2012年03月21日
東日本大震災「余震、いまだ止まず」芸能人ボランティアの裏の真実
東北が津波に飲まれてしばらくたった頃、有名人たちは続々、被災者支援の声を上げ、現地に赴いた。炊き出し、物資供給、歌、コント、復旧作業・・・・。もちろん被災地復興を願っての善意の行動なのだが、それを受ける人々にとっては、全てがありがたいものとは限らなかったようで─。
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?@ 上戸彩&石原軍団に「復興妨害」大ブーイング
「出て行け」と言われた石原軍団
事務所倉庫には、餅つき器や3000人分の御飯が炊ける炊飯器を所有。炊き出しといえば・・・・のイメージが定着しているのは、石原軍団である。
95年の阪神淡路大震災では焼きそばをふるまい、東日本大震災でもトラック28台で宮城県石巻市へ乗り込んで、4月14日から1週間、カレーや焼きそばなど1万4000食の大々的な炊き出しを行った。
渡哲也(70)、舘ひろし(61)、神田正輝(61)、徳重聡(33)ら俳優陣に加え、上戸彩(26)が飛び入り参加。スタッフと関係者を合わせて総勢80人という大所帯である。ワイドショーも「大盛況」と絶賛するお祭り騒ぎとなったが、現場では罵声が飛び交っていた。
「会場の石巻市中央公民館周辺で大渋滞に巻き込まれました。何台もの車が盛んにクラクションを鳴らしていたんです。石原軍団が引き起こしたものでした」
こう回想するのは、当時、取材で石巻入りしていたジャーナリストである。
「道路の真ん中で、巻き髪にサングラス、小ぎれいな格好をしたオバサンが携帯電話で何やらしゃべっていた。明らかに被災者とは違いました。そういう人たちが道路にあふれ、渋滞の原因となっていたんです」
石原軍団の追っかけファンが、あちこちから大挙して押し寄せたのである。
この大渋滞で、県外からやって来た車に当てられて地元民の車体がへこみ、トラブルになったケースも。事故の被害者が加害者に「何しに来たんだ?」と聞くと、「石原軍団を見物に来た」と答えたという。
初日、炊き出しは昼と夜の2回行われた。地元商店街の店主が憤る。
「復興作業員を乗せた車が足止めされ、『俺たちは後回しかよ』と。警察、消防、救急などの緊急要請があったらどうなるのか、とも思いましたね。実際、怒った消防団が『津波が来たらどうするのか。出て行ってくれ』と石原軍団に通告したところ、『もう(マスコミに)プロモーションをかけてるし、何とかやらせてほしい』と泣きついてきた。結局、昼1回だけになったよ」
石原軍団は、みずからの宣伝活動に利用したいだけだったのか!?
炊き出し期間中、工事車両が駐車できない商店街では工事が遅れ、通るはずだった電気が通らず。自衛隊や運送業者も満足に物資を届けることはできなかった。ある意味、迷惑軍団と化していたのである。
そもそも軍団は、最初から招かれざる客だった。地元飲食店従業員は渋い顔だ。
「石原プロはまず、日本製紙石巻工場の空き地を使わせてほしいと要請し、『ガレキが残っていてそれどころじゃない』と断られています。次に、石巻市総合運動公園を指定すると、自衛隊の物資運搬拠点となっていて断られた。さらに、石巻中学校と門脇中学校のグラウンドを貸してほしいとの打診も拒否され、最後に中央公民館に連絡したわけですが、実はこれも断っていたんです」
ところが後日、市からのトップダウンで「使わせてやってくれ」との通達が。
「石原プロが市に何かの圧力をかけたんじゃ・・・・と勘ぐる人もいますねぇ」(前出・地元商店街店主)
喜々として食料をふるまう上戸と石原軍団をよそに不満を爆発させる被災者。
「炊き出しは朝5時から整理券を配りましたが、私らはそんな時間から並べない。並んでいたのは他県ナンバーの車で来た人ばかりでした。キャベツを切ったり、天ぷらを揚げたりと、自分たちの家の片づけを切り上げて調理を手伝った被災女性たちも『食べられなかった』『何のためにやったのか』と嘆いていましたね。とにかく大ヒンシュクを買ったのは事実です」(交通整理に関わった地元住民)
こうした真実の声に、上戸と石原軍団は背を向けていたのである。
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?A ただ避難所を視察するだけ
大ヒンシュク軍団が勝手に乗り込んでくる直前の4月10日、同じ石巻市の市役所前広場では、清原和博氏(44)と大相撲・九重親方(56)=元横綱千代の富士=が、ちゃんこ鍋と牛丼をふるまった。現地で取材したジャーナリストが言う。
「清原氏は石巻工業高校の野球部員を激励後、炊き出しに参加。たくさんの人が集まりましたが、石原プロのようなバカ騒ぎにはならず、地元の人や子供たちは皆、喜んでいました」
相撲界からは、野球賭博問題で角界を追放された元大嶽親方(44)=元関脇貴闘力=が、震災直後の3月19日に東京を出発。宮城県石巻市と気仙沼市で約1カ月にわたり、ちゃんこ鍋の炊き出しを行っている。その後もほぼ毎週、1人で気仙沼市を訪れており、本誌記者も5月中旬に現地で元親方を目撃している。
「元親方は、売名行為と思われたくないから報道しないでくれ、とマスコミに口止めをしていました」(スポーツ紙記者)
人知れず、という意味でひそかに話題になった有名人といえば、江頭2:50(46)。
「みずからトラックを運転して、福島県いわき市の避難所に支援物資を届けた」との目撃情報が、ツイッターなどで広まった。一個人としてボランティアに携わりたい意向の江頭は、本人だとバレないように変装。それでも「江頭らしき人物が来た」などとネット上に書き込まれたのだった。結局、北野誠(53)が江頭の所属事務所・大川興業の大川豊総裁(50)に確認して、次のようにツイッター報告。
「江頭は真面目に頑張ってました。売名行為ではなく、市井の人間として参加したかったそうです」
川?ア麻世(49)の妻・カイヤ(49)もしかり。宮城県の地元放送局スタッフは語る。
「これはまったく報道されていませんが、コッソリと石巻市を訪問したんです。大きな避難所ではなく、民家が避難所になっているところに自分の友人たちを総動員して、食料や物資を持って来た」
ガレキで道路が封鎖されて車は通らず、電気や水はおろか、物資も届かない、ほぼ孤立した集落。わずかに崩壊を免れた民家に少人数で身を寄せ、救援を待っている人たちを探し出し、乗り込んだというのだ。
「地元住民からは『エライ! 大きな避難所だけが注目されるわけじゃない』と、絶賛の声が出ていた」(前出・放送局スタッフ)
炊き出しが集中した石巻市のような地域もあれば、一方で、仙台市沿岸部や県南部にはなかなか有名人が来ない。前出・地元放送局スタッフが言う。
「壊滅的な津波被害に見舞われた名取市の閖上地区にあえてやって来たのが、和田アキ子(61)を筆頭とする軍団でした。被災者のオバチャンたちの間では凄く評判がいいですよ」
津波で壊滅した宮城県女川町も、石巻市ほどの注目は浴びなかった。そこを訪れたのは同町出身者の中村雅俊(61)。テレビ番組で復興への思いを語るのだが、
「特に何をするでもなく、ただ避難所を視察するばかり。地元では『こういう時こそ、息子と一緒にボランティアをすればいいのに』と・・・・」(地元関係者)
息子とは、09年4月に大麻取締法違反で逮捕された元俳優・俊太(現在は引退)。もっともな話である。
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?B ベッキー「高齢者のシモの世話」ボランティア
いち早く3月28日に石巻市入りしたコロッケ(52)は、避難所での炊き出しとものまねステージで被災者を喜ばせた。その後、関係者にこんなオフレコ秘話を漏らしているという。
「僕が行く前に、テレビ局を引き連れて、炊き出ししている画を撮って帰っていった芸能人がいたんです。事前に避難民の人数を確かめず、食料が足りなかった、と。勝手にやって来て『大変ですね』と声をかけ、アッという間に帰っていったと。地元民は『あれは撮影のための炊き出しだ。食べられない人が出るのは、かえって迷惑』と話していた」
いわゆる「売名」に利用した例だ。ワイドショースタッフが解説する。
「芸能人の被災地入りには、『売名にはいちいち乗るな』とのお達しが局から出ていた。例えば、前もって告知するものは危ないと判断しました」
そうした不届きなタレントと一線を画すのは、先の元大嶽親方や江頭などだが、坂本冬美(44)、水野美紀(37)の活動もおよそ芸能人らしくない点で、驚きである。スポーツ紙芸能デスクが言う。
「坂本はまったく報じられていませんが、一般人に交じってガレキ撤去作業に従事していた。ああ見えて、意外にガテン系なんです」
水野も何人かの仲間とボランティア団体に登録。岩手県陸前高田市などの沿岸部でガレキの撤去をやっていたという。
「深夜バスで現地入りし、『これをやってください』と言われた作業を手伝った」(前出・スポーツ紙デスク)
同じガレキ撤去で、別の評価を得たケースがある。
〈皆さんが安心して眠れる場所を得られるまでは、エンターテイメントは無力だと考える。だから、今は別で役に立てると信じることをやる〉
自身のウェブサイトにこう書き記し、石巻市へと向かったのは吉川晃司(46)。4月上旬のことだ。防塵マスクにゴーグルを装着し、一般のボランティアとともに作業をしたという。
「自転車のパンク修理もやり、評判は上々でした。ところが後日、そのボランティアをネタにした番組が放送され、さらにそれと連動した著書も出版された。さんざん商売に利用したんじゃないか、と一気にイメージ急降下です」(前出・ワイドショースタッフ)
昨年8月の時点で、所属事務所関係者が「毎週、(被災地に)行ってるんだよ」と漏らしていたのは、ベッキー(28)。清掃作業などを手伝ったと言われるが、
「避難所では、女性ならではのケアが必要になる場面もある。特に高齢者や要介護者のシモの世話などです。そのために長期でボランティアをしてくれる女性スタッフが本当に不足していた。ベッキーはそれをやった、と聞きました。被災女性の話し相手になるという心のケアもあります」(前出・ジャーナリスト)
昨年の大みそか、大震災一色だった1年の締めくくりとして、NHK紅白歌合戦に出場した長渕剛(55)は、震災をテーマに作った曲「ひとつ」を絶唱した。ステージは石巻市、門脇小学校の夜のグラウンド。意外にも視聴者を感動させたあのパフォーマンスに、地元住民は渋い表情でこう話すのだ。
「この小学校には津波で100台以上の車が流され、燃え上がった。数多くの遺体が収容された場所でもあります。住民の中には、亡くした家族の思い出とともに、大みそかをそこで過ごしたい人もいた。だから、長渕の中継のために小学校が立ち入り禁止になったことには反発がありました。一緒に歌えるならまだしも迷惑な歌だったんです」
そうした声にならない声が、世間に伝わることはなかったのである。
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ソース:livedoorニュース - 2012年03月20日10時58分提供:アサ芸プラス
最後に投票をお願いします!「出て行け」と言われた石原軍団
事務所倉庫には、餅つき器や3000人分の御飯が炊ける炊飯器を所有。炊き出しといえば・・・・のイメージが定着しているのは、石原軍団である。
95年の阪神淡路大震災では焼きそばをふるまい、東日本大震災でもトラック28台で宮城県石巻市へ乗り込んで、4月14日から1週間、カレーや焼きそばなど1万4000食の大々的な炊き出しを行った。
渡哲也(70)、舘ひろし(61)、神田正輝(61)、徳重聡(33)ら俳優陣に加え、上戸彩(26)が飛び入り参加。スタッフと関係者を合わせて総勢80人という大所帯である。ワイドショーも「大盛況」と絶賛するお祭り騒ぎとなったが、現場では罵声が飛び交っていた。
「会場の石巻市中央公民館周辺で大渋滞に巻き込まれました。何台もの車が盛んにクラクションを鳴らしていたんです。石原軍団が引き起こしたものでした」
こう回想するのは、当時、取材で石巻入りしていたジャーナリストである。
「道路の真ん中で、巻き髪にサングラス、小ぎれいな格好をしたオバサンが携帯電話で何やらしゃべっていた。明らかに被災者とは違いました。そういう人たちが道路にあふれ、渋滞の原因となっていたんです」
石原軍団の追っかけファンが、あちこちから大挙して押し寄せたのである。
この大渋滞で、県外からやって来た車に当てられて地元民の車体がへこみ、トラブルになったケースも。事故の被害者が加害者に「何しに来たんだ?」と聞くと、「石原軍団を見物に来た」と答えたという。
初日、炊き出しは昼と夜の2回行われた。地元商店街の店主が憤る。
「復興作業員を乗せた車が足止めされ、『俺たちは後回しかよ』と。警察、消防、救急などの緊急要請があったらどうなるのか、とも思いましたね。実際、怒った消防団が『津波が来たらどうするのか。出て行ってくれ』と石原軍団に通告したところ、『もう(マスコミに)プロモーションをかけてるし、何とかやらせてほしい』と泣きついてきた。結局、昼1回だけになったよ」
石原軍団は、みずからの宣伝活動に利用したいだけだったのか!?
炊き出し期間中、工事車両が駐車できない商店街では工事が遅れ、通るはずだった電気が通らず。自衛隊や運送業者も満足に物資を届けることはできなかった。ある意味、迷惑軍団と化していたのである。
そもそも軍団は、最初から招かれざる客だった。地元飲食店従業員は渋い顔だ。
「石原プロはまず、日本製紙石巻工場の空き地を使わせてほしいと要請し、『ガレキが残っていてそれどころじゃない』と断られています。次に、石巻市総合運動公園を指定すると、自衛隊の物資運搬拠点となっていて断られた。さらに、石巻中学校と門脇中学校のグラウンドを貸してほしいとの打診も拒否され、最後に中央公民館に連絡したわけですが、実はこれも断っていたんです」
ところが後日、市からのトップダウンで「使わせてやってくれ」との通達が。
「石原プロが市に何かの圧力をかけたんじゃ・・・・と勘ぐる人もいますねぇ」(前出・地元商店街店主)
喜々として食料をふるまう上戸と石原軍団をよそに不満を爆発させる被災者。
「炊き出しは朝5時から整理券を配りましたが、私らはそんな時間から並べない。並んでいたのは他県ナンバーの車で来た人ばかりでした。キャベツを切ったり、天ぷらを揚げたりと、自分たちの家の片づけを切り上げて調理を手伝った被災女性たちも『食べられなかった』『何のためにやったのか』と嘆いていましたね。とにかく大ヒンシュクを買ったのは事実です」(交通整理に関わった地元住民)
こうした真実の声に、上戸と石原軍団は背を向けていたのである。
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?A ただ避難所を視察するだけ
大ヒンシュク軍団が勝手に乗り込んでくる直前の4月10日、同じ石巻市の市役所前広場では、清原和博氏(44)と大相撲・九重親方(56)=元横綱千代の富士=が、ちゃんこ鍋と牛丼をふるまった。現地で取材したジャーナリストが言う。
「清原氏は石巻工業高校の野球部員を激励後、炊き出しに参加。たくさんの人が集まりましたが、石原プロのようなバカ騒ぎにはならず、地元の人や子供たちは皆、喜んでいました」
相撲界からは、野球賭博問題で角界を追放された元大嶽親方(44)=元関脇貴闘力=が、震災直後の3月19日に東京を出発。宮城県石巻市と気仙沼市で約1カ月にわたり、ちゃんこ鍋の炊き出しを行っている。その後もほぼ毎週、1人で気仙沼市を訪れており、本誌記者も5月中旬に現地で元親方を目撃している。
「元親方は、売名行為と思われたくないから報道しないでくれ、とマスコミに口止めをしていました」(スポーツ紙記者)
人知れず、という意味でひそかに話題になった有名人といえば、江頭2:50(46)。
「みずからトラックを運転して、福島県いわき市の避難所に支援物資を届けた」との目撃情報が、ツイッターなどで広まった。一個人としてボランティアに携わりたい意向の江頭は、本人だとバレないように変装。それでも「江頭らしき人物が来た」などとネット上に書き込まれたのだった。結局、北野誠(53)が江頭の所属事務所・大川興業の大川豊総裁(50)に確認して、次のようにツイッター報告。
「江頭は真面目に頑張ってました。売名行為ではなく、市井の人間として参加したかったそうです」
川?ア麻世(49)の妻・カイヤ(49)もしかり。宮城県の地元放送局スタッフは語る。
「これはまったく報道されていませんが、コッソリと石巻市を訪問したんです。大きな避難所ではなく、民家が避難所になっているところに自分の友人たちを総動員して、食料や物資を持って来た」
ガレキで道路が封鎖されて車は通らず、電気や水はおろか、物資も届かない、ほぼ孤立した集落。わずかに崩壊を免れた民家に少人数で身を寄せ、救援を待っている人たちを探し出し、乗り込んだというのだ。
「地元住民からは『エライ! 大きな避難所だけが注目されるわけじゃない』と、絶賛の声が出ていた」(前出・放送局スタッフ)
炊き出しが集中した石巻市のような地域もあれば、一方で、仙台市沿岸部や県南部にはなかなか有名人が来ない。前出・地元放送局スタッフが言う。
「壊滅的な津波被害に見舞われた名取市の閖上地区にあえてやって来たのが、和田アキ子(61)を筆頭とする軍団でした。被災者のオバチャンたちの間では凄く評判がいいですよ」
津波で壊滅した宮城県女川町も、石巻市ほどの注目は浴びなかった。そこを訪れたのは同町出身者の中村雅俊(61)。テレビ番組で復興への思いを語るのだが、
「特に何をするでもなく、ただ避難所を視察するばかり。地元では『こういう時こそ、息子と一緒にボランティアをすればいいのに』と・・・・」(地元関係者)
息子とは、09年4月に大麻取締法違反で逮捕された元俳優・俊太(現在は引退)。もっともな話である。
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?B ベッキー「高齢者のシモの世話」ボランティア
いち早く3月28日に石巻市入りしたコロッケ(52)は、避難所での炊き出しとものまねステージで被災者を喜ばせた。その後、関係者にこんなオフレコ秘話を漏らしているという。
「僕が行く前に、テレビ局を引き連れて、炊き出ししている画を撮って帰っていった芸能人がいたんです。事前に避難民の人数を確かめず、食料が足りなかった、と。勝手にやって来て『大変ですね』と声をかけ、アッという間に帰っていったと。地元民は『あれは撮影のための炊き出しだ。食べられない人が出るのは、かえって迷惑』と話していた」
いわゆる「売名」に利用した例だ。ワイドショースタッフが解説する。
「芸能人の被災地入りには、『売名にはいちいち乗るな』とのお達しが局から出ていた。例えば、前もって告知するものは危ないと判断しました」
そうした不届きなタレントと一線を画すのは、先の元大嶽親方や江頭などだが、坂本冬美(44)、水野美紀(37)の活動もおよそ芸能人らしくない点で、驚きである。スポーツ紙芸能デスクが言う。
「坂本はまったく報じられていませんが、一般人に交じってガレキ撤去作業に従事していた。ああ見えて、意外にガテン系なんです」
水野も何人かの仲間とボランティア団体に登録。岩手県陸前高田市などの沿岸部でガレキの撤去をやっていたという。
「深夜バスで現地入りし、『これをやってください』と言われた作業を手伝った」(前出・スポーツ紙デスク)
同じガレキ撤去で、別の評価を得たケースがある。
〈皆さんが安心して眠れる場所を得られるまでは、エンターテイメントは無力だと考える。だから、今は別で役に立てると信じることをやる〉
自身のウェブサイトにこう書き記し、石巻市へと向かったのは吉川晃司(46)。4月上旬のことだ。防塵マスクにゴーグルを装着し、一般のボランティアとともに作業をしたという。
「自転車のパンク修理もやり、評判は上々でした。ところが後日、そのボランティアをネタにした番組が放送され、さらにそれと連動した著書も出版された。さんざん商売に利用したんじゃないか、と一気にイメージ急降下です」(前出・ワイドショースタッフ)
昨年8月の時点で、所属事務所関係者が「毎週、(被災地に)行ってるんだよ」と漏らしていたのは、ベッキー(28)。清掃作業などを手伝ったと言われるが、
「避難所では、女性ならではのケアが必要になる場面もある。特に高齢者や要介護者のシモの世話などです。そのために長期でボランティアをしてくれる女性スタッフが本当に不足していた。ベッキーはそれをやった、と聞きました。被災女性の話し相手になるという心のケアもあります」(前出・ジャーナリスト)
昨年の大みそか、大震災一色だった1年の締めくくりとして、NHK紅白歌合戦に出場した長渕剛(55)は、震災をテーマに作った曲「ひとつ」を絶唱した。ステージは石巻市、門脇小学校の夜のグラウンド。意外にも視聴者を感動させたあのパフォーマンスに、地元住民は渋い表情でこう話すのだ。
「この小学校には津波で100台以上の車が流され、燃え上がった。数多くの遺体が収容された場所でもあります。住民の中には、亡くした家族の思い出とともに、大みそかをそこで過ごしたい人もいた。だから、長渕の中継のために小学校が立ち入り禁止になったことには反発がありました。一緒に歌えるならまだしも迷惑な歌だったんです」
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ソース:livedoorニュース - 2012年03月20日10時58分提供:アサ芸プラス
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