ハイネの森

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2014.04.14
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朝ぼらけ 有明の月と みるまでに
        吉野の里に ふれる白雪

坂上是則



み吉野の 山の秋風 さよふけて
        ふるさと寒く ころもうつなり

参議雅経


百人一首には、吉野が舞台になっている歌が二首ある。
吉野の代名詞「桜』が題材ではなく、秋と冬が詠まれている。

桜が植えられたのは平安時代からとあるので、作者である坂上是則(?〜930)、藤原雅経(1170〜1221)の頃は、まだ今ほど全山ピンクに色づくような〈桜の山〉ではなく、深山奥深き寂しい場所、寒々しい所という捉え方だったのかもしれない。

源義経、後醍醐天皇と、中央政権から外れてしまった人が隠れ棲む場所。侘しいという言葉が似合うのだろう。

しかし、侘しい寒々しいというだけなら、別に吉野でなくてもかまわない。
霊場への参詣道の入口という吉野の土地としての役割が、歴史上名のある人々の隠遁の場として選ばれた理由だろう。

吉野の山の向こうには、大峯山、熊野三山がある。


吉水神社参道から金峯山寺蔵王堂が見えた。
金峯山寺

山岳信仰とは切っても切れない役行者。
謎多き役行者さんは修験道の開祖といわれ、金峯山寺の創立者と伝えられる。

金峯山寺は「きんぷせんじ」と読むのね。「かねみねさんでら」だと今まで思ってた(恥)
大峯山が「おおみねさん」だから、思いこんでた。


小学校5年の林間学校は天川村の洞川だった。
男子は大峯山山上ヶ岳、女子は稲村ヶ岳登山で、男子は絶壁から身体を突き出される「西の覗き」という行がセッティングされていて、誰それは絶叫泣きしたとかどうとか、ぎゃんぎゃん喚いていた記憶がある。女子は女子で、山上ヶ岳より稲村ヶ岳のほうが高いやん、とブーブー文句を言ってたっけ。高いといっても何メートルかの差で、低いほうの山上ヶ岳に女子は登ることはできない。女人禁制のお山だ。

林間学校での〈なぁ〜んちゃって行〉だったが、修験道が脈々と生きている山々なのだ。


そんな山々への入口が吉野山。
吉野山

吉野を詠んだ歌をもう一首

よき人の よしとよく見て よしと言いし
          吉野よく見よ よき人よく見

                     天武天皇


この早口言葉のような歌を詠んだ天武天皇(大海人皇子)は、壬申の乱直前に、家族と一緒に吉野で隠遁生活をしたことがある。

天武天皇は吉野に逃げた後、一発逆転、中央政権の場に躍り出て、権力の中枢に上り詰めた。
一緒に逃げた奥さんは後の持統天皇。


義経、後醍醐天皇は、そんな天武天皇の吉野からの逆転人生に憧れたのかしら。







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Last updated  2014.04.14 21:12:57
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