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先日、我が家の次男の手術が決まりました
手術と言ってもお腹をぱっくり切る手術では無いのですが
全身麻酔をします
なので
麻酔科の先生のお話を2人で聞きました
次男は、今から6年前かな?年長さんの頃です。
おなじ手術をしましたが
その頃は全身麻酔の内容、もちろん手術でどうなるとか分からないまま当日を迎えたので、
それはそれでパニックだったかな?
と今になって思います。
今回は もう中学生
なので
ある程度の意味はわかっています!
麻酔科の先生のお話も、ちゃーんと聞いていました
説明が終わり会計を待ってる間
ねぇ・・・お母さん
あれ、治らなかったらどうするの?
あれってなんだ?ん?
え?あれって?
心臓とかのやつ書いてあったじゃん
あ〜、これ?
麻酔科の先生の説明の中で
手術に伴って発生しうる・・・
心不全、脳こうそく、肺炎
その他・・・
不安でたまらなくなったのか
涙ぽろり
傍から見たら
何かの病気を宣告された親子の図
言葉の意味がわかるだけあって
不安に思うことも増え、心が成長しているんだなぁ〜と感じた後で
さて、この子のこの気持ち
どうしたらいいだろうか?
前の私なら
『 大丈夫に決まってるよ〜心配すんな!』『 も〜いつまでも泣かないの!』
と言ったに違いない!
そんなこと言われた子供は
どう思うのか・・・
それは私がいちばんよくわかってる
なぜなら
私がそう言う対応されたから。
大丈夫じゃないから 涙ちょろり
不安だからお母さんに言ってるのに・・・
※私の場合は不安すら口に出せなかった・・・
こないだうちに両親が来た時
手術の話になり
『えー全身麻酔するの? 』
いやいや2回目だからそんなに驚くなよ!
『 お姉ちゃん(私)の時は日帰りでその場で部分麻酔だったよね〜!』ってあっさり。
おいおい、私もすんげー怖かったんですけど〜
だから、この子も部分麻酔で手術できるんだって。
だけど怖いから、全身麻酔にしたんだってば
話を聞け!ってたぬきのお父さんに
怒られる母。
おめーはいっつもそうだ!!
あっ、やばい夫婦喧嘩始まる
実は私もおなじ手術をしていて
経験ありなんです。
※母のこの勢いある話し方で
伝えたい気持ちをいつも言えなかった。
それは今でも変わらないようです
うちの子
ちゃんと不安を言えてすごいなぁ〜
私、言えなかった・・・
いいなぁ〜こんなに気持ちを親にぶつけられることができて
そう思った瞬間
私の中で
ぶわ〜っと
溢れるものがありました
もうすぐ 42
歳になりますが
未だに、幼少期を思い出して泣くことがあるんです
でも、泣いたあとはとてもスッキリするんです。
なぜなら、ただ泣いてるだけじゃないからです。
私の中の ちっちゃいタエちゃん
を
褒めてあげて、頑張ってたね〜って
よーしよしよし!
してあげてるからです。
子供が
泣くことは
決して悪いことではないです。
泣いてる子、わがまま言ってる子
しっかりおやに甘えられる環境ができてるんだなぁ〜って思います。
話が前後しますが
スーパーで駄々こねまくりなちっちゃい子を見て
おい親!
ちゃんといい聞かせろよ!
って思っちゃう人は
おそらく自分も我慢してきたんでしょうね〜
私も以前はそう思いました。
いまのわたしは・・・
あ〜のけぞり返ってる〜
可愛い〜
ママ〜(`・ロ・´)ハヨハヨ!抱っこして
ギューってしてやってくれ〜
って思います。
当事者
はそんな余裕ないかと思いますが
穏やかな目で見守れるようになった私に
はなまる
です。
今回の件は
1人で解決することが難しかったので
せい野先生にアドバイスもらいました。
凄くないですか?サッカースクールでの例え
わたしは、なかなか例えが出て来ませんでした。
もし、手術までに不安を口に出すことがあれば
伝えてみようと思います。
感情処理について
書かれてあります!
ぜひご覧になってください
春はあけぼの、夏は当事者
ブログにお越しいただきありがとうございます^^
*******************
先日、申請していた、
特定定額給付金が振り込まれていました。
この申請は母に実家に呼ばれて、
ため、
母にももう、
振り込まれているのではないかと思い、
先日母に電話してみました。
私は母に電話をする時、
何か理由が無いと電話することが出来ません。
それは私が子供の頃に1度、
ことに、
起因しています。
その後成人して、
自分を幸せにするためには、
両親との関係改善が必須だと考えた私は、
心の中で敵だとみなしていた両親を許すため、
両親が忘れている自分の誕生日に、
両親に対して、
「生んでくれて、育ててくれてありがとう」
という感謝の言葉を伝えることで、
少しずつ、
自分の両親との関係を改善していきました。
そのことは、このブログ記事に書いています。
「もう振り込まれているわよ」
と、当然のようにサラッと言いました。
そして、
私に対してこう言ってきました。
「ちょうどお前にお米を買ってきてもらうのを、
また頼もうと思っていたのよ」
私は先月、80歳を過ぎた母が、
5Kgのお米を買って運ぶのは大変だからと、
実家を訪ねるついでに、
お米を買っていってあげたのですが、
そのことで母は、
お米を買うことは私に、
頼むことにしたようでした。
その母からのお願いを聞いて、
5Kg?のお米の買い出しなど、
たいした手間でもなかったことと、
コロナのこともあり、
外で働いている私が実家に顔を出しに行って、
万が一、
高齢の母がコロナに感染したらいけないと、
実家の近くに住んでいるのに、
先月実家に顔を出してから、
1ヶ月近く母の元を訪ねていなかったため、
「次の日曜日でいいならいいよ」
と母に言いました。
そして以前、
私が実家に行った時に母が、
「コロナが落ち着いたら焼き肉屋さんに食べに行きたい」
と言っていたのですが、
まだ外食するのは
少し怖いので、
今日、お米を買って母へ持って行くついでに、
お寿司でも買っていこうかと、
この電話で母に提案しようと思ったのですが、
私がその提案をするより先に、
母からこんな言葉が飛び出してきました。
「焼き肉屋さんの外食はまだ無理だから、
お寿司を食べようか?」
この提案を聞いて、
私は母が、
全く同じことを考えていたことを知りました。
「うん、いいよ。何が食べたい?」
私がそう言うと、
母は幾つかのネタを私に伝えてきました。
「楽しみにしててね」
私はそう言って、電話を切りました。
そして、その電話で思ったのです。
母もきっと
何か用件がなければ、
私を実家に呼ぶことなど出来ないのだろうな。
って。
発達障害だったであろう父の元で、
家族の絆など滅茶苦茶になっていた私の家族。
子供の頃から何かあると、
「ここは俺の家だ!俺のやり方が気に入らないにら出て行け!!」
と言われ続けてきた父親の言葉に、
私が本当に家を出ていけるようになったのは、
9年程前の
40歳手前の時でした。
父親から罵声を浴びせられた私が、
、
母は私を止めました。
「お父さんにはお母さんがよく言っておくから、
本当に帰らなくてもいいじゃない」
父親から家を出ていけと言われたら、
他にちゃんと自分の住む場所を借りていて、
何も困らなかった私が、
父親の罵声に耐えながら、
父の怒りが治るまで、
実家を出て行かなかったのは、
1人劣悪な空気の中に、
取り残される母の事が心配だったからでした。
けれどもう、
そんな脅しが私に効くと、
まだ信じている父親の姿を、
見ることが
本当に嫌でした。
親の庇護がなければ、
生きていけない幼い頃は確かに、
父親のその言葉は、
私を怯えさせるのに十分な効力を持っていたけれど、
すでに自分が安全安心に暮らせる場所を持ち、
経済的にも自立していた私に、
まだその脅しの言葉が効くと思っている、
父の傲慢さと哀れさ。
そんな父親の姿を見ていて、
それまでずっと、
父から母を守らなければいけないと、
耐え忍んでいた自分に嫌気がさしたのです。
私は母を父の元に1人残していく代わりに、
「父親に何かされたらすぐに迎えにくるから連絡してね」
と言って実家を後にしました。
その時の私には、
父親と母親が離婚をしたら、
母親を養えるだけの経済力もあったため、
母のことを考えて耐え忍ぶ必要も無かったのです。
私は父と母が離婚したら、
母を引き取ろうとまで考えていました。
でも結局、
母から連絡がくることはなく、
母は父が亡くなるまでずっと側にいました。
私は母が父と一緒にいることを選択したのだ、
と思いました。
以前、母は、
実の子供達でさえ寄り付こうとしない、
実家の状況に対する自分の気持ちを、
1人ごとのように私に言いました。
「お父さんがあんな人じゃなければ、
この家にもっと家族が集まって、
楽しく過ごせたのだろうなと考えることがある」
と。
「でも、お父さんがあんな人だから、
皆んなが寄り付かないのは仕方ないことだと思ってる」
と。
そして、こう続くのです。
「お父さんからお母さんが離れたら、
人様に迷惑を掛けるようなことしかしないから、
子供達に苦労をかけるから離れられない」
確かに自分の思い通りにならなければ、
敢えて人に迷惑をかける行動を取る父親は、
「逃げたら地の果てまで追っていって殺す」
と脅していた母が自分から離れたら、
本当に、
犯罪者となる行動を取る可能性がありました。
ずっと、ずっと、
そんな父親の元に母親を残しておくのが心配で、
実家を見捨てることが出来なかったけれど。
父親と争うことになってもいい、
母親を引き取ってもいい、という覚悟で、
父親のの言葉に従った時に、
私ではなく、父親を選んだ母。
子供に迷惑をかけたくないという気持ちが、
母にはあったのかもしれないけれど、
母に差し出した救いの手を握り返されず、
父親を選ばれた悲しさが私の心にはありました。
父親から肉体的、精神的だけでなく、
性的なマルトリートメントまで受けていた私は、
父が亡くなって悲しみにくれる母を、
複雑な気持ちで眺めていました。
(私が父親から受けた、親の行為として許してはいけない、
性的なマルトリートメントについては、
をご覧下さい)そのため、
父親が亡くなった今でも、
母とのコミュニケーションは
気を遣います。
それは母にも伝わっているのか、
母も用件がなければ私に連絡してこないのです。
そんな母が私に伝えてきた、
「お寿司が食べたい」
という言葉。
あまり願い事をしない母の、
望み通りのネタを、
2人でお腹いっぱい食べました。
母は私と一緒にお寿司を食べながら、
「お父さんが亡くなって2年経つけど、
1人で食べるご飯は美味しくないものね」
と私に言いました。
私はそんな母の言葉に対して、
やっぱり複雑な思いを抱えながら、
言葉を濁しました。
「私、1人でご飯を食べるのが当たり前で、
慣れているからなぁ」
幼い頃には、
安心してちゃんとご飯が食べれる1人ご飯を、
特に寂しく感じることが
無かったからでした。
私は温かい家族の団らんを
でも、文句を言いながらも、
父とずっと一緒に暮らしてきた母には、
1人は寂しいのでしょう。
母から私への頼み事は、
顔を見せにきてほしいという気持ちが、
隠されているのだと思います。
今までの経緯があって、
何の用事もなく実家に行くことは、
私には出来ないけれど。
用事をつくって母が私を呼んでくれるなら。
母からの頼み事に隠された思いまで、
引き受けてあげたいと思うのです。
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