2012年03月11日
サンドの『東北魂』震災風化させない…伊達「この1年が復興元年」
東日本大震災の発生から11日で1年が経過した。1万5000人以上の死者を出し、今もなお3200人以上が行方不明という未曽有の大災害となったが、被災地は少しずつ復興への道を歩んでいる。昨年の「3・11」に宮城県気仙沼市で被災し、『東北魂』を旗印に復興支援に取り組む仙台市出身のお笑いコンビ・サンドウィッチマンが、恐怖の瞬間を振り返りながら“東北の今”を代弁した。
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2011年3月11日、午後2時46分、東北地方を最大震度7の激震が襲った。沿岸地域は大津波にのみ込まれ、多くの尊い命が奪われた。福島第1原子力発電所では水素爆発が起こり、深刻な放射能問題へと発展。絶望的な負の連鎖となった。
サンドウィッチマンの伊達みきお(37)と富澤たけし(37)は、ともに仙台市出身の東北人。1年前のあの日、2人はテレビ番組のロケで、気仙沼湾を訪れていた。駐車場で車に乗り込もうとしたところだった。
「地震だ!」。体験したことのない大きな揺れに恐怖を感じた。津波を恐れた番組スタッフの指示で、近くの安波山(あんばさん)へ急いだ。全力で避難した場所から見た光景は悪夢そのものだった。ついさっきまで自分たちがいた町は波にのまれ、無残な姿に変わっていった。
「たぶん死ぬまで忘れないですね。あの重油のニオイ、船と船がぶつかる音、波の勢いで家がバリバリと崩れる音、鳴りっぱなしの車のクラクション…ずっと耳に残ってますね。ケータイの緊急地震速報の音もずっと鳴り響いていて、あの音を聞くと今でもものすごいビビリます」(伊達)
2人は地震発生直後から、自分たちに何ができるかを必死で考えた。とにかく動くべく、ブログで被災地の状況を発信し続けた。発生から5日後の16日には都内で会見。テレビ各局には、安否確認のために、避難所にいる被災者の顔をできるだけ多く撮影して欲しいと懇願した。
その後、実際に放送された避難所の映像がきっかけとなり、再会を果たした家族もいた。「『プライバシーの問題で、避難所は映せない』とも言われましたけど、『そんなこと言ってる状況じゃない。行けば分かる』と思ったので。結果的にそれで見つかった人がいたのは良かったです」(伊達)。大震災を肌で感じた2人が伝えた言葉は正しく、被災者の救いとなった。
日本中が悲しみに暮れる中、芸能界では復興支援の輪が広がった。先導役となったのがサンドウィッチマン。震災5日目には「東北魂義援金」を立ち上げて募金を募り、4月からはチャリティーライブも開催した。
震災から1年、東北のことは片時も頭から離れることはない。被災地慰問を何度も繰り返し、今も月3回のペースで足を運ぶ。伊達が「あっという間の1年だった感じがします。先日も女川(町=宮城)、南三陸(町=宮城)と行ってきましたが、今はまだガレキの山が増えていく状況で、処理に困っていて。地域によって少しずつ復興の格差が出てきていると、行くたびに感じます」と話せば、富澤も「すごく早く感じた1年というのは同じです。ただ、1年たっただけで、まだまだこれから先は長いと思います」と続けた。
1年間で「東北魂義援金」は、約3億5000万円集まった。全国から届けられた善意はしっかり活用したい。伊達は「例えば震災孤児のため。両親がいなくなった子どもが400人ぐらいいるという話を聞きました。失業者も多いと聞いたので、仕事のきっかけになるようなお金の使い方を考えたい」と提案する。富澤も「やっぱりお金が必要になってくる。(被災者が)『頑張ってます』と言えば、『もう大丈夫なんだ』と思われるのが一番怖いこと」と恐れる。震災を風化させないという2人の決意は固い。
「次のこの1年が、たぶん“復興元年”になるんでしょうから、この1年どうするか。東北にたくさん遊びに来てもらって、町にお金を落としてもらえたら。松島なんて観光地として復活してますし。うまいモンを食べに来て、ちょっと被災地を見て、思ってもらえたらありがたい」(伊達)。傷ついた故郷が元気を取り戻す日まで、サンドウィッチマンは支えていく。合言葉は『東北魂』‐。
最後に投票をお願いします!サンドウィッチマンの伊達みきお(37)と富澤たけし(37)は、ともに仙台市出身の東北人。1年前のあの日、2人はテレビ番組のロケで、気仙沼湾を訪れていた。駐車場で車に乗り込もうとしたところだった。
「地震だ!」。体験したことのない大きな揺れに恐怖を感じた。津波を恐れた番組スタッフの指示で、近くの安波山(あんばさん)へ急いだ。全力で避難した場所から見た光景は悪夢そのものだった。ついさっきまで自分たちがいた町は波にのまれ、無残な姿に変わっていった。
「たぶん死ぬまで忘れないですね。あの重油のニオイ、船と船がぶつかる音、波の勢いで家がバリバリと崩れる音、鳴りっぱなしの車のクラクション…ずっと耳に残ってますね。ケータイの緊急地震速報の音もずっと鳴り響いていて、あの音を聞くと今でもものすごいビビリます」(伊達)
2人は地震発生直後から、自分たちに何ができるかを必死で考えた。とにかく動くべく、ブログで被災地の状況を発信し続けた。発生から5日後の16日には都内で会見。テレビ各局には、安否確認のために、避難所にいる被災者の顔をできるだけ多く撮影して欲しいと懇願した。
その後、実際に放送された避難所の映像がきっかけとなり、再会を果たした家族もいた。「『プライバシーの問題で、避難所は映せない』とも言われましたけど、『そんなこと言ってる状況じゃない。行けば分かる』と思ったので。結果的にそれで見つかった人がいたのは良かったです」(伊達)。大震災を肌で感じた2人が伝えた言葉は正しく、被災者の救いとなった。
日本中が悲しみに暮れる中、芸能界では復興支援の輪が広がった。先導役となったのがサンドウィッチマン。震災5日目には「東北魂義援金」を立ち上げて募金を募り、4月からはチャリティーライブも開催した。
震災から1年、東北のことは片時も頭から離れることはない。被災地慰問を何度も繰り返し、今も月3回のペースで足を運ぶ。伊達が「あっという間の1年だった感じがします。先日も女川(町=宮城)、南三陸(町=宮城)と行ってきましたが、今はまだガレキの山が増えていく状況で、処理に困っていて。地域によって少しずつ復興の格差が出てきていると、行くたびに感じます」と話せば、富澤も「すごく早く感じた1年というのは同じです。ただ、1年たっただけで、まだまだこれから先は長いと思います」と続けた。
1年間で「東北魂義援金」は、約3億5000万円集まった。全国から届けられた善意はしっかり活用したい。伊達は「例えば震災孤児のため。両親がいなくなった子どもが400人ぐらいいるという話を聞きました。失業者も多いと聞いたので、仕事のきっかけになるようなお金の使い方を考えたい」と提案する。富澤も「やっぱりお金が必要になってくる。(被災者が)『頑張ってます』と言えば、『もう大丈夫なんだ』と思われるのが一番怖いこと」と恐れる。震災を風化させないという2人の決意は固い。
「次のこの1年が、たぶん“復興元年”になるんでしょうから、この1年どうするか。東北にたくさん遊びに来てもらって、町にお金を落としてもらえたら。松島なんて観光地として復活してますし。うまいモンを食べに来て、ちょっと被災地を見て、思ってもらえたらありがたい」(伊達)。傷ついた故郷が元気を取り戻す日まで、サンドウィッチマンは支えていく。合言葉は『東北魂』‐。
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