニックでグルテンフリーだなんて、意識いしきが高いね!
栃の実を練りこんだ栃もちは山のほうでは今も食べられていて、おいしいよ。はるとくんも一口どう?
わ! おいしい! 木の実の味がクセになるね! 縄文時代の人っておいしいものを食べていたんだね。
貝はもちろん、その季節で一番美味しくてたくさんとれる「旬しゅん」のものを知っていたんだろう。ちなみに貝塚かいづかって貝殻かいがらを捨すてる場所だと思われているけど、アクセサリーや人の骨ほねなどが見つかることもあるんだよ。
えぇ! そんな大事なものも捨すてていたの?
貝塚かいづかは、現代げんだいの感覚では「ゴミ箱」だと思われるけど、縄文時代の人にとって「捨すてる」ことは「自然に還かえす」という感覚だったようだ。
へー! エコな暮くらしのお手本だね。
と思いきや、意外と大量生産でもあった。ものすごい数の土器が作られているんだ。壊こわれたら捨すてちゃうことも多かったみたい。
そうなんだ? それだけ土器作りにかける思いが強かったということなのかな……。
知られざる縄文時代(3)
土偶どぐうは壊こわすために作られていた?!
縄文時代といえば土偶どぐうも有名だよね。ふくよかな女の人の土偶どぐうを見たことがあるよ。
妊娠にんしん中の女性を表したものが多いね。安産祈願きがんや子どもの健康を願って作られたのだろう。でも土偶どぐうにはナゾが多い。土偶どぐうはたいていバラバラに壊こわれた状態じょうたいで見つかるんだ。
バラバラに壊こわれた土偶どぐうのナゾ
釈迦堂遺跡博物館蔵 撮影:塚原明生
長いあいだ埋うもれていたから、壊こわれたんじゃないの?
いや、当時すでに壊こわれていたようだ。というか、特に縄文時代中期に作られたほとんどの土偶どぐうは、わざわざ壊こわすために作っていたと考えられるんだ。
壊こわすため? おだやかな縄文時代の人にそんなサイコパスな一面が……?!
自分の身代わりにしていたという説もある。たとえば腕うでをケガしたとき、腕うでを壊こわした土偶どぐうの破片はへんを集落のまわりにまくことで治癒ちゆを願ったり。いろいろな願いをこめて壊こわしていたのかもしれない。
そっか。お医者さんがいなかった時代だから、病気やケガの不安は大きかっただろうね。
代わりにシャーマンというまじない師しのような人はいたよ。
ぼくの虫歯もシャーマンの呪術じゅじゅつで治してもらえるかな。
ふふふ。ちなみに縄文時代は、成人や結婚けっこんの儀式ぎしきとして犬歯などの歯を抜ぬいていたんだ。シャーマンが木の杭を歯にカーンと打ち付けて。もちろん麻酔ますいナシでね。
ええ! 痛いたすぎるよ! 縄文時代、やっぱりツライかも……。
平和な時代とはいえ、現代げんだいのように予防注射よぼうちゅうしゃもないから、子どもたちの死亡率しぼうりつは高かったし、火山噴火ふんか・地震じしん・津波つなみなどの自然災害さいがいのリスクも大きかった。
今ぼくたちが安全に生きられるのは、さまざまな技術ぎじゅつのおかげだもんね。でも縄文時代の暮くらしにも憧あこがれる。いいとこ取り、できないかなぁ。
縄文時代の人の考え方を取り入れたらどうかな?
さっきの「自然に還かえす」っていう考え方とか?
うん。自然に対して謙虚けんきょな姿勢しせいでいること。食べ物などの資源しげんは自然からいただくもの。必要な分だけをとる。「足るを知る」ということだね。
食糧危機しょくりょうききも環境かんきょう問題も、縄文時代にはなかっただろうね。
もちろん人口が100万人くらいだったとも推定すいていされる縄文時代と、1億2千万人もいる日本の現代げんだいをくらべることはできないけど、縄文マインドを取り入れて困難こんなんな時代も乗り切っていきたいね。
みんなで1万年も平和が続く時代を目指したいね。縄文遺跡いせきも見に行ってみたいな。
都道府県や市町村が運営うんえいする「埋蔵文化財まいぞうぶんかざいセンター」のWebサイトをチェックしてみるといいよ。近くの遺跡いせきの展示てんじ品があったり、そばに復元住居ふくげんじゅうきょが建てられていることも多いよ。
日本全国にあるんだね。
縄文遺跡いせきは特に東日本にたくさん見つかっているけれど、まだまだ発掘はっくつされていない場所もたくさんあるはず。
ひょっとして、ぼくが住んでいる町の下にも遺跡いせきがあるかな?
十分ありうるね。ふだんから山や谷や川などの地形を意識いしきしながら町を歩けば、「ここは縄文人が好きそうな場所だな」ってわかってくるよ。
縄文人になりきって歩くと楽しそう。川の近くの高台は特にチェックだね。近くの遺跡いせきにも行ってみるね!
縄文時代を体験できる場所へ行ってみよう!
縄文時代にタイムスリップしちゃうような遺跡いせきや博物館へ行ってみよう。
※各施設の情報は、2020年10月のものです。最新の情報とは異なる場合がございますのでご了承ください。
お出かけの際は事前に公式サイトなどで最新情報をご確認ください。
大船遺跡(北海道函館市)画像提供:函館市教育委員会
大船遺跡おおふねいせき(北海道函館市)
縄文時代前期後半から中期後半(約5,400〜4,100年前)の大規模だいきぼな集落跡あと。大船川沿いの台地にあり、遺跡いせきからはウニ・カキ・クジラ・オットセイなどの海産物も出土。深さ2mを超こえる大型おおがたの住居跡じゅうきょあとが復元ふくげんされている。
関連サイト:
「はこぶら」公式サイト
三内丸山遺跡(青森県青森市)画像提供:青森県
三内丸山遺跡さんないまるやまいせき(青森県青森市)
縄文時代前期から中期(約5,900〜4,200年前)の大規模だいきぼな集落跡あと。大型竪穴住居おおがたたてあなじゅうきょのほかに、大型おおがたの掘立柱建物ほったてばしらたてものも復元ふくげんされている。自然素材そざいを使ったアクセサリー作りやミニ土偶どぐう作りなどの縄文体験イベントも開催かいさいされている。
関連サイト:
「三内丸山遺跡」公式サイト
姨御所野縄文公園(岩手県一戸町)画像提供:一戸町教育委員会
御所野ごしょの縄文公園(岩手県一戸町)
公園内には土葺つちぶきの竪穴住居たてあなじゅうきょを復元ふくげんしているほか、併設へいせつの博物館では土器や勾玉まがたまなど縄文グッズ作りの体験メニューも豊富ほうふ。三内丸山遺跡さんないまるやまいせきと同じく「北海道・北東北の縄文遺跡いせき群」の構成資産こうせいしさんの一つとして、世界遺産いさんの登録を目指している。
関連サイト:
「御所野縄文公園」公式サイト
東京都立埋蔵文化財調査センター 遺跡庭園「縄文の村」(東京都多摩市)画像提供:東京都埋蔵文化財センター
東京都立埋蔵文化財調査まいぞうぶんかざいちょうさセンター 遺跡いせき庭園「縄文の村」(東京都多摩市)
多摩たまニュータウンで見つかった縄文時代の集落跡あとの景観を復元ふくげん。当時の樹木じゅもくや山菜を植えた縄文時代の森が再現さいげんされ、3棟とうの竪穴住居たてあなじゅうきょも復元ふくげんされている。縄文土器やアクセサリー作りなどのワークショップが開かれることも。
関連サイト:
「東京都埋蔵文化財センター」公式サイト
尖石遺跡・与助尾根遺跡(長野県茅野市)画像提供:茅野市尖石縄文考古館
尖石遺跡とがりいしいせき・与助尾根遺跡よすけおねいせき(長野県茅野市)
縄文時代の黒曜石産地だった八ヶ岳やつがたけ。その西麓せいろくにある縄文時代中期の集落跡あと。与助尾根遺跡よすけおねいせきには6棟とうの復元住居ふくげんじゅうきょがある。隣接りんせつする茅野市尖石考古館ちのしとがりいしこうこかんでは、土器や土偶どぐう、やじり、アクセサリーなどの工芸品も展示てんじされている。
関連サイト:
「茅野市」公式サイト
蜆塚遺跡(静岡県浜松市)画像提供:浜松市博物館
蜆塚遺跡しじみづかいせき(静岡県浜松市)
縄文時代後期から晩期ばんき(約3,000〜4,000年前)の集落遺跡いせき。5棟とうの平地式住居へいちしきじゅうきょが復元ふくげんされている。シジミが多く堆積たいせきした貝塚かいづかも複数ふくすう見つかっており、動物の骨ほねなども混ざった貝塚かいづかの断面だんめんを観察することができる。
関連サイト:
「浜松市」公式サイト
新潟県立歴史博物館(新潟県長岡市)画像提供:新潟県立歴史博物館
新潟県立歴史博物館(新潟県長岡市)
縄文展示てんじが充実じゅうじつした博物館。縄文人の春夏秋冬の暮くらしを実物大で復元ふくげんしており、タイムスリップ気分が楽しめる。壁かべ一面に展示てんじされた80点近い火焔型かえんがた土器や、遺跡いせきからそのまま持ってきた高さ4mの貝塚かいづかの展示てんじは必見。
関連サイト:
「新潟県立歴史博物館」公式サイト
富山市北代縄文広場(富山県富山市)画像提供:富山市教育委員会
富山市北代きただい縄文広場(富山県富山市)
縄文時代中期(約4,000年前)に最も栄えた集落跡あと。5棟とうの土葺つちぶきの竪穴住居たてあなじゅうきょと1棟とうの高床建物たかゆかたてものを復原ふくげん。自然ゆたかな呉羽丘陵くれはきゅうりょうのすそ野にあり、立山連峰れんぽうのながめも楽しめる。
関連サイト:
「北代縄文広場」公式サイト
上野原縄文の森(鹿児島県霧島市)画像提供:上野原縄文の森
上野原うえのはら縄文の森(鹿児島県霧島市)
広大な敷地しきちの中に、竪穴住居たてあなじゅうきょなどが並ならぶ縄文時代早期(約9,500年前)の集落を復元ふくげん。展望てんぼうの丘おかからは桜島さくらじまや錦江湾きんこうわん、霧島きりしまの山々を望める。火起こしや土器作り、アクセサリー作りなどの縄文体験が可能かのう。様々なイベントも開催かいさいされている。
関連サイト:
「上野原縄文の森」公式サイト
武藤先生からのメッセージ
身の回りの自然環境かんきょうを敏感びんかんに感じ取ると、見える世界が変わるよ。都会でも昔のまま山や谷の地形が残っている場所は多いし、昔の川の跡あとが道路になっていることもある。縄文人の目線で町を歩けば、いろんな発見があるはずだよ。
まとめ
縄文時代は身分や貧富ひんぷの差がほとんどない平和な時代だった。
縄文人は「足るを知る」の精神せいしんで自然に謙虚けんきょに向き合っていた。
芸術性げいじゅつせいが高い土器やアクセサリーなども多く生み出された。
Profile武藤 康弘
武藤むとう 康弘やすひろ
奈良女子大学文学部教授
國學院大學大学院修士課程修了。博士(文学)[東京大学]。専門は考古学。秋田県に生まれ、少年時代から秋田の山野で土器や石器を拾い、縄文時代に親しんでいた。著書に『縄文時代の食と住まい』(同成社)、『映像で見る奈良まつり歳時記』(ナカニシヤ出版)など。
※このコンテンツは、2020年10月の情報をもとに作成しております。
今注目される「縄文時代」のナゾ
長く平和が続いたといわれる縄文時代。でも実は意外と尖とがった人たちだった?
貝ばかり食べていたわけじゃない? ナゾにせまろう!
なぜ1万年も平和が続いた? 今注目される「縄文時代」のナゾ
画像提供:一戸町教育委員会
探検たんけんメンバー
隊員はると
ふしぎ探検隊たんけんたいが行くよ!
隊員はると
武藤 康弘先生
この人に聞いたよ
縄文時代にくわしい
武藤むとう 康弘やすひろ先生
もくじ
縄文時代の文化や技術ぎじゅつは世界最先端さいせんたんだった?!
意外と大量生産?! 知られざる縄文時代のリアル
縄文時代を体験できる場所へ行ってみよう!
縄文時代の文化や技術ぎじゅつは世界最先端さいせんたんだった?!
縄文時代って学校も会社もなかったんだよね。みんな毎日何していたの?
狩かりに行ったり、海や川に魚を獲とりに行ったり、木の実をひろいに行ったり、食料の加工をしたり、やじりや編あみカゴを作ったり……いろんなことをしていたよ。
自給自足で、家も道具もぜんぶ手作り? そんな暮くらしに憧あこがれるな〜。狩かりはちょっと怖こわそうだけど。
狩かりといっても、ヤリや弓矢で仕留しとめるような危険きけんなことを毎回していたわけじゃないよ。ワナや落とし穴あなをしかけて、それを見に行くだけの日もあっただろう。
それならぼくにもできそう。
それぞれが、できることをやる。病気やケガした人を看病かんびょうしていた形跡けいせきもあるし、みんなで支ささえ合って暮くらしていたんじゃないかな。
えらい人はいなかったの?
長老はいたけれど、身分の差はゆるいものだったと思われるよ。
だれかに命令されることもなく、自由にできたのかな。いい時代だな〜。
自然のめぐみが豊富ほうふで、必要な分だけをとれば良かったから、現代げんだいのような貧富ひんぷの差もなく、大きな争いはなかったようだ。
自給自足の縄文時代の暮くらし
いいなぁ。心が安定しそう。
稲作いなさくが広まった次の弥生やよい時代から、米をたくわえる人が現あらわれた。地域ちいきの人を働かせて米をつくるようになり、支配しはいする人と支配しはいされる人に分かれ、貧富ひんぷの差も開いた。土地争いや田んぼに引く水の奪うばい合いもあっただろう。
ケンカも増ふえた?
この時代になると、こん棒ぼうでなぐられた人や、額ひたいにやじりが刺ささって殺ころされた人の骨ほねが見つかっているよ。
急に殺伐さつばつとしてきたね……。
縄文時代は比較ひかく的おだやかだったから、1万年以上も続いたのかもしれないね。こんなに長く続いた時代は世界史せかいしの中でもめずらしいんだ。
縄文時代はすごく長い
縄目の模様もようがついた「縄文土器」が作られていた時代を「縄文時代」という。つくられた土器の表現形式によって6つの時代に分かれている。(年代は諸説あり)
本当に長いね! どうしてこんなに長く続いたのかな?
日本には海の幸や山の幸がたくさんあり、当時は人口が少なかったからね。大陸のように外敵がいてきに攻せめられる心配がなかったこともあるだろう。
心にも余裕よゆうがあったのかな。
「不要不急ふようふきゅう」といわれる文化が発達するには、たしかに心の余裕よゆうが必要だよね。縄文時代の文化や技術ぎじゅつは当時、世界の最先端さいせんたんだったといえる。特に後期・晩期ばんきに発達し、人々はすごくオシャレだったんだ。
オシャレが大好きだった縄文人
アクセサリーをジャラジャラつけてる!
ヒスイやサメの歯やイノシシの牙きばでできたペンダントとか、赤い漆塗うるしぬりの竪櫛たてぐしやシカ角で作ったカンザシとか、オシャレだよね。耳に穴あなをあけて土製どせいの大きなピアスをしていたりもした。男性も女性もこうしたアクセサリーを身につけていたようだ。
髪型かみがたも凝こってるね。どうなってるかわからない!
お団子だんごにしたり、編あみこんだり、ドレッドヘアのような髪型かみがたの人もいたよ。
手先が器用だったのかな? 縄文土器もすごくクリエイティブだよね。これなんか、センスが尖とがってるよ!
縄文時代中期につくられた「火焔かえん土器」
画像提供:新潟県立歴史博物館
こういった縄文土器は、復元ふくげんがとても難むずかしいんだ。ふつうに作ると途中とちゅうで割われてしまったり、飾かざりが取れてしまったりする。それぞれの工程こうていをどのようなタイミングでおこなっていたのかナゾなんだ。
そんな高度なものを縄文時代の人はみんな作っていたの?
おそらく縄文時代の後半には、アクセサリーや土器などの工芸品を作る専門せんもんの人がいたと思われるよ。粘土ねんどの特性とくせいなどを知り尽つくしていたんだろう。
優秀ゆうしゅうなクリエイターがたくさんいた?!
土器クリエイターか。その人は狩かりに行かなくてもいいの?
おそらく、「今日ヒマ? 狩かりを手伝ってよ」とは言われなかったんじゃないかな。
いいなぁ。ぼく、狩かりとか怖こわいから、土器クリエイターになりたい。
縄文時代はクリエイターにとってもユートピアだよね。お金のことを気にせず、好きなだけ制作せいさくに没頭ぼっとうできたんだから。
進んでいる人たちだったんだね。縄文時代の人といえば、竪穴住居たてあなじゅうきょに住んでいて、貝を食べていて、土器や土偶どぐうを作っていたイメージしか持っていなかったよ。
それが一般いっぱん的なイメージだよね。でも、そのイメージ通りでもないんだよ。
そうなの?
意外と大量生産?! 知られざる縄文時代のリアル
知られざる縄文時代(1)
ずっと竪穴住居たてあなじゅうきょに住んでいたわけじゃない?
縄文時代の人はどんな場所に住んでいたの?
川の近くの高台のへりによく住んでいたよ。魚をとるのに便利で、水害を避けることもできたから。
見晴らしも良さそう。そこに竪穴住居たてあなじゅうきょを建てていたの?
うん。竪穴住居たてあなじゅうきょは地面に穴あなを掘ほって建てられた半地下の家。ぼくはこの写真の右に写っているような、木の骨ほね組みを樹皮じゅひなどでおおって土をかぶせた「土葺つちぶき」の竪穴住居たてあなじゅうきょが多かったと考えているよ。
土葺つちぶきの竪穴住居たてあなじゅうきょ
画像提供:富山市教育委員会
土葺つちぶきの家ってあたたかそう。
あたたかいよ。竪穴住居たてあなじゅうきょの難点なんてんは湿気しっけがこもりやすいこと。でも家の中にある「炉ろ」で火を焚たけば湿気しっけをとばせるし、冬でも半袖はんそで1枚まいで過すごせるほどあたたかくなるんだ。
へー! 火の力はすごいね。でも湿気しっけが多い家だと夏は過すごしにくいのかな?
うん。20世紀せいきの初めまで同じように土葺つちぶきの竪穴住居たてあなじゅうきょに住んでいたカナダの先住民は、冬以外は川の近くの平地に、テントのような簡単かんたんな建物を建てて過すごしていたんだ。縄文時代の人たちもそうしていたかもしれないよ。
あたたかい季節はキャンプ生活だったかもしれないんだね。楽しそう! おうちには家族で住んでいたの?
同居どうきょ人は家族とは限かぎらない。家族以外の人が同居どうきょしたり、男の人だけで住んだり、若者だけで住んだりすることがあったようだ。
へー! シェアハウスみたい! 何人くらいで住んでいたの?
10畳じょうくらいの竪穴住居たてあなじゅうきょに5〜6人くらいで住んでいたようだよ。「ムラ」とよばれる縄文時代の集落には、こうした竪穴住居たてあなじゅうきょが3〜5棟とうほど建っていたんだ。
少人数で暮くらしていたんだね。
うん。ちなみに縄文時代の後期・晩期ばんきの人たちは、ぼくたちが今住んでいるような川ぞいの平地におりてきて、穴あなを掘ほらずにふつうに家を建てることもあったんだ。
竪穴住居たてあなじゅうきょがずっとトレンドだったわけじゃないんだね。
知られざる縄文時代(2)
貝ばかり食べていたわけじゃない?
縄文時代の人って貝が大好きだったんでしょ?
貝塚かいづかのイメージからそう思うかもしれないけど、貝ってカロリーが低くてお腹なかいっぱいにならないんだよ。
たしかに…! 主食にはならないね。ほかに何を食べていたの?
ドングリ・トチノミ・クリ・クルミなどの木の実からデンプンをとったり、イノシシ・シカの肉、魚は海ならマグロ・タイ・スズキ・イワシ、川ならフナ・コイなど、意外とカロリーの高いものを食べていたんだ。
おいしそうなものを食べてたんだね!
驚おどろくことに、木の実は粉末ふんまつにしたものを練って、現在げんざいのクッキーやパンに似にた加工食品まで作っていたんだ。
縄文人はグルメだった!
オーガニックでグルテンフリーだなんて、意識いしきが高いね!
栃の実を練りこんだ栃もちは山のほうでは今も食べられていて、おいしいよ。はるとくんも一口どう?
わ! おいしい! 木の実の味がクセになるね! 縄文時代の人っておいしいものを食べていたんだね。
貝はもちろん、その季節で一番美味しくてたくさんとれる「旬しゅん」のものを知っていたんだろう。ちなみに貝塚かいづかって貝殻かいがらを捨すてる場所だと思われているけど、アクセサリーや人の骨ほねなどが見つかることもあるんだよ。
えぇ! そんな大事なものも捨すてていたの?
貝塚かいづかは、現代げんだいの感覚では「ゴミ箱」だと思われるけど、縄文時代の人にとって「捨すてる」ことは「自然に還かえす」という感覚だったようだ。
へー! エコな暮くらしのお手本だね。
と思いきや、意外と大量生産でもあった。ものすごい数の土器が作られているんだ。壊こわれたら捨すてちゃうことも多かったみたい。
そうなんだ? それだけ土器作りにかける思いが強かったということなのかな……。
知られざる縄文時代(3)
土偶どぐうは壊こわすために作られていた?!
縄文時代といえば土偶どぐうも有名だよね。ふくよかな女の人の土偶どぐうを見たことがあるよ。
妊娠にんしん中の女性を表したものが多いね。安産祈願きがんや子どもの健康を願って作られたのだろう。でも土偶どぐうにはナゾが多い。土偶どぐうはたいていバラバラに壊こわれた状態じょうたいで見つかるんだ。
バラバラに壊こわれた土偶どぐうのナゾ
釈迦堂遺跡博物館蔵 撮影:塚原明生
長いあいだ埋うもれていたから、壊こわれたんじゃないの?
いや、当時すでに壊こわれていたようだ。というか、特に縄文時代中期に作られたほとんどの土偶どぐうは、わざわざ壊こわすために作っていたと考えられるんだ。
壊こわすため? おだやかな縄文時代の人にそんなサイコパスな一面が……?!
自分の身代わりにしていたという説もある。たとえば腕うでをケガしたとき、腕うでを壊こわした土偶どぐうの破片はへんを集落のまわりにまくことで治癒ちゆを願ったり。いろいろな願いをこめて壊こわしていたのかもしれない。
そっか。お医者さんがいなかった時代だから、病気やケガの不安は大きかっただろうね。
代わりにシャーマンというまじない師しのような人はいたよ。
ぼくの虫歯もシャーマンの呪術じゅじゅつで治してもらえるかな。
ふふふ。ちなみに縄文時代は、成人や結婚けっこんの儀式ぎしきとして犬歯などの歯を抜ぬいていたんだ。シャーマンが木の杭を歯にカーンと打ち付けて。もちろん麻酔ますいナシでね。
ええ! 痛いたすぎるよ! 縄文時代、やっぱりツライかも……。
平和な時代とはいえ、現代げんだいのように予防注射よぼうちゅうしゃもないから、子どもたちの死亡率しぼうりつは高かったし、火山噴火ふんか・地震じしん・津波つなみなどの自然災害さいがいのリスクも大きかった。
今ぼくたちが安全に生きられるのは、さまざまな技術ぎじゅつのおかげだもんね。でも縄文時代の暮くらしにも憧あこがれる。いいとこ取り、できないかなぁ。
縄文時代の人の考え方を取り入れたらどうかな?
さっきの「自然に還かえす」っていう考え方とか?
うん。自然に対して謙虚けんきょな姿勢しせいでいること。食べ物などの資源しげんは自然からいただくもの。必要な分だけをとる。「足るを知る」ということだね。
食糧危機しょくりょうききも環境かんきょう問題も、縄文時代にはなかっただろうね。
もちろん人口が100万人くらいだったとも推定すいていされる縄文時代と、1億2千万人もいる日本の現代げんだいをくらべることはできないけど、縄文マインドを取り入れて困難こんなんな時代も乗り切っていきたいね。
みんなで1万年も平和が続く時代を目指したいね。縄文遺跡いせきも見に行ってみたいな。
都道府県や市町村が運営うんえいする「埋蔵文化財まいぞうぶんかざいセンター」のWebサイトをチェックしてみるといいよ。近くの遺跡いせきの展示てんじ品があったり、そばに復元住居ふくげんじゅうきょが建てられていることも多いよ。
日本全国にあるんだね。
縄文遺跡いせきは特に東日本にたくさん見つかっているけれど、まだまだ発掘はっくつされていない場所もたくさんあるはず。
ひょっとして、ぼくが住んでいる町の下にも遺跡いせきがあるかな?
十分ありうるね。ふだんから山や谷や川などの地形を意識いしきしながら町を歩けば、「ここは縄文人が好きそうな場所だな」ってわかってくるよ。
縄文人になりきって歩くと楽しそう。川の近くの高台は特にチェックだね。近くの遺跡いせきにも行ってみるね!
縄文時代を体験できる場所へ行ってみよう!
縄文時代にタイムスリップしちゃうような遺跡いせきや博物館へ行ってみよう。
※各施設の情報は、2020年10月のものです。最新の情報とは異なる場合がございますのでご了承ください。
お出かけの際は事前に公式サイトなどで最新情報をご確認ください。
大船遺跡(北海道函館市)画像提供:函館市教育委員会
大船遺跡おおふねいせき(北海道函館市)
縄文時代前期後半から中期後半(約5,400〜4,100年前)の大規模だいきぼな集落跡あと。大船川沿いの台地にあり、遺跡いせきからはウニ・カキ・クジラ・オットセイなどの海産物も出土。深さ2mを超こえる大型おおがたの住居跡じゅうきょあとが復元ふくげんされている。
関連サイト:
「はこぶら」公式サイト
三内丸山遺跡(青森県青森市)画像提供:青森県
三内丸山遺跡さんないまるやまいせき(青森県青森市)
縄文時代前期から中期(約5,900〜4,200年前)の大規模だいきぼな集落跡あと。大型竪穴住居おおがたたてあなじゅうきょのほかに、大型おおがたの掘立柱建物ほったてばしらたてものも復元ふくげんされている。自然素材そざいを使ったアクセサリー作りやミニ土偶どぐう作りなどの縄文体験イベントも開催かいさいされている。
関連サイト:
「三内丸山遺跡」公式サイト
姨御所野縄文公園(岩手県一戸町)画像提供:一戸町教育委員会
御所野ごしょの縄文公園(岩手県一戸町)
公園内には土葺つちぶきの竪穴住居たてあなじゅうきょを復元ふくげんしているほか、併設へいせつの博物館では土器や勾玉まがたまなど縄文グッズ作りの体験メニューも豊富ほうふ。三内丸山遺跡さんないまるやまいせきと同じく「北海道・北東北の縄文遺跡いせき群」の構成資産こうせいしさんの一つとして、世界遺産いさんの登録を目指している。
関連サイト:
「御所野縄文公園」公式サイト
東京都立埋蔵文化財調査センター 遺跡庭園「縄文の村」(東京都多摩市)画像提供:東京都埋蔵文化財センター
東京都立埋蔵文化財調査まいぞうぶんかざいちょうさセンター 遺跡いせき庭園「縄文の村」(東京都多摩市)
多摩たまニュータウンで見つかった縄文時代の集落跡あとの景観を復元ふくげん。当時の樹木じゅもくや山菜を植えた縄文時代の森が再現さいげんされ、3棟とうの竪穴住居たてあなじゅうきょも復元ふくげんされている。縄文土器やアクセサリー作りなどのワークショップが開かれることも。
関連サイト:
「東京都埋蔵文化財センター」公式サイト
尖石遺跡・与助尾根遺跡(長野県茅野市)画像提供:茅野市尖石縄文考古館
尖石遺跡とがりいしいせき・与助尾根遺跡よすけおねいせき(長野県茅野市)
縄文時代の黒曜石産地だった八ヶ岳やつがたけ。その西麓せいろくにある縄文時代中期の集落跡あと。与助尾根遺跡よすけおねいせきには6棟とうの復元住居ふくげんじゅうきょがある。隣接りんせつする茅野市尖石考古館ちのしとがりいしこうこかんでは、土器や土偶どぐう、やじり、アクセサリーなどの工芸品も展示てんじされている。
関連サイト:
「茅野市」公式サイト
蜆塚遺跡(静岡県浜松市)画像提供:浜松市博物館
蜆塚遺跡しじみづかいせき(静岡県浜松市)
縄文時代後期から晩期ばんき(約3,000〜4,000年前)の集落遺跡いせき。5棟とうの平地式住居へいちしきじゅうきょが復元ふくげんされている。シジミが多く堆積たいせきした貝塚かいづかも複数ふくすう見つかっており、動物の骨ほねなども混ざった貝塚かいづかの断面だんめんを観察することができる。
関連サイト:
「浜松市」公式サイト
新潟県立歴史博物館(新潟県長岡市)画像提供:新潟県立歴史博物館
新潟県立歴史博物館(新潟県長岡市)
縄文展示てんじが充実じゅうじつした博物館。縄文人の春夏秋冬の暮くらしを実物大で復元ふくげんしており、タイムスリップ気分が楽しめる。壁かべ一面に展示てんじされた80点近い火焔型かえんがた土器や、遺跡いせきからそのまま持ってきた高さ4mの貝塚かいづかの展示てんじは必見。
関連サイト:
「新潟県立歴史博物館」公式サイト
富山市北代縄文広場(富山県富山市)画像提供:富山市教育委員会
富山市北代きただい縄文広場(富山県富山市)
縄文時代中期(約4,000年前)に最も栄えた集落跡あと。5棟とうの土葺つちぶきの竪穴住居たてあなじゅうきょと1棟とうの高床建物たかゆかたてものを復原ふくげん。自然ゆたかな呉羽丘陵くれはきゅうりょうのすそ野にあり、立山連峰れんぽうのながめも楽しめる。
関連サイト:
「北代縄文広場」公式サイト
上野原縄文の森(鹿児島県霧島市)画像提供:上野原縄文の森
上野原うえのはら縄文の森(鹿児島県霧島市)
広大な敷地しきちの中に、竪穴住居たてあなじゅうきょなどが並ならぶ縄文時代早期(約9,500年前)の集落を復元ふくげん。展望てんぼうの丘おかからは桜島さくらじまや錦江湾きんこうわん、霧島きりしまの山々を望める。火起こしや土器作り、アクセサリー作りなどの縄文体験が可能かのう。様々なイベントも開催かいさいされている。
関連サイト:
「上野原縄文の森」公式サイト
武藤先生からのメッセージ
身の回りの自然環境かんきょうを敏感びんかんに感じ取ると、見える世界が変わるよ。都会でも昔のまま山や谷の地形が残っている場所は多いし、昔の川の跡あとが道路になっていることもある。縄文人の目線で町を歩けば、いろんな発見があるはずだよ。
まとめ
縄文時代は身分や貧富ひんぷの差がほとんどない平和な時代だった。
縄文人は「足るを知る」の精神せいしんで自然に謙虚けんきょに向き合っていた。
芸術性げいじゅつせいが高い土器やアクセサリーなども多く生み出された。
Profile武藤 康弘
武藤むとう 康弘やすひろ
奈良女子大学文学部教授
國學院大學大学院修士課程修了。博士(文学)[東京大学]。専門は考古学。秋田県に生まれ、少年時代から秋田の山野で土器や石器を拾い、縄文時代に親しんでいた。著書に『縄文時代の食と住まい』(同成社)、『映像で見る奈良まつり歳時記』(ナカニシヤ出版)など。
※このコンテンツは、2020年10月の情報をもとに作成しております。
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風の時代
心と身体の準備はできていますか?2024年は本格的な 風の時代 へいよいよ突入!
公開日:2024年 1月 3日
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2024年、新しい時代の幕開けを迎えます。それは「 風の時代 」と呼ばれる、自由と多様性に満ちた時代が本格的に始まるのです。この時代は、今までの常識や枠組みを打ち破り、驚くべき変化を引き起こすでしょう。さらに、「第九運」の時期も同時に訪れ、古いものが終わり、新しいものが始まるサイクルの節目でもあります。そこで今回は、この時代の特徴や流れを理解し、変化に対応できるようになるためのヒントをお伝えします!
風の時代
ページコンテンツ(目次)
1 風の時代 とは
2 2024年は11月20日がターニングポイントに
3 風の時代 を幸せに過ごすためのポイント
4 第九運にも注目
5 占星術や風水を取り入れて、時代の波に乗ろう!
風の時代 とは
西洋占星術では、2021年から「風の時代」という新しい時代が始まったと言われています。2023年は準備の年となり、2024年からは本格的に風の時代が展開していくと考えられています。
風の時代の始まりは、木星と土星が約20年に1回ほど近づく「大会合(グレート・コンジャンクション)」という現象で示されます。この現象は、時代が変わるときに起こるもので、約200年に一回ほど、この世界を作る四つの元素「火」「土」「風」「水」のうち、どれが時代をリードするかが変わります。
今までの約200年間は「土」の元素が時代を作っていましたが、2020年12月22日の大会合は「風」の元素の星座である水瓶座で起こりました。これからの約200年間は、「風」の元素の星座(双子座、天秤座、水瓶座)が時代を引っ張っていくことになります。
「 風の時代 」という新しい章は、見えざる風が変化をもたらすように、情報、知性、コミュニケーション、そして教育のような無形の要素が中心となる時代です。この時代では、深い知識の追求と共に、創造的な想像力、批判的思考力、そして柔軟な対応がとても大切になります。
わたしたちは自分の中に秘めている情熱や夢に真摯に向き合い、それに従って行動することでさらに良いエネルギーを得ることができます。これと同時に、社会全体も固定された枠を超えて、より「自由」で開放的な価値観へと流れていくでしょう。
しかしながら、決してすべてがいい流れになるとは限りません。情報が大きな力を持つこの時代には、その情報の誤用や乱用によるリスクも潜んでいるからです。
このような「風の時代」では、表面的な言葉や流行に流されず、真の「知性」を追及することが求められます。信頼できる情報源からの知識を自分でしっかりと見極めて、多様な視点を受け入れ、それらと共に生きることの大切さが、これまで以上に重要になってきます。
2024年は11月20日がターニングポイントに
2024年11月20日は、西洋占星術の世界で大きな変化の波が訪れるとして注目されています。2023年の3月から6月、さらに2024年の1月から9月にかけて段階を踏んだ後、破壊と再生の象徴である冥王星が、約248年の長い周期で12星座をめぐり、およそ250年ぶりに2024年11月20日に水瓶座(みずがめ座)への移動を完了させます。この冥王星の重要な位置変更が、「風の時代」の本格的なスタートの合図と考えられているからです。
この「 風の時代 」は、先ほどお伝えしたように自由と多様性、情報とコミュニケーションを重んじる時代です。個々人の独自性や才能が評価され、従来の固定観念や枠組みは徐々に崩れ去っていきます。冥王星は、隠されたり潜在的な要素を明るみに出す力を持ち、水瓶座への移動は、社会や人類の深い変革を引き起こすと見られています。
ですから、2024年11月20日は、これらの変革の始まりを告げる日と言えます。この日から、多くの人々が自分の本質や使命に気づき始めるかもしれません。新たな発見や革新が生まれる可能性もあるでしょう。
しかし、冥王星は破壊や危機も引き起こすことがあるため、この水瓶座への移動は、社会や人類にとっての深刻な問題や課題をも浮き彫りにするかもしれないのです。
この日は「 風の時代 」における重要なターニングポイントです。新しい時代の流れに乗るかどうかが、個人や集団の運命を大きく左右することになります。この重要な日に向けて、自分自身の本当の望みや目標を見つめ直し、自分らしく生きることの大切さを心に留めておきましょう。
風の時代 を幸せに過ごすためのポイント
この時代の変化の波に乗るためには、生き方や価値観も柔軟に変えていくことが大切です。幸せな風の時代を過ごすために心がけたいことをご紹介します。
自分が心から楽しめることや、満足感を感じることを大切にしましょう。この時代は、一人ひとりの個性や才能が尊重され、自分の内なる声に耳を傾け、自分らしく生きることが重要です。物質的な所有や古い価値観に固執することなく、目に見えない価値を大事にすることもポイントです。物やお金よりも、知識や経験、人とのつながりを大切にし、それらを生かしていきましょう。
人との関係を大切にすることも大事です。この時代は、人と人との横のつながりや平等な関係が重視されます。友人、仲間、協力者との絆を深め、お互いに支え合うことが幸せへの鍵です。
このように、風の時代を幸せに過ごすためには、自分の好きなことを大事にし、物質的な所有や古い価値観にとらわれず人とのつながりを大切にすることが大切です。これからの時代に向けて、心と身体を整えて前向きに歩んでいきましょう。
第九運にも注目
180年を一つの大きなサイクルとして、その中で20年ごとに時代の気が変わっていく、風水の一種である九星気学の三元九運という考え方があります。180年前の1864年から始まったこのサイクルは、第一運から第二運というように進み、現在の第八運まで進んできました。現在は第八運の八白土星の時代で、動きが鈍くなり、停滞や困難が多い時代です。
しかし、2024年からは第九運の九紫火星の時代に入り、180年のサイクルの最後の20年間を迎えます。これは、時代の最終章であり、新しい時代の幕開けでもあります。私たちは、この大きな変化の時期に生きているのです。そして、新しい時代の訪れを目の当たりにすることになります。
第九運の九紫火星の時代は、火のエネルギーが強く、動きが速く、活発な時代になり、お金の流れも変わってきます。これまで、わたしたちは貯蓄をして安定を求めてきましたが、その時代は終わりを告げ、電子マネーや投資といった動きに風向きが変わります。お金をため込むのではなく、今持っているものを動かすことが時代に合わせることになります。ただ、これはお金に限った話ではなく、私たちの行動や将来に関しても言えることなのです。
夢や目標があるなら、じっとしていないで行動に移しましょう。2024年は、夢を追いかける人が成功する時代になるのです。「でもわたしなんて」とか「無理だし」と、停滞する時代は終わりを告げます。
また、「それはきっと無理だからやめたほうがいいよ」と、あなたの夢や目標をくじく発言をする人とは、距離を置く方がいいかもしれません。応援して背中を押してくれる人と付き合っていくことで、右肩上がりの人生を掴むことができるでしょう。夢が叶うかどうかは、あなた次第。とにかく夢や目標に向かって進みましょう。
ただし、火のエネルギーは争いや衝突をもたらすこともあります。ライバルと競争して、勝ち取ろうとする気持ちも大切ですが、それだけでは不十分です。自分はどうありたいのか、どう生きたいのか、ということを考えることも必要です。ライバルと敵対するのではなく、協力して共に成長することもできるということをお忘れなく。そうすれば、もっと大きな夢に近づくことができるかもしれません。
占星術や風水を取り入れて、時代の波に乗ろう!
2024年からは「風の時代」と「第九運」の新しい時代が始まります。今年はどのような年にしたいか、どのように動いていけばいいかイメージはつきましたか?
占星術では、2024年11月20日に冥王星が水瓶座に入り、時代の変革のターニングポイントを迎えます。この日は、自分の本質や使命に気づき、新しい時代の流れに合わせることが大切です。星座やホロスコープをチェックして、自分にとっての幸せや目標を見つめ直すのもいいですね。
風水では、2024年2月4日から「第九運」に入ります。これは、180年のサイクルの最後の20年間で、火のエネルギーが強くなります。この時代は、華やかさや精神性、技術や創造性が求められる時代。自宅や職場の方位や色彩を工夫して、火のエネルギーを活用しましょう。
占星術や風水を生活に取り入れて、上手に波に乗って、しなやかに風の時代を乗り切りましょう!
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公開日:2024年 1月 3日
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2024年、新しい時代の幕開けを迎えます。それは「 風の時代 」と呼ばれる、自由と多様性に満ちた時代が本格的に始まるのです。この時代は、今までの常識や枠組みを打ち破り、驚くべき変化を引き起こすでしょう。さらに、「第九運」の時期も同時に訪れ、古いものが終わり、新しいものが始まるサイクルの節目でもあります。そこで今回は、この時代の特徴や流れを理解し、変化に対応できるようになるためのヒントをお伝えします!
風の時代
ページコンテンツ(目次)
1 風の時代 とは
2 2024年は11月20日がターニングポイントに
3 風の時代 を幸せに過ごすためのポイント
4 第九運にも注目
5 占星術や風水を取り入れて、時代の波に乗ろう!
風の時代 とは
西洋占星術では、2021年から「風の時代」という新しい時代が始まったと言われています。2023年は準備の年となり、2024年からは本格的に風の時代が展開していくと考えられています。
風の時代の始まりは、木星と土星が約20年に1回ほど近づく「大会合(グレート・コンジャンクション)」という現象で示されます。この現象は、時代が変わるときに起こるもので、約200年に一回ほど、この世界を作る四つの元素「火」「土」「風」「水」のうち、どれが時代をリードするかが変わります。
今までの約200年間は「土」の元素が時代を作っていましたが、2020年12月22日の大会合は「風」の元素の星座である水瓶座で起こりました。これからの約200年間は、「風」の元素の星座(双子座、天秤座、水瓶座)が時代を引っ張っていくことになります。
「 風の時代 」という新しい章は、見えざる風が変化をもたらすように、情報、知性、コミュニケーション、そして教育のような無形の要素が中心となる時代です。この時代では、深い知識の追求と共に、創造的な想像力、批判的思考力、そして柔軟な対応がとても大切になります。
わたしたちは自分の中に秘めている情熱や夢に真摯に向き合い、それに従って行動することでさらに良いエネルギーを得ることができます。これと同時に、社会全体も固定された枠を超えて、より「自由」で開放的な価値観へと流れていくでしょう。
しかしながら、決してすべてがいい流れになるとは限りません。情報が大きな力を持つこの時代には、その情報の誤用や乱用によるリスクも潜んでいるからです。
このような「風の時代」では、表面的な言葉や流行に流されず、真の「知性」を追及することが求められます。信頼できる情報源からの知識を自分でしっかりと見極めて、多様な視点を受け入れ、それらと共に生きることの大切さが、これまで以上に重要になってきます。
2024年は11月20日がターニングポイントに
2024年11月20日は、西洋占星術の世界で大きな変化の波が訪れるとして注目されています。2023年の3月から6月、さらに2024年の1月から9月にかけて段階を踏んだ後、破壊と再生の象徴である冥王星が、約248年の長い周期で12星座をめぐり、およそ250年ぶりに2024年11月20日に水瓶座(みずがめ座)への移動を完了させます。この冥王星の重要な位置変更が、「風の時代」の本格的なスタートの合図と考えられているからです。
この「 風の時代 」は、先ほどお伝えしたように自由と多様性、情報とコミュニケーションを重んじる時代です。個々人の独自性や才能が評価され、従来の固定観念や枠組みは徐々に崩れ去っていきます。冥王星は、隠されたり潜在的な要素を明るみに出す力を持ち、水瓶座への移動は、社会や人類の深い変革を引き起こすと見られています。
ですから、2024年11月20日は、これらの変革の始まりを告げる日と言えます。この日から、多くの人々が自分の本質や使命に気づき始めるかもしれません。新たな発見や革新が生まれる可能性もあるでしょう。
しかし、冥王星は破壊や危機も引き起こすことがあるため、この水瓶座への移動は、社会や人類にとっての深刻な問題や課題をも浮き彫りにするかもしれないのです。
この日は「 風の時代 」における重要なターニングポイントです。新しい時代の流れに乗るかどうかが、個人や集団の運命を大きく左右することになります。この重要な日に向けて、自分自身の本当の望みや目標を見つめ直し、自分らしく生きることの大切さを心に留めておきましょう。
風の時代 を幸せに過ごすためのポイント
この時代の変化の波に乗るためには、生き方や価値観も柔軟に変えていくことが大切です。幸せな風の時代を過ごすために心がけたいことをご紹介します。
自分が心から楽しめることや、満足感を感じることを大切にしましょう。この時代は、一人ひとりの個性や才能が尊重され、自分の内なる声に耳を傾け、自分らしく生きることが重要です。物質的な所有や古い価値観に固執することなく、目に見えない価値を大事にすることもポイントです。物やお金よりも、知識や経験、人とのつながりを大切にし、それらを生かしていきましょう。
人との関係を大切にすることも大事です。この時代は、人と人との横のつながりや平等な関係が重視されます。友人、仲間、協力者との絆を深め、お互いに支え合うことが幸せへの鍵です。
このように、風の時代を幸せに過ごすためには、自分の好きなことを大事にし、物質的な所有や古い価値観にとらわれず人とのつながりを大切にすることが大切です。これからの時代に向けて、心と身体を整えて前向きに歩んでいきましょう。
第九運にも注目
180年を一つの大きなサイクルとして、その中で20年ごとに時代の気が変わっていく、風水の一種である九星気学の三元九運という考え方があります。180年前の1864年から始まったこのサイクルは、第一運から第二運というように進み、現在の第八運まで進んできました。現在は第八運の八白土星の時代で、動きが鈍くなり、停滞や困難が多い時代です。
しかし、2024年からは第九運の九紫火星の時代に入り、180年のサイクルの最後の20年間を迎えます。これは、時代の最終章であり、新しい時代の幕開けでもあります。私たちは、この大きな変化の時期に生きているのです。そして、新しい時代の訪れを目の当たりにすることになります。
第九運の九紫火星の時代は、火のエネルギーが強く、動きが速く、活発な時代になり、お金の流れも変わってきます。これまで、わたしたちは貯蓄をして安定を求めてきましたが、その時代は終わりを告げ、電子マネーや投資といった動きに風向きが変わります。お金をため込むのではなく、今持っているものを動かすことが時代に合わせることになります。ただ、これはお金に限った話ではなく、私たちの行動や将来に関しても言えることなのです。
夢や目標があるなら、じっとしていないで行動に移しましょう。2024年は、夢を追いかける人が成功する時代になるのです。「でもわたしなんて」とか「無理だし」と、停滞する時代は終わりを告げます。
また、「それはきっと無理だからやめたほうがいいよ」と、あなたの夢や目標をくじく発言をする人とは、距離を置く方がいいかもしれません。応援して背中を押してくれる人と付き合っていくことで、右肩上がりの人生を掴むことができるでしょう。夢が叶うかどうかは、あなた次第。とにかく夢や目標に向かって進みましょう。
ただし、火のエネルギーは争いや衝突をもたらすこともあります。ライバルと競争して、勝ち取ろうとする気持ちも大切ですが、それだけでは不十分です。自分はどうありたいのか、どう生きたいのか、ということを考えることも必要です。ライバルと敵対するのではなく、協力して共に成長することもできるということをお忘れなく。そうすれば、もっと大きな夢に近づくことができるかもしれません。
占星術や風水を取り入れて、時代の波に乗ろう!
2024年からは「風の時代」と「第九運」の新しい時代が始まります。今年はどのような年にしたいか、どのように動いていけばいいかイメージはつきましたか?
占星術では、2024年11月20日に冥王星が水瓶座に入り、時代の変革のターニングポイントを迎えます。この日は、自分の本質や使命に気づき、新しい時代の流れに合わせることが大切です。星座やホロスコープをチェックして、自分にとっての幸せや目標を見つめ直すのもいいですね。
風水では、2024年2月4日から「第九運」に入ります。これは、180年のサイクルの最後の20年間で、火のエネルギーが強くなります。この時代は、華やかさや精神性、技術や創造性が求められる時代。自宅や職場の方位や色彩を工夫して、火のエネルギーを活用しましょう。
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2024年01月04日
竹取物語が伝えたい真実とは
竹取物語が伝えたい真実とは
編集
働き方改革の一環として耳目を集めるリモートワーク。在宅勤務に切り替えることが珍しくなくなった昨今だが、私もその1人だ。1年経ってようやく新しい日課に慣れてきた今、毎日絶対に欠かせないのは、朝の散歩。熱々のカフェラテを入手すべく、あえて家から少し離れたお店まで歩いて、30分ほどで戻ってくるというのがお決まりコースだが、こうした穏やかな日々を過ごしている中、意外な発見があった。
この連載の記事一覧はこちら
持ち帰り用のカップを片手に周りを見渡すと、景色の一角がふと目にとまる。澄み渡った空に浮かび上がるアイコニックな輪郭、白い山頂……。そう、わが家の近くの高台から富士山がくっきりと見えるのだ。
引っ越してきてからすでに3年が経過しているというのに、最近までその絶景スポットを完全に見逃していた。わざわざ坂を上らないとわからないし、曇っていると見えないし、見落とすのも無理もない。とはいえ、この辺りに暮らす人々はきっと誰でもそれに気づいているはずだ。日本人はみんな富士山が大好きだもの。
畏れられると同時に、敬われてきた山。人間の日々の営みを静かに見守り続ける、変わらぬ存在でありながら、活火山である以上、つねに変化の可能性を秘めて、恐ろしくても尊い。富士山というのは日本の象徴の1つであり、日本人の感性に深く根付いているものだとも言える。
富士山から噴き上がる煙は人々の悲しみ
ところが、その見慣れた形はずっと同じかと思うと、実はそうでもない。まず、平安初期の貞観大噴火で姿ががらりと変わり、その次は江戸中期に再び大規模な噴火があって、さらに変化したそうだ。そう考えると、空を見上げていた古代人は、私たちが見ているものとまったく違う形をしたものを見ていたのかもしれない。
『万葉集』に収められている歌には、恋焦がれた人々の悲しみは富士山から噴き上がる煙に例えられることが多く、そのイメージこそが当時の活発な活動を物語っている。さらに、葛飾北斎による「富嶽三十六景」をはじめ、浮世絵の人気題材の1つにもなり、「神奈川沖浪裏」の非現実的なプロポーションは安っぽいお土産にまで反復され、海外でも知りわたることになった。
こうして数知れずの作品に起用されてきた、超VIPな富士山は、現存している最古の物語にも堂々と登場している。最後に、ドーンと。いうまでもなく、それはかの有名な『竹取物語』である。
日本人は誰でも無性に富士山に惹かれるのと同じように、『竹取物語』にも不思議な引力を感じるようで、どんなに古典文学に疎い読者でも知らない人はいないといってもいい。富士山が取り上げられているから魅力的に思えるのか、それともその逆なのかは定かでないが、とにかくその関係は切っても切れないようなものである。
帝と文通を続けるかぐや姫にお迎えが
さて、かぐや姫はしつこくつきまとっていた5人の求婚者に無理な難題を課し、1人ひとりを破滅に追い込むが、それでもなお彼女の稀有な美貌と気高さが話題を呼び、その噂はなんと国のトップである帝の耳にまで届いてしまう。そして、手に入れられないものこそ欲しくなるという心理が働き、彼は断られても猛アプローチを続ける。
ところが、かぐや姫がどんな立派な求婚者であろうと頑なに結婚を拒否し続けるのは、気まぐれでわがままな性格のせいだけではない。ある罪を償うために地球に落とされた彼女は、月の都の出身であり、人間との恋を禁じられていたのだ。
とはいえ、相手が帝ともなると、ほかの男たちと同じようなぞんざいな扱いはさすがにできないので、文通を通じて関係を保ち、少しずつ2人の距離が近くなっていく。しかし、残念ながらロマンスは成就しない。やがて天人の迎えがきて、かぐや姫を好いている人々がどんなに抵抗しようとも、彼女の地球での滞在にあっけなく終止符が打たれるのだ。
いまはとて天の羽衣着る折ぞ君をあはれと思ひ出でける
とて、壺の薬添へて、頭中将を呼び寄せて奉らす。中将に、天人取りて伝ふ。中将取りつれば、ふと天の羽衣うち着せ奉りつれば、翁をいとほし、かなしとおぼしつることも失せぬ。この衣着つる人は、物思ひなくなりにければ、車に乗りて百人ばかり天人具して昇りぬ。
【イザ流圧倒的訳】
「今は、これまでと思って、天の羽衣を着るのですが、改めて貴方の気持ちを思い知ったわ」
という歌で手紙を締めくくり、それを薬の入った壺に添えて、頭中将に頼んで帝に渡してもらう。頭中将には天人が取り次いで渡す。それが終わると、天人はかぐや姫にすぐ羽衣を着せて、その瞬間に爺さんを愛おしく思う気持ちがきれいさっぱりなくなる。この羽衣を着たかぐや姫はすべてを忘れて、車に乗って、100人ほどの天人を引き連れて、空に昇っていくのだ。
人間界で過ごした時間の記憶を完全に失い、空へと飛んでいくかぐや姫、そのイメージは実に詩的で美しい。彼女が帝に宛てた別れの歌には、「あはれ」という平安文学のキーワードの1つがさりげなく採用されているけれど、そのしみじみと湧き上がってくる気持ちこそが、姫の人間としての成長を表している。以前の、結婚を冷たく拒絶する女性とまるで別人になっており、記憶を消す羽衣を着ないかぎり、彼女は天人に戻れなくなったほどである。
悲しい場面なのになぜかシュールで滑稽
われわれ人間の愛は本当に深いものだな、と読みながら目がうるみそうになるが、お茶目で有名な、『竹取物語』の名もなき作者は、この感動の1コマまで見事にふざけてみせる。
心のこもった手紙をしたためて、不死の薬を入れた壺を準備したかぐや姫は、それを天人に渡して、天人は頭中将に渡して、頭中将が後に帝に献上するために預かるというリレーを想像してみると、なかなかシュールな絵である。姫や爺さんは、すぐそこに迫ってきている永遠の別れに苦しみ、悲しい涙で袖を濡らしている横で、餞別の品を律儀に手渡している人々がせわしなく動き回るさまは滑稽だ。
そして、その一連の動作が済むなり、天人は急いでかぐや姫に羽衣を着せて、100人ほどの集団がぞろぞろと飛んでいくが、その短くて端的な描写からは物事が素早いスピードに進んでいることが伝わってくる。近くからみたら涙ぐましい場面である反面、一歩を引いてその一部始終を俯瞰してみると、どことなくコミカルな仕上がりになっており、駄洒落好きな作者の独特なタッチが感じられる。
もしも違う作者だったら、『竹取物語』はこのシーンで終わっていたのかもしれない。ストーリー自体は完成しているし、人間の愛は天人まで変えられるほど強いものだという教訓もばっちり入っているし、まさに笑いあり、涙ありの感動のドラマになっている。しかし、『竹取物語』を創造した作者は、いつも期待以上のことをやってのけるので、最後もさらなる努力をして、才筆を振るう。
周知の通り、『竹取物語』に酷似した話は『今昔物語集』にも含まれており、それ以外にも同じようなモチーフを用いた説話が数多く存在していたと思われる。しかし、全部は残されているわけではないので、正確に比較するのは難しいものの、それらの先行文学は似ているとはいえ、やはり『竹取物語』では必ず何かが足されている。
3人の求婚者が5人に増えたり、帝まで出演したり、前世の罪という謎がちらついたり……プロットのどの部分においても作者は何かしらの新しいコンテンツに挑戦している。最後の「ポストかぐや姫」の話もまさにそのようなオリジナリティのたまものである。
愛娘と会えなくなった爺さんと婆さんは悲しみに暮れ、生きる元気を失いつつある。その一方、頭中将は派遣されていた大勢の兵士を引き揚げて、宮廷に戻り、かぐや姫を引き留めることができなかったと帝に報告し、預かった品を献上する。そして、愛する女性の置手紙を読んで涙を流し、奈落の底に突き落とされた帝は、一番高い山はどこだと尋ねる。
あふことも涙に浮かぶわが身には死なぬ薬も何にかはせむ
かの奉る不死の薬に、また、壺具して御使ひに賜はす。勅使には、調石笠といふ人を召して、駿河の国にあなる山の頂に持てつくべき由仰せ給ふ。峰にてすべきやう教へさせ給ふ。御文、不死の薬の壺並べて、火をつけて燃やすべき由仰せ給ふ。その由承りて、兵どもあまた具して山へ登りけるよりなむ、その山を「ふじの山」とは名付けける。その煙、いまだ雲の中へ立ち昇るとぞ言ひ伝へたる。
【イザ流圧倒的訳】
「もう貴女に会うこともできない、涙に溺れている私には、不死の薬なんぞ意味あるのか……否、ない…」と言って、帝はもらった壺と手紙をお使いに渡した。調石笠という人を呼んでもらい、それらのものを渡して、駿河の国にある山に持っていくように命じた。山頂に上がって全部燃やすように指示したのだ。その命令を受けた調石笠は、大勢の兵士を連れて、山に登ったので、それによってその山は「富士の山(士に富む山)」と名付けられた。その煙は今でも雲の中に立ち昇っていると言い伝えられている。
月の世界と人間界の「対比」より鮮やかに
『竹取物語』はこうして、煙をまき散らす富士山のイメージで締めくくられる。これもまた葉書のごとく美しく描かれたシーンであると同時に、軽快な語り口でサクッと読める場面でもある。
本来であれば誰もが欲しがる不老不死の薬だが、絶望のどん底に突き落とされた帝はそれを処分することを決心。このかぎりでは、愛を失った帝は老いて死にゆく人間界の一員に過ぎず、最高の権力者でありながらも、娘を攫わられた爺さんと婆さんと立場がまったく同じだ。
そして、死と老いを知らない月の都とそれを定められている地上、物語に出てくるその2つの世界は、薬が燃やされることによってより一層あざやかに対比するものとして語られ、その根本的な違いがさらに強調される。
その儀式が行われた神聖なる場所、天と地をつなぐ神秘的な山の名前は、「不死」からくるのではないかな……とここまで読んで早とちりしそうになるが、作者はその期待を裏切る感じでまったく違う語源を提示してみせる。
『竹取物語』のフィナーレは一見、以前にもあった地名起源譚を彷彿させるスタイルになっているものの、その内容は完全にでたらめだ。しかし、語源の信ぴょう性はどの読者でも判断ができたはずなので、作者は騙す目的でそれを選んでいるのではなく、嘘であることを自覚した上で書いている。虚構性こそが「物語」の醍醐味だということを教えたかったのだろう。
しかも、その語源は嘘ばかりではなく、さまざまな意味を持つと考えられ、物語の可能性をさらに広げているものでもある。文中に紹介されている「士に富む山」という説以外、煙が絶えず立ち上る、つまり「不尽」という意味にもかかっていると指摘されている。
その2つのインチキな語源から得られるイメージを組み合わせてみると、山頂から上っていく煙は実を結ばなかった切なくて、儚(はかな)い恋を象徴していると同時に、多くの兵士を動員してもかぐや姫を引きとめることができず、水の泡になってしまったその努力の滑稽さを表している。心の琴線に触れる、絶望的な悲しさと笑いを誘う洒落、「不尽/富士」という同音異義語による言葉遊びにはその両方の意味が隠されているわけである。
「富士山」という言葉が物語の解釈を豊かにする
従来の地名起源譚の中でも、信ぴょう性に乏しい、かなりぶっ飛んだ話が散見されるが、それらの作品と『竹取物語』とは2つの決定的な違いがある。
まず、地名起源譚や風土記の編集に携わった著者たちは、どんな変な話だろうと、それは事実だと信じて疑わなかった。そして、真実を伝えているという前提になっているが故に、地名とその語源は必ず一対一で結びついている。しかし、「富士山」の話は違う。その言葉からさまざまな意味が生まれ、その1つひとつは物語の違う解釈に私たちを誘導する。
ここまでくると、「富士山」の本当の語源はなんだろうと調べたくなるかもしれない。しかし、私はやはり『竹取物語』の作者がでっち上げてくれたもので満足している。不老不死の薬を手に入れる可能性を失った人間の運命、愛を返してくれない人を想う悲しさ、意味もなく働き回る毎日、そのようなことを考えて想像をめぐらし、熱々のカフェラテを啜りながら、富士山が見えるかなとワクワクして今日の朝も歩いている。
編集
働き方改革の一環として耳目を集めるリモートワーク。在宅勤務に切り替えることが珍しくなくなった昨今だが、私もその1人だ。1年経ってようやく新しい日課に慣れてきた今、毎日絶対に欠かせないのは、朝の散歩。熱々のカフェラテを入手すべく、あえて家から少し離れたお店まで歩いて、30分ほどで戻ってくるというのがお決まりコースだが、こうした穏やかな日々を過ごしている中、意外な発見があった。
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持ち帰り用のカップを片手に周りを見渡すと、景色の一角がふと目にとまる。澄み渡った空に浮かび上がるアイコニックな輪郭、白い山頂……。そう、わが家の近くの高台から富士山がくっきりと見えるのだ。
引っ越してきてからすでに3年が経過しているというのに、最近までその絶景スポットを完全に見逃していた。わざわざ坂を上らないとわからないし、曇っていると見えないし、見落とすのも無理もない。とはいえ、この辺りに暮らす人々はきっと誰でもそれに気づいているはずだ。日本人はみんな富士山が大好きだもの。
畏れられると同時に、敬われてきた山。人間の日々の営みを静かに見守り続ける、変わらぬ存在でありながら、活火山である以上、つねに変化の可能性を秘めて、恐ろしくても尊い。富士山というのは日本の象徴の1つであり、日本人の感性に深く根付いているものだとも言える。
富士山から噴き上がる煙は人々の悲しみ
ところが、その見慣れた形はずっと同じかと思うと、実はそうでもない。まず、平安初期の貞観大噴火で姿ががらりと変わり、その次は江戸中期に再び大規模な噴火があって、さらに変化したそうだ。そう考えると、空を見上げていた古代人は、私たちが見ているものとまったく違う形をしたものを見ていたのかもしれない。
『万葉集』に収められている歌には、恋焦がれた人々の悲しみは富士山から噴き上がる煙に例えられることが多く、そのイメージこそが当時の活発な活動を物語っている。さらに、葛飾北斎による「富嶽三十六景」をはじめ、浮世絵の人気題材の1つにもなり、「神奈川沖浪裏」の非現実的なプロポーションは安っぽいお土産にまで反復され、海外でも知りわたることになった。
こうして数知れずの作品に起用されてきた、超VIPな富士山は、現存している最古の物語にも堂々と登場している。最後に、ドーンと。いうまでもなく、それはかの有名な『竹取物語』である。
日本人は誰でも無性に富士山に惹かれるのと同じように、『竹取物語』にも不思議な引力を感じるようで、どんなに古典文学に疎い読者でも知らない人はいないといってもいい。富士山が取り上げられているから魅力的に思えるのか、それともその逆なのかは定かでないが、とにかくその関係は切っても切れないようなものである。
帝と文通を続けるかぐや姫にお迎えが
さて、かぐや姫はしつこくつきまとっていた5人の求婚者に無理な難題を課し、1人ひとりを破滅に追い込むが、それでもなお彼女の稀有な美貌と気高さが話題を呼び、その噂はなんと国のトップである帝の耳にまで届いてしまう。そして、手に入れられないものこそ欲しくなるという心理が働き、彼は断られても猛アプローチを続ける。
ところが、かぐや姫がどんな立派な求婚者であろうと頑なに結婚を拒否し続けるのは、気まぐれでわがままな性格のせいだけではない。ある罪を償うために地球に落とされた彼女は、月の都の出身であり、人間との恋を禁じられていたのだ。
とはいえ、相手が帝ともなると、ほかの男たちと同じようなぞんざいな扱いはさすがにできないので、文通を通じて関係を保ち、少しずつ2人の距離が近くなっていく。しかし、残念ながらロマンスは成就しない。やがて天人の迎えがきて、かぐや姫を好いている人々がどんなに抵抗しようとも、彼女の地球での滞在にあっけなく終止符が打たれるのだ。
いまはとて天の羽衣着る折ぞ君をあはれと思ひ出でける
とて、壺の薬添へて、頭中将を呼び寄せて奉らす。中将に、天人取りて伝ふ。中将取りつれば、ふと天の羽衣うち着せ奉りつれば、翁をいとほし、かなしとおぼしつることも失せぬ。この衣着つる人は、物思ひなくなりにければ、車に乗りて百人ばかり天人具して昇りぬ。
【イザ流圧倒的訳】
「今は、これまでと思って、天の羽衣を着るのですが、改めて貴方の気持ちを思い知ったわ」
という歌で手紙を締めくくり、それを薬の入った壺に添えて、頭中将に頼んで帝に渡してもらう。頭中将には天人が取り次いで渡す。それが終わると、天人はかぐや姫にすぐ羽衣を着せて、その瞬間に爺さんを愛おしく思う気持ちがきれいさっぱりなくなる。この羽衣を着たかぐや姫はすべてを忘れて、車に乗って、100人ほどの天人を引き連れて、空に昇っていくのだ。
人間界で過ごした時間の記憶を完全に失い、空へと飛んでいくかぐや姫、そのイメージは実に詩的で美しい。彼女が帝に宛てた別れの歌には、「あはれ」という平安文学のキーワードの1つがさりげなく採用されているけれど、そのしみじみと湧き上がってくる気持ちこそが、姫の人間としての成長を表している。以前の、結婚を冷たく拒絶する女性とまるで別人になっており、記憶を消す羽衣を着ないかぎり、彼女は天人に戻れなくなったほどである。
悲しい場面なのになぜかシュールで滑稽
われわれ人間の愛は本当に深いものだな、と読みながら目がうるみそうになるが、お茶目で有名な、『竹取物語』の名もなき作者は、この感動の1コマまで見事にふざけてみせる。
心のこもった手紙をしたためて、不死の薬を入れた壺を準備したかぐや姫は、それを天人に渡して、天人は頭中将に渡して、頭中将が後に帝に献上するために預かるというリレーを想像してみると、なかなかシュールな絵である。姫や爺さんは、すぐそこに迫ってきている永遠の別れに苦しみ、悲しい涙で袖を濡らしている横で、餞別の品を律儀に手渡している人々がせわしなく動き回るさまは滑稽だ。
そして、その一連の動作が済むなり、天人は急いでかぐや姫に羽衣を着せて、100人ほどの集団がぞろぞろと飛んでいくが、その短くて端的な描写からは物事が素早いスピードに進んでいることが伝わってくる。近くからみたら涙ぐましい場面である反面、一歩を引いてその一部始終を俯瞰してみると、どことなくコミカルな仕上がりになっており、駄洒落好きな作者の独特なタッチが感じられる。
もしも違う作者だったら、『竹取物語』はこのシーンで終わっていたのかもしれない。ストーリー自体は完成しているし、人間の愛は天人まで変えられるほど強いものだという教訓もばっちり入っているし、まさに笑いあり、涙ありの感動のドラマになっている。しかし、『竹取物語』を創造した作者は、いつも期待以上のことをやってのけるので、最後もさらなる努力をして、才筆を振るう。
周知の通り、『竹取物語』に酷似した話は『今昔物語集』にも含まれており、それ以外にも同じようなモチーフを用いた説話が数多く存在していたと思われる。しかし、全部は残されているわけではないので、正確に比較するのは難しいものの、それらの先行文学は似ているとはいえ、やはり『竹取物語』では必ず何かが足されている。
3人の求婚者が5人に増えたり、帝まで出演したり、前世の罪という謎がちらついたり……プロットのどの部分においても作者は何かしらの新しいコンテンツに挑戦している。最後の「ポストかぐや姫」の話もまさにそのようなオリジナリティのたまものである。
愛娘と会えなくなった爺さんと婆さんは悲しみに暮れ、生きる元気を失いつつある。その一方、頭中将は派遣されていた大勢の兵士を引き揚げて、宮廷に戻り、かぐや姫を引き留めることができなかったと帝に報告し、預かった品を献上する。そして、愛する女性の置手紙を読んで涙を流し、奈落の底に突き落とされた帝は、一番高い山はどこだと尋ねる。
あふことも涙に浮かぶわが身には死なぬ薬も何にかはせむ
かの奉る不死の薬に、また、壺具して御使ひに賜はす。勅使には、調石笠といふ人を召して、駿河の国にあなる山の頂に持てつくべき由仰せ給ふ。峰にてすべきやう教へさせ給ふ。御文、不死の薬の壺並べて、火をつけて燃やすべき由仰せ給ふ。その由承りて、兵どもあまた具して山へ登りけるよりなむ、その山を「ふじの山」とは名付けける。その煙、いまだ雲の中へ立ち昇るとぞ言ひ伝へたる。
【イザ流圧倒的訳】
「もう貴女に会うこともできない、涙に溺れている私には、不死の薬なんぞ意味あるのか……否、ない…」と言って、帝はもらった壺と手紙をお使いに渡した。調石笠という人を呼んでもらい、それらのものを渡して、駿河の国にある山に持っていくように命じた。山頂に上がって全部燃やすように指示したのだ。その命令を受けた調石笠は、大勢の兵士を連れて、山に登ったので、それによってその山は「富士の山(士に富む山)」と名付けられた。その煙は今でも雲の中に立ち昇っていると言い伝えられている。
月の世界と人間界の「対比」より鮮やかに
『竹取物語』はこうして、煙をまき散らす富士山のイメージで締めくくられる。これもまた葉書のごとく美しく描かれたシーンであると同時に、軽快な語り口でサクッと読める場面でもある。
本来であれば誰もが欲しがる不老不死の薬だが、絶望のどん底に突き落とされた帝はそれを処分することを決心。このかぎりでは、愛を失った帝は老いて死にゆく人間界の一員に過ぎず、最高の権力者でありながらも、娘を攫わられた爺さんと婆さんと立場がまったく同じだ。
そして、死と老いを知らない月の都とそれを定められている地上、物語に出てくるその2つの世界は、薬が燃やされることによってより一層あざやかに対比するものとして語られ、その根本的な違いがさらに強調される。
その儀式が行われた神聖なる場所、天と地をつなぐ神秘的な山の名前は、「不死」からくるのではないかな……とここまで読んで早とちりしそうになるが、作者はその期待を裏切る感じでまったく違う語源を提示してみせる。
『竹取物語』のフィナーレは一見、以前にもあった地名起源譚を彷彿させるスタイルになっているものの、その内容は完全にでたらめだ。しかし、語源の信ぴょう性はどの読者でも判断ができたはずなので、作者は騙す目的でそれを選んでいるのではなく、嘘であることを自覚した上で書いている。虚構性こそが「物語」の醍醐味だということを教えたかったのだろう。
しかも、その語源は嘘ばかりではなく、さまざまな意味を持つと考えられ、物語の可能性をさらに広げているものでもある。文中に紹介されている「士に富む山」という説以外、煙が絶えず立ち上る、つまり「不尽」という意味にもかかっていると指摘されている。
その2つのインチキな語源から得られるイメージを組み合わせてみると、山頂から上っていく煙は実を結ばなかった切なくて、儚(はかな)い恋を象徴していると同時に、多くの兵士を動員してもかぐや姫を引きとめることができず、水の泡になってしまったその努力の滑稽さを表している。心の琴線に触れる、絶望的な悲しさと笑いを誘う洒落、「不尽/富士」という同音異義語による言葉遊びにはその両方の意味が隠されているわけである。
「富士山」という言葉が物語の解釈を豊かにする
従来の地名起源譚の中でも、信ぴょう性に乏しい、かなりぶっ飛んだ話が散見されるが、それらの作品と『竹取物語』とは2つの決定的な違いがある。
まず、地名起源譚や風土記の編集に携わった著者たちは、どんな変な話だろうと、それは事実だと信じて疑わなかった。そして、真実を伝えているという前提になっているが故に、地名とその語源は必ず一対一で結びついている。しかし、「富士山」の話は違う。その言葉からさまざまな意味が生まれ、その1つひとつは物語の違う解釈に私たちを誘導する。
ここまでくると、「富士山」の本当の語源はなんだろうと調べたくなるかもしれない。しかし、私はやはり『竹取物語』の作者がでっち上げてくれたもので満足している。不老不死の薬を手に入れる可能性を失った人間の運命、愛を返してくれない人を想う悲しさ、意味もなく働き回る毎日、そのようなことを考えて想像をめぐらし、熱々のカフェラテを啜りながら、富士山が見えるかなとワクワクして今日の朝も歩いている。
素晴らしき日本語の世界
普段私たちが何気なく使っている日本語って、実はどんな特徴があるのでしょうか。
私達が英語を勉強したとき、「へぇ〜! こんなに発想がちがうんだ」と思うのと同じように、外国人だからこそわかる”日本語の良さや面白さ”があるようです。
アメリカや日本で日本語を教えて30年以上になる、十文字学園女子大学の平野映子さんに、外国人が驚く日本語の魅力を教えていただきました。
■私達日本人は気付かない、日本語の面白いところ
(1)相手との絶妙な距離感
日本語を学ぶ多くの外国人が驚くのが、敬語や丁寧語、謙譲語、タメ語といった相手による言葉の使い分けの複雑さです。さらに女性と男性でも使う言葉に違いがありますし、書き言葉と話し言葉でも違います。
外国人向けの日本語テキストでは丁寧語から教えたり、決まった型を習いますが、実際の生活場面にはそぐわないことも多いわけです。ですから、かなり上級者にならないと使い分けができないという難しさがあります。
この点は、もっとシンプルでストレートな英語などの言語とは大きく異なる点ですね。
日本では、礼儀正しさや思いやり、尊敬といった気持ちを言葉に込めたり、相手によって微妙なニュアンスを表現することが重要です。その文化が、日本語によく現れているわけです。
(2)自然や季節感が生きた言葉
日本語には自然や季節に関する語彙が多いと言われています。例えば、雨なら”小雨”、”時雨”、”夕立”、”春雨”など語彙が豊富です。それは雨の降り方ばかりでなく、まわりの情景まで連想させるもので、とても情緒的です。
また、”入道雲”といえば夏、”鶯”といえば春の季語というように、和歌や俳句には季語があり、手紙は必ず時候の挨拶から始まります。色にも、”山吹色”、”紅色”というように植物の名前がついていますよね。
生活の中で季節感を大切にする心が日本語の文化的背景になっていることは、多くの外国人が感銘を受けるところだそうです。
(3)日本語に独特の言葉
他にも、日本語には外国語であまりみられない特徴があります。
例えば、”しとしと” ”ぶるぶる” ”しーん”といった擬音語や擬態語。オノマトペと言われるこれらの言葉は、日常会話や文章中に頻繁に登場しますし、マンガでもお馴染みです。
状況や音を言葉にするのはとても面白く、外国人にも覚えやすいといいます。
また、数を表す概念がないことも日本語の特徴です。複数形がなく、主語の単複が動詞に影響することもない日本語は、シンプルでわかりやすい言語なのだそうです。
そして、日本語は歴史的に多くの外国語を取り入れてきている言語でもあります。古くは中国から、鎖国の時代でもスペインやポルトガルから多くの言葉が日本語に採用されました。
”さぼる”はフランス語から、”イクラ”はロシア語から……というように、もはや教えられなければ外来語だとわからない言葉もたくさんあります。
よく考えると、日本語は実にフレキシブルな言語でもあるのですね。
■親から子どもに伝えたい日本語の大切なところ
では、日本の家庭で育った日本語ネイティブであれば、誰でも自然に上手な日本語が話せるようになるでしょうか。実は、家庭での親の役割が重要だと平野さんは話します。
まだ小さい子どもでも、幼稚園や小学校に通うようになれば、友達と話す言葉と、病院のお医者様や学校の先生に話す言葉づかいは違うことがわかってきます。それを意識的に教えてあげることが大切なのです。
そして、家庭での言葉遣いも注意が必要です。
母親が汚い言葉遣いをすると、子どもも汚い言葉遣いをする子に育ちます。特に、感情に駆られるような場面での親の言葉遣いには注意が必要だそうです。
また、”口に出さないのは美徳”だったのは昔の話。
「ありがとう」といった言葉はもちろん、相手を思いやる気持ちや、自分の考えをはっきりと言葉にして伝えられるよう、日頃から家庭で気をつけるようにしましょう。
いかがでしたか? 「なるほど……、それは日本語だけだったのか!」と思ってしまう、普段日本人が気づかない日本語の良さや、面白さがありますね。
そういった日本語の特徴を知り、これからの日本の子ども達にも、母国語としての日本語の素晴らしいところを意識的に伝えてあげたいものです。
私達が英語を勉強したとき、「へぇ〜! こんなに発想がちがうんだ」と思うのと同じように、外国人だからこそわかる”日本語の良さや面白さ”があるようです。
アメリカや日本で日本語を教えて30年以上になる、十文字学園女子大学の平野映子さんに、外国人が驚く日本語の魅力を教えていただきました。
■私達日本人は気付かない、日本語の面白いところ
(1)相手との絶妙な距離感
日本語を学ぶ多くの外国人が驚くのが、敬語や丁寧語、謙譲語、タメ語といった相手による言葉の使い分けの複雑さです。さらに女性と男性でも使う言葉に違いがありますし、書き言葉と話し言葉でも違います。
外国人向けの日本語テキストでは丁寧語から教えたり、決まった型を習いますが、実際の生活場面にはそぐわないことも多いわけです。ですから、かなり上級者にならないと使い分けができないという難しさがあります。
この点は、もっとシンプルでストレートな英語などの言語とは大きく異なる点ですね。
日本では、礼儀正しさや思いやり、尊敬といった気持ちを言葉に込めたり、相手によって微妙なニュアンスを表現することが重要です。その文化が、日本語によく現れているわけです。
(2)自然や季節感が生きた言葉
日本語には自然や季節に関する語彙が多いと言われています。例えば、雨なら”小雨”、”時雨”、”夕立”、”春雨”など語彙が豊富です。それは雨の降り方ばかりでなく、まわりの情景まで連想させるもので、とても情緒的です。
また、”入道雲”といえば夏、”鶯”といえば春の季語というように、和歌や俳句には季語があり、手紙は必ず時候の挨拶から始まります。色にも、”山吹色”、”紅色”というように植物の名前がついていますよね。
生活の中で季節感を大切にする心が日本語の文化的背景になっていることは、多くの外国人が感銘を受けるところだそうです。
(3)日本語に独特の言葉
他にも、日本語には外国語であまりみられない特徴があります。
例えば、”しとしと” ”ぶるぶる” ”しーん”といった擬音語や擬態語。オノマトペと言われるこれらの言葉は、日常会話や文章中に頻繁に登場しますし、マンガでもお馴染みです。
状況や音を言葉にするのはとても面白く、外国人にも覚えやすいといいます。
また、数を表す概念がないことも日本語の特徴です。複数形がなく、主語の単複が動詞に影響することもない日本語は、シンプルでわかりやすい言語なのだそうです。
そして、日本語は歴史的に多くの外国語を取り入れてきている言語でもあります。古くは中国から、鎖国の時代でもスペインやポルトガルから多くの言葉が日本語に採用されました。
”さぼる”はフランス語から、”イクラ”はロシア語から……というように、もはや教えられなければ外来語だとわからない言葉もたくさんあります。
よく考えると、日本語は実にフレキシブルな言語でもあるのですね。
■親から子どもに伝えたい日本語の大切なところ
では、日本の家庭で育った日本語ネイティブであれば、誰でも自然に上手な日本語が話せるようになるでしょうか。実は、家庭での親の役割が重要だと平野さんは話します。
まだ小さい子どもでも、幼稚園や小学校に通うようになれば、友達と話す言葉と、病院のお医者様や学校の先生に話す言葉づかいは違うことがわかってきます。それを意識的に教えてあげることが大切なのです。
そして、家庭での言葉遣いも注意が必要です。
母親が汚い言葉遣いをすると、子どもも汚い言葉遣いをする子に育ちます。特に、感情に駆られるような場面での親の言葉遣いには注意が必要だそうです。
また、”口に出さないのは美徳”だったのは昔の話。
「ありがとう」といった言葉はもちろん、相手を思いやる気持ちや、自分の考えをはっきりと言葉にして伝えられるよう、日頃から家庭で気をつけるようにしましょう。
いかがでしたか? 「なるほど……、それは日本語だけだったのか!」と思ってしまう、普段日本人が気づかない日本語の良さや、面白さがありますね。
そういった日本語の特徴を知り、これからの日本の子ども達にも、母国語としての日本語の素晴らしいところを意識的に伝えてあげたいものです。
なぜ日本人は英語が上達しないのか?
なぜ日本人は英語が上達しないのか?
日本人が英語を話せない理由と打開策
http://directlink.jp/tracking/af/1470635/xvtmuGXp-T8GOEhUJ/
==================
世界の英語ランキングを公開している
イー・エフ・エデュケーション・ファースト
の発表によると、
「日本の英語力は、世界で35位」
ということを明らかにしました。
しかも、
ここで公開されている能力指標は、
「非常に高い」から「非常に低い」
までの5つの段階でレベル分けされ
その中でも、日本は「低い」に
位置付けされてしまったのです。
ただ、考えてください。
我々は、中学から義務教育を受け
何十年も英語を学校で学んできて
いるのです。
にも拘らず、
判定は「低い」という評価を
受けてしまったのです。
もちろん、
我々が教育を受けずに評価されている
のであれば低くても仕方ありませんが、
何十年も行って、この成果というのは
「バカ」で「クズ」で「アホ」
と世界から言われているようなものです。
ただ、あなたはバカですか?
それともアホですか?
おそらく、そんなことはないはずです。
しかし、
数値は、それを認めていません。
ただ、考えてください。
日本人というのは世界と比べても
「優秀な民族である」ということは
あなたが一番よく知っているはずです。
が、
それを認めない結果があるということは
何かズレが生じているということです。
・教育?
・学習方法?
・能力?
それとも・・・
「何か他の部分」が影響しているの?
という疑問が賢いあなたの中には
湧き出てきたと思いますが、
そうです。
これまで、日本人が英語が苦手で
話せなかったのは、
能力でも才能でもセンスでもなかった
わけです。
答えは、
我々の「脳」の中に秘密があったのです。
とは言え、
これまで学校の中でも、この脳について
解説してくれている人はいなかったので
なかなか知り得ない事実ではあったと
思いますが、
そこを知らない限り、今後どれだけ
勉強しお金と時間をかけたところで
英語を話し、世界と渡り合うことは
ほぼ不可能です。
なぜなら、
脳が大きく影響していたからです。
ただ逆に言うと、
この脳構造を知り、それにマッチした
学習法を学ぶことさえできてしまえば、
あなたは、一切の努力をすることなく
ペラペラと外国語を話すことができる
ようになります。
しかし、今のままではダメです。
今度、語学を習得する上で
まず行うべきことは、
「脳の秘密について知る必要がある」
ということです。
とは言え、
どこでどのように学んでいいのか
分からない人も多いと思いますので、
今回は、オンラインセミナーを
「無料」で開催したいと思います。
しかも、
ここで登壇されるスペシャル講師は、
世界のエリートとのパイプラインを持ち
自身が安倍総理の通訳を務める
世界で大活躍される専門家をお呼びし
「なぜ、日本人は英語が話せないのか?」
ということとその打開策について
解説していただきますので、
「興味あるよ」「ぜひ話を聞きたい」
という方は、下記URLに今すぐ
アクセスし、
いつもお使いのメールアドレスを登録し
「無料で視聴予約」を行ってください。
その第一歩が、あなたの未来を変えます。
英語が話せない理由とその打開策を知る:
http://directlink.jp/tracking/af/1470635/xvtmuGXp-T8GOEhUJ/
まれすけ (id:hakkouda-mt2015) 6年前
日本人が英語を話せない理由と打開策
http://directlink.jp/tracking/af/1470635/xvtmuGXp-T8GOEhUJ/
==================
世界の英語ランキングを公開している
イー・エフ・エデュケーション・ファースト
の発表によると、
「日本の英語力は、世界で35位」
ということを明らかにしました。
しかも、
ここで公開されている能力指標は、
「非常に高い」から「非常に低い」
までの5つの段階でレベル分けされ
その中でも、日本は「低い」に
位置付けされてしまったのです。
ただ、考えてください。
我々は、中学から義務教育を受け
何十年も英語を学校で学んできて
いるのです。
にも拘らず、
判定は「低い」という評価を
受けてしまったのです。
もちろん、
我々が教育を受けずに評価されている
のであれば低くても仕方ありませんが、
何十年も行って、この成果というのは
「バカ」で「クズ」で「アホ」
と世界から言われているようなものです。
ただ、あなたはバカですか?
それともアホですか?
おそらく、そんなことはないはずです。
しかし、
数値は、それを認めていません。
ただ、考えてください。
日本人というのは世界と比べても
「優秀な民族である」ということは
あなたが一番よく知っているはずです。
が、
それを認めない結果があるということは
何かズレが生じているということです。
・教育?
・学習方法?
・能力?
それとも・・・
「何か他の部分」が影響しているの?
という疑問が賢いあなたの中には
湧き出てきたと思いますが、
そうです。
これまで、日本人が英語が苦手で
話せなかったのは、
能力でも才能でもセンスでもなかった
わけです。
答えは、
我々の「脳」の中に秘密があったのです。
とは言え、
これまで学校の中でも、この脳について
解説してくれている人はいなかったので
なかなか知り得ない事実ではあったと
思いますが、
そこを知らない限り、今後どれだけ
勉強しお金と時間をかけたところで
英語を話し、世界と渡り合うことは
ほぼ不可能です。
なぜなら、
脳が大きく影響していたからです。
ただ逆に言うと、
この脳構造を知り、それにマッチした
学習法を学ぶことさえできてしまえば、
あなたは、一切の努力をすることなく
ペラペラと外国語を話すことができる
ようになります。
しかし、今のままではダメです。
今度、語学を習得する上で
まず行うべきことは、
「脳の秘密について知る必要がある」
ということです。
とは言え、
どこでどのように学んでいいのか
分からない人も多いと思いますので、
今回は、オンラインセミナーを
「無料」で開催したいと思います。
しかも、
ここで登壇されるスペシャル講師は、
世界のエリートとのパイプラインを持ち
自身が安倍総理の通訳を務める
世界で大活躍される専門家をお呼びし
「なぜ、日本人は英語が話せないのか?」
ということとその打開策について
解説していただきますので、
「興味あるよ」「ぜひ話を聞きたい」
という方は、下記URLに今すぐ
アクセスし、
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「無料で視聴予約」を行ってください。
その第一歩が、あなたの未来を変えます。
英語が話せない理由とその打開策を知る:
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まれすけ (id:hakkouda-mt2015) 6年前
2024年01月01日
日本再発見
日出ずる国
日本人は自分たちの国を日本やGiappone、Japon、Iapan、Nh?tB?n、Rìb?n、Yahtbún、Zeppen、Япония(Yaponiya)、??(Il-bon)と呼んだことはありません。これらはすべて外国人が日本に付けた名前です。日本人にとって、日本は7世紀または8世紀以来、日本(‘Nihon’または‘Nippon’)でした。
これ以前は、日本は「倭国」と呼ばれていました。これが中国が日本に付けた名前であることは知っていますが、その理由はわかりません。中国人が日本人を「小さな像(人)」だと考えたからだと言う人もいます。「小人」に相当する漢字は『矮人』ですが、一部の言語学者はこれに異議を唱えています(「倭」の”にんべん”「?」は、「矮」のものとはかなり異なることに注意してください)。
日本の最も古いテキスト、古事記または古代の事柄の記録(711-712 CE)では、日本は「おやしま」または「八大島」(神話の創造物語)と呼ばれています。これが単に名前のロマンチックなバージョン(中国のキャセイのような)なのか、それとも日本人が倭国という中国語の用語を採用する前に彼らの島と呼んだものなのかは不明です。とにかく「Nihon(日本)」は約1300年前から使用が続いています。
余談:なぜ倭国(Wakoku)から日本(Nihon)に名前が変わったのですか?
確かな理由はわかりません。ある話によると、名前の変更を求めたのは当時の駐中国日本大使でした。別の話は、当時中国の事実上の統治者であった中国の皇后武則天(624–705 AD)が名前の変更を命じたというものでした。
日本(日本)は文字通り太陽の中心・源・起源を意味します。古代中国では、日本が東にあることを考えると、東が太陽の出所であるため、この名前が使われました。地元では、神道の太陽の女神、天照大神(大日?貴神)としても知られる天照大神を取り巻く創造物語にも結びついています。
日本人は自分たちの国を日本やGiappone、Japon、Iapan、Nh?tB?n、Rìb?n、Yahtbún、Zeppen、Япония(Yaponiya)、??(Il-bon)と呼んだことはありません。これらはすべて外国人が日本に付けた名前です。日本人にとって、日本は7世紀または8世紀以来、日本(‘Nihon’または‘Nippon’)でした。
これ以前は、日本は「倭国」と呼ばれていました。これが中国が日本に付けた名前であることは知っていますが、その理由はわかりません。中国人が日本人を「小さな像(人)」だと考えたからだと言う人もいます。「小人」に相当する漢字は『矮人』ですが、一部の言語学者はこれに異議を唱えています(「倭」の”にんべん”「?」は、「矮」のものとはかなり異なることに注意してください)。
日本の最も古いテキスト、古事記または古代の事柄の記録(711-712 CE)では、日本は「おやしま」または「八大島」(神話の創造物語)と呼ばれています。これが単に名前のロマンチックなバージョン(中国のキャセイのような)なのか、それとも日本人が倭国という中国語の用語を採用する前に彼らの島と呼んだものなのかは不明です。とにかく「Nihon(日本)」は約1300年前から使用が続いています。
余談:なぜ倭国(Wakoku)から日本(Nihon)に名前が変わったのですか?
確かな理由はわかりません。ある話によると、名前の変更を求めたのは当時の駐中国日本大使でした。別の話は、当時中国の事実上の統治者であった中国の皇后武則天(624–705 AD)が名前の変更を命じたというものでした。
日本(日本)は文字通り太陽の中心・源・起源を意味します。古代中国では、日本が東にあることを考えると、東が太陽の出所であるため、この名前が使われました。地元では、神道の太陽の女神、天照大神(大日?貴神)としても知られる天照大神を取り巻く創造物語にも結びついています。
2023年03月19日
長生きしたいのは、誰もが願って止まない事。
人生100年時代という時代になってきました。
特に我が国日本は少子高齢化が進み、
今後10年20年と確実に人口が減少するとの
統計データも出ている事は周知の事実です。
しかも僕の場合には
ただ長生きするのではなく、一生涯、現役で健常者で居たいのです。
なので最近では空いてる時間にジム通いしたり
朝のウォーキングや
寝る前と朝起き抜けの瞑想も始めました。
更に、スピリチュアルの本など色々読み漁って
そんな情報溢れてる中から、自分が納得するもののみを選んで実践したりして居ます。
物理的に起こり得る事象で無ければ
信じないタチなので
量子力学の勉強も始めました。
宇宙が生まれて138億年、
地球が生まれて45.43億年
日本列島にヒトが住み始めてざっくり2万年
ヤマト王権が歴史を紡いで2050年前後
そんな日本に生まれて
僕はまだ63年しか生きて居ません。
では、星や国や山や里のように
長く生きたいのかというと
決してそうではありません。
長く生きるにしても
ただ長生きするのではなく、
最後の瞬間までは
気持ちも知識も身体も元気で居たいのです。
顔の皺が増えるのも
視力が老眼になるのも
髪の白髪が増えるのも
自然の成り行きで、
これは仕方ない事と思いますが、
せめて、孫たちが成人して
お嫁に行っても行かなくても
何かしらお祝い事の有る折々に
僕がこの手で
現役の料理人として
料理を作ってあげたいのです。
その為のジム通い。ウォーキング。瞑想。
スピリチュアル。量子力学。なのです。
2023年03月03日
驚くべき炭酸の効果
・電源不要
ご自宅やアウトドアなどどこへでも持ち運びが可能
・炭酸を復活
気の抜けた炭酸飲料やビールもe-sodaを使えば購入時よりも炭酸を多く入れれます。
・500mlのボトルあたり、約18円で炭酸水が楽しめます。
・500mlペットボトルを毎日1本購入した時と比較すると「年間35,040円」もお得!
■炭酸水の期待できる効果
・炭酸水を飲むと、胃腸の血管が刺激を受け、胃の粘膜を活発にしてくれます。
来省吾すぐに炭酸水を飲むことで便秘も解消され、老廃物の排出がスムーズになるといわれています。
・炭酸水を食事の前に飲めば、炭酸ガスがいに入って胃の中で膨らみます。
そうすると、脳が「胃が膨らんでいる=食べ物がいに入っている=満腹」と錯覚が起こり、
食べる量を抑える効果があるといわれています。
・炭酸水で洗顔をすると血行を促進し、新陳代謝を促すことで美容効果も得ることができます
ご自宅やアウトドアなどどこへでも持ち運びが可能
・炭酸を復活
気の抜けた炭酸飲料やビールもe-sodaを使えば購入時よりも炭酸を多く入れれます。
・500mlのボトルあたり、約18円で炭酸水が楽しめます。
・500mlペットボトルを毎日1本購入した時と比較すると「年間35,040円」もお得!
■炭酸水の期待できる効果
・炭酸水を飲むと、胃腸の血管が刺激を受け、胃の粘膜を活発にしてくれます。
来省吾すぐに炭酸水を飲むことで便秘も解消され、老廃物の排出がスムーズになるといわれています。
・炭酸水を食事の前に飲めば、炭酸ガスがいに入って胃の中で膨らみます。
そうすると、脳が「胃が膨らんでいる=食べ物がいに入っている=満腹」と錯覚が起こり、
食べる量を抑える効果があるといわれています。
・炭酸水で洗顔をすると血行を促進し、新陳代謝を促すことで美容効果も得ることができます
2023年03月02日
腕とお腹をターゲットした筋トレメニューを作ってみました
。腹筋はなしで、ジムの器材がいらないものです。30分以内にできるように、各種目は3セットずつ行ってください。
image
1.ノーマルプッシュアップ(腕立て伏せ)1 腕の筋肉(上腕二頭筋・三頭筋・前腕筋)と胸の筋肉(大胸筋)を鍛えることができます。肘を曲げて胸を床に近づけ、伸ばして元の位置に戻す動作を繰り返します。肘を曲げるときには、肘が体の外側に開かないように注意してください。各セットは8〜10回を目安に行います。
2.スクワット2 下半身の筋肉(大腿四頭筋・大殿筋・ハムストリングス・ふくらはぎ)を鍛えることができます。足を肩幅に開いて立ち、膝を曲げてお尻を後ろに突き出すようにして腰を下げ、伸ばして元の位置に戻す動作を繰り返します。膝がつま先より前に出ないように注意してください。各セットは10〜15回を目安に行います。
3.バーピージャンプ3 全身の筋肉(腕・胸・腹・脚)と心肺機能を鍛えることができます。立った姿勢からしゃがんで手を床につき、足を後ろに蹴り出してプッシュアップの姿勢になり、足を戻して立ち上がり、ジャンプする動作を繰り返します。各セットは10〜20回を目安に行います。
4.体幹ローテーション4 お腹の筋肉(外腹斜筋・内腹斜筋・腹横筋)を鍛えることができます。仰向けに寝て両足を曲げて床につけ、両手を広げて床につけます。腰を左右にねじりながら、両足を床につけたまま左右に倒す動作を繰り返します。体をねじらないように注意してください。各セットは10〜20回を目安に行います。
以上の4種目を、休憩を挟みながら3セットずつ行ってください。これで腕とお腹を効果的に鍛えることができます。頑張ってくださいね
2023年02月07日
若返りとマインドの密接な関係。1
マインドセットと言い出すと、内面的な事だけで現実的に自分の身体をどうにか出来る訳が無いだろう。と反論する方も少なくないと思いますが。
僕が言いたいのは、そういう魔法みたいな怪しい話では決してなくて、勿論、もっと現実的な話で、物理法則であったり、医学的根拠に基づく事であったりしますが、
要は、ご自身が先ずはその気にならないと何も始まらないという事です。そういう意味で先ずはマインドの決定からと思い、「若返りとマインドの密接な関係」というタイトルにしました。
そもそもですが、若返りと言っても、実際問題、本当に10歳とか20歳若返るなんて無理な話で有って、年月が経つにつれ、生身の身体なのですから、老朽化が進行するのは受け入れなければならない、基本的な事実です。
その事を受け入れて尚、この老朽化に抗おうとする考え方が、アンチエイジングなのです。
ちょっと想像して見て下さい。
例えば、ここに同年齢のAさんとBさんが居たとしましょう。Aさんは身体中隅々まで様々なスキンケア、ボディーケアを怠らず毎日やっています。BさんはAさんとは対照的に、どうせ古くなるのだからと、手入れやケアを何もして居ません。
さて、10年後両者は同等の老け具合でしょうか?
同じである訳がないと誰もが思うことでしょうね。人間である以上、大切な家族が居れば尚更に、愛する身内の為にも、出来る事ならば、いつまでも、若々しく、元気で居てあげたいですよね。
今日の記事はここまでですが、明日からこのテーマで具体的にはどんな意識で何を、やって行けばより、効果的なのか?ということを僕なりの視点から毎日記事更新して行きますので、
どうぞご期待下さい。
僕が言いたいのは、そういう魔法みたいな怪しい話では決してなくて、勿論、もっと現実的な話で、物理法則であったり、医学的根拠に基づく事であったりしますが、
要は、ご自身が先ずはその気にならないと何も始まらないという事です。そういう意味で先ずはマインドの決定からと思い、「若返りとマインドの密接な関係」というタイトルにしました。
そもそもですが、若返りと言っても、実際問題、本当に10歳とか20歳若返るなんて無理な話で有って、年月が経つにつれ、生身の身体なのですから、老朽化が進行するのは受け入れなければならない、基本的な事実です。
その事を受け入れて尚、この老朽化に抗おうとする考え方が、アンチエイジングなのです。
ちょっと想像して見て下さい。
例えば、ここに同年齢のAさんとBさんが居たとしましょう。Aさんは身体中隅々まで様々なスキンケア、ボディーケアを怠らず毎日やっています。BさんはAさんとは対照的に、どうせ古くなるのだからと、手入れやケアを何もして居ません。
さて、10年後両者は同等の老け具合でしょうか?
同じである訳がないと誰もが思うことでしょうね。人間である以上、大切な家族が居れば尚更に、愛する身内の為にも、出来る事ならば、いつまでも、若々しく、元気で居てあげたいですよね。
今日の記事はここまでですが、明日からこのテーマで具体的にはどんな意識で何を、やって行けばより、効果的なのか?ということを僕なりの視点から毎日記事更新して行きますので、
どうぞご期待下さい。