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2023.05.23
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世の中の常識から大きく外れているのであろう、

わたくしの決断に対し。


母と会わない、という決断に対し。



「それはおかしいよ。」

「ちゃんと話し合えば分かり合えるんじゃないの?」

「この歳になって親がどうこうとか・・・」というような、

およそ向けられがちな、そういう無理解な台詞を、

誰一人、言わなかったです。



わたくしを、そしてわたくしの母をよく知る人は。



知性のある人は。 



そして「心」のある人は。











「もう、その方がいい」「それでいい」と。

むしろ、よくこの日まで・・・という

ねぎらいの眼差しと、優しさを、こんなわたくしに向けてもらえたことに、


わたくしは、たいそう驚いた。





その日、おとーさんが下げて帰ってきた小さな保冷バッグの中から出てきたのは・・・・







自分のしていることはおかしいのではないか、と怖がるわたくしに。

( 正確には母からの報復を怖がるわたくしに )


初めての勇気を振り絞ったあとも

薄氷を踏むような思いで日々を暮らしているわたくしに、


「全て任せて。」「安心して待っていて。」と、姉。

「俺が付いてる。大丈夫。」と、 おとーさん。




そんなことしていいのかな。

全部任せてしまうなんて、そんな無責任なこと、

あんなこともこんなことも気になるし、

全ての人づきあいにおいて失敗してきたと思われる母が、

ナチュラルに人間関係を壊す(ことに本人だけが気づいていない)母が、

あの無意識の、悪気なき加害性でもって

今度は姉の心を、

姪っ子たちの心を、傷つけたりしないだろうか。



わたくしが(母の言動を)見張ったり、通訳しなくて大丈夫だろうか・・・という不安。



ああ、ここまでのことになる前にもっと早く、

せめて2年前に感情が爆発したあの時に助けを求めていたなら、

これほどまでに姉に負担をかけることにはならなかったのだろうに、


と・・・


自分のぎりぎりまでの辛抱や、

何度もなんども立ち上がったり、や、

まだ頑張れる!という自己犠牲的な我慢など、

結果的に、誰のためにもならなかったことを知りました。







別れ際、お姉ちゃんがおとーさんに持たせてくれたのは、あの「堀江バターサンド」でした。






今は、不安要素を指折り数えるのはよそう。

信頼できる人のことを、本気で信じよう。 

姉を信じる。 

信じて待つんだ、ということに意識を集中しました。



そこからの3ヶ月半の、姉の行動力と決断力の凄まじさ。

現時点での考えうる、最善の着地点に、最高の世界線に、

おそらく最短の時間で、導いてくれた。












もう今さら、わかってもらえないと思っていました。

生まれてからずっとわたくしが味わってきた、

この苦しくも分かりにくい束縛の形は、

むしろ「仲が良さそう」「良い母娘」のような、

「理想的な母娘の姿」と傍目には映るため、

そう誤解されていることが、ほとんどなのです。



恐ろしいのは、当の本人でさえその錯覚の中にある、ということ。













けれど、みんな、わかっていた。

もう、わかってくれていた。



いつまで我慢するつもりなのかを、

いつわたくしが本気で向き合うのかを、待っていてくれた?


一体この子はいつになったら勇気を出すの?

それともこのままの不自由な人生を送るつもり?


見守りながら「その日」を待っていてくれたかのような。



52歳のおばちゃんに「この子」も何もないのですが

姉の言葉や、おとーさんの眼差しからは、

まるで、幼き日の妹や、小さな女の子に向けるような・・・

そんな「あたたかなもの」「優しさ」を感じたのです。




なぜこの子はこんなにも母親を拒否するのだろう、という疑問は

少なくとも、

母以外の二人の中には、もう、なかったのでしょう。


わたくしの心の傷は、

姉にも、おとーさんにもはっきりと見えていて、

母だけには、見えていない。


きっとこれからも見えないし、見ようとはしない。


娘が何を苦しんでいたのかを彼女が理解することは、一生ない。



もう、それでいい。 それでいいのです。



今はもう、遠くから。 



母の幸せを、ただただ、祈りたい。




 ************************************




その日は、お昼過ぎ頃から急にめまいと吐き気が止まらなくて、

次第に立っていられなくなって、

そのあとも頭がずっとふわふわしたままで、

一体どうしたんだろう、と思っていたら


それがちょうど「引っ越しの時刻」であったのだ、ということを

後から知りました。








次の日、おとーさんと半分こして食べました。 ありがとう。 ありがとうね、お姉ちゃん。








これは「終わり」のようでいて「始まり」だから。

始まったばかりの暮らしの日々の中で、

これでよかった、と思える日と、

記憶の反転(時間が経つことで、嫌な記憶がいい思い出に変わってしまう)によって

揺らぎそうになったり、苦しくなる日と・・・

ここからいろんな気持ちになることは、もう、覚悟の上。



この痛みは、けれど「希望」の痛みだ。


心を引き裂くかのような痛みと引き換えにしか得られなかったこの自由を。


生まれたばかりの小さな灯を、今は。


消えてしまわないよう大切に。 


大切に守りたいのです。









お揃いの「DEAN&DELUCA 」の保冷バッグからは、お姉ちゃんの優しい匂いがしました。










助けを求めることが、ずっと苦手でした。


少ないものでの暮らしが変えてくれたのは「心の在り方」で。


数多の手放しを通し、そして子育てを通し、


もう、それができるわたくしにとっくに辿り着けていると思っていたのに、


まだ、そうじゃなかった。 まだまだだった。





助けを求めること。 

信頼して待つこと。

手放し難きを手放し、離れ難きと離れること。

自分の心を守ること。

幸せになる勇気。

不安になってしまうわたくしを支えてほしい、と、

おとーさんに、そう素直に、お願いできること。




ああ、だとすれば。 ああ、もしかすると。



「母」との関係こそが。


わたくしにとっての、本当に乗り越えるべき試練?


今回の人生の「最大の課題」だった?



あの夏の日の禊も、本当は・・・ 



2023年の、9年後の、いまここに繋がっていたのかもしれません。







                                   おわり








お読みくださって ありがとう。


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最終更新日  2023.05.24 22:44:36


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