皆さま、新年、明けましておめd(ry
・・・と、言いたいところですが、
実は、
いきなり喪中になってしまいました(汗。
昨年の12月30日に、面倒をみていた叔父が亡くなりました。
面倒をみていたといっても、約2カ月前に大喧嘩をして以来、全く会っていなかったのですが・・・。
自分の家で、椅子に座ったまま亡くなっていたそうです。
ヘルパーさんが発見して、緊急連絡先になっていた私のところに連絡が来ました。
その時、私は栃木県にいました。
妹たちと合流して、栃木のコテージに一泊する予定だったのですが、その知らせを受け、すぐに宮城に戻る事に。
私たちが向かっている間、検死や警察による事情聴取などが行われ、ヘルパーさん達が色々と対応してくれていたようです。
遺体は警察署に安置されることになり、私たちはそのまま警察署へ行く事になりました。
その時、刑事課の人にお世話になりました。
前回の記事で、刑事さんと大暴れしたって内容を書きましたが、まさかこんなに早く刑事さんにお世話になる日がくるとは・・・。
ちなみにその刑事さんは知らない方だったのでちょっとホッ・・・。
死因は私の母の時と同じ「虚血性心疾患」でした。
叔父の糖尿がかなり進んでいたので、おそらく合併症なのでしょう。
発症して短時間のうちに、亡くなったようです。
私が叔父と最後に交わした言葉は
「縁切ろう!」(叔父)
「そうだね、さよなら!」(私)
でした。
思い出しても、叔父と喧嘩した時の思い出しかなく、叔父の遺体を見ても泣きもしませんでした。多分、これからも泣く事はないだろうと思っていたのですが・・・
出棺時、最後のお別れとなった時、何故か、叔父との楽しかった時しか思い出せなくなり、少し泣いてしまいました。
不思議なものですね。嫌な思い出のほうが圧倒的に多いはずなのに。
そんなわけで、今日午前に葬儀を済ませ、ひと段落したのですが・・・
何というか・・・腑に落ちない事ばかりが続いています。
叔父にはまだ二人、兄弟がいて、本当はその二人が見送ってあげなければならないはずなのに、
「悪いけどあんたに全部任せるわ」と言われ・・・。
結局、私が喪主をすることになりました。
すごく、親族の冷たさを痛感しています。
亡くなった叔父は、神経質で潔癖症で、人を全く信用しない人だったので、周りを敬遠していたし、また叔父も、周りから敬遠されている感じがありました。
私も「お前なんか信用できない」と言われ続けてましたけどね(汗。
でも、だからといってそれで私に全て押しつけるのはあんまりだと思うのです。
私も両親の事とか、崩れ落ちそうになっている実家の事とか、先祖の位牌の行方とか、お墓の事とか、借金の事とか、問題が山積み状態です。
その上に「叔父の事を任せる」だなんて、そんな話あります?
かなり精神的に参ってしまいましたが、でも、私の妹達が味方してくれるし、一生懸命頑張ってくれたので、何とかここまで来れました。
多分、私に妹がいなかったら、今頃私は辛すぎて死んでしまっていたかもしれません。
・・・そんな事をいうと、妹が泣いてしまうんですけどね(汗。
叔父の住んでいたアパートの引き払いは、叔父の兄弟に任せようと思いました。
でも叔父の姉(私から見て叔母ですが)からは「私はもう関わりたくない」と言われてしまいました。
何か、この先も不安要素が多すぎて参ってしまいそうです(汗。
あーあ、大丈夫かなぁ、この先。
なんかもう、逃げたいです。私の事を誰も知らない世界に。
新年早々、こんな記事になってしまってごめんなさい・・・。
でも、ブログで書く事で、少し気が楽になるんですよね。
気の毒な事にこの記事を読んでしまった方、
私に明るい話題をください。
笑い吹き飛ぶくらいのを一発。(←ハードル上げてどうする
今年こそ、良い年でありますように。
そして、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
最後に、今年送った年賀状をお披露目します。
・・これを送った後に喪中になってしまいましたが(汗。
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