070127

昨日で、今年もまた、一つ歳をとってしまいました。もう一年で”信長”の時代の化転の人生を全うするのかもしれませんが、平均寿命の伸びや自分の親父の没年齢を考えれば、あと四半世紀は、何事も起きなければ寿命として全うすることになるのかな?
この頃とみに涙腺が緩くなったような?いろんな事に感動しやすくなったのか?やはり人生の折り返し地点を通過しているのかもしれませんね。死生観というようなものについても、時々漠然と想いが飛んでしまっていることがあるようです。
日常的にテレビを見なくなって久しいのですが、ネットでいろんな事を検索しているうちに時間がどんどんたってしまうので、そんな事も気にならず、もちろん暮れの紅白歌合戦なんか見ていなかったわけですが、他のことでネットのニュースを検索していたらクラッシク系のテノール歌手が紅白で歌った歌がオリコンで1位になる快挙を達成して静かなブームを起こしていると云うような、最初は”ふぅ~ん?”くらいに思っていましたが某クラッシックの音源を提供してくれているサイトでブログに取り上げられていて試聴出来るようになっていました。
何気なしに、たぶんごくごく~軽いキモチでクリックしたわけですが~
あとは
気がつけば、目頭が熱くなり、鼻をぐすぐす云わせながら~何度も、何度も繰り返し聞いていました。
もう一つ気がつけば、それまで調べていたことを忘れてこの”うた”のことを調べていました。そして、この”うた”を私たちにわかりやすく受け取れる形に、すばらしい日本語誌への”超訳”をしてくれた新井満さんのところにたどり着けました。
そうして、この”うた”の原詩が、ずいぶんと昔から発祥や作者不明のまま、口伝えで広く英語圏の世界の中で愛されてきたことを知りました。そして、原詩の方でも既に別の旋律で歌われていることも知りました。 
一部の方にはご存じでしょうが、天使の歌声とも云われているらしい、子供達の歌唱ユニット”Libera”が歌っている。 いつもあなたのそばにいるから
(Do not stand at my grave and weep)
←ここで試聴出来ます。
もっとも有力とされている一説では、1930年頃にアメリカの女性が肉親の死を悲嘆する友達のために書いた詩とされています。
その詩は、その原詩者とされているメアリー・フライさんご本人によって、元々のバージョンだと確認されているという原詩が、次のような無題の詩です・・・

(According to a webpage written by Alan Chapman, it seems that this well known poem above was originally written by Mary Frye. And following is her origial version)

Do not stand at my grave and weep,
I am not there, I do not sleep.
I am in a thousand winds that blow,
I am the softly falling snow.
I am the gentle showers of rain,
I am the fields of ripening grain.
I am in the morning hush,
I am in the graceful rush
Of beautiful birds in circling flight,
I am the starshine of the night.
I am in the flowers that bloom,
I am in a quiet room.
I am in the birds that sing,
I am in each lovely thing.
Do not stand at my grave and cry,
I am not there. I do not die.

(Mary Frye's original version)

色々なサイトのブログなどで再々書かれているようにこの詩は、少しずつ形を変えながらも面々と人々が悲しみを乗り越えようとするときに朗唱されてきています。その度に話題になりその起源が英国と米国の双方で調べられたことがあり、そのときの記事が、上記です。そして、原作者としてMary Fryeさん(当時93歳だったそうですが)が原書と確認されてのが上記の詩文です。
しかし、その根底を流れる死生観は、自然との共生の中にあり、自然と共に生き、自然の中で死す。でもそれは、帰りまた”かえってくる”その繰り返し、輪廻転生のような、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教などの宗教観とは、本来相容れないものであり新井満さんが想像されたネイティブ・アメリカンの死生観に基を発すると云う方に強く共感出来ます。”今日は死ぬのに良い日だ。”と云うネイティブ・アメリカンの思想は、 自分たちも自然の一部であって、”生”とか”死”というものはただたんに”そこ”に”帰って”、また”こちら”に”かえってくる”というような自然な中に繰り返す、自然との一体感を表しているように思います。
だから
それぞれかけがえのない、ひとつひとつの
千の魂は、
千の想いに乗って、
千の声に
千の祈りに乗って
”千の風になって”
それぞれに
大地の上を
野を、山を吹き渡り
愛おしい人々のもとに
かえってくるのでしょう。
楽しかった日々の
思い出をよみがえらせて
悲しみを吹き流すように
悲しみにくれる
人々の心の中にも吹き渡ってゆくのでしょう。

すばらしい魂の共感のうたですね。

ぶんちゃのお薦めは、こちらです。
いわさきちひろさんの優しい絵ととてもマッチしています。

新井満さんのうたは歯切れが良くって味があります。その他、いろんな方の様々なバージョンでご自分にあったものを見つけるのにも良いかもです。
関連の書籍も購入して読んでいる途中ですよ。


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