火力剣士様が行く(;^ω^)

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孫子「勢 篇」 19,

「戦いは、正を以(もっ)て合い、奇を以(もっ)て勝つ」



『およそ戦闘と言うものは、正法で敵陣と対陣し、奇法で勝利を得るのである。だから、正法の態勢から適切に奇法を繰り出す者は、その奇法の出し方が天地のように無限であり、黄河や海の水のように尽き果てることがない。』



『終わってはまた再び始まるものは、太陽の昇降や月の満ち欠けがそうであり、万物が秋や冬に死滅して、また再び春や夏に生成するのは、四季の推移がそうさせている。』




こういった比喩が続いており、単純な五音階、五原色、五味が組み合わせにより無限に変化し、とても知り尽くすことが出来ないと言っています。


つまり、正法と奇法の組み合わせは無限であり、それをすべて窺(うかが)い知ることはできない、ということです。まあ、そりゃそうですよね。でも、これでは理解できんww


奇法と正法とはなにか。


これを解釈するのに、孫ピン兵法の奇正篇が使われています、ゲソの底本では。それによると、孫武の子孫である(らしい)、孫ピンが、この難解である奇法と正法について解説してくれているそうです。


ちなみに、1972年に山東省 臨沂県 銀雀山(さんとうしょう りんぎけん ぎんしゃくざん)の前漢時代の墓から出土した竹簡本には孫武の書いたものと孫ピンが書いたものと思われる篇が存在したそうで、これによって、孫子13篇は孫武が書いたものとほぼ証明されたらしいです。


それまでは孫武の書いたものも孫ピンの書いたものもどっちもひとりの人間が書いたものと考えられており、そのため、どちらかの人物が創作ではないか、などと議論されてたらしいです。



……。



どうでもいいですな( ^ω^)ノs



まあつまり、一般に言う孫子は孫武が書いたものであり、別に孫ピンの兵法書も存在したと言うことのようです。


で、その孫ピンが解説してくれている奇正篇によると、正と奇を下記のように定義しています。


『形以て形に応ずるは正なり。無形にして形を制するは、奇なり』


有形の兵力配備で、敵の有形なる兵力配備と対するのが正


無形の兵力配備で、敵の有形なる兵力配備と対するのが奇


目に見える兵力が有(正)であり、目に見えない兵力が無(奇)


ということです。さらに第二の定義として、


『同(ひと)しければ以て相い勝つに足らず。故に異を以て奇と為す』


としており、つまり、 敵と同質の戦力であれば、勝つとは限らない。そのため、異質な戦力で敵と相対し、それを以って奇とする 、ということです。


勢いをもって戦うギルドが、勢いをもって戦うギルドと対戦したときは同質の力同士の争いであり、単純に能力の高いほうが勝つわけです。団子vs団子なんて戦いがあるのかどうかしりませんけど、その場合もより能力の高いギルドのほうが有利でしょうねw


だからこそ、勢いには 団子 ショートコールを多用したりしてその気勢を殺ぐことが有効なのだと思います。これなら同じ性質の力ではありませんからね。


さて、さらに正法と奇法の具体的な内容として、


『是(ここ)を以(もっ)て

 静(せい)の動(どう)に為(あた)るは奇、

 佚(いつ)の労(ろう)に為るは奇、

 飽(ほう)の飢(き)に為るは奇、

 治(ち)の乱(らん)に為るは奇、

 衆(しゅう)の寡(か)に為るは奇なり』



と、具体的な内容を挙がっています。


布陣し終えた部隊を、陣形変更のため移動中の敵部隊に当たらせること(静⇔動)


休養充分の部隊を疲弊した敵部隊に当たらせること(佚⇔労)


飽食して体力充分な部隊を飢えて体力の衰えた部隊に当たらせること(飽⇔飢)


統制のとれた部隊を指令が行き渡らず混乱している部隊に当たらせること(治⇔乱)


大部隊を小部隊に当たらせること(衆⇔寡)



これらをもって、奇と言うのだそうです。


さらにさらに、この奇をどのように運用すべきなのか。


『奇 発すれば而(すなわ)ち正と為るも、其の未だ発せざる者は、奇なり。
 奇 発するも報(むく)いらざれば、則(すなわ)ち勝つ』



つまり、奇とはそれが奇法として形に現れる前の段階のことを言うそうです。


わかりにくいな(;^ω^)


つまり、初めから奇を衒(てら)ったことをしようとして相手にぶつかるのは無理があるってことです。そりゃあ相手だって、馬鹿じゃないんだから、普通はそれに対応してくるはずです。


だから、 奇法として形に現れる前が、その奇なるものとしての性格が強く、形として現れたなら相手もそれに対応してくるはずですから、奇法としての効果は薄れてゆきます。


敵にそれと悟られぬように、性格の異なる布陣を敷くことを指すわけですね。


やっとRED STONEに関連付けられますが、たとえば、剣士に対して剣士、アチャに対してアチャなどの物理で対するのは正法であり、物理に対しては知識、もしくは悪魔やネクロなどの妨害職で相対することは奇法といえるのかもしれません。でも、最近は普通のことですねwww


いっそ、WIZやBISで剣士と相対するか!?


面白いかもしれませんねww


敵を倒すことだけが勝つ方法ではなく、勝たなくても負けなければいいのですから。そう考えれば、敵と対峙しても戦わず、ただアイテムを消費させることも奇法であり、負けないための手段と言えるのではないでしょうか。


自軍は出来る限りアイテムを使用せず、相手にばかり使用させれば、いずれ物資は枯渇し、終盤は有利に進めることが出来るでしょう。


これも作戦のひとつではないか、とは思いますが、最近は補給役も居たりして、物資が尽きるって事も無いかもしれませんねw




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