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2016年04月18日
2016年03月29日
サ神信仰 桜の季節 春財布
桜の季節全国各地で多くの方が花見をしますが、古来、
花見は桜に宿るサ神(サガミ)様にお礼する正式な神事
として行われていました。(サ神信仰)
「サクラ(サ座=桜)」はサ神様が居座る所と言う意味があります。
(座はクラとも読みます)
サ神様(山の神)は8世紀以降「イザナギ」や「イザナミ」の神々が
登場する前から日本民族に崇拝されてきた神様であり、主に農耕民の
中で信仰されてきたと考えられています。
このサ神様は、冬の時期は山にいて、万物の生命の再生を待ってると
考えられており、春の訪れを持って里に降り立つと言われています。
そしてサ神様は、桜の木に宿り桜の花を咲かせる箏で農民に春を知らせます。
この「サ神様が居る状態」の美しい木を桜=サ座(サクラ)と名付け、
農耕にたずさわる人が、新たな収穫(最も重要な生きる糧)の準備が
始まる春の訪れに感謝の気持ちを捧げました。
「イザナギ」や「イザナミ」の誕生後、サ神様は「田の神」として定着し、
現在でも田植えから始まる米作にまつわる神事にはお供えとして酒(サケ)と
肴(サカナ)を供え、 田植え期にサ神様がおられる月として皐月(サツキ)、
サ神様がおられる田にする儀式をサオリと呼ぶ、田植えでサ神様を田んぼに
お迎えする女性を早乙女(サオトメ)と呼ぶなどさまざまなサ神様の名残りを
見ることができます。 (Wikipediaに詳細)
春になると、まず桜のつぼみがふくらみサ神様が降りてこられたと
知ることが出来ます。
この状態を「木(こ)の芽(め)がはる」と言います。
また、和歌では、「木の芽はる」が枕詞として春を表すことから、
木の芽が張るようにお財布がお金で張る状態と「春」を
掛け合わせた事が「春財布」の語源とも言われています。
春はサ神様が降りてこられるありがたい時期。
この季節と「木の芽が張る」季節が重なることでさらに「春財布」が
財布購入の好時期とされるゆえんになったと考えられます。
⇒ http://www.asdf.co.jp/mankai/
2015年12月24日
秀吉とねねの出世の陰にはある仏像との出会いがあったのです。それが三面大黒天なのです。
豊臣秀吉は尾張の国中村(現、名古屋市中村区)の百姓の子として生を受け、7歳になると父と死別し、母の再婚相手からの虐待、預かられた寺から追い出され、それから撒き刈りや木綿張りの行商、果ては最初に仕えた先での陰湿な苛めといった悲惨な少年時代を過ごし、そのどん底から天下人まで登り詰めるという日本のみならず世界史的にみても稀に見る大出世を遂げた歴史的英雄でした。
そんな秀吉の出世の陰にはある仏像との出会いがあったのです。それが三面大黒天なのです。
仏像ワールドでは秀吉の菩提寺に今も伝わる三面大黒天を日本人仏師の技と木彫彩色師 篁千礼の技の競演によって見事に再現しました。
仏像それぞれの特徴を表現した高い技術の彫刻と木地を生かしたセンスのある彩色が光ります。
黒塗りの小振りな木調像の持つ穏やかな表情からは、そこに強大なご利益が秘められているとは窺い知ることは出来ませんが、三面大黒天の持つ開運パワーはこの不安な時代を切り拓く大きな助けとなることでしょう。秀吉の出世栄達にあやかり、現代の一国一城の主として次代の天下取りを睨む企業経営者にこそお薦めの逸品です。
秀吉が辛く苦しい挫折の日々を送る中、偶然出会ったのが三面大黒天でした。秀吉はその像を見るなり、発せられる巨大な力をたちどころに感じたといいます。そして「私がもし出世して、名声を天下に轟かせることができるなら粉々になれ。そうでなければそのままの姿であってほしい」と念じ三面大黒天を投げたところ像は粉々になりました。大いに喜んだ秀吉は仏工に命じて2体目の像を彫刻させ、身近に置き崇拝したといいます。
この小さな像との出会いが秀吉の運命を変えました。そう、あの織田信長との出会いです。この出会いこそが秀吉が天下人になるための第一歩となったのです。秀吉は三面大黒天を自らの守護神とし、常に身近に置くようになったといいます。それからの秀吉は正しく三面大黒天のご加護と三種のご利益に恵まれていといえます。
三面大黒天とは大黒天、毘沙門天、弁財天という強力な天部が三位一体となった合体神です。
大黒天はインドではマハーカーラという戦闘神でしたが、財宝をもたらす力が強大なことから次第に各地の豪商達の信奉の対象となっていきました。そのことから金運の神となったのです。日本に伝来された際、「だいこく」と通じるところから五穀豊穣の神様である大国主命(おおくにぬしのみこと)と結びつき穏やかな容貌の福の神となりました。
弁財天弁は元々インドで信仰されていたサラスヴァティーという女神で、川を神格化した神であったとされます。水が流れるせせらぎの音から、音楽の神となり、そこから広く技芸・文芸などの才能をもたらす神となりました。現在では「才」が「財」に変わり福徳財宝を授ける神としても信仰されています。
毘沙門天は別名、多聞天と呼ばれ四天王の内の一尊として北方を守る守護神です。邪鬼を踏みつけた勇ましい姿からから勝運、必勝祈願や財産を守る財運の神様とされます。聖徳太子、坂上田村麻呂、楠木正成が篤く信仰しました。毘沙門天といえば上杉謙信が有名ですが、実は武田信玄もまた金色の毘沙門天像を兜の中に入れて出陣していたのです。こうした戦国の名将も毘沙門天への信仰によって多くの戦いで勝利を収めたのです。
これら単独でも強力な三神が一体になったとき、大金運と強力な勝負運とありがたい良縁を同時に叶える出世栄達の最強守護神となり、天下をも取らせる凄まじい力を発揮するのです。
有名な信長の草履の件もそうです。履くと温かくなっていた草履を不信に思った信長は「草履を尻に敷いたのか」と烈火の如く怒りましたが、秀吉は「御足が冷えていらっしゃるだろうと思い、懐に入れて温めておりました」と機転を利かすと信長は感心し、秀吉を草履取りの頭としました。手討ちにされる寸前から、一転して出世の足がかりにしてしまったのです。
また、元亀元年(1570年)の朝倉攻めの際、盟友浅井長政の裏切りから窮地に陥った信長を、敢然と殿を引き受けることで、見事な撤退戦によって信長を救うと共に、自らも九死に一生を得ました。この功績は一際高く評価され、大きな出世につながりました。
そして、天正10年の本能寺の変で主君信長が謀反で斃れ、その報を受けて激しく泣き叫んだものの、黒田官兵衛の助言によって動揺から立ち直り、遂には謀反人明智光秀を討つことで天下を大きく手許に引き寄せ、天正13年(1585年)に関白となり、北条氏を下し天下統一を果たします。
不遇の少年時代を過ごした秀吉が、三面大黒天と出会って僅か30年で天下人となったのは三面大黒天の授けた勝負運の強さの賜物だったのです。
秀吉が天下人になれたきっかけは信長との縁が結ばれたことにあります。しかし、秀吉が授かった良縁はそれだけに留まりません。秀吉が周囲から「猿」などと呼ばれ軽んじられる貧乏足軽だったころ、周囲の猛反対をよそに自分より身分が上の家系に生まれたねねを妻に迎え入れることに成功します。ねねは、主君の信長をして「どこを探してもあのハゲネズミ(秀吉)があなたほどの女性を得られるはずがない」と評したほどの女性でした。ねねはその内助の功で秀吉の出世を支えた日本一の良妻だったのです。
秀吉は三面大黒天のご加護によって何度も危機から救われ、世界史上類例を見ない程の大出世を遂げました。秀吉は200万石の所領を持ち、更に全国から上納される莫大な金銀財宝によって史上空前の大金持ちとなったのです。
秀吉が亡くなると、ねねは京都東山に高台寺を建立し秀吉が大切にした三面大黒天像とともに移り住みます。高台寺にはねねを慕い多くの大名が訪れ、その中には徳川家康の顔さへあったのです。ねねは三面大黒天を祀り、秀吉の菩提を弔いながら余生を過ごし寛永元年(1624年)その生涯を終えます。
秀吉の三面大黒天は現在もこの地で安置され、企業経営者を中心に篤い信仰を集めています。
⇒ 天下人を生み出した伝説の三面大黒天ここに降臨!!
⇒ 観光スポット「高台寺」の検索結果
京都東山 鷲峰山 高台寺さんの公式ページ
京都東山 鷲峰山 高台寺さんの公式ユーチューブ
2015年12月06日
一同に会する、天平の守護神たち 十二神将 じゅうにしんしょう
イスム こだわりの造型
初めて彩色に胡粉(ごふん/日本がなどに用いられる貝殻を砕いた粉)を使用、塗料の中に混ぜ込むことによって歴史を経て荒れた塑像表面の質感を表現。像によっては造像当時の彩色が残されており、高さ18センチに満たない小さなサイズの中で、甲冑や衣の繧繝(うんげん)華紋様を実物に忠実に、丁寧に再現する。
製品のモデルとなったのは
我が国に現存する最古にして最大の十二神将像。仏像彫刻が花開いた天平時代に製作されたと考えられるもの。1854(安政元)年、地震によってそのうちの一体が破壊されたが、1931(昭和六)年に補われた(波夷羅大将)。
誇張を控えた自然体でありながらも十分に力強さを伝える造型で、随所に残る彩色から極彩色に彩られていたことが窺える。それぞれにポーズや意匠が凝らされ、各像の個性を存分に発揮しながらも、群像として美しくまとめあげられている。
十二神将とは
薬師如来の眷属である十二人の薬叉(やしゃ)大将。それぞれが七千の部下を率い、総勢八万四千の軍隊で悪鬼による妨害から、苦行を重ねる薬師如来を護る。
十二神将と十二支を結び付ける信仰は日本では平安時代以降に発達したため、この群像には十二支の彫刻は入っていない。
一同に会する、天平の守護神たち 十二神将 じゅうにしんしょう
初めて彩色に胡粉(ごふん/日本がなどに用いられる貝殻を砕いた粉)を使用、塗料の中に混ぜ込むことによって歴史を経て荒れた塑像表面の質感を表現。像によっては造像当時の彩色が残されており、高さ18センチに満たない小さなサイズの中で、甲冑や衣の繧繝(うんげん)華紋様を実物に忠実に、丁寧に再現する。
製品のモデルとなったのは
我が国に現存する最古にして最大の十二神将像。仏像彫刻が花開いた天平時代に製作されたと考えられるもの。1854(安政元)年、地震によってそのうちの一体が破壊されたが、1931(昭和六)年に補われた(波夷羅大将)。
誇張を控えた自然体でありながらも十分に力強さを伝える造型で、随所に残る彩色から極彩色に彩られていたことが窺える。それぞれにポーズや意匠が凝らされ、各像の個性を存分に発揮しながらも、群像として美しくまとめあげられている。
十二神将とは
薬師如来の眷属である十二人の薬叉(やしゃ)大将。それぞれが七千の部下を率い、総勢八万四千の軍隊で悪鬼による妨害から、苦行を重ねる薬師如来を護る。
十二神将と十二支を結び付ける信仰は日本では平安時代以降に発達したため、この群像には十二支の彫刻は入っていない。
一同に会する、天平の守護神たち 十二神将 じゅうにしんしょう
タグ: 十二神将
十一面観音 - ツゲの逸品
仏像解説:十一面観音とは!?
頭上に十一の顔を持ち、全ての方向を見守ってくれる観音菩薩
苦しんでいる人をすぐに見つける為に、頭の上に11の顔があり、全方向を見守っている。 また、それぞれの顔は人々をなだめたり怒ったり、励ましてくれたりするといわれている。 十種勝利(現世利益)と四種果報(死後成仏)という様々なご利益があり、千手観音菩薩と並んで人気の高い観音である。 六観音の一つに数えられ、修羅道に迷う人々を救うとされる。 奈良時代から多く信仰されるようになり、延命、病気治療などを願って多く祀られるようになった。 ちなみに後ろの一面は暴悪大笑面といい、悪行を大笑いして改心させ、善の道に向かわせるといわれている。
十一面観音 - ツゲの逸品
頭上に十一の顔を持ち、全ての方向を見守ってくれる観音菩薩
苦しんでいる人をすぐに見つける為に、頭の上に11の顔があり、全方向を見守っている。 また、それぞれの顔は人々をなだめたり怒ったり、励ましてくれたりするといわれている。 十種勝利(現世利益)と四種果報(死後成仏)という様々なご利益があり、千手観音菩薩と並んで人気の高い観音である。 六観音の一つに数えられ、修羅道に迷う人々を救うとされる。 奈良時代から多く信仰されるようになり、延命、病気治療などを願って多く祀られるようになった。 ちなみに後ろの一面は暴悪大笑面といい、悪行を大笑いして改心させ、善の道に向かわせるといわれている。
十一面観音 - ツゲの逸品
タグ: 十一面観音
2015年11月08日
正暦寺の寺宝、魔をはらう麗しの姿 孔雀明王 くじゃくみょうおう
毒を取り込み甘露に変える
孔雀に坐す唯一菩薩形の明王
イスム こだわりの造型
凛々しさと優雅さをともに備えた孔雀明王像。木彫作家の井戸博章氏* を原型制作に迎え、細い脚で立つ孔雀と、その上に堂々と構えた一面四臂の明王の姿を造り上げた。
菩薩形ならではの細やかな装身具を真鍮で制作、繊細なパーツが揺れ動く。後補箇所がないという像の、歴史を経た色合いを彩色作家・篁千礼氏* の監修で仕上げる。
製品のモデルとなったのは
奈良 正暦寺、福寿院客殿の本尊で、両脇に愛染明王を従える。鎌倉時代に造像されて以降、後補の箇所のない貴重な作。慈愛に満ちた眼差しでありながら凛々しく端正な表情は、鎌倉時代ならではの傑作。正暦寺のご住職は孔雀明王のご利益を称して「毒を消すのではなく、毒を豊かなものに変える智慧を授けてくださるのだ」と語る。
孔雀明王とは
孔雀は毒蛇や害虫を好んで食べることから、インドにおいては古来より煩悩を食べつくして衆生を救う女性神として信仰されてきた。その姿のまま仏教に取り入れられたために、華やかな女性の姿をした唯一の明王となった。孔雀に乗った華麗な姿は他の明王像とは一線を画し、力強くも慈悲深い眼差しを投げかける。
毒を取り込み甘露に変える 孔雀に坐す唯一菩薩形の明王 孔雀明王 くじゃくみょうおう
2015年10月17日
茨木彰作 国指定伝統工芸品 高岡製 大仏ペーパーウェイト
一流の造形作家と日本の伝統工芸の粋を集めて生み出された拘りのペーパーウェイト!!
仏像ワールドがこの度発表する“小さな大仏”は、リアル仏像やゴジラシリーズの制作によって日本を代表する造形作家となった茨木彰氏による精緻な造形を「国指定伝統的工芸品」の第一次指定を受けた高岡銅器の技術により余すところなく再現した作品です。「手の平に乗る小さな大きさながら細部に渡り作りこまれた造形、青銅を思わせる味わい深い彩色、アルミニウム無垢の持つ確かな質感に驚かれるものと思います。
「大仏ペーパーウェイト」はペーパーウェイトとしての実用性は勿論のこと、極小仏としてみても十分に鑑賞に耐える出来栄えと自負しております。仏像ファン待望の小物として、また一味違った贈答品としてもお奨めの品です。
「国指定伝統的工芸品」の第一次指定 高岡銅器
高岡銅器は高岡の開祖 加賀藩第二藩主前田利長公が、慶長14年 (1609年) 高岡城に入城され、翌々年の慶長16年 (1611年) 城下の興隆繁栄の為、鋳物発祥の地 河内国丹南郡の技術を継承する7人の鋳物師達を招聘して、金屋町に鋳物工場を開かせた事に始まります。
当初は鉄鋳物が中心であったが、江戸時代中頃から銅鋳物も盛んになり、明治期に入ると技術力は更に向上し、万国博覧会を通して世界にも紹介され、輸出品としても美術銅器は確固たる地位を築きました。
茨木彰作 国指定伝統工芸品 高岡製 大仏ペーパーウェイト
人気ナンバーワンの像が300体限定カラーで登場 阿修羅 アンティークゴールド あしゅら
≪300体限定生産≫
限定数限りで終了となります
“金賞”にも値する絶大な人気を
落ち着いたゴールドの輝きで表現
販売数トップの阿修羅像に金賞を
2009年の「国宝 阿修羅展」によって社会現象にまでなった阿修羅像。
その人気は今なお衰えず、イスムではこれまでおよそ1万体の阿修羅
フィギュアを制作してきた。
ラインナップの中で常に売上ナンバー1を誇る人気に相応しい、
特別彩色による金の阿修羅像を300体限定で発売する。
黄金色に輝く阿修羅像
今回の限定モデルは、まるで時を経たような深みのある
金の彩色を全体に施し、阿修羅の人気と功績を体現。
瓔珞(ようらく/ネックレス)や臂釧(ひせん/腕輪)などには
明度を上げた金色を用い、色彩のアクセントとしている。
落ち着いた輝きに包まれた阿修羅像は、現存する姿を忠実に
再現した通常彩色仕様にはない新たな存在感を放つ。
人気ナンバーワンの像が300体限定カラーで登場 阿修羅 アンティークゴールド あしゅら
限定数限りで終了となります
“金賞”にも値する絶大な人気を
落ち着いたゴールドの輝きで表現
販売数トップの阿修羅像に金賞を
2009年の「国宝 阿修羅展」によって社会現象にまでなった阿修羅像。
その人気は今なお衰えず、イスムではこれまでおよそ1万体の阿修羅
フィギュアを制作してきた。
ラインナップの中で常に売上ナンバー1を誇る人気に相応しい、
特別彩色による金の阿修羅像を300体限定で発売する。
黄金色に輝く阿修羅像
今回の限定モデルは、まるで時を経たような深みのある
金の彩色を全体に施し、阿修羅の人気と功績を体現。
瓔珞(ようらく/ネックレス)や臂釧(ひせん/腕輪)などには
明度を上げた金色を用い、色彩のアクセントとしている。
落ち着いた輝きに包まれた阿修羅像は、現存する姿を忠実に
再現した通常彩色仕様にはない新たな存在感を放つ。
人気ナンバーワンの像が300体限定カラーで登場 阿修羅 アンティークゴールド あしゅら
2015年09月08日
リアル仏像十一面観音
国宝 十一面観音は奈良時代の僧 泰澄(たいちょう)の作とされます。天平8年(736年) に都に疱瘡(天然痘)が流行したので、聖武天皇は泰澄に除災祈祷を命じました。その際、泰澄は十一面観音を彫り、息災延命(そくさいえんめい、災いを避け長生きすること)、万民豊楽(ばんみんぶらく、国の安泰は私たち一人一人の生活の幸せにある)の祈祷を行い、それにより憂いは絶たれたという言い伝えがあります。その後、十一面観音は病除けの霊験あらたかな観音像として、信仰されるようになったとされます。
リアル仏像十一面観音
タグ: 十一面観音
情念の朱は、煩悩調伏の揺るぎない決意 愛染明王 あいぜんみょうおう
情念の朱は、煩悩調伏の揺るぎない決意 愛染明王 あいぜんみょうおう
イスムこだわりの造型
強い意志と威厳を感じさせる表情、精緻に造られる細部の造型を少しの狂いもなく再現するため、開発期間はおよそ10 ヶ月にも及んだ。
全体の調和を重視しながらも、鮮やかに遺される全身の朱と光背の金との美しい対比を再現。
細部を誇張しすぎないモデル像に倣い、トーンを抑えながらも強さを感じさせる仕上げとした。
製品のモデルとなったのは
モデルは、孝謙上皇の発願により平城京に創建された寺院に、秘仏として安置される重文 愛染明王。
運慶様式を踏襲しながらも、美しく整った衣文の線や、誇張しすぎない上品な容貌などに独自の作風を感じさせ、わずか30センチ強の小像ながらも、鎌倉時代の名仏師・善円の高い技術と工夫が見られる。
秘仏であるために、造像当時の彩色や截金が色鮮やかに遺される。
愛染明王とは
煩悩(特に愛欲)を断罪せず、むしろ煩悩に狂った者こそ救われるに値すると強烈に主張をする明王。
なんとしても煩悩を調伏せんとする強い意志(=愛)が憤怒の形相となって表れる。
頭上に悟りへの決意の固さを示す五鈷鉤(ごここう=五つのカギ)をつけた獅子の冠をいただく。
三つの目と六本の腕を持ち、悟りの智慧が詰まる宝瓶に咲いた蓮華の上に結跏趺坐をする、独特の姿が特徴的。
2015年07月23日
2015年06月13日
強靭で絢爛とした限定彩色モデル 伐折羅 2015 Limited ばさら 2015 リミテッド
強靭で絢爛とした限定彩色モデル伐折羅
2015 Limitedばさら 2015 リミテッド
6月24日(水)〜7月15日(水)
期間限定受注
金の輝きが新たな息吹をもたらす
彩色師が感じた力強さを色で表現
彩色師 篁千礼 × イスム
仏像彩色師 篁千礼(たかむらちひろ)が、
伐折羅像に感じた強靭さを金属的な色彩で表現。
力強さを金属で表現しながら、多彩な金色で彩りを足してゆく。
時を経てなお輝き続ける銅像のような渋くあでやかなカラーリングで、
強さと華やかさを同時に感じさせる仕上げとした。
完全受注製作 2015年限定モデル
篁千礼氏が一体ずつ手作業で仕上げる2015年の限定アイテム。
6月24日から7月15日の期間以外はご注文いただけません。
限定商品であることを示す木製の立て札付き。
強靭で絢爛とした限定彩色モデル 伐折羅 2015 Limited ばさら 2015 リミテッド
2015年05月22日
清水寺の貫主、森清範貫主の揮毫 「運」
特別な「運」
水晶院さんの25周年記念
森清範貫主(清水寺)の特別な揮毫(きごう)
その文字は・・・
「運」です。
↓
「運」が多くの方に届きますように!!!
森清範貫主とは・・・
清水寺の貫主、1995年に開始された
その年を表す一文字の漢字「今年の漢字」を清水寺の舞台で揮毫。
ラッキーショップ
水晶院さんの25周年記念
森清範貫主(清水寺)の特別な揮毫(きごう)
その文字は・・・
「運」です。
↓
「運」が多くの方に届きますように!!!
森清範貫主とは・・・
清水寺の貫主、1995年に開始された
その年を表す一文字の漢字「今年の漢字」を清水寺の舞台で揮毫。
ラッキーショップ
2015年04月19日
世界を魅了する優美な微笑み 菩薩半跏像 ぼさつはんかぞう
世界を魅了する優美な微笑み 菩薩半跏像 ぼさつはんかぞう
イスムこだわりの造型
どの角度から見ても美しいプロポーションを完璧に再現。 身にまとう神秘的な色の表現にこだわりぬき、胸元には艶やかな黒、衣には透明感のある黒、そして光背には木肌のやわらかさを活かした黒と、全身に様々なニュアンスを織り込む。造形と彩色とが、清冽な印象を生みだす。
製品のモデルとなったのは
モデルは国宝 菩薩半跏像。聖徳太子が建立したという日本最古の尼寺の本尊で、古くは弥勒菩薩と呼ばれていた。
現在は当時の彩色が薄れ下地の黒漆に覆われているが、その黒く艶やかな輝きが、時代を経た仏像の気高さを際立たせる。
半跏思惟の姿をとり、控えめに浮かぶ神秘的な微笑みが印象的な飛鳥時代の優れた作品。
菩薩半跏像とは
菩薩は、悟りを完成させた如来に従い修行し、やがて如来となって人々を救うことが約束された仏といわれる。宝冠を頂き、髪を長く伸ばした優美な姿で表わされることが多く、現世で悩む人々を救うとして様々な時代で信仰されている。
約320(H)×155(W)×170(D)mm 2.2kg
⇒ 世界を魅了する優美な微笑み 菩薩半跏像 ぼさつはんかぞう
Bosatsu hanka (Hanka Shiyui statue)
菩薩半跏像
Asuka period (7th century)
飛鳥時代(7世紀)
The Bosatsu hanka statue depicts Bodhisattva sitting contemplatively in the half-lotus position, and represents him contemplating a way of saving people as he practices methods of enlightenment.
His exquisitely beautiful smile is considered to be one of the three great smiles in the art world, along with the Great Sphinx of Giza and the Mona Lisa.
菩薩半跏像是以拯救人類為目的而進行修行的菩薩化身。這個姿勢是其在思考如何拯救人類時的姿勢。其美麗的微笑與斯芬剋斯,蒙娜麗莎被稱為世界上三大美麗的微笑之一。
菩薩半跏像は、悟りを目指しつつ人々を救うために修行している菩薩の姿です。
このポーズは、どのようにして人びとを救うかを考えている姿です。
微笑が大変美しく、スフィンクス、モナリザと共に世界三大微笑の一つとされています。
Size 320(H)×155(W)×170(D)mm 2.2kg
⇒ Bosatsu hanka (Hanka Shiyui statue) / 菩薩半跏像
イスムこだわりの造型
どの角度から見ても美しいプロポーションを完璧に再現。 身にまとう神秘的な色の表現にこだわりぬき、胸元には艶やかな黒、衣には透明感のある黒、そして光背には木肌のやわらかさを活かした黒と、全身に様々なニュアンスを織り込む。造形と彩色とが、清冽な印象を生みだす。
製品のモデルとなったのは
モデルは国宝 菩薩半跏像。聖徳太子が建立したという日本最古の尼寺の本尊で、古くは弥勒菩薩と呼ばれていた。
現在は当時の彩色が薄れ下地の黒漆に覆われているが、その黒く艶やかな輝きが、時代を経た仏像の気高さを際立たせる。
半跏思惟の姿をとり、控えめに浮かぶ神秘的な微笑みが印象的な飛鳥時代の優れた作品。
菩薩半跏像とは
菩薩は、悟りを完成させた如来に従い修行し、やがて如来となって人々を救うことが約束された仏といわれる。宝冠を頂き、髪を長く伸ばした優美な姿で表わされることが多く、現世で悩む人々を救うとして様々な時代で信仰されている。
約320(H)×155(W)×170(D)mm 2.2kg
⇒ 世界を魅了する優美な微笑み 菩薩半跏像 ぼさつはんかぞう
Bosatsu hanka (Hanka Shiyui statue)
菩薩半跏像
Asuka period (7th century)
飛鳥時代(7世紀)
The Bosatsu hanka statue depicts Bodhisattva sitting contemplatively in the half-lotus position, and represents him contemplating a way of saving people as he practices methods of enlightenment.
His exquisitely beautiful smile is considered to be one of the three great smiles in the art world, along with the Great Sphinx of Giza and the Mona Lisa.
菩薩半跏像是以拯救人類為目的而進行修行的菩薩化身。這個姿勢是其在思考如何拯救人類時的姿勢。其美麗的微笑與斯芬剋斯,蒙娜麗莎被稱為世界上三大美麗的微笑之一。
菩薩半跏像は、悟りを目指しつつ人々を救うために修行している菩薩の姿です。
このポーズは、どのようにして人びとを救うかを考えている姿です。
微笑が大変美しく、スフィンクス、モナリザと共に世界三大微笑の一つとされています。
Size 320(H)×155(W)×170(D)mm 2.2kg
⇒ Bosatsu hanka (Hanka Shiyui statue) / 菩薩半跏像
タグ: 菩薩半跏像
2015年04月18日
微笑みに添えられる指先の繊細美 弥勒菩薩 みろくぼさつ
製品のモデルとなったのは
国宝 彫刻の部第一号として有名な、飛鳥時代の「弥勒菩薩半跏思惟像」を再現。 右足を左膝に乗せて静かに思索にふける姿は半跏思惟といい、そっと頬に当てた指の先には、アルカイックスマイルと呼ばれる微笑みが浮かぶ。どこか異国の雰囲気を感じさせる優美な仏像。
弥勒菩薩とは
釈迦如来がこの世を去った後、56億7千万年後の未来に姿を現わすとされる仏で、それまでは天上界の兜率天(とそつてん)で修行を続けている。有名な半跏思惟の姿は、人々を救う方法を思い描く瞑想の姿といわれる。
約280(H)×135(W)×185(D)mm 2.2kg
⇒ 微笑みに添えられる指先の繊細美 弥勒菩薩 みろくぼさつ
Miroku Bosatsu (Maitreya)
彌勒普薩
Size 280(H)×135(W)×185(D)mm 2.2kg
Asuka period (7th century)
飛鳥時代(7世紀)
Miroku Bosatsu will come down into the world of 5.6 billion and 70 million years after the death of Buddha. His posture represents the fact that he is pondering the way of saving the people when the time comes.
Miroku Bosatsu’s beautiful smile is said to have a therapeutic effect on our mental state.
彌勒菩薩,在釈迦去世56億7000萬年後,為了拯救人類,從天上來到人間。這個姿勢是當時其在思考如何拯救人類時的姿勢。
其美麗的微笑能給我們帶來治愈的效果。
弥勒菩薩は、釈迦が亡くなった56億7000万年後に、天から人々を救うために地上に姿を表します。このポーズは、その時にどうやって人びとを救うかを考えている姿です。
美しい微笑みが私たちに癒しの効果をもたらします。
⇒ Miroku Bosatsu (Maitreya) / 彌勒普薩
2015年04月03日
奈良 円成寺の国宝、瑞々しき威容に宿る「宇宙の真理」大日如来 (だいにちにょらい)をモデルにしたイSム大日如来が登場します!
奈良 円成寺の国宝、瑞々しき威容に宿る
「宇宙の真理」大日如来 (だいにちにょらい)をモデルにした
イSム大日如来が登場します!
仏師の感性が息づく威厳ある像容
イスムこだわりの造型
肉感豊かで威厳に満ち溢れた実物の存在感を目指して造型。
状態を後ろに大きく反らせ、胸を張り威厳のある像容を表現する。
像の印象を左右する金箔の剥落の箇所とその程度にもこだわって仕上げた。
イスムとしては初めて真鍮製の装飾物を採用、五仏を表わす宝冠の緻密さも追求、
およそ15センチという小さなサイズの中に大日如来の偉大さと、
運慶仏ならではの迫力の造型表現を造りあげた。
製品のモデルとなったのは
奈良県 円成寺 多宝塔の本尊、国宝 大日如来坐像。
鎌倉時代の大仏師・運慶が20代の頃に製作をしたデビュー作であると見られる。
それまでの平安様式から外れ、
如来像の威厳に加えのびのびとした若々しさが強調されている。
高く豊かな髻(もとどり)や肉厚で引き締まった身体表現には
その後の慶派の特徴がすでによく表わされている。
全体として安定感のある力強さが堂々とした風格を感じさせる鎌倉期の傑作。
大日如来とは
大日如来は密教において真理そのものとされる本尊。
諸仏は大日如来から出生したとされ、そのために根源仏と呼ばれる。
様ざまな仏たちの集合体を大日如来という可視化した存在として表わしたもの。
奈良 円成寺の国宝、瑞々しき威容に宿る「宇宙の真理」大日如来 (だいにちにょらい)をモデルにしたイSム大日如来
「宇宙の真理」大日如来 (だいにちにょらい)をモデルにした
イSム大日如来が登場します!
仏師の感性が息づく威厳ある像容
イスムこだわりの造型
肉感豊かで威厳に満ち溢れた実物の存在感を目指して造型。
状態を後ろに大きく反らせ、胸を張り威厳のある像容を表現する。
像の印象を左右する金箔の剥落の箇所とその程度にもこだわって仕上げた。
イスムとしては初めて真鍮製の装飾物を採用、五仏を表わす宝冠の緻密さも追求、
およそ15センチという小さなサイズの中に大日如来の偉大さと、
運慶仏ならではの迫力の造型表現を造りあげた。
製品のモデルとなったのは
奈良県 円成寺 多宝塔の本尊、国宝 大日如来坐像。
鎌倉時代の大仏師・運慶が20代の頃に製作をしたデビュー作であると見られる。
それまでの平安様式から外れ、
如来像の威厳に加えのびのびとした若々しさが強調されている。
高く豊かな髻(もとどり)や肉厚で引き締まった身体表現には
その後の慶派の特徴がすでによく表わされている。
全体として安定感のある力強さが堂々とした風格を感じさせる鎌倉期の傑作。
大日如来とは
大日如来は密教において真理そのものとされる本尊。
諸仏は大日如来から出生したとされ、そのために根源仏と呼ばれる。
様ざまな仏たちの集合体を大日如来という可視化した存在として表わしたもの。
奈良 円成寺の国宝、瑞々しき威容に宿る「宇宙の真理」大日如来 (だいにちにょらい)をモデルにしたイSム大日如来
タグ: 大日如来