二階幹事長っていう政治家の人がシツゲンとやらをしたそうで。政治家ってのはシツゲンしないといけない呪いでもかけられてるんですかね。
「「子どもを産まない方が幸せに送れるんじゃないか」と勝手なことを言ってる」とかなんとかが問題になっていて、それに関しては「そのとおり、子ども産まないほうが幸せですがなにか?」としか言えないんだけれども、私はこの部分よりも、この一連の発言の中の最後のほうで言ったらしい「「今晩、飯を炊くのにお米が用意できない」という家は日本中にはないんですよ」ってのがね、もう、なんにも知らないんだなあって感じでげっそりでした。
「今晩炊くお米」なかったですよ。
結婚してたとき。米を買うお金がなくてどうしようどうしようってなってました。
まあ、冷静に考えて「米を買う」ってことだけを実現しようとするなら、あちこちからかき集めてお金は工面できたんでしょうけど、「こっちのお金は息子の進学資金だから手を付けたくない」「この定期はたぶん数年後には必要になる家の外壁の補修費用だから取っておかなくちゃ」「この私の個人年金に手を付けたらもう後がない」……とか考えて、もうなにを優先すればいいのかわからなくなってしまってたんですよ。
ものすごく追い詰められてました。夜中に眠れなくていろいろ考えてるうちに「お金が足りない!」って急に心臓がぎゅーーってなるぐらいに心配になって飛び起きて預金通帳開いて、残高とこれからかかるだろうお金を計算して、やっぱり足りない…ってなって泣いたり。真夜中に。ものすごくつらかったです。
思えば、このつらさって、本当にお金がないっていうよりも、「お金がないよねー」ということをパートナーであるはずの夫とちゃんと話し合えないつらさだったんですよね。だって、子供もいて家族の分のご飯を作っている私が「お米を買うお金がない」って言ってるのに、その話し合いにまったく参加してくれなかったんですよ。しかも、自分が昼ご飯、晩ご飯に外食で使うお金は絶対に減らそうとしなかった。その夫が使ってた1日あたりの金額で、私と息子は1週間暮らしてましたけどね。それを言っても「それで?」って言われたときにはもう、こりゃダメだって思うしかなかったですよ。
夫婦ふたりで自分が持っているお金を全部出し合って、「これしかないけど、こういうふうにしてがんばろう」って話し合いができれば、実際にお金がないことなんてそんなに問題じゃなかったんだろうなあって思います。それが、元夫とは、お金についての話をすればするほど、どっちがより多くの取り分を確保するかっていう獲得合戦みたいになっていってしまったんです。そんなのもう家族じゃないですよね。
離婚してひとり暮らしをしている今でもお金はそんなにたくさんあるわけではなくて、いろいろ節約しつつやってますが、自分ひとりが納得してやっていければそれでいいので、ものすごく心が平和です。お米は買いたかったら買うけど、米を買うお金を別のことに使いたいと思ったら米は我慢してそっちに使います。自分がそれでよければそれでいい。家も賃貸アパートだから、外壁の補修がーとか、設備が壊れたときのためのお金を貯めとかなくちゃーとか考えなくていいですし。結婚してたときに住んでた持ち家一軒家は、元夫の名義なのにその維持や補修のためのお金のことを元夫は全然考えてくれなくて、月々の光熱費程度しか家に入れてくれなかったんですが、私がそれを指摘して、家の補修費用をなんとかしないと…といった話を始めると、とたんに「あーあー聞こえない〜〜」みたいな状態になってました。そして私への人格攻撃が始まった。元夫に言わせると、お金がないのは私の性格が悪いから、みたいなそんな感じ。
あほらし。
でも、今の私がこんなふうに「あほらし」と言えるのは、なんとかあの家から逃げ出すことができて、ひとり暮らしができているからなので、世の中には去年までの私と同じような状況の人は他にもいっぱいいると思います。
「今晩、飯を炊くのにお米が用意できない」人。
そのことを家族と、パートナーときちんと話し合って分かち合えなくて苦しんでる人。
米がないって、特に家計を預かる主婦にとってはものすごく不安で、そして自分がダメだからこんなことになってるんじゃないかって思えて泣きたくなる、そういう状況なんですよ。
私は、そんなふうになる度に「死にたい」って思ってました。
そんな人はいない、なんて軽々しく言ってほしくないです。
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