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尖閣問題(中国名、釣魚島デャオユダオ)もなんのその


 前回更新からほぼ一年ぶりの更新となってしまいましたが、私ダイキチは今日も中国・杭州の濱江にて彼女、その姉、姉の夫、夫の母、姉夫婦の子供(ヤヤ、上の写真の子です)と一緒に生活をしております。

 本日10月10日の中国・杭州は、雲ひとつない見事な晴天だった。
 僕は午前中の仕事を終えて、自分の部屋に戻ると彼女から頼まれていた米の買出しに行くため服を着替えた。姉夫婦は仕事に出ているだが、彼らの部屋のドアが閉まっていた(通常、我々の部屋のドアは欧米のトイレと同じで誰もいないときには開け放っているのだ)。どうやらおばさん(夫のお母さん)とヤヤ(姉夫婦の子供)が昼寝をしているようだ。できるだけ大きな音を立てないようドアを閉め、階段をリズミカルに降りる。
 通りを渡ったところに小さな商店があり、入り口のガラスには「転譲」という紙が貼ってあった。どうやらこの店(テナント)を売りに出すようだ。店に入ってすぐの場所にあるはずの米袋が見つけられなかったので、「まあ、あの貼紙があるから品数が減ってるかもしれないな」と早合点。レジのおばさんに米の在り処を訊ねると、「ほら、ここだよ」とすぐ目の前から引っ張り出した。失礼な誤解に勝手に恐縮しながら、僕は自分の近視がますます悪くなるのを感じた。
「いくら?」
「46元だよ」
 財布から50元札を取り出し差し出す。すると、
「1元持ってないの?」
 僕はぼんやり財布の中身を調べ、「あ、あった」とコインを渡す。するとおばさんは当然のように5元札の釣りを渡した。
「あれ?」
 ぼけっとしていた僕は、そのお釣りの意味を理解できずおばさんに自分の差し出した金額を確かめた。
「50元渡したじゃないの。だからお釣りの5元でしょうが!」と多少呆れ気味でおばさんは答え、僕は再び恐縮して米を担いで帰った。

 部屋に戻り、手洗いうがいついでに足を洗っている最中に、物音が聞こえた。どうやらおばさんとヤヤが起きたようだ。
「ヤヤがお腹が空いたって起きてね」とおばさん。去年から一回り大きくなり、今では僕のことも「トゥトゥ(叔叔shushu)」とおじさんという意味の中国語をまだ未熟な発音だが言えるようにもなった。
 彼(ヤヤ)は僕のことが日本人であるということはもちろん知らないし、もしかしたら男か女かってこともまだ認識がないのかもしれない。いまこうして雑文を書いている途中も、ヤヤの楽しく遊ぶ笑い声が隣室から聞こえてくる。数分前には、おばさんに匙で食べ物を口に運んでもらいながらも、僕とひとしきり拳銃ごっこで楽しんだ(幼児お馴染みの永遠に続くかと思えるような反復遊び。もちろん僕が敵役でヤラレ役だ)。その遊びが実に楽しく、僕は本当に参ってしまうのだ。

 しかし今僕らはこうして楽しく遊んでいるのに、数年後ヤヤがあるとき冗談でも「小日本」とか「日本鬼子」とかの蔑称で僕のことを呼ぶんじゃないかと考えてしまうことがある。そしてその想像はいつも僕は不安にさせ、とても悲しい気持ちにさせる。『ライ麦畑で捕まえて』のホールデン少年ではないが、この姉夫婦の子供と遊んだり、一緒に暮らしていると、「お金なんかクソっくらえだ」よろしく、僕も「尖閣問題なんかクソっくらえだ」と吐き捨てたくなってしまう。まったく、嫌になってしまう。

 こんなふうに(どんなふうだ?)反日デモからすでに半月が過ぎ、杭州はひとまず「日本尖閣購入」以前のような一応の落ち着きを取り戻している。彼女と外へ買い物に出ると、店内の客の会話で洒落として「蒼井そらは世界のもの、釣魚島は中国のもの…」という言葉を耳にしたり、また別の場所では「釣魚島は中国のもの」と書かれた赤い横断幕を目にすることもあるが、僕としては、立派に正しく愛情を持った中国人の家族たちとともに、無事に生活しているのです。
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