長年の崩れぬ美意識の表出だった。
「天井桟敷一座」(1967)は寺山修司の物語の中の彼らではなく、未来きらめく若者たちのスパークが写っている。
「日米安保条約反対デモ」(1960)は機動隊たちのこわばった表情とそれとは対照的なデモに参加する大学生たちの笑顔が印象的である。
「晴れた日」(1974)の輪島功一、石原慎太郎、浜田幸一の写真は後の「表に出ろいっ!」(2010)の中村勘三郎、野田秀樹の写真と同じく、写っているものは決闘だった。
「明星」の表紙をはじめ、多くの有名人が被写体になっているが、中でも印象的なのは引退の年の長嶋茂雄の写真である。ミスターの表情は写っていない。うつむきながら走る姿であった。それと何と言っても「宝生舞」(1996)の美しさ。
などなど。
「写真は死んで行く時の記録。」(篠山紀信)という言葉を頭に入れて「TOKYO NUDE」(1990)を見た。
3台連結されたカメラで撮られたそれはまるで得体の知れない細胞組織のごとく東京が蠢いているように見えた。
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