40親父のつぶやき

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2023年11月27日
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カテゴリ: 私のこと


曇り空でしたが

お昼ごろにはお天気に

気温もなかなか上がりませんでしたが

日差しが出たら

最高気温15度

昨日が寒かったので

今日は暖かかったですね

もっと上がったかと思いました




オヤジの修学旅行2022 Part7

ブリティッシュヒルズで



  たくさん学んで

次のお勉強場所に向かいます

山道を降り北に向かって



猪苗代方面へ

国道49号に出て

正面に見えるは

会津磐梯山



宝の山ですね

そして次の学習場所に



到着です

その場所とは



野口英世記念館(のぐちひでよきねんかん)

福島県耶麻郡猪苗代町にある

細菌学者である野口英世の記念館



千円札の肖像画でおなじみの野口英世

猪苗代湖畔の自然豊かな三ツ和村(現猪苗代町)で生まれました

記念館は1939年(昭和14年)に開館

館内は主に野口の生家と展示室から成っており

展示室には野口の死後にアメリカ在住の妻、メリーほか

遺族や関係者から提供された遺品・資料が展示されています

記念館はいくつかのエリアに分かれています

まずは野外にある



生家エリア

野口清作(英世)は、1876(明治9)年



この家のナンド(奥の部屋)と呼ばれる部屋で生まれました

この生家は



江戸時代後期、1823(文政6)年にこの場所に建てられたそうで

野口英世が1歳半の時にやけどを負ってしまった



囲炉裏があります

母シカが小川で洗い物をして、わずかに目を離したすきに

この囲炉裏に体全体で落ちてしまい



左手の指は火傷により、まるで松の木の瘤のように癒着してしまいました

そのほかにも体のあちこちにやけどの跡があったそうです

1896(明治29)年、19歳の英世は

医術開業試験受験のため上京する時、生家の床柱に



「志を得ざれば再び此地を踏まず」と刻みました

医者になれなければ生まれ故郷には帰ってこないという強い決意だったそうです

見学後は室内に戻り

記念館2階の展示スペース

英世の生涯の紹介



猪苗代・会津若松時代エリア

1876(明治9)年、猪苗代の貧しい農家に生まれた野口清作(英世)は

1歳半の時に囲炉裏に落ちて左手に大やけどを負い

貧しさと左手の不自由というハンディキャップを背負った清作でしたが、

恩師や家族の支えにより懸命に勉強をし

16歳の時、会津若松の会陽医院で渡部鼎先生に手術をしてもらい

左手の親指が動くようになりました



物が持てるようになった感動から、医学のすばらしさを実感した野口氏は

自分も医学の道へ進む志を立て

翌年から会陽医院に住み込み

医術開業試験の受験を目指しました



東京時代

1896(明治29)年、医術開業前期試験を一回で合格した野口清作は

一年後の後期試験にむけて大変な努力をし勉強に励み

受験準備のために済生学舎にも通いました



1897(明治30)年

後期試験に合格して医師の資格を得て

高山歯科医学院や順天堂医院に勤務

翌年1898(明治31)年、細菌学の研究者を志して伝染病研究所に入所

このころ清作から英世へと改名

海外での研究を夢見ていた英世は、横浜海港検疫所

清国牛荘での勤務ののち、1900(明治33)年

フレキスナー博士を頼って渡米しました

          つづく





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最終更新日  2023年11月27日 19時30分00秒
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