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正直、参加してみたもの・・会場内では当初、気分はブルーだったんですが、手弁当で会場を盛り上げて下さった皆様の”明るく楽しくおくろう”という気持ちに救われました。学ちゃんは良い仲間に恵まれていたんだなぁ。。2003年鈴鹿8耐、鎌田選手とペアを組んだ生見選手。バイクのセッティングは生見選手が主導権を握ったとのコト、理由は・・”同じサーキットにいても学はRC211Vや250に乗っていて(当時、学ちゃんはホンダのマシン開発を担当していた。)、8耐マシンは乗る事もなく、コッチにまかせっきりだったから。””ただブレーキレバーの位置だけはモメたな・・。これだけはどーしても意見が食い違い、最後は2人でジャンケン。”ブレーキレバーの位置も生見選手の好みになったそうです。(生見選手ニヤリ・・)学ちゃん、ジャンケン弱かったのか??↑CBRのCM左が生見さんで右が学ちゃんだそうです。わぉ、8耐優勝コンビ。かっこいいCMなんだけど・・黒メットの学ちゃんが下を向いた瞬間にアゴが出るんだよ~~。ほら~~。これには会場、大爆笑。要確認デス↓CBRのCMそうそう・・会場には世界で活躍している高橋ユーキ選手も目立たぬように参加されいてました。とても気持ちの良い”送る会”でした。学ちゃんも皆さんの笑顔が見れて、きっと空の上で喜んでいるでしょうネ。
2010年05月13日
松下ヨシナリさんのブログより”多くの皆さんに来て欲しい、学ちゃんとのお別れ会。”今から大江戸博物館(正式名称は違う・・ナ。。← 江戸東京博物館だったっけ??)の”龍馬伝”に行こうと思っています。”お別れ会”・・どうしよかな。。結構、くるんだよな。。悩む・・ホンダ”2003年鈴鹿8耐”
2010年05月13日
1985年、鈴鹿8時間耐久は開催前から異常な盛り上がりをみせていた。 1983年にフレディー・スペンサーと壮絶なワールドグランプリのチャンピオン争いの後、引退した通称”キング”ことケニー・ロバーツが鈴鹿8時間耐久にやってくるという。しかもペアライダーは全日本500ccクラスで2連覇を達成している平忠彦という布陣である。人気、実力とも申し分ない夢のコンビが夏の鈴鹿で実現した。しかも彼らの乗るマシンはライトパープルに塗られ、当時はまだサーキットに存在していなかった3人のハイレグ姿のキャンペンガールに囲まれていた。これに対して多くのレース関係者が顔をしかめた。”あの”キング”ケニーがこんな色のマシンに乗るのか・・。”しかし、鈴鹿を訪れたファンにはこの異色コラボは斬新に映った。彼らのチームのスポンサーは化粧品会社、資生堂であった。男性化粧品の新ブランド、"TECH21"のイメージに”スピーディさ”があった。これが当時、全日本ロードレースの頂点で活躍し、世界グランプリに向けて羽ばたこうとしていた平忠彦と重なった。甘いマスクが女性ファンを惹きつけ、身長180センチ、体重70キロ、モデルとしても申し分なかった。”ヤマハが俺を必要とするなら喜んで出るよ。”引退して2年以上たったケニー・ロバーツは現役当時の体を作って、真夏の鈴鹿サーキットに現れた。マシンは当時発売されて間もない水冷FZ750エンジンをベースとしたヤマハワークス製FZR750。ライトパープルの車体にライト周りはいわゆる”水中メガネ”のカウル、そして黒ゼッケンに白文字の”21”。優勝候補の筆頭に挙げられた。初めての鈴鹿、2年のブランク・・キングケニーはナーバスになるどころか、こう言い放つ。”全てのセッテングは平に合わせてくれ。”公式予選、当初の予想を裏切る事もなく、ケニー・ロバーツ&平忠彦の資生堂ヤマハ"TECH21"チームはホンダワークスのエースチーム ワイン・ガードナー&徳野政樹組より1秒近く速いレコードタイムを叩き出し、ポールポジションを獲得。15万6千人もの観客をも呑み込んで、午前11時30分、カウントダウンとともに1985年鈴鹿8時間耐久のスタートが切られる。ル・マン式スタートにより一斉にライダーがマシンに駆け寄る。スタートを切って、わずか数秒で観客達の期待は悲鳴にかわる・・。ゼッケン21、”キングケニー”の乗る資生堂ヤマハ"TECH21"チームに火が入らない・・。"TECH21"ヤマハワークス製FZR750がその咆哮を轟かせたのはほぼ最後尾になってからであった。1ラップ目 35位でグランドスタンド前に戻ってきたケニー・ロバーツ。何故、この男は”キング”と呼ばれているのか・・。その答えはここから読み取る事が出来る。2ラップ目 28位5ラップ目 12位8ラップ目 7位13ラップ目 4位18ラップ目 3位20ラップ目 2位わずか20ラップあまりで50台ものマシンをゴボウ抜きしたケニー・ロバーツ、現役を退いてもなお”キング”の走りを真夏の鈴鹿で披露する。約1時間後ケニーはピットイン、全日本の若きエース平忠彦にバトンを渡す。”キングケニー”のペアライダー平忠彦も1時間後40秒あったガードナー&徳野組の差をつめてゆく。ガードナー仕様のマシンに苦しむ徳野を2~4秒上回るペースで周回、38周目、ついにトップに躍り出る。6時間目には同一周回するマシンはなく、2位、ガードナー&徳野組をも遥か後方を走行している。レースも残り1時間、ケニーからタイラにライダー交代。夕闇の鈴鹿をゼッケン21資生堂ヤマハ"TECH21"チーム 平忠彦、安定した走りをみせゴールを目指す。この時、多くの観客が”ケニー&タイラ”の資生堂ヤマハ"TECH21"チーム勝利の姿を思い描いたに違いなかった。午後7時すぎ、残り29分、181ラップ目 鈴鹿の魔物が突然、牙を剥く。”タイラのマシンが帰ってこない。。”平の乗る”TECH21”FZR750が突然のスローダウン。走行ラインを右に寄せ、何度もリア周りに視線を落とす平忠彦。マシンの状態を確認するようにスロー走行で平忠彦がホームストレートに戻ってくる。コンクリートウォールにマシンを傾け、”TECH21”チームの仲間達の顔を力なく見上げる平忠彦。”ケニー&タイラ”の資生堂ヤマハ"TECH21"の8時間耐久レースはここで終わった。午後7味30分、1分以上離されても最後までレース諦めなかったホンダのワイン・ガードナー&徳野政樹組がトップでチェッカーを受けた。1985年の鈴鹿8時間耐久レースで見せた”ケニー&タイラ”の走りは現在でも伝説としてファンの間で語り告がれている。ニッカンスポーツ”1985FIM世界耐久選手権シリーズ第3戦 コカ・コーラ鈴鹿8時間耐久ロードレース”INTO THE ZONE ~あの領域へ~YOU TUBE 1985年鈴鹿8時間耐久"TECH21"その1YOU TUBE 1985年鈴鹿8時間耐久"TECH21"その2FZR750(OW74)1985
2009年12月13日
今年からライスポの速報本なくなり、本誌の別冊となってしまいました。悔しいので、自分なりにまとめてやろう・・と始めてみたものの・・あれれ・・??結構、ネット上にも情報載ってるし・・でもね。。最後まで意地でやってしまいました。。間違ったトコロは大きなココロで笑って許して下さい。国内モータースポーツの衰退が叫ばれる昨今・・(ヨーロッパでは大ブレイクしてるんですが・・)鈴鹿8耐の魅力が伝わればいいなぁ。。 ☆1.2009 8耐スタート2.スタートから1時間3.炎天下の走行4.桜井ホンダの苦悩 5.スタートから2時間後6.雨の中の追い上げ7.スタートから3時間後8.スタートから4時間後9.スタートから5時間後10.スタートから6時間後11.スタートから7時間後~ゴールへ
2009年08月17日
荒れに荒れたレースも残り1時間、各チームともピット作業を終え、最後のライダーに襷(タスキ)を預ける。トップチームの順位に大きな変動はなく残り30分を迎える。このまま無事にチェッカーを迎えれば・・モニターに釘付けとなるピットクルー、後はライダーの健闘を祈るだけである。しかし、残り30分を切った19時05分、鈴鹿の魔物が3位走行中のゼッケン48 PLOT FARO PANTHERA 出口修に牙を剥く。19時05分、ゼッケン48 PLOT FARO PANTHERA 出口修 緊急ピットイン。ピットクルーにマシンの異常を伝えるもの、短時間の確認で原因を見つける事が出来ない。残り時間が僅かな事から出口選手はそのままのマシンで再度コースインする事に・・。後に判明したトラブルの原因は異物を踏んだ事でリアタイヤのスローパンク(見た目にな分からない程度で、徐々に空気が抜けていく症状)であった。ゼッケン48 PLOT FARO PANTHERA 出口修 周を重ねるたびに症状が悪化してゆく。ストレート以外ずっと暴れるマシン、コーナーでアクセルの開けられない不安定なマシン・・いつ何が起こってもおかしくないマシン。PLOT FARO PANTHERA 出口修、暴れるマシンで濡れた路面を一定の覚悟を持って走り続ける。( PLOT FARO PANTHERAのサイトより画像 )残り30分の所まで、その手に掴みかけた表彰台、無常にもその指の隙間からこぼれ落ちてゆく・・。昔からゼッケン12はヨシムラのエースナンバー。偉大なる先輩ライダー達がゼッケン12を背負い、夏の鈴鹿を闘った。( ヨシムラのサイトより画像 )今年から酒井大作はヨシムラのエースとなった。自分でマシンを作って、ムードを盛り上げ、チームをリードしなくてはならない。勝って当然。言い訳など・・到底、許されない。数々の大きなプレッシャーが酒井大作の背中にのしかかる。178周を重ねた残り10分、サーキットは闇に包まれる。ウェットの路面に反射したヘッドライトが長いレースの終わりが近いことを告げる。ピットには続々と人が集まり、闘い抜いたライダーを迎える準備が進む。ついにラストラップを迎える。闇の中、安定したライディングをみせるゼッケン12 ヨシムラスズキwithJOMO 酒井大作。モニターを見上げるヨシムラのスタッフ。あと半周あるもののつい口元がゆるんで、白い歯が見えてしまうヨシムラ3代目監督、加藤陽平監督。( ヨシムラのサイトより画像 )午後7時30分、ついにチェッカーの瞬間に訪れた。終始安定した走りのヨシムラスズキwith JOMOの独走優勝で幕を閉じた。周回数は183周。吉村不二雄ヨシムラ社長、数々の重圧を乗り越えて大仕事を終えたヨシムラの新エース、酒井大作を温かく迎える。( ヨシムラのサイトより画像 )( ヨシムラのサイトより画像 )( ヨシムラのサイトより画像 )F.C.C.TSR Honda序盤の転倒でトップから10周遅れの最後尾からの追い上げ、最終的に9位までポジションアップを果たした。ドライ路面では秋吉が2分8秒台のファステストラップを記録。さらに雨の路面では伊藤真一が他のマシンよりも10秒以上速い超ハイペース次々と他のマシンを抜きさった。「F.C.C TSR HONDA」、2009年の夏の耐久は残念な結果となった。しかし・・”何処まで行けるか我々は挑戦する! ”そのスピリッツは多くのファンの記憶に残り、語り継がれる事であろう。( F.C.C. TSR のサイトより画像 )ワークスが去り、プライベーターの戦いになった今年の鈴鹿8耐。スポンサーの撤退、マスコミの注目度の低下。公表された決勝日当日の観客動員数 54,000人。モータースポーツ人気の陰りは残念ながら否めない。しかし、天候に翻弄せれたレースはこれに反し、各エントラントの熱いスピリッツをまざまざと見せつけられる結果となった。どんなに時代に翻弄されようともこの熱いスピリッツがあるかぎり、鈴鹿8時間耐久はこれからも続いてゆく・・その事をファンの一人として祈るばかりである。( ヨシムラのサイトより画像 )●鈴鹿8時間耐久ロードレース 決勝結果1. #12 ヨシムラスズキwith JOMO 酒井大作/徳留和樹/青木宣篤 スズキ GSX-R1000 Bridgestone 183Lap2. #5 TRICK☆STAR RACING 井筒仁康/武石伸也/鶴田竜二 カワサキ ZX-10R Bridgestone 182Lap3. #2 Honda DREAM RT 桜井ホンダ 高橋巧/亀谷長純 Honda CBR1000RR Dunlop 182Lap4. #7 YAMAHA AUSTRIA RACING TEAM I.ジャーマン/S.マーティン/G.ジャバニ ヤマハ YZF-R1 Michelin 181Lap5. #48 PLOT FARO PANTHERA 出口修/寺本幸司 スズキ GSX-R1000 Bridgestone 180Lap6. #9 BEET RACING 179Lap7. #44 ウイダーD.D.BOYS with A-STYLE 179Lap8. #73 TEAM PLUS ONE & TSR 179Lap9. #1 F.C.C.TSR Honda 178Lap10. #99 テルル・ハニービーレーシング 178Lap
2009年08月05日
17時18分に豪雨の為、3度目のセーフティカーが入り、レースが再び中断。( ヨシムラのサイトより画像 )スタートから6時間が経過。濁流のようなコース・・矢のような雨粒がシールドに叩きつけられ、視界を塞いでゆく。冷たい雨がレーシングスーツに滲み込み、容赦なく体温を奪ってゆく・・そんな中、ライダー達は己を殺したように黙々とセーフティーランを続ける。17時37分、レース再開。空は若干明るくなっているもの弱い雨は降り続き、各チーム我慢の展開。3度の中断がルーティーンを狂わせ、各チームが事前に立てていた夜間走行の作戦にも微妙な影響が出始めていた。スタートから約6時間30分が経過し、ゴールまで残り1時間半、ゼッケン634 MuSASHi RT HARC-PRO、マシン修復を終え、山口辰也のライディングでレースに復帰。世界耐久チームのゼッケン7 YAMAHA AUSTRIA RACING TEAM、ゼッケン2 Honda DREAM RT 桜井ホンダ 高橋巧 、水しぶきを上げながら・・激しいバトルが繰り広げられる。 ( 桜井ホンダのサイトより画像 )再び強い雨が鈴鹿サーキットに降り注ぐ。17時58分、ついに4度目のセーフティーカーが導入される。空には稲妻が光り、暗い雲が空を覆い尽くす。ライダーや関係者、広いスタンドで観戦する観客の安全を考え、8時間を待たずして赤旗提示、レース終了も検討されている。。順位1位 ゼッケン12 ヨシムラスズキwithJOMO2位 ゼッケン5 TRICK☆STAR RACING3位 ゼッケン48 PROT FARO PANTHERA4位 ゼッケン2 Honda DREAM RT 桜井ホンダ5位 ゼッケン7 YAMAHA AUSTRIA RACING TEAMヨシムラはピットストップを遅らせ様子を見ている。悪コンデションの中、約1時間半という長いライディングを続けているゼッケン12 ヨシムラスズキwithJOMO 徳留和樹。ひたすら我慢のレースだったが、己の仕事をやり遂げる為、淡々とセーフティーランを続ける。路面は水が多く残る状態だが、空は次第に明るさを取り戻しつつある。18時間18分、西コースから日が覗き、ついに約20分間導入されていたセーフティーカーがコースを離れ、レースが再開される。残り1時間10分、サバイバルレースは続行される事になった。残り1時間6分、ミス無くやりとげたヨシムラスズキwithJOMO 徳留和樹 ピットイン。今期、ヨシムラを背負うチームの大黒柱、酒井大作に襷(タスキ)を託す。( ヨシムラのサイトより画像 )最悪ともいえるコンデションの中、大仕事を終えた徳留和樹、ヨシムラのピットでは暖かい拍手が沸き起こる。波乱の2009年鈴鹿8時間耐久レースもついに残り1時間を迎える。転倒して最後尾10ラップ遅れからの再スタート、ゼッケン1 F.C.C.TSR HONDA、破竹の追い上げでついに10位までその順位を上げていた。。つづきはコチラ : つづきはコチラ : 11.スタートから7時間後~ゴールへ
2009年08月05日
5時間が経過した段階でトップのヨシムラスズキwith JOMOはすべてのチームを周回遅れにしていた。スタートから5時間が経過したころ、またもや西コースから大雨が降り始める。雨の影響で路面のミュー(摩擦係数)が急激に低くなり、スプーンでフロントから転倒するマシンが何台かみられるようになる。その中に33番手まで追い上げていたゼッケン634 MuSASHi RT HARC-PRO 安田毅史の姿が・・。どんより重くなった雨雲の影響で16時50分、早くもライトオンのボードが提示される。ライトオンの1分後の16時51分、激しさを増した雨の為、再びセーフティカーが導入される。( 桜井ホンダのサイトより画像 )ピットクローズに巻き込まれ、ピットレーンの出口で足止めするチームも・・。またもや天候により勝負の行方が左右される。約25分後にコースグリーン。しかし、降り止まない雨は更に強くなり、ホームストレートエンドの1コーナー手前で3台がクラッシュするアクシデント発生。( 桜井ホンダのサイトより画像 )翌周には3度目のセーフティーカーがコースに入り、コース上はやがて川のような濁流に・・。[6時間経過時点]1. #12 ヨシムラスズキwith JOMO 141Lap2. #5 TRICK☆STAR RACING 140Lap3. #48 PLOT FARO PANTHERA 140Lap4. #7 YAMAHA AUSTRIA RACING TEAM 139Lap5. #2 Honda DREAM RT 桜井ホンダ 139Lap6. #9 BEET RACING 138Lap7. #44 ウイダーD.D.BOYS with A-STYLE 137Lap8. #73 TEAM PLUS ONE & TSR 137Lap9. #99 テルル・ハニービーレーシング 136Lap10. #14 BK MACO MOTO RACING TEAM 135Lap14. #1 F.C.C.TSR Honda 134Lapつづきはコチラ : 10.スタートから6時間後
2009年08月04日
レース開始から4時間が経過天候が落ち着いてきた。。温度が高いので、路面が所々乾いてくる。路面状況の急激に変化の為、各チームのラップタイムも周回ごとに変化が激しかったが、ようやく安定してくる。トップ、ゼッケン12 ヨシムラスズキwithJOMO 酒井大作、安定した走りをみせ、確実にゼッケン2 Honda DREAM RT 桜井ホンダ 高橋巧をラップ遅れにする。これでヨシムラスズキwithJOMOと同一周回を争うのは、PLOT FARO PANTHERA、TRICK☆STAR RACINGの2台のみとなる。トップを走る、ゼッケン12 ヨシムラスズキwithJOMO 酒井大作、103周目にピットイン。青木宣篤にライダーチェンジ。各チームもルーティーンのピットイン。路面はところどころにウェットパッチが残っているが、各チームともスリックタイヤに交換される。大きな順位の変動もなく、サーキットの観客席にも暑さと疲労の為か、うとうと居眠りする観客の姿がちらほら見かけられるようになる。。しかし・・再び、西コース上空には黒々とした雷雲が忍び寄っていたのである。。 [5時間経過時点]1. #12 ヨシムラスズキwith JOMO 124Lap2. #48 PLOT FARO PANTHERA 123Lap3. #5 TRICK☆STAR RACING 123Lap4. #2 Honda DREAM RT 桜井ホンダ 123Lap5. #99 テルル・ハニービーレーシング 122Lap6. #7 YAMAHA AUSTRIA RACING TEAM 122Lap7. #9 BEET RACING 121Lap8. #44 ウイダーD.D.BOYS with A-STYLE 121Lap9. #73 TEAM PLUS ONE & TSR 120Lap10. #14 BK MACO MOTO RACING TEAM 119Lap16. #1 F.C.C.TSR Honda 117Lap33. #634 MuSASHi RT HARC-PRO. 111Lapつづきはコチラ : 9.スタートから5時間後
2009年07月31日
レース開始から3時間が経過。降ったかと思えばすぐに止む雨、つかのま路面の乾きを得たスリックタイヤを履くチーム。。遅れを挽回しようと路面のドライの箇所を探し出し、懸命にラインをとり走り続ける。再び雨が降り出し、コース上に水しぶきがあがる中、各チーム、ルーティーンのタイヤ交換。上位チームのヨシムラスズキwith JOMO、TRICK☆STAR RACING、PLOT FARO PANTHERA、Honda DREAM RT 桜井ホンダらは次々とピットイン。雨の中、スリックで我慢の走りを続けたチームもやっと状況に合ったレインタイヤを装着してコース上へ復帰してゆく。トップチームのタイヤ交換ウォーズがひと段落する頃、激しい雨が急に西コースを中心に襲う。スプーンカーブでは転倒車続出!( 桜井ホンダのサイトより画像 )14時33分にセーフティカーが導入、突然の土砂降りにレース中断。問題はセーフティカーが導入された位置。豪雨のためにセーフティーカーがコースに入ったのだが、これがちょうど1位 ヨシムラスズキwithJOMO 酒井と2位 TRICK☆STAR RACING 井筒の間で、2人のタイム差が一気に広がる事になってしまった。。。3時間21分、82周目でセーフティーカー解除、レースが再開される。1位、ヨシムラスズキwithJOMO と2位、TRICK☆STAR RACING、一時は約35秒にまで肉薄したタイム差がレース再開直後、1分26秒まで再び大きく離される事に。。今年もセーフティカー導入がレース内容を左右する。得したチーム、損したチーム・・・その後、雨はすっかり上がる。気温も高いことから路面の乾きが早く、ライン上は次第にドライになっていく多くのライダーがレインタイヤのまま走行を続ける。今度はタイヤの消耗を抑えながら走らなければならない。トップはかわらずヨシムラスズキwith JOMO 酒井大作。2位 TRICK☆STAR RACING 井筒 仁康はタイヤに負担をかけない丁寧なライディングを見せるが、PLOT FARO PANTHERAの寺本幸司にかわされ3番手に。Honda DREAM RT 桜井ホンダの高橋巧、激変するコンディションの中、亀谷のセッティングされた慣れないマシンをほぼぶっつけ本番で必死にライディングする。先の展開を見据え、ペースを抑えながら亀谷に無事マシンを渡す事を最優先に考え、若干18歳ながら、クレバーな走りをみせる。トップ同一周回の4番手と健闘しているが、トップのヨシムラスズキwith JOMOの酒井大作がすでに背後まで迫っていた。序盤の転倒で周回遅れとなった・・ゼッケン1 F.C.C. TSR Hondaの秋吉耕佑。トップチームのマシンの後方より姿をみせ、背後に迫り・・素早く抜き去る。そして、その視界から消えてゆく・・。この悪コンデションの中で、異次元ともいえる走行を続けていた。。[4時間経過時点]1. #12 ヨシムラスズキwith JOMO 98Lap2. #48 PLOT FARO PANTHERA 98Lap3. #5 TRICK☆STAR RACING 98Lap4. #2 Honda DREAM RT 桜井ホンダ 97Lap5. #7 YAMAHA AUSTRIA RACING TEAM 97Lap6. #99 テルル・ハニービーレーシング 97Lap7. #44 ウイダーD.D.BOYS with A-STYLE 96Lap8. #9 BEET RACING 96Lap9. #25 HONDA鈴鹿レーシングチーム 95Lap10. #73 TEAM PLUS ONE & TSR 95Lap26. #1 F.C.C.TSR Honda 91Lap40. #634 MuSASHi RT HARC-PRO. 85Lapつづきはコチラ : 8.スタートから4時間後
2009年07月29日
2時間が経過あたりから降り出した雨がレースを翻弄する。この雨の中、まさに水を得た魚のごとく上位に肉薄してきたのはゼッケン5、6番手からスタートしたTRICK☆STAR RACINGの武石 伸也だ。TRICK☆STAR RACING代表の鶴田竜二は1990年カワサキを駆り、全日本国際A級F-3チャンピオン、TT-F1を経て、ホンダの500を駆る。1992年にはスクーデリアオクムラ奥村監督のもと8耐に参戦、元世界チャンピオンのフレディー・スペンサーと組み4位入賞を果たす。ライダーの井筒仁康、カワサキ、ホンダの元エースライダー。2000年には全日本スーパーバイクのチャンピオンを獲得。2004年 ホンダワークスより鈴鹿8耐参戦、優勝。同年 桜井ホンダより全日本JSBに参戦。チャンピオン獲得。この年を境にプロゴルファーを目指す為、レーシングライダーを引退。しかし2009年、落ち込んでいる2輪界を引っ張ってゆく為、若いライダーの意識向上の為、復帰を決意。方向性が一緒だった鶴田竜二のTRICK☆STAR RACINGより全日本フル参戦を開始。武石伸也地元、北海道で頭角を表し、名門ブルーフォックスを経て、ホンダ、カワサキのワークスライダーを務める。2002年、ワールドスーパースポーツを最後に家族を養う為、プロライダーとしての活動にいったんピリオドを打つ。経営している会社も数年で軌道にのせ、鶴田からの誘いもあり昨年の8耐で鈴鹿に戻ってくる。昨年の鈴鹿8耐ではブランクを感じさせない走りを披露するも転倒、トラブルが重なり15位で終えている。昨年のリベンジを胸に再び鈴鹿に乗りこんできた。今年注目のドリームチームである。簡単にいうと”現役とガチンコバトル出来るモルツ球団”・・という感じではないでしょうか。。ロードレースの熱い時代を知るベテラン達が今年の8耐をかきまわす。( 武石 伸也選手のブログより画像 )雨の悪コンデションの中、上位チームが大幅にペースダウン。ライムグリーンカラーのゼッケン5 TRICK☆STAR RACINGの武石 伸也ベテランらしく冷静にコンディションを読み、極端にペースを落とさずに周回。周回ごとに順位は上がり、デグナーカーブで3位走行中のPLOT FARO PANTHERA 出口修を捕える。続けて、ドライ仕様のマシンと格闘している2位走行中のHonda DREAM RT 桜井ホンダ 亀谷長純を抜き去る。驚いた事にコーナーで桜井ホンダ 亀谷のアウト側から並んだTRICK☆STAR RACING 武石 伸也、亀谷に左手で挨拶する余裕も見せる。その行動に鈴鹿サーキットに驚愕の声がこだまする。一部の亀田ファンから大ブーイングを受けた武石であったが、普段からの付き合いから彼にこういう行動をさせたのであろうか・・?( 謎だ。。 誰かヨ~説明してくれヨ・・。 )( 亀谷長純選手のブログより微笑ましい??謎画像 )↑ 左前より TRICK☆STAR RACING 武石 伸也 (41歳 ) 右前 TRICK☆STAR RACING 井筒 仁康 (38歳 ) 左後 Honda DREAM RT 桜井ホンダ 亀谷長純( 32歳 ) 右後 Honda DREAM RT 桜井ホンダ 高橋巧( 19歳 ) ”意志”は世代を超えて受け継がれます。( 武石 伸也選手のブログより微笑ましい??画像 )3位、2位をまさにごぼう抜き、一気に2位まで駆け上ったライムグリーンカラーのゼッケン5 TRICK☆STAR RACING 武石 伸也。我慢の走行でペースの上がらないゼッケン12 ヨシムラスズキwithJOMO 徳留和樹に76周目にその差は約35秒にまで肉薄する。また、コース上では雨の中、とんでもないタイムで周回するバイクが一台・・1周目に転倒して、トップから9周遅れ、最後尾からの追い上げスタートしたゼッケン1 F.C.C. TSR Hondaの秋吉耕佑であった。。[3時間経過時点]1. #12 ヨシムラスズキwith JOMO 77Lap2. #5 TRICK☆STAR RACING 77Lap3. #48 PLOT FARO PANTHERA 77Lap4. #2 Honda DREAM RT 桜井ホンダ 77Lap5. #99 テルル・ハニービーレーシング 77Lap6. #7 YAMAHA AUSTRIA RACING TEAM 76Lap7. #25 HONDA鈴鹿レーシングチーム 76Lap8. #44 ウイダーD.D.BOYS with A-STYLE 76Lap9. #23 鈴鹿コミュニティーレーシングチーム 75Lap10. #9 BEET RACING 75Lap37. #1 F.C.C.TSR Honda 70Lap45. #634 MuSASHi RT HARC-PRO. 65Lapつづきはコチラ : 7.スタートから3時間後
2009年07月29日
レース開始から約2時間、50周を超えたあたりから各チーム、続々とルーティーンのピットイン。1時間54分、トップを走り2位に1分以上のマージンを作ってゼッケン12 ヨシムラスズキwithJOMOの青木宣篤、52周目でピットイン。給油とタイヤ交換を終え、徳留和樹にライダー交代。2位Honda DREAM RT 桜井ホンダ 高橋巧もピットイン。亀谷長純にライダー交代。[2時間経過時点](MFJ SUPER BIKE 8耐レポートより)1. #12 ヨシムラスズキwith JOMO 54Lap2. #2 Honda DREAM RT 桜井ホンダ 54Lap3. #48 PLOT FARO PANTHERA 54Lap4. #7 YAMAHA AUSTRIA RACING TEAM 53Lap5. #25 HONDA鈴鹿レーシングチーム 53Lap6. #5 TRICK☆STAR RACING 53Lap7. #99 テルル・ハニービーレーシング 53Lap8. #73 TEAM PLUS ONE & TSR 53Lap9. #68 チーム スポーツ ファイター 53Lap10. #44 ウイダーD.D.BOYS with A-STYLE 53Lap46. #1 F.C.C.TSR Honda 46Lap48. #634 MuSASHi RT HARC-PRO. 41Lapこの上位2チームがピットアウトした直後、いきなり大粒の雨が降り付けてきた。ヨシムラ、桜井ホンダの上位2チーム、今換えたばかりのタイヤはスリックタイヤ・・。雨が本格的に降り出し、レインタイヤに履き替えるチームが続出。トップを走るヨシムラスズキwithJOMO 徳留和樹はピットから出たばかりであることから慎重な走りをする。( 桜井ホンダのサイトより画像 )この雨で勢いが上がったのがゼッケン48 PROT FARO PANTHERA。ゼッケン2 Honda DREAM RT 桜井ホンダを一気に抜き去り、2位浮上。( 桜井ホンダのサイトより画像 )2時間25分経過、西コースで激しい雨による転倒が相次ぐ。さらに雨足が強くなり、スリックタイヤで走行を続け、トップを死守し続けているヨシムラスズキwithJOMO 徳留和樹には苦しい展開。周回遅れのマシンがトップのマシンをどんどん抜いてゆく異常事態に。。ヨシムラスズキwithJOMO 徳留和樹、その背中から悲壮感まで漂う、ひたすら我慢、我慢・・の走行。。( ヨシムラのサイトより画像 )つづきはコチラ : 6.雨の中の追い上げ
2009年07月29日
23日のフリー走行中に負った腕のケガを乗り越え、スタートに出遅れるもの、後方から2位まで怒涛の走行・・Honda DREAM RT 桜井ホンダ 亀谷長純。今年の桜井ホンダは亀谷長純のペアライダーがなかなか決まらなかった。鈴鹿8耐まで1ヵ月を切った7月1日にようやく昨年の8耐、桜井ホンダの第2チームで津田一磨と組んだジョシュ・ブルックスと組む事が決まった。テストのスケジュールは大幅に遅れたが、持ち前のチームワークでテストスケジュールをこなしていった。( 亀谷長純選手のブログより画像 )しかし7月20日、亀谷の相方、ジョシュはBSBレース1ヒート目で転倒、怪我の為、4週間の入院となった。到底、ジョシュは8耐には間に合わない。。鈴鹿8耐まで1週間をきった段階で桜井ホンダは再び、亀谷のペアライダーを探さなくてはならなかった。。急遽、白羽の矢が立ったのは全日本JSBクラスに参戦しているチーム バーニングブラッドの高橋 巧(たくみ)選手。高橋巧は、2008年全日本GP250最年少にてシリーズ・チャンピオン獲得。昨年の鈴鹿8時間耐久ロードレースでは代役で初参戦、3位表彰台を獲得している。8耐の前哨戦 鈴鹿300kmでは1人で走り切り8位に入賞している若手のホープ。同じダンロップユーザー、同じ埼玉県人というコトもあり、長純にはもってこいのペアライダーであった(←??)。。( 桜井ホンダのサイトより画像 )スタートから24周目、高橋巧(たくみ)にジョシュを含めたチーム全員の想いを託します。( 桜井ホンダのサイトより画像 )つづきはコチラ : 5.スタートから2時間後
2009年07月28日
レース開始から1時間後、単独首位となったヨシムラスズキwithJOMOの酒井大作。TOPとかなり差はあるものの2位には後方から怒涛の追い上げ・・Honda DREAM RT 桜井ホンダ 亀谷長純。3位にはゼッケン48 PROT FARO PANTHERA 出口修と続く。25周目、予定通りに酒井から青木宣篤にライダーチェンジ。( ヨシムラのサイトより画像 )心配された雨雲は消え路面温度は上がりタイヤがグリップしない状況に。。( MFJ SUPER BIKE 8耐レポートより画像 )ヨシムラスズキwithJOMO青木宣篤、タイヤがグリップしないのかそういう走り方なのか・・各コーナーで尻振りダンスしながらもベテランらしい安定感ある走りで2位 桜井ホンダとのタイム差を徐々に広げてゆく。(ヨシムラのサイトより画像 )スタートして1時間18分経過した12時08分あたりから、メインストレートに雨が落ちてきた。そんな中でもハイペースでラップするヨシムラスズキwithJOMO青木宣篤。この段階で、2位のゼッケン2 Honda DREAM RT 桜井ホンダ 高橋巧との差は1分近くにも広がっていた。そして世界同時不況の影響でワークス活動を休止したHRCより今年、ヨシムラに移籍した徳留和樹にマシンを引き継いでゆく。つづきはコチラ : 4.桜井ホンダの苦悩
2009年07月28日
秋吉の転倒後、レースはゼッケン634 MUSASHI RT HARC-PRO.山口辰也がトップに立つ。2位はテールトウノーズでゼッケン12 ヨシムラスズキwithJOMO酒井大作が続く。2周目の2人のペースは2分9秒台となっているのに対し、3位以降は2分11秒台のため、この時点で差は5秒5にもなっていた。6周目のシケインでゼッケン12 ヨシムラスズキwithJOMO酒井大作がインをついて首位を奪取。( MFJ SUPER BIKE 8耐レポートより画像 )( 以下ハルクプロのサイトより )”辰也はその後レースを引っ張る形になったが、ペースが上げない。(ここに今回の伏線があった)後ろから来るのは前に行く事しか考えない大作、当然抜かれる。辰也は大作に付いて行くのは楽なので無理に前に出ない。”トップのヨシムラスズキwithJOMO酒井大作と2位、MUSASHI RT HARC-PRO.山口辰也、この2台の抜きつ抜かれつのバトルが続くかと思われた14周目、またもや波乱がサーキットを包む。ゼッケン634 MUSASHI RT HARC-PRO.山口辰也の目前で周回遅れのマシンが転倒、山口辰也、ダートに逃げようと試みるも願い届かず・・転倒。( 以下ハルクプロのサイトより )”大作が周回遅れをパスして行く最中に周遅れ車のフロントホイールをヒット、バイクに乗る人なら誰でも分かると思うが、当然ひとたまりも無い。ゼッケン04番だったと思うが、激しく転倒し、直後にいる辰也にまともに激突した。”転倒した後、仰向けでピクリとも動かない周回遅れのライダー・・MUSASHI RT HARC-PRO.山口辰也、グラベルに突っ込んだマシンを起こすこともなく・・サンドトラップに呆然と座り込んでいた。。( 山口辰也 オフィシャルブログより画像 )( 以下山口辰也 オフィシャルブログより )”酒井選手とバックマーカーの接触があり、バックマーカーの選手が目の前で転倒して、避けたけど、グラベルが狭くてクラッシュパットに突っ込むしかなくなりダートの場所でバイクを転がしました。どうしようもない転倒でした。避けることは出来なかったけど、だいたいぶっちぎっれば良かったことなので、あそこの場所にいた自分が、悪かった。”山口辰也、ステアリングの折れたバイクを立て直し、マシンを再スタートさせてピットに戻る。マシンの修復を終え、安田毅史にライダー交替してピットを離れた時、トップからは14周遅れとなっていた。。32回目の鈴鹿8時間ロードレースはスタートからわずか1時間でトップスリーの2チームが転倒という大波乱の展開となった。[1時間経過時点]1. #12 ヨシムラスズキwith JOMO 27Lap2. #2 Honda DREAM RT 桜井ホンダ 27Lap3. #48 PLOT FARO PANTHERA 27Lap4. #7 YAMAHA AUSTRIA RACING TEAM 27Lap5. #25 HONDA鈴鹿レーシングチーム 27Lap6. #99 テルル・ハニービーレーシング 27Lap7. #5 TRICK☆STAR RACING 27Lap8. #44 ウイダーD.D.BOYS with A-STYLE 27Lap9. #68 チーム スポーツ ファイター 27Lap10. #9 BEET RACING 27Lap53. #1 F.C.C.TSR Honda 18Lap54. #634 MuSASHi RT HARC-PRO. 15Lapつづきはコチラ : 3.炎天下の走行
2009年07月28日
"コカ・コーラ ゼロ"鈴鹿8時間耐久ロードレース 第32回大会世界同時不況の景況でホンダ、ヤマハなど各有力ワークスの不参加が決定される。また8耐ではおなじみだったフランスの耐久チームなども世界同時不況の景況で不参加に・・世界耐久チームは4チームしか参戦出来なかった。 今年の8耐はMOTO-GP、SBKなど世界クラスのレースとスケジュールが重なり、世界クラスのライダーの多くが不参加に。以上、様々な要素が重なり参加台数は激減し60台を切る事に。国内有力プライベーターチームのガチンコ勝負、そんな様相を呈した今年の鈴鹿8時間耐久レースとなった。メーカーワークスチームが去った今年はメディアの注目度が低下。景気の後退でスポンサー企業の券売が苦戦、様々な要因が重なり観客動員数も5万4000人という過去最低の記録になった。決勝当日も観客席には空席が目立ち、これが国内ロードレースの現状を伝えていた。。2009年7月26日(日曜日) 天候:曇り 気温:30℃、路面温度:43℃ 予報:雨(桜井ホンダのサイトより)天気図はサーキットへの雨雲の接近を知らせており、各チームとも、雨の降り出すタイミングを様々想定しながら、決勝スタートを迎えた。午前11時30分 ル・マン式スタート32回目の鈴鹿8時間耐久ロードレース、まさにサバイバルレースの始まりだった。TSRのサイトより画像予選好調だったゼッケン2 Honda DREAM RT 桜井ホンダ 亀谷長純、スタートに大幅に出遅れ、後方からの追い上げ。ポールシッターF.C.C. TSR Hondaの秋吉耕佑、1周目よりトップに躍り出ると積極的に後続を引き離しにかかる。オープニングラップを終えた段階で、2位MUSASI RT HARC-PRO.山口辰也に1秒2の差を付ける。( ヨシムラのサイトより画像 )トップよりやや遅れて2番手にMUSASI RT HARC-PRO.山口辰也、3番手にヨシムラスズキwithJOMO酒井大作、TOPスリーは下馬評どうり、3強でのレースが始まる。波乱は2周目よりやってくる。。ゼッケン1 F.C.C. TSR Hondaの秋吉耕佑、レース序盤のオーバーペースがたたったのか・・S字コーナーで痛恨の転倒。秋吉のペアライダーである伊藤、モニターを見つめながら”あぁ・・やってしまった”最初は思わず口元に笑みが浮かぶも・・関係者の顔が次々と浮かんでくるのか・・なんともいえぬ複雑な表情に・・。転倒した F.C.C. TSR Hondaの秋吉耕佑、マシンを再スタートしてピットロードに滑りこんでくるが、ここでなんとフロントタイヤがピットロードの黄線(アスファルトに張られた黄色いテープ)に足をとられ再び・・転倒。サーキットに悲鳴がこだまする。。秋吉”信じられない・・”思わず頭を左右に振る。再々スタート後、ピットに戻った瞬間・・秋吉、ヘルメットをかぶったまま、背中を丸めて大股でピットの奥に消えてゆく。。ダメージを受けたゼッケン1 F.C.C. TSR Hondaのマシン、修復までに約19分を要す。ライダーを伊藤真一に替えて、トップから10周遅れ・・レース前、今大会の優勝候補と呼び名に高かったチームF.C.C. TSR Honda・・最後尾から苦難の追い上げとなってしまった。( 以下F.C.C. TSR Hondaのサイトより抜粋 ) ”まだ7時間ある。” 何処まで行けるか我々は挑戦する! つづきはコチラ : 2.スタートから1時間
2009年07月28日
関係者の皆様、お疲れ様でした。素晴らしいレースでした。
2009年07月26日
何事もおこりませぬよう。。
2009年07月26日
最後のライダー交代。次々、ピットインしてます。水しぶき若干残ってますが、よく寝かして走るもんだ。。
2009年07月26日
ホントかよ・・ライスポさん、そりゃないよね??? こんなとこまで世界同時不況??毎年楽しみにしてのにぃ~~。・・と思われる方は是非、投書しましょう。 grandstand@ridingsport.com
2009年07月21日
青山ウェルカムプラザで熱い声援を鈴鹿におくる予定です。24時間耐久で仕事した後だから、寝息たててたらスマソ。。
2009年07月21日
生まれてこのかたのY社ファンですが、今年は世界同時不況のおかげでY社様のワークス参戦はないというコトです。まぁ、おかげで長純センセイを胸張って応援出来るのですが・・。表彰台の真ん中であの人懐っこい笑顔見てみたいよネ。。夜勤明けで現地で寝ちゃうカモなぁ・・。翌日も仕事なんだよな・・。キツいけど、1年に1度のお祭り・・行っちゃうしかねーだろーな。何時くらいから並んだらいいのかな??バイクで行っても駐車スペースあるのかな??せっかくの祭りなんで、アルコールを注入しながら楽しみたいなぁ・・。 ☆昨年はホンダワークス(HRC)の偉い方がみえて、鈴鹿8耐のウラ話を興味深く聞くコトが出来たんですが、今年はH社もワークス活動しないというコトでそんなお話も聞けないのかな??”鈴鹿8耐”生中継イベント 『LIVE in AOYAMA』”
2009年07月15日
今年の8耐はホンダ青山ウェルカムプラザでヤマハの帽子をかぶりつつのんびり涼しく観戦・・(いろんな意味で悲しい・・)とたくらんでおりましたが・・ アレ?? 青山ウェルカムプラザのイベントスケジュールに”8耐”がないっっ。。 かなしい~~~。。 http://www.honda.co.jp/welcome-plaza/event/notice/index.html まぁ・・ 世界同時不況・・経費削減・・・しょーがないですネ。。 ☆鈴鹿8時間耐久ロードレースhttp://www.suzukacircuit.jp/8tai/ヤマハ発動機株式会社「2009 QTEL FIM世界 耐久選手権シリーズ第4戦 “コカ・コーラ ゼロ”鈴鹿8時間耐久ロードレース 第32回大会」参戦休止http://www.yamaha-motor.co.jp/profile/sports/race/release/2009/015/index.html
2009年06月29日
1991年鈴鹿8時間耐久この年は雨の鈴鹿で東の西で路面状況が全く異なるという難しいレースでした。 ”1991年鈴鹿8時間耐久詳細”NHKで1時間にまとめられた8耐のダイジェストが当時、放送されていて 21番キリンメッツヤマハの藤原義彦選手が転倒。 ”折れたシフトレバーを握りしめる藤原・・彼の8耐は終わった。。” ( 詳細は忘れました。スマソ・・。) で、この音楽が流れたんです。 印象的でした。 1990年鈴鹿8時間耐久是が非でも平忠彦に勝利をもたらせたいTECH21ヤマハ、ついに世界チャンピオンのエディー・ローソンを平のパートナーとして迎え入れる。対するHONDAはガードナー&ドゥーハンの最強コンビでこれを迎え撃つ。”1990年鈴鹿8時間耐久詳細””OKI HONDAガードナー転倒するも驚異の追い上げで資生堂TECH21ヤマハを猛追””OKI HONDA ガス欠によりリタイア、夕闇の中走る平忠彦”( 当時NHKの8耐ダイジェストに採用された選曲より )
2008年10月06日
先週の日曜日決勝、1週間後の翌土曜日には書店に並ぶ。(スタッフの方々の御苦労様デス。。)80年代から続いている本だから毎年一冊買ってると鈴鹿8耐の歴史が手に取るようにわかるネ。
2008年08月03日
仕事抜け出して行ったんだけど、レース開始から手に汗握る展開・・俺の好きなヤマハやヨシムラは青山ウェルカムプラザは完全なアウェーだな。。伊藤選手や清成選手がヨシムラを抜くと会場から拍手がぁ・・。(ぬぬ・・っ)・・とこんなコトしてるウチに休憩時間30分オーバーしちゃいました。来年は8時間をフルで見たいと思いましたヨ。詳細画像はコチラ
2008年07月27日
2008年7月27日 日曜日 午前10時東京都港区南青山2丁目のHondaウエルカムプラザ青山にて2008 QTEL FIM 世界耐久選手権シリーズ第3戦"コカ・コーラ ゼロ" 鈴鹿8時間耐久ロードレース 第31回大会8耐中継イベント『 LIVE IN AOYAMA 』が行われます。詳細はコチラ
2008年07月24日
ドゥーハンの転倒により2位に上がった資生堂TECH21チーム。ライダーは平忠彦&ジョン・コシンスキー。 トップを走る耐久のエキスパート、BEANSホンダのビエラ&サロン組を除序に追い詰めてゆく。しかし、17時31分 163周でコシンスキーのチャージは終焉を迎える。平忠彦、またしてもエンジントラブルでリタイア。
2006年07月06日
1996年鈴鹿耐久8時間ロードレース。94年全日本SBチャンピオンの吉川和多留選手は87年~89年全日本500で3連覇を達成した藤原儀彦選手とペアを組んで8耐に挑む。 2周目ヘアピン 藤原がハイサイド転倒、再スタートするが順位はほぼ最後尾に落ちてしまう。吉川にチェンジし、必死に追い上げ12位まで挽回するが、43周目S字で吉川痛恨のクラッシュ。1年に1度のチャレンジは炎の中で幕を閉じる。
2006年06月21日
1985年鈴鹿8時間耐久ロードレース83年にWGPを引退したケニー・ロバーツが全日本のエース平忠彦とペアを組んでワークス体制で鈴鹿に乗り込んできた。スタート3時間後にはケニー・タイラペアは独走体制を築く。追っていたのはホンダのガードナー・徳野ペア終盤の2時間、ガードナーはライダー交代をせずに走り続ける。1周につき2秒づつタイラとのタイムを詰めてゆくが、それでも計算上はケニー・タイラペアを抜く事は不可能だった。それでも諦める事なくガードナーは走り続ける。ゴール32分前、ケニー・タイラペアのマシンから煙がふけ上がる。タイラはグランドスタンド前のプラットホームでマシンを止める。諦めずに走り続けたガードナーに勝利の女神が微笑んだ。
2006年06月15日
CB750 1972からのHONDA耐久レーサーの進化を画像で確認して下され。http://www.koutoushinku-giken.com/fz_hp/n_rvf750.htm
2003年09月29日
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