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海辺の方向に丸いガラスのドームがあって、更にその向こうには観覧車が見えた。道の両わきで揺れる木々の緑。白い息。潮の匂い。何もかも呼吸みたいに静かだ。空を見る。東の薄暗い雲から、ほのかな明るさが漂う。

僕は藤木くんと一緒に公園の中に入った。ドームの横を通って、まっすぐ行って海岸に出た。砂浜を安全靴で歩く。僕はいつも安全靴を履いている。運動靴のように軽い靴は足が上がり過ぎてしまう。とても不恰好で、デューク更家のような歩き方になってしまうのだ。

足元の砂が逃げて歩きにくい。砂は波の白い泡で敷きつめられている。靴が波に濡れそうになり、慌てて後ろにさがって腰を下ろす。東京湾だ。遠くに、化学工業、火力発電所、石油コンビナートの工場の煙突が林立して、工場の灯りが輝いている。やがて雲の間から柔らかい陽が射して、僕の体を包む。目に映る何もかもが朝をたたえていた。海は真っ白に光って、まぶしすぎて光のかたまりのように見えた。僕も光になって空気に溶けてしまうかな。

翌朝、朝食をすませて東野圭吾の本を読んでいたら、うつらうつらして、いつのまにか寝入ってしまったらしい。本のしおりがわりに挟んだ指が押し花のようになって痛い。まぬけだ。

ひと雨ごとに暖かくなっていく。暖かくなるのはいいけれど、どうも虫の存在は苦手だ。網戸にひょろっとした蝿が1匹とまっていた。いやだな。蝿や蚊はいいけれど。いや、よくはないけれど怖くはない。でも、黒いあいつは考えただけでぞくっと身震いがする。

午後からぶらっと外に出た。商店街を散策していたら、「うわー、すげー!」と思わず僕は声をあげる。空き地の一角に映える桃の花。枝に沿ってびっしりと花がついて、まるでピンクの絨毯を敷きつめたと比喩されるとおりだ。

濃い桃の花の前で露天商が出ていた。通りかかった僕に、おばさんが何か言った。おばさんはバナナを折った形状のものを差し出したので僕はそれを口の中に入れてみた。噛んでみるとタクアンの味がした。ほくそ笑むおばさんに、これはタクアンではないのかと訊いた。

おばさんはビニールの手袋を手にはめて、鉢に入っていた草の根元をつかんで引っこ抜いた。グロテスクな根元を僕に見せて、「これ、ケーショ、ケーショ」と言った。
えっ!何を言っているのかわからない。どうも日本語の使い方がおかしい。中国人か韓国人なのか。おばさんはゴソゴソと台の下から紙をとりだして僕に見せた。

「花の茎から液体が滲みだして、それ凝固します。洞窟つららのように、茎の液体は時間をかけて根に沁み込んでふくらんで大きくなるです。やがて花は溶けて葉と根が残って。弾力があって、そう、まるでタクアンみたいです。精力!精力!増強!」
日本語でそのようなことが書いてあった。僕はタクアンのようなものなんだなと勝手に推察して、おばさんにタクアンと言った。

「タクアンない。マンドラゴラ、マンドラゴラ」
「えっ、マ、マ、マ…」僕は面倒になってどうでもよくなった。
やれやれ、僕は手を左右に振って、ジーパンのポッケに手を突っ込んで草むらを飛び越えた。

そのとき松毬が枝から落ちて、舗装された路に転がった。きっと、落ちたとき音がしたんだろうけれど、風の音で聞こえない。透き通った冬は遠くの山脈をはっきり見せる。富士山と秩父山脈。こんなに山が近くにあるとは思わなかった。春のような日差しが注ぎ、風は強かったり弱かったりで気持ちいい。

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