結局最後はアルバイトに行き着いた
「 愛しの グローリア 」
自由詩人 松尾多聞
グローリアは二十歳になる米国の人で、絹のようなブロンドが美しくブルーサファイアの瞳をキラキラ輝かせた素敵な天使でした。私も二十歳。ある熱い夏に偶然出会ったのです。
当時、名古屋の極貧学生だった私は伏見のレストランで アルバイト をしていました。バイト料が出ると栄(繁華街)にくり出し、パブで生演奏のジャズを聞きに通いました。黒人バンドに招かれたgesutボーカルが彼女でした。
貴方も学生ですか?
パブのロビーで出会った彼女に声を掛けられたのが二人の出会いでした。お互いに仕事に疲れた学生同志、それから私達はバイトが終わった深夜喫茶で時々会うようになりました。当時、いまだ英語が苦手な私は同級生でサウジアラビアからの留学生アレン(アルアライアン)を伴い、たった1杯のコヒーで何時間も将来の夢を語り合いました。
彼女も苦学生で、本国から奨学金を貰いながら得意な歌で アルバイト をしていたのです。アレンはサウジアラビア石油極東の社員で月給取りの学生でした。
「サウジは今、豊かな国だけど限りある資源に依存していて、みんなが一生懸命に働かない。僕は新しい産業を本国で起こして人材を輩出することが夢で…」
話は止まりませんでした。
「同じ人間でありながら貧富の格差に疑問を感じるの。でも、そんな国だからしょうがなけれど。でも、教育の格差は許せないの。私はアメリカの教育を改革して見せる」
とグローリア。明るくなっても話が終わることはありませんでした。
彼女はピザが好物でしたが貧しい学生ゆえ、結局いっしょに食べたことはありません。しかし、グローリアとアレン、誠実で最高に熱い友人だったのです。二人はいつも私に激を飛ばしました。
「多聞! 貴方は自分の考えをもっとしっかり持つべきよ! だって、自分の人生でしょう?」
「日本人はとても保守的(Conservative)なのよ!」
「貴方は戦うことがないのね!」
私も、もちろん反論したのですが、普段から考えたことのない問題ばかりで躊躇してしまい、やられっぱなしでした。しかし、僕たちは約束しました。互いが出来ることをあきらめないでやっていこう!と。そして僕は社会の弱者を救える人になることを彼らに誓いました。
何も変わらないかもしれない、でも、生きてきた証をみんなで作っていこうと。そしてそれぞれの国でそれを行おうと。
私の住む北海道はパイオニアの大地です。ヒット曲も商業製品も北海道でヒットすれば全国展開できると、試験販売が盛んに行なわれていました。なんでも受け入れてみるドサンコ根性があるのでしょう。しかし、経済に視点を移すと状況は逆転してしまいます。大型の公共工事、農業対策予算、国庫補助金、中央におんぶに抱っこではありませんか。
過去に、大自然のロケーションは素晴らしいが、サービスは最低とまで言われた裏には大枚を叩いた、大きな補助に原因があるのだと私は感じています。援助の過多は人間を、社会を変えてしまいます。アレンが言った現象が利益誘導型の社会には必ず起こるのです。人間は棚から落ちてきた宝物に群がりそして拾う順番を決めようと躍起になるものです。その社会は保守的に変容して副産物の保身が生まれます。
保守的な社会のしくみは新しいものや、より優れているものを排除してしまいます。 社会全体の成長が止まってしまうだけにとどまらず、素晴らしい人材を組織ぐるみで抹殺していくことでしょう。
この国では政治的に抹殺されましたが、日本には確かに革命がありました。
そう、暗黙のタブーに仕立て上げられましたが日本にも素晴らしい革命がありました。20代の若者達が命を賭して幕府を倒した明治維新です。彼らは腐敗と利益誘導のみに取り憑かれて民衆のことを省みない幕府を倒したのです。
坂本竜馬、西郷隆盛、高杉晋作・・近代社会を作った人々ですが決して高級武士ではありませんでした。
長州藩士「奇兵隊長」高杉晋作は20代の若さで結核により夢半ばで他界しましたが、その辞世を次のように残しました。
「面白き ことも無き世を 面白く」と
私はいま、グローリアの言っていた意味を少し理解できるようになりました。社会人も中高年になると保身の影が見え隠れしてくるものです。前進の無い組織や個人に獲りつきます 。嫌いな上司や政治家を思い浮かべてください。話す内容のほとんどが自己の保身に結びついています。
出会ってから1年後に私達は空港で別れました。黙ったまま、3人で泣いて別れました。グローリア! アレン! いま、君達にもう一度逢いたいです。君達はいま、何をしていますか? 今度はコーヒーだけじゃなくてピザも食べましょう。そして、たくさんの積み重ねてきた経験を語り合いましょう。
嗚 呼グローリア。いつまでも僕の心に生きていてくれる親友よ。僕はあの時、心から君を想っていました。
虹の人
詩 松尾多聞 曲
遠い虹の影に浮かんだ
あの人の面影は七色に
私の想いは秋の雲模様
微かにぼやけ繋がって
あの虹を紡ぎ糸にして
いとしい人の元までも
逢いたいよ逢いたいよ
いまの私を抱きしめて
あの人の心に浮かんだ
そんな私をまもるから
かなわぬ思いは七色に
湧き出る涙を隠しては
時に流して混ぜ込んで
元気な笑顔を届けたい
逢いたいよ逢いたいよ
遠い貴方に逢いたいよ
私の想いに住みついた
そんな貴方を守りたい
グッと!アルバイト
先日登った 「燕岳」 は数ある山の中でもある意味”別格”だと思っている。
特徴的なのは下記のような点だ。
- 燕山荘が山小屋とは思えないほど素晴らしい。
- 合戦尾根は急登ながら歩きやすく休憩場所も多い。
- 合戦小屋のスイカがおいしい。
- 白砂ビーチの山体が美しすぎる。
- 槍ヶ岳などの絶景が素晴らしい。
- クリスマスや正月もアルプスで過ごすことができる。
ということで、
割と初心者でも本格的なアルプス登山を楽しめる山
としてその名を馳せているのだ。
例に漏れず、自分も 初めての登山は燕岳だった。
まだ松本に住んでいた学生時代、 アルバイト 先の先輩に連れられて燕山荘で一泊しつつ スニーカーで登った のが懐かしい。
それから一旦は山からは遠ざかり、30代後半になって再び目覚めたわけだが、やはり初めて登った山というのは自分の中では特別な存在だ。
どの山よりも思い入れのある燕岳だが、過去に6回ほど登頂している。
中でも思い出深いのは2013年12月22日のクリスマス山行と2017年2月4日の山スキーでの挑戦だ。
前者はテン泊装備で臨んだものの爆風でテントが張れず指が凍傷になるという痛々しい記憶が残っているし、後者はバカバカしいが山スキーで2月の燕岳を登ってやろうという鼻息の荒い挑戦だった。
燕岳は色んな意味で思い出深い、自分にとっても「別格の山」なのだ。
旧波田町の下原のスイカは燕岳のトレードマークとなっている。
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