「イラクへ遣られる自衛隊員へ」




      「イラクへ遣(ヤ)られる自衛隊員に」
      ~与謝野晶子の弟への詩にあやかって~

               薄羽蜉蝣・改作
               (あの節回しで詠まれてください)

1、ああ弟よ、君を泣く   殺されたまうことなかれ
  イラクの戦は大義なき  石油メジャーのためなれば
  米軍指揮下の軍隊は    ゲリラ攻撃免れず
  訓練乏しき君ゆえに   脆くも犠牲となり果てむ
  末頼もしき才能を    砂漠の塵にするなかれ

2、ああ兄弟よ、君を泣く  殺しの輩となるなかれ
  平和憲法あるゆえに   不殺生戒守りたる
  清き歴史のキャンパスに 血糊の文字を書くべきや
  勇猛果敢に君ゆえに   多く「戦果」を上げしとて
  イラクの民の怨念を   砂漠の砂に染むなかれ

3、ああ父君よ、君を泣く  傷つきけたまうことなかれ
  妻子を守るためにとて  妻子を持てる彼の国の
  同じ民等に発砲し    殺傷すれば交々に
  同じ家族に悲しみと   生計(タツキ)の難を生ぜしめ
  子々孫々に忘られぬ   恨みを砂漠に撒くなかれ

4、ああ恋人よ、君を泣く  心狂わすことなかれ
  ベトナム侵せしかの時も アフガン攻めしその時も
  心優しき若者は     厳しき戦に消耗し
  麻薬に救いを求めしも  永久に心は帰らじな
  愛する者をも忘れ去る  砂漠の幻影(カゲ)とはなるなかれ

5、ああ男らよ、君を泣く 犯罪者とはなるなかれ
  戦争放棄の憲法に    背きて造りし軍隊が
  専守防衛の口実で    拡大増強重ねつつ
  海外派兵も可能にし   遂に戦地へ赴けば
  人道正義に反逆の    戦犯者とはなるなかれ


                (転載可ここまで)



与謝野晶子のもとの歌「君死にたまふことなかれ」はこちらです。
忠君愛国の時代に発表された(1904年)この歌は
社会にさまざまな反響を巻き起こしました。
特に「与謝野晶子は非国民だ。たいへん危険な思想の持ち主だ。」
と非難する声があがりました。
これに対し、晶子は
「私もこの国を愛しています。
しかし、女というものはみな戦争は嫌いなのです。
近ごろのようにやたら愛国心を言いたて、
戦場で死ぬことは良いこととするような風潮のほうが
危険ではないですか。」と毅然として反論したといいます。
この晶子の反戦の真意は、
女性の目から見たことや考えをすなおに表現したものだったのでしょう。
今、私たちは素直に「戦争は嫌いだ」と言えるでしょうか?
女性であるとか、男性であるとかは関係ありません。





「君死にたまふことなかれ」

――旅順口包囲軍の中に在る弟を歎きて


あゝをとうとよ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ、
末に生れし君なれば    
親のなさけはまさりしも、
親は刃をにぎらせて    
人を殺せとをしへしや、
人を殺して死ねよとて   
二十四までをそだてしや。

堺の街のあきびとの     
旧家をほこるあるじにて
親の名を継ぐ君なれば、   
君死にたまふことなかれ、
旅順の域はほろぷとも、   
ほろびずとても、何事ぞ、
君は知らじな、あきびとの  
家のおきてに無かりけり。

君死にたまふことなかれ、  
すめらみことは、戦ひに
おほみづからは出でまさね、 
かたみに人の血を流し、
獣の道に死ねよとは、    
死ぬるを人のほまれとは、
大みこゝろの深ければ    
もとよりいかで思されむ。

あゝをとうとよ、戦ひに
君死にたまふことなかれ、
すぎにし秋を父ぎみに
おくれたまへる母ぎみは、
なげきの中に、いたましく
わが子を召され、家を守り、
安しと聞ける大御代も
母のしら髪はまさりぬる。

暖簾のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻を、
君わするるや、思へるや、
十月も添はでわかれたる
少女ごころを思ひみよ、
この世ひとりの君ならで
あゝまた誰をたのむべき、
君死にたまふことなかれ。



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